とある魔術の禁書目録 自作ss保管庫

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何かのプロローグ 1



不幸。
それは人が決めた、幸せの単位だ。幸せのものさしの最上部が幸福、最底辺が不幸と呼ばれている。人はみな、その最上部を夢見て、追いかけながら日々を過ごしている。

その不幸には二つの種類がある。
一つ目は自分自身の意識から来るもの。意識に潜む、いわゆる無意識下における歪んだ思考パターンが本人の行動、心情に影響を及ぼすのだ。うつ病、PTSDの原因など、心の病気に繋がってしまうこともある。
二つ目はその人の運がただ、ひたすら悪いこと。生まれつき不幸なことばかりが身の回りで起こるという、稀に見る不幸体質。その体質から来る不幸。いわゆる可哀想な人種。

ここに上条当麻という一人の人間がいる。とある高校の一年生だ。
彼は二種類の不幸の内、後者に属する人物だ。幸せのものさしの最底辺に属し、いつも不幸に巻き込まれるほどのその体質。
地球は丸い。今時小学生でも知っていることだ。
地球には重力がある。意識するまでもない、日常に組み込まれた、生活に溶け込む常識だ。

上条当麻の不幸もそれらと同じようなものだ。朝の占いでアナウンサーのお姉さんが一位を告げようが、寺社仏閣でいくらお守りを買い込もうが、彼の不幸という名の常識は覆ることを知らない。
まるで世の中の理(ことわり)の中に組み込まれているかの如く、彼に不幸はやって来る。
財布を無くしたり、不良に絡まれることなど日常茶飯事。自販機にお金を飲み込まれるという奇跡にさえ遭遇する。ある時は右腕を切り落とされ、またある時は時速7000キロの超音速機から突き落とされ、またある時は駆逐艦から発射されたバンカークラスターを浴びたり、と。
もはや不幸というレベルを超えている。不幸という器に入りきれていない。天災と述べた方がいいのかもしれない。もはや誰にも解決出来ないのだから。

そしてその不幸改め天災は、今日も上条当麻に相も変わらず降り注ぐのだった。



東京都西部、その未開発地域を一挙に開発、作り上げられた学園都市。科学の最先端をひた走り、「外」との技術ではニ、三十年の開きを持つこの街にも、日本の四季の一つ、寒い寒い冬は訪れていた。
近くの多摩丘陵を下る風のせいか、関東平野中心部より気温が二度三度低くなるこの街。
街の街路樹からは緑が消え失せ、枝だけが寂しく風に揺れている。生物の生気が失われ、さらには街全体からもどこか物寂しさが漂っている。
それでも、そこに住む人々は夏と変わらずに生活している。
第三次世界大戦終結より二ヶ月。物価の上昇や学園都市への出入りの制限など、様々な制約もようやく落ち着きを見せてきた。人々はゆっくりと元の生活に戻っていく。まるでそんなイレギュラーなことがなかったかのように。

ところで月の別称に陰暦というものがある。正式名称を天保暦というそれは明治時代の太陽暦への改称まで使われていたれっきとした暦だ。
その陰暦の中で十二月という月は「師走」と呼ばれている。読んで字のごとく、普段走ることのない先生までが走るほどの忙しさ、という意味から来た語句だ。年末は旧年の整理、新年への準備などやることが目白押しなのだ。先生が走るのも納得できる。
この学園都市においても、それは変わらない。生徒たちは帰省の申請を進めていたり、またはその一歩前に来るクリスマスの準備をしたりしている。今も昔も、この時期は皆がみな、せわしく動き回る頃なのだ。

そして、ここにも忙しそうに動き回る二人がいた。動き回るというより、走り回っている。全力で。といっても新年への準備とかそういうものではない。
もっと別の、くだらなくて、心が温まって、けれどもちょっと切ない。そんな理由で。

ーーーーーーーーーー

「待ちなさいよ!!! このバカッ!!!!!」

少女の体から紫電がほとばしる。バチッと音を立てて空気中に放電した。
日はすでに暮れ、ほのかにオレンジ色が西の空を染めるばかり。東の空からは月が登る。それら二つに挟まれた天頂は、影響されることなく黒の絵の具をぶちまけたような漆黒。空そのものの黒なのか、冬特有の分厚い雲なのか。見た限りではそれは分からない。

そんな三色の空のもと、川の土手といつ冬ならば近づきたくもないような場所に、二つの人影が。今にも夜の闇に飲まれてしまいそうになりながら、それらは動く。人間が出せるギリギリのスピードで。

青白い光があたりを照らす。
人の体から電撃が発生するという、常識では考えられないその光景。だが、ここは学園都市だ。「外」の常識などここの非常識とも言える。
学問の最高峰とされるこの街のもう一つの顔、科学的な超能力養成機関ということを考えると別段、それは珍しいことでも何でもないのだ。


少女から発生した電撃がやがて右手に凝縮されていく。ひときわ明るい光を放つ。すぐに右手から溢れんばかりの量になる。まるでボールを持つかのように軽い動作で、それを振りかぶると、自分の正面に打ち出した。自分の少し前を、脇目も振らずに走る少年に向かって。
それこそ槍のように。まっすぐに、鋭く。青白い光が少年に向かって一直線に伸びる。


「電気まとって、追いかけてくるヤツを待つわけねぇだろぉが!!! って、うぉぁあ!?!?」

その空間を切り裂く青白い光線に少年が気づいた。走る速度を緩めることなく半身の体勢をとり、自身の右手をそれに向かって突き出した。
間一髪。
突き出した右手に向かって電撃が動いた。まるで雷が避雷針に引きつけられるかのように。不自然に曲がったそれは少年の右手に当たるとバキィンと音を立てて消え失せた。
それこそパッと。まるで魔法のように。

だが、少年がそれを確認することはない。そんなことをしていたら消し炭にされる。本当の意味の消し炭に。
後方の、多大なる気配を背中に受けながら少年はまた走り出す。雷をバチバチ言わせながら自分を追いかける、あの雷神様から一歩でも遠くに、少しでも自分の寿命を伸ばすように。


前を走るツンツン頭の少年の名は上条当麻。能力を無能力、低能力、異能力、強能力、大能力、超能力の六段階で評価するこの街において、少年はそのピラミッドの最底辺に属する。つまりは無能力者なのだ。
一方、その底辺を追いかける少女の名は御坂美琴。この街の頂点、超能力者に分類され、その中でも上から三番目に位置する、ピラミッドの最上部の人間。

上条当麻と御坂美琴。無能力者と超能力者。底辺と頂点。
二人は第三次世界大戦の前も、後も、何も変わらない生活を送っていた。二人は何も変わらない。その関係も、二人の距離も、接する態度も、中の気持ちも、何もかも。
地球と月、太陽と地球のように決して切れることはないその関係。それでいて反発する磁石のように二人が近づくことはない。
二人は何一つ、変わってなど、いなかった。


「あぁぁぁぁぁ、もう!!!! ふこぉぉぉぉだぁぁぁぁぁ!!!!」

上条の代名詞とも言えるそのセリフ。学園都市の人工的な光に照らされた、いやその光さえ飲み込む漆黒の空に、その叫びは吸い込まれて行った。



カチリ、と。
何かがはまる音がする。その概念的なものに二人は気づかない。


二人の運命の歯車が噛み合う。
ゆっくりと、それらは回り始めた。
二人が紡ぐ、その果てしない物語が今、始まる。

「………し、………死ぬ…………」

パタン、と。
乾いた音を立てて、上条はベッドに倒れこむ。顔が枕に押し付けられる。使用している洗剤の香りがほのかに上条の鼻腔をくすぐる。優しい匂いだった。それらが上条の肺をゆっくりと満たす。

彼の着ている制服はボロボロだった。ところどころに泥が付着し、また不恰好な団子のようなものが数カ所ほど。合成繊維が熱で溶けたものだろう。言うまでもなく、先ほどの電撃によるものだ。
彼の特徴的なツンツン頭は、今はその元気を失いペタンと重力の為すがままになっている。本人の健康状態を比例するかの様に。

上条がそれらの自分自身の外面を気にすることはない。いや、気にすることができないのだ。
倒れこんだ姿勢からピクリともしない。腕どころか、指一本を動かすことさえ億劫に感じてしまう。
気力、体力、精神力。
それら全てが赤ゲージを突き破るほどにまで減らされていた。

別に追いかけっこ程度なら上条にとっては屁でもない。毎日のように不良に追いかけられる日常を送る彼にとって、この程度のことは日常の二文字に組み込まれているのだ。

が、問題点がいくつかある。
一つ目としては時間。三、四時間という、映画なら余裕で二本目に突入するような長時間の追いかけっこ。
二つ目として、お相手が超能力者というこの街に頂点に君臨し、電撃を操り攻撃してくるということ。
三つ目、これが二週間毎日のように繰り返されていること。

上条はそのトリプルパンチを食らっているのだ。
これで疲れない方がおかしいだろう。そんな人間がいるのならばぜひ見たいものだ、と上条は思う。あわよくば立場を交代して欲しい、とも。
要するに上条は疲れているのだ。
疲労困憊、満身創痍。何とでも言えるだろう。
身体的、精神的、社会的にも。全ての状態で上条は健康とは言いがたい。WHOの定めた健康の定義など、余裕で破っている状態だ。


「み、御坂め。殺す気……いやあれは殺す気だろ、確実に……」

余力を振り絞り、上条は自身の体を仰向けにする。白い天井が目に入った。天井で反射する人工的な光に多少目が眩む。
先ほどの電撃を思い出す。まっすぐに自分に向かって来る青白い光。人の致死量をとうに超えていることなど、素人目の上条にもよく分かった。
確か十億ボルトだったよな、と記憶をほじくる。
さすが第三位、と自嘲的に苦笑した。

もちろん、そんな電撃に耐えることのできる人間などいない。全身の蘇生をゴムに変えようが、問答無用で焦がされるだろう。まずは高圧電線に触ってこい、と上条は変な想像をする。
ともかく普通の人間には不可能なのだ。
ところが幸か不幸か、上条はその『普通』の人間には分類されていなかった。超能力者に分類されている訳でもない。

『幻想殺し』

そうカエル顔の医者に名付けられたその能力。第三位の電撃だろうが、超能力だろうが、魔術だろうが、それが異能の力ならば問答無用で打ち消す能力。
電撃を防いだのもこの右手だ。原子力発電所さえ可愛く見えてしまうあの電撃を。


「はぁ……………」

上条はため息をつく。
右手を顔の前に持ってくる。焦点が天井から右手に変わる。真っ白な背景に何の変哲もない右手。そんな構図が目に入って来る。

いくら能力を打ち消すといっても、所詮その効果は右手首から先のみ。それより下は『普通』の体だ。身体検査で無能力者と判断される、この街の底辺の体。
あの電撃が当たればただでは済まないだろう。間違いなく精神と身体が引き剥がされるはずだ。
正真正銘、文字通り、命がけの鬼ごっこ。それも一方的な。


「………上条さんは何かしたんでせうか………」

思い当たることなど一つもないように思える。恨みを買うことなど、何一つしていないはずだ、と。
そもそも最近までこんな追いかけられるようなことはなかったのだ。
ロシアからの帰国、そこまではよかった。問題はそこからだ。帰国後しばらく経った辺り、約二週間前からこんな事態に陥ったのだ。
前々から原因不明の漏電は度々あった。
が、最近はそれにプラスして、電撃の槍やら何やらまでがやって来る。街でばったり会って数分後には電撃が飛んで来るのだ。
上条にはそれの意味することはわからない。だから自分を疑う。それでも思いつかない。

上条は考える。御坂美琴という、一人の女の子について。自分と彼女との関係について。自身の思い出に身を浸す。
初めて会ったときのこと。それ以前は喧嘩相手だったと聞いている。記憶がないのだ。思い出せるはずがないだろう。
絶対能力進化実験。
八月三十一日の偽デート、及びとある誓い。
大覇盛祭。夜のダンス。
罰ゲーム。ゲコ太ストラップ。ペア契約。
地下街での記憶についての告白。
そして、ロシア上空でのあのやり取り。

(……意外と接点あるもんだなぁ……)

それでいて電撃を放ってくるのだ。上条は混乱する。よく分からなかった。
超能力者。常盤台の超電磁砲、エース。ビリビリ中学生。十四歳の女の子。強気。誰よりも弱い。泣き虫。
そして、

彼女とその周りの世界を守る

そう誓った相手。アステカの魔術師を思い出しながら、一言一句たがわずにその言葉が反芻される。

(違う………)

上条は思う。これは自分から見た御坂美琴だと。ならばその関係は? 間柄は?? 距離は???
自問する。答えに詰まる。
赤の他人?
友達?
仲間?
同志?
親友?
上条には分からない。言葉が見つからない。どの言葉も当てはまらなかった。それら全てが甘ちょろいものに感じてしまう。
それでいてその距離は遥か遠くに感じる。
言い表す言葉がなかった。
こんなことを考えたことも無かった。直感的に、目先を第一位に考え、行動する上条当麻という人物。考えるよりも動く方が先立つ。
自分という人柄を自分という目線から振り返る事など、彼の短い記憶の中にはした記憶がない。必要とされなかったからだ。
他人から享受されてきたそれを、上条は改めて振り返る。


「どうしたんでしょーね、上条さんは……」

自分で苦笑する。自分の心持ちに対しても、距離に関しても、美琴の行動に関しても、全てが分からなかった。

ズキッ、と。
右肩に痛みが走る。右手を上に上げたままだった。疲労に疲労が重なり、右腕全体が悲鳴を上げている。それらをいたわるように、上条は右腕をゆっくりと下に降ろそうとする。
その視界から出て行こうとする右手を見た瞬間、ハッと気づいた。

(これかな??)

一見、何の変哲もない右手。普通に見える右手。が、宿る能力は普通ではない。
全てを打ち消す能力だ。今までたくさんの幻想を破ってきた。人を守ったことも、はてはこの世界そのものを救ったこともある。打ち消したものは数えられない。数えきれない。
その中には今日の電撃も含まれる。一番新しい、幻想だ。音を立てて消える電撃。
電撃は美琴が発したものだ。
彼女にとって電撃はなんだ?
何を意味する?

能力は自分だけの現実(パーソナルリアリティ)から生まれる。小学生の頃より散々に言われてきたことだった。その記憶がないにしても、この街では常識になっていることだ。
自分だけの現実とは信じることだ。信念、決意。人の根本にある物。
それを打ち消しているとすれば?
電撃が彼女にとってのアイデンティティならば?
自分は彼女という「存在」すらも打ち消しているのではないのか?

その考えが上条に影を落とす。心が重くなる。まるで重りをつけたかのように。少し苦しくなる。
能力を得て、それを伸ばすのにどれほどの労力がかかるかは上条自身がよく知っていた。無能力者(レベル0)だからこそ、大変さはよく理解していた。御坂美琴はその底辺から頂点に這い上がったのだ。多大なる努力と時間と、本人の意思の硬さがあったのだろう。
それを、その幻想を、自分はいとも簡単に打ち消すのだ。


「嫌われてんのかね………俺は」

電撃を脳裏に思い浮かべる。
嫌うというよりも超えたい存在なのかな、とも思った。そんなことをかつて美琴が言っていた気がする。どちらかは分からない。相手の気持ちが分からなかった。
嫌われているかもしれない。その思いが上条を少し傷つける。
上条は人によくない印象を持たれて、それを傍観出来るような性格ではない。胸の奥がまるで手で握り潰されている感覚がある。
痛かった。
ただひたすらに。


「………どうしたらいいのかね?」

目の前で右手を開き、そして閉じる。それを繰り返す。まるで何かを掴むかのように。
右肩の疲労から来る痛みが今では心地よい。
全てが投げやりになる。もうどうでもいい。
そんな気持ちになる。このまま眠りたかった。目をつむりたかった。柔らかいベッドに体を預けたかった。これ以上重力に逆らうことをしたく無かった。
上条は目をつむろうとする。ゆっくりと。静かに。意識を深い闇の底にうずめようとする。心の痛みはまだ消えない。それを振り払いたかった。忘れたかった。
故に上条は目を閉じる。

「どうしたの? とうま……」

が、それは叶わなかった。
優しく、染み渡るような声がする。それが闇に沈もうとする上条を上に引き上げた。やんわりと声が上条を包み込む。ポッカリと空いた心の隙間を埋めようとする。
温かみを感じた。
が、その一方でそれを享受してはいけない、という気持ちもある。上条の心はそちらに傾いた。


「ハハ、何でもないですよ~。風呂のお湯抜いてきたか~??」

何でもないように言った。
結局、心の隙間は埋まることはなかった。上条が拒絶したわけでも、その言葉が埋めることを諦めたわけでもない。
簡単なことだった。目の前の少女の言葉は上条の心の傷を埋められなかったのだ。その優しい言葉も、隙間には形が合わなかった。はまりそうではまらない。傷と言葉の形は違った。彼女では上条は癒せなかった。

それでも上条は目の前の少女に思う。
優しいな、と。
記憶喪失を黙っていて、いつも置いてきぼりにしながらも自分を慕い、慰めてくれる少女が。まだ子供と言えるような、過酷な運命を背負った彼女が。自分を心配してくれる彼女が。
やさしいな、と思う。

インデックス。
それが彼女の名だった。偽名なのか本名なのかは分からない。が、それが示す通りのものが彼女だった。10万3000冊の魔導書を背負い、記憶するもの。完全記憶能力を持つもの。

そんな重石を背負った彼女が、こちらを見つめていた。薄緑色の二つの目に優しさ、そして心配する様子が浮かんでいる。
いつもの修道服ではなかった。ピンクの年相応の寝巻きを着込んでいる。銀色の綺麗な髪の毛がサラサラと肩から転げ落ちた。
風呂上がりのせいか、頬に赤みがある。
ベッドの横に立つ彼女は上条を一心に見つめていた。


「むぅ、とうまはそうやっていつも話をはぐらかすんだよ。少しは教えてくれていいかも」

ムッとした様子でインデックスが言う。
上条には一生分からないだろう。彼女のツラさが。人から頼ってもらえない、というそのツラさが。
インデックスの表情に少し悲しみが映る。が、それに上条は気づくことはない。
いつもの事だった。


「ハハ、ゴメンな、インデックス。安心しろって、変なことには首突っ込んでないからな」

そう言いながら上条は右手を伸ばし、彼女の頭を撫でる。髪の毛は柔らかかった。手入れが行き届いている。サラサラとしていた。掴もうとしても上条の手から零れ落ちてしまう。
彼には掴めなかった。いろんなものが。

頭を撫でられたインデックスは、少しその表情を柔らかくする。


「……分かったんだよ。でも……いつか教えてくれると嬉しいな」

ニッコリと。
彼女が微笑んだ。ちょうど五ヶ月前のあのときの様に。優しく。
その笑顔に上条の心はさらに痛む。自分の気持ちをまとめられないし、教える気にもなれない。だから心が痛む。
自らの気持ちを、自らの言葉で振り払おうとする。


「いつかな………おっと、ここはインデックスのベットだったな。ついつい気持ち良さそうでさ。じゃ、上条さんは寝ますよ~」

上条がヨッと起き上がる。ちょっとよろめくも、すぐにシャキッと立ち上がった。
上条は彼の寝床である浴室に入って行く。お風呂にはいる元気もないようだ。
扉が閉まる音がした。鍵がかかる音も。二人を繋ぐ何かが途切れる音も。
インデックスはただ一人部屋に残された。
部屋は無機質な明かりで照らされている。ろうそくのような、概念的な温かみはなかった。それがインデックスには無性に寂しく感じられる。

「………一番辛いのは私なんだよ、とうま……」

さみしげにインデックスがつぶやいた。
電気が消される。暗闇に部屋は包まれる。
彼女は布団に潜った。匂いがした。洗剤の匂いではない。彼女の大好きな人の匂い。かすかに香るその匂い。インデックスはそれを噛みしめる。泣きたくなる。零れ落ちそうになる。
いつまでここにいられるのかな、と思う。いつまでここにいていいのかな、とも。
離れたくなかった。ここにいたかった。彼の隣に立っていたかった。ずっと。ずっと。永久に。永遠に。
が、それは叶わない。

彼女には分かっている。自分の歯車と、彼の歯車が噛み合っていない事に。ずいぶん前にそれらは外れてしまった。今は空回りしているだけだ。近づくこともできない。離れようとは思わない。ただ運命の流れに身を任せるのみ。
悔しさは感じない。憎しみとかそういう負の感情もない。あるのは悲しさのみ。あと後悔が少し。

月明かりがカーテンの下から差し込んでいた。
青白く、静かに部屋を照らす。
外は静かだった。それがインデックスにはに悲しく感じられる。
顔を壁の方に向けた。

彼女は目をつむる。
ここにいつまでもいられることを願いながら。

何かのプロローグ 2



「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………」

上条当麻が自室の風呂場に引きこもったその頃。常盤台の学生寮、その一室から深いため息が聞こえてきた。それこそまるでこの世の終わりのように。何か、抱えている重いモノから逃れようとする感じだ。
ため息をつくと幸せが逃げるとか、不幸がやってくるとか、そういう話がある。
が、この少女、御坂美琴にとってはそれはどうでもいいことだった。ため息もしていないのに不幸がやって来る人物なら身の回りにいる。特段気にすることもないだろう、と。
それ以上に、彼女の心情は不幸のどん底だった。ヤケである。どうにでもなれ、という思いもある。もうこれ以上不幸にはなれないだろう、と。投げやりな態度だ。

西洋風に整えられた、必要最低限のモノしか置かれていない室内。そこに美琴は一人。
大理石の床を叩く水音が反響する。耳を澄ますと鼻歌も聞こえる。多少なりともルームメイトに対して嫌味を思ってしまう。
が、すぐに思い直す。自分を責める。自分が嫌になる。それの繰り返しだ。
無意識に浴槽の扉に背を向けてしまう。

「なんで素直になれないんだろ……………」

自分の膝と膝の間に顔をうずめる。
現在地は彼女のベットの上。そこに体育座りをしている格好だ。目に自分の膝と、白いシーツ、たたまれた布団が見える。
帰ってきたままの格好だった。わざわざ着替える気にもなれない。お風呂に入る気にも。
制服のスカートがめくれる。太ももが露わになった。暖房特有の生暖かい空気に触れる。不快感を感じた。
が、スカートを直す気にもなれない。

感情が表に出ようとしている。理性という名の防壁にヒビが入る。そこから感情が漏れ出す。
目の前の景色が一瞬滲んだ。

素直。
その二文字。たった二文字が出来ない。普通に接することが出来ない。気持ちと裏腹の言葉、行動ばかりしてしまう。アイツを前にすると何を言っているのか分からなくなる。そして最後には電撃。その繰り返しだ。

超能力者?常盤台のエース??御坂様???超電磁砲????学園都市の頂点?????
それがどうした。
何も出来ないではないか。自分は無力だ。目の前の少年一人相手にするだけでこのザマだ。これでは超能力者もクソもへったくれもない。何と馬鹿げた代名詞の数々。
同級生に見せて上げたい。自分を様付けで呼ぶあの子たちに。高校生の男子一人も相手に出来ないこの自分を。訳の分からない感情に蝕れている自分を。心臓が高鳴り、自分の考えていることさえ分からなくなってしまうこんな自分を。
…………見せてやりたい。

彼女の心の内に渦巻く莫大なその感情。自身のパーソナルリアリティさえも簡単に打ち砕いてしまうその感情。その名前も、それが意味することも、それが何につながるのかも、美琴は知らない。気づけない。知るのが怖い。一歩を踏み出せない。何より、認めるのがイヤ、いや、嫌。
彼といると心が安らぐ。ポカポカする。居心地がよかった。心の中の痛み、重石、代名詞に彩られた画面を脱ぎ去り、ありのままでいることができた。一人の少女として。そこに。
心の底から安心できた。その場所に居たかった。隣に立っていたかった。彼が何処かに行こうとするなら付いて行きたかった。守りたかった。失いたくなかった。
アイツと話したい。一緒にいたい。
が、口から出て来る言葉は真逆のモノ。態度は邪険に。行動は電撃に。
素直になれない自分が嫌になる。
自己嫌悪。後悔。自分を責める。
その繰り返しだ。何度も、何度も。
負の連鎖に美琴は入り込んでいた。
これほどまでに無力感を感じたことはなかった。絶対能力進化実験のとき、あの地下街で引きとめられなかったとき。それ以上の無力感に苛まれる。
負の感情はため息となり口から出る。


「はぁぁぁぁぁ…………」

深い、深いため息。
そしてそれを心配する声が。

「………大丈夫ですの?? お姉様………」

白井黒子が何時の間にか後ろに立っていた。全く気がつけなかった。それこそ空間移動(テレポート)を使ったのではないか、というほどに。
風呂上がりだからか、頬は紅潮し、髪の毛に少し水気が残る。そのクセのある髪の毛をゆっくりと梳かしていた。
モコモコとしたピンクのフリースの寝巻き、肩の上に真っ白なタオルをかけている。
いきなり話しかけられたからか、ドキッとしてしまう。それを悟られないよう、言葉でごまかす。


「べ、別になんでもないわよ!!大丈夫だか……」
「上条さんの事ですの⁇」
「っ!!!!!」

息が詰まる。図星だった。相手に突き抜けだったことに驚く。心臓がドキンと跳ね上がる。口から出てきそうだった。ゴクリとつばを飲み込む。胸が苦しくなった。酸欠状態の金魚のように、パクパクと口を開ける。

一方、その様子を見た白井は、またか、と少し呆れてしまう。その様子に対しても、御坂美琴という一人の少女に対しても。
ここ二週間、彼女は毎日のように落ち込んでいる。夜にはその様子が顕著になる。朝には少し元気になり、放課後はどこかに出かけていく。そして帰って来るとこの調子だ。
落ち込み方はかつてあの夏に見たモノとは違う。疲労も、ツラさも感じられない。感じるモノは悩ましげな、そしてはかない何か。人類の根幹に位置し、人が一度は通るモノ。それらを内包した表情。
風紀委員(ジャッジメント)として、この学園都市の監視カメラにアクセスすることが多い彼女は、その落ち込む原因を知っている。
実にお姉さまらしいと思った。普段隠している美琴の表情を白井は知っている。中身はただの女の子だ。か弱い、普通の。
守りたい、補助したい、助けて上げたい。白井は思う。第三次世界大戦から帰ってきた時ような、の美琴の表情などもう見たくはなかった。

「ですから、何度も言いました通り、自分に素直になるしか………」

「分かってるわよ!!それぐらい………」

美琴の言葉。最初の強い語尾はしりすぼみとなる。声が小さくなっていった。
抱え込む膝をさらに自分に引き寄せる。顔を膝にうずめる。膝とおでこが重なった。かかとと太ももがくっつく。
自分の後ろを見たくなかった。
自分でもそれくらい分かっている。分かっているけど出来ないのだ。自覚している事を言われ、つい荒い口調になってしまう。自分を心配してくれた後輩に対して当たるなんて………
自分を攻める。嫌になる。
胸の奥が鋭く痛んだ。


「………ゴメン、黒子。アンタに当たっても何もないのに……せっかく心配してくれたのに………私ってダメだね………ホントに、ホントに……」

「…………………」

白井は何も言わない。否、何も言えない。口に出せない。

「何が超電磁砲よ………何が常盤台のエースよ……くっだらない!! ………何一つ出来やしない。たかが二文字の言葉が実践出来ない!! 何も……なぁんにも……出来ない……………ゴメンね、黒子」

「別に構いませんわ。お姉様の悩みは黒子の悩みでもありますから」

ニコッと、白井がやさしく微笑んだ。
笑顔でそう言ってくる白井に美琴は胸の奥が締め付けられる思いだった。こんないい後輩に当たってしまった自分を反省する。

「ねぇ、黒子。素直って、どうしたらいいのかな」

「自分の思った事をそのまま言うことですわね。上条さんはお姉様を対等な立場で接してくださるのですよね。なら、ありのままに。それが一番かと………」

「うん………」

白井の言っている事をそのまま実践できたらどれほどいい事か。超能力者としてのプライドも、何もかもをかなぐり捨ててありのままで。
上条が一人の女の子として美琴に接してくれるなら、美琴は一人の女の子としてそこにいたかった。上条の隣で笑っていたかった。ずっと。ずっと。
しばしの沈黙の後、美琴が言った。

「………私にできるかな?……」

「お姉様……お姉様に出来ない事など今までおありになりましたか?どんな困難でも打ち破るのが御坂美琴では無かったのですか?」

真剣な顔つきで白井が言った。
また沈黙が続く。

「………黒子、ちょっと一人で考えさせてくれない??」

「分かりました、お姉様。どうか自分の気持ちの整理をなさってくださいな」

そう言って白井は自分の首にかけてあったタオルを自分のベッドに放り投げた。柔らかい音を立ててタオルがベッドに落ちる。
白井は自分の机にゆっくり向かって行った。履いていたスリッパのパタパタという音が響く。

「ありがとう、黒子………」

小さな声で美琴はつぶやいた。


(………お姉様もご自分の気持ちを自覚なさればいいものを………)

そう思いながら白井は自分のノートパソコンを開いた。
学園都市の科学が二、三十年先を掌握していようが、ハードの形は中々変わるものではない。白井のそれも学園都市の「外」と形状はあまり変わっていなかった。
側面のスイッチを押してそれを起動させる。静かなモーター音と共に画面が明るくなった。


(そもそもあれで好きという感覚を認めないというのも…………まぁ、お姉様らしいというか………)

白井は美琴の気持ちをよく知る理解者の一人だった。美琴の性格が素直じゃないというのはとうに把握している。さっさと認めてしまえば楽になるものを、と思う。
しかし、これは美琴自身の問題なのだ。白井がそれを言ったところで解決にはなるまい。これは美琴本人が自分で気づかなければならない問題なのだ。白井に入り込む余地はない。自分にできるのはただ壁の外から応援する事のみ。これほどまでに無力感を味わった事は無かった。
白井自身、美琴に対して友達の一線をはるかに超えた感情を胸に抱いている。友達というにはあまりに重すぎ、器に入りきらない感情。そして、いま美琴の心の内にあるそれに近い感情。
それを白井は押し殺していた。
自分はお姉様を支え、助ける存在なのだ。そのお姉様の気持ちのベクトルが定まったのなら、自分は引かなければならない、と。そう心に決めて胸の内の感情を無理矢理押し殺していた。決して迷惑は掛けまい、と。心に誓って。
だが、いくら自分の気持ちを押し殺そうが、押し殺そうとした分だけ、またそれは強く跳ね上がってくる。そして、心の中の痛みは消える事はない。複雑な感情が彼女の心の中を駆け巡る。彼女もまた、美琴と同じように悩んで、苦しんでいたのだ。誰にも相談出来ずに。板挟みの状態になりながら日々を生きていた。
彼女がある意味、一番辛いのかもしれない。
白井の指がキーボードにおかれた。なめらかに指が動く。目線は画面に向けられたまま。画面が黒い文字で覆われていく。
彼女の所属する風紀委員(ジャッジメント)の報告書だった。画面上に次々と文章が作成されていく。
キーボードを叩く音だけが部屋を支配していた。お互いに何もしゃべる事はなかった。


「……黒子………」


どれくらいたっただろうか。
美琴が白井を呼んだ。その声に白井はキーボードを打つ手を止める。美琴の次の言葉を待った。

「ごめん、先に寝るね」

「別に構いませんわ。いい夢を、お姉様」

「うん……おやすみ、黒子……」

お互い目を合わせる事はなかった。白井は美琴の方を向かなかった。美琴がこちらを向いたかどうかは白井には分からない。
白井は美琴の悲しい顔を見たくなかった。自分の気持ちを押し殺した上で、そんな顔を見る事など出来なかった。一種の防衛本能なのかもしれない。
後ろでカサカサと乾いた音が聞こえた。布団がかけられる音だった。やがてそれはモゾモゾと動く音に変わり、そしてそれも聞こえなくなった。
白井は美琴がお風呂に入ってない事に気づいた。おそらく着替えてもいないだろう。だが、それを指摘できるほど白井は強くはなかった。
ノートパソコンを静かに閉じた。椅子から立ち上がり、壁際のスイッチまで歩いていく。電気が消された。部屋が暗闇に包まれた。
白井が振り向いた時、始めて白井の目に美琴の顔が映った。涙こそ流していなかったものの、何かに耐え忍んでいる顔だった。胸に痛みが走る。白井はそれをしばらく見つめていた。

部屋は完全な暗闇ではなかった。窓から月明かりが差し込んでいる。部屋の床をちょうど窓の形に光がくり抜いた。
白井は窓に近寄り、レースのカーテンをそっと開けた。窓に手を当てる。外の寒さを反映してそれは冷たかった。
窓から見えたのは第七学区の未来的な街並み。そしてそのビルの頂上付近に存在する月だった。上条と美琴が追いかけっこをしていたころ東の地平線にあった月は今は天頂と地平線の中間地点にまで上り詰めていた。
月は満月より少し欠けている状態だった。。左側が欠けているところを見るに明日か明後日が満月かな、と漠然と白井は思った。
漆黒だった空は月明かりに照らされて青白くなっていた。

月から窓ガラスに反射する自分に焦点をずらす。月が背景に、自分の姿が主人公となった。白井はしばらくその顔を見つめた。はかなさ?おぼろげ?言葉で表現できない何かがそこに写っていた。それでいながら、どこか芯を持っているような………

(まったく、私は何を考えているのやら………)

自分自身に呆れ、苦笑する。
やがて白井は窓から手を離し、カーテンを元に戻した。自分の机に戻る。人工的な暖かさが少し不気味に感じられた。机のスタンドをつける。部屋の一角だけが明るくなった。
ノートパソコンを開き、報告書の作成を続ける。幸い、就寝時刻まではまだ時間がある。今日中に終わらせなければ。明日の事と、頭にお花を載せた少女のことを考える。
手が動き始めた。なめらかに。
先ほどより静かに、部屋にタイピングの音が響いた。



結局、机のスタンドが光を失ったのは日付が変わってからだった。その頃には月は天頂より、冷たい空気に包まれた、静かな学園都市を照らしていた。

二人は引き合わない。
反発した磁石は、近くにあった、二人を慕う様々なモノを傷つける。
誰も報われない。
誰も幸せではない。

いつの日か、二人が結ばれるまで。
この話は終わらない。

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