しんやく・にいてんご 2
――再会から5日ほど経過した日。
夕方、御坂美琴は、とあるコインロッカーの前にいた。
「分からん、分からん、じゃこっちは尚更分かんないわよ!」
美琴はブツブツ文句をつぶやきながら、一番お気に入りの服をロッカーに入れ、閉める。
ハワイ行きの話が、全然固まらない。上条に確認するも、他の面子が確定しないだの何だので、分からないとの事だった。
美琴が行なっているのは、ハワイ行きの準備である。本来なら荷造りを部屋で行いたい所だが、問題は白井黒子の存在だ。
上条の復活以降、目に見えて元気になった美琴に、以前にもましてまとわりつくようになってしまった。元気の無かった頃に触れ合えなかった分を、取り戻すかのように。
適当にあしらう分には問題ないが、荷造りがどうにもならない。ハワイ行きを感づかれては、テレポーター少女相手には逃げ切れない。
そこで、美琴は必要なモノを外部のロッカーに放り込んでおくことにした……決行日に、一気に詰め込むという訳である。ただ、今のところはスーツケース代わりの大きなカバン、パスポートや一部夏物衣類しか入っていないが。
日程が不明なので、下着類などもどれだけ用意すべきか分からない。
「ほんっと、アイツは……」
ため息をつくも、置いていかれてはいない事には安堵している美琴であった。写メを送らせて、まだ学園都市にいることだけは証明させている。
ハワイでのリング作戦を画策しているとはいえ、現在の美琴の関心は『本当に連れて行ってくれるか』それのみである。
(結局、お前を巻き込むわけにいかないから置いていく、なーんて言いかねないし、アイツ)
その辺の気持ちは美琴にも理解できる。なんせ彼女自身、妹達の件などでは仲の良い友人達には一切相談せず、抱え込んだりした経緯がある。やはり、自分の事情には巻き込めないものである。
だから、上条に問い合わせる際にも、かなり気を遣っていた。あまりしつこく聞いて『うるせーな。だったら来なくていいよ』となれば自爆である。
そしてもう一つ、ハワイに行くまでにどうしてもやっておかねばならないことがある。――彼の指のサイズを知ること。
(うーん、不確定要素が多くて、ハワイ行きの実感が全然沸かない……。ほんとに私、行けるのかしら?)
一端覧祭も近いため、それと重なりそうなのも厄介である。幸い怪我の功名と言うべきか、一端覧祭の方は上条不在の際に、『体調不良』を理由に各イベントの重要なポジションから既に外してもらっている。当時の美琴の不調は誰が見ても明らかで、一端覧祭は全体的に裏方へ回ることとなっていた。
(だから、最悪一端覧祭と被っても行けなくはない。まあハワイ行きは内緒だし、どの道行けば問題になるけどね……)
と、美琴が色々考えていると。――携帯がブルブルと震えた。
◇ ◇ ◇
その頃、あまり人通りのない道に、上条はいた。意を決して、御坂美琴の携帯に電話をかける。
(やっぱ『アレ』を伝えない事にはなあ……あっちでトラブるわけにいかねーし)
5回ほどのコールの後、相手は出てくれた。
「御坂か? あのハワイ行きの件なんだが、いいか?」
『う、うん。……あ、ちょっと私も全然別件でお願いしたいことあるんだけど、どうせなら電話じゃなくて今、出てこれない?』
「……む」
上条は美琴の申し出にしばし躊躇う。『アレ』は電話の方が話しやすい。だが、向こうが面と向かって話したいなら……。
「分かった。んじゃ、どこにする?」
『んーと、……あ、「ジョセフ」がいいわ。今居る場所から近いし』
「了解。たぶん30分後ぐらいには着くと思う」
(ま、アイツの中で、どう整理ついてるか、だな……)
上条は携帯をしまうと、歩き出した。ファミレス『ジョセフ』に向かって。
ファミレス『ジョセフ』に着くと、彼女は奥の4人掛けテーブルに座っていた。空いているにも関わらず。
そしてもう、白玉あんみつらしき物をつついている。
「よう。もうそんなの頼んでるっつーことは、相当早かったんだな」
「ここの近くに居たからね。時間つぶしも面倒だから、さっさと入っちゃった」
コーヒーを、上条は案内してそのまま去ろうとしていたウェイトレスに声をかけた。
「……何がコーヒー、よ。喫茶店じゃあるまいし、似合わないったら」
「お前のあんみつ見たら、ブラックが飲みたくなったんだよ! お前もじき門限だろ、メシ前によくそんなものを」
「私は日々頭を使ってるから糖分が必要なの! アンタみたいに行き当たりばったりで頭使ってない人と違うのよ」
早速ぎゃあぎゃあとやり合う二人。
しばらくしてコーヒーを持ってきたウェイトレスに会釈をし、それじゃ早速本題、とばかりに上条は口を開いた。
「で、ハワイの話だけどさ」
「待って、私の話の方を先に。あ、いや、その方が効率がいいって事でしかないけど」
「効率……?」
上条はいぶかしげに美琴を見る。よく見ると、彼女の顔がやや赤らんでいる。
美琴は上条から視線を逸らし、やや俯き加減に。
「さ、先に言っとくと、ハワイとは関係ない話なんだけどね」
「…………?」
「えーとその。お手製の手袋作りたいから、手のサイズ測らせて? ハワイの話は、測ってる最中にしてくれりゃいいから」
「…………はい?」
何を言ってるのだコヤツは、と上条は自分の耳を疑う。しかも何だか相手は真っ赤になっている。
「はい? じゃないわよ! 手編みの手袋作るからサイズ測らせろ、っつってんの!」
噛み付くように叫ばれた上条は、ようやく目の前の少女の言葉の意味を理解した。
「おお、お、俺の手の? サイズ? って、ひょ、ひょっとして俺の……お前が?」
「……なんて期待通りの反応してくれるのかしら。違うわよ、お、お父さんへのクリスマスプレゼント」
「あぁ……」
上条のほのかな期待は無残にも打ち砕かれる。
「アンタの手とお父さんの手の大きさ、そんなに違うとも思えないしさ。男と女じゃ手の幅の比率とか色々違うから、少なくとも男の人の手のサイズ、サンプルとして欲しいわけよ。だから、測らせて? ハワイ行ったりバタバタしそうだから、今のうちに、って」
「……一瞬ときめいた俺の心を返してくれ」
ぼそっ、と上条は本音をつぶやく。お手製の手袋なんぞ、生涯に何度もらえるか分からぬ超レアアイテムである。しかも相手は常盤台のお嬢様、ペルシャ絨毯のほつれの直し方を学ぶような人種であり。出来を期待するな、という方が無理というものだ。
上条の反応に気を良くしたのか、彼女の表情が柔らかくなった。
「別にあげてもいいけどさ、それ以前に自信があんまり無いのよね。作ったこと無いし。家族なら出来が悪くても、『これ娘が作ってくれてさ~』的な味があるじゃない? でも知り合いじゃねえ……隙間だらけで機能性ゼロな手袋とかになっちゃうと私のプライド的にちょっと」
「そういうのは気持ちですよ! 出来の善し悪しなんて気にしねーって!」
「まあどうしてもってんならマフラーぐらいなら考えてもいいわよ?」
「おっ……」
「時間と毛糸が余ったらね」
「……お前最初っから余らせる気ねーだろ!」
「さあてどうかしらねー」
上条がもっと美琴を観察できていれば、感づいたかもしれない。美琴の台詞が、幾つかのパターンを想定した上で、何度もリハーサルした言葉をなぞっているだけである事を。故に、目は泳ぎ、言葉も平坦な感じだったのだが、上条は気づかなかった。
美琴は100円SHOPで売っているような小さなメジャーを取り出し、PDAもテーブルの上に置いた。サイズをメモるための記録用だろう。
なにか一言言ってやりたい上条であったが、マフラーの可能性があるなら、と口をつぐむ。それに、『アレ』の事もある。
「はい、じゃあ両手出して」
「……だー。好きにしろい」
上条はテーブルの上に両手を投げ出す。
一瞬、ためらったような仕草を見せた美琴であったが、すぐに両手で上条の右手を掴んだ。そして、ぐにぐにと揉み出した。
「じゃ、じゃあ、勝手に測ってるから、ハワイの話どうぞ」
「…………、」
照れくさい。そうやって手を握られてると非常に照れくさい。
上条はコホンと横を向いて咳をし、口の中を改める。やや顔を赤らめながら。
(そ、そっちは御坂の好きなようにさせとこう。それより本題だ!)
「えーとだな。まず、出発は4日後」
「……分かっちゃいたけど早いわね。ハワイ行チケット取れるかしらね……」
「それなんだがな、お前の分のチケットも取ってくれるようだ。買わなくていい」
美琴の手の動きが止まる。驚いたようだ。
「え? 飛び入り参加なのに?」
「戦力になるし、通訳係としても動いてもらうから、全部出すってさ。ちなみに他にもメンバー居て、チームに別れて分乗することになった」
「そりゃありがたい話ね。で、チームとやらでアンタと私は別れるの?」
「いや、流石にそれはない。俺の通訳も兼ねるわけだし。一緒の飛行機で、俺ら2人で他の面子は居ない……いだだ、指ヒネるな!」
「ふ、ふーん、同じ飛行機ね、なるほど。ハワイって確か7時間ほどかかったっけ……」
いきなり力が入り、ぎゅいっと指を捻られた形になった上条は顔をしかめる。そこで上条は気づいた。
「なあ御坂」
「……何よ」
「何よじゃねえよ。測らずににぎにぎしてるだけじゃねえか! それとも何か、メジャー無しに能力で測れるとかか!?」
美琴は、勝手に測ってる宣言をしたあと、ずーっと上条の右手をいじくり倒していた。
「……確かに測ってないけど、別にいいじゃない。減るもんじゃなし。……色々試してるけど、やっぱり電撃流れないのよね。ほんとムカつく」
「こんな時に試すんじゃねー! しかもムカつくって何!?」
「もううっさいわね。ちゃんと測るわよ、ったく……」
しぶしぶ、といった態度でようやく美琴はメジャーを掴み、上条の指に巻いたりしてサイズを測り出した。
(あーもうコイツはワケ分かんねえ! まあいい、それより問題の『アレ』だな)
上条はコーヒーを口に含み、湿らせた。平和裏に済むことを併せて祈る。
「で、だ。これを聞いてお前がキャンセルするならしてもいいぞ、って話だが……」
「……何? 穏やかじゃないわね」
「……別のチームに一方通行がいる。向こうで合流する」
美琴の動きが、またピタッと止まる。
「ま、お前に因縁ある相手だし。向こうで喧嘩されても困るし。……というより、この件でお前が色々注文つけるなら、お前には降りてもらわなきゃいけない」
「…………、」
彼女の手の動きは止まったまま、そして顔は俯いていた。
「……別にいいわよ」
搾り出すように、目の前の少女は答えた。
「向こうが突っかかってこない限り、私は別に」
「…………、」
「正直、アイツに関しちゃ今でも死ぬほどムカついてるし、妹達のカタキ、みたいな感情はあるわよ。でもね……」
感情を押し殺したような声で美琴がつぶやく。
「でも、元を辿れば私のせいだし、アンタがケリつけた話でもあるし、当の被害者である本人達が『あれは実験だった』で済ませてるし、あれ以降アイツも手を引いたみたいだし……なんかこれ以上は空回り感がね。まあだからそうね……出会ったら超不機嫌になるとだけ言っとくわ。アンタに八つ当たりするかもしんない」
「…………。まあ、そういう訳でさ、状況によってはアイツと組んだりする可能性もあるぞって事」
「……分かったわよ。どの道私じゃアイツに勝てる要素ないし」
そう美琴は呟きながら、また手を動かして上条の手のサイズを測りだした。
上条はとりあえず何とかなったか、と胸を撫で下ろす。上条自身はロシアで一方通行との再戦を経て、彼への理解をそれなりに深めているが、御坂美琴は理解どころの話ではなく、悪感情のままだろう。
出会いたくもないだろうに、それでもハワイへ行く気は変わらないようだ。
何故そこまでしてハワイに、と上条が思っていると、美琴が顔を上げた。
「で、他のメンバーは? 私知ってる人いる?」
うっ、と上条は言葉につまる。
番外個体の存在はどう説明したらいいものか。というより、実は上条もよく分かっていないのだが。
だが、隠すわけにも行かない。
「……正直、俺もよく分かってねえけど、妹達の一人っぽいのがいる。明らかに御坂妹とは違う感じの」
美琴の眉間にシワが寄る。
「……あの子と明らかに違う。でも、妹達の一人なのは間違いない、と?」
上条は頷いた。
「何つーか、お前が不良になって3年ほど成長したみたいな。目付きが悪いんだわ」
「……何それ、不良? 3年後? そもそも何でいるのよ」
「俺も見たまま言ってるだけで、話したことないから分かんね。何で今回参加してるかも良く分かんねーし」
「なーんか前も、私のちっこいバージョンみたいなのがチョロチョロしてたよね……2万体もいれば、成長の違うのが混ざっててもおかしくない、とは思うけどさー。とりあえず会ってみないと、か」
黒夜海鳥の見張り役という事は聞いてはいるが、上条は分からないフリをした。どうしたって説明が長くなるので省略、というわけである。
美琴は測定を上条の右手から左手に切り替え、PDAにちまちま打ち込みながらも、口は動かし続ける。
「ふーん、3年後……高校生ぐらいの私か。アンタから見て全然違うんだ?」
「違うな。まあどういうのかは見てのお楽しみだ」
(スタイル良くなってるぞ、と言ってやりたいが……、アンタどこ見てんのよ変態! って返されるよな絶対……)
「……一番そういうのがやりにくいのよね。見た目私より年上で、でも妹です、って何だかね」
その時。テーブルの上に置いてあった上条の携帯がバイブで震える。上条は空いた右手で携帯を掴んだ。
「っと、誰だ? バードウェイか……」
そう呟き、携帯を耳に当てると。
開口一番。
『予定変更、今から行くぞ。お前たちは約2時間後の飛行機だ。私はそれより先に行くがな。第三位にも連絡しておけ』
「…………はあ?」
『急げ。ハワイでのヤツらの動きをキャッチした。それじゃあな』
ブツッ、と回線が途切れる。呆然としている上条に美琴は不安そうに声をかけた。
「な、何かあったの……?」
「……た、大変だ御坂、今から……」
「?」
「予定変更、2時間後出発するって……すぐ空港来いって……」
美琴が目を見開く。
「なっ、何よソレ!? むっ、無茶言わないでよ!」
「くっそ、バードウェイ相変わらず好き勝手やりやがる! 御坂、準備は!?」
「そりゃ、私さっき聞いたばかりで準備なんて」
「そうだよな。俺はまあスーツケースにほとんど詰め込んであるから、なんとかなるけど」
「そ、そんな」
上条は焦りながらも、これで良かったかもしれないと思っていた。強行スケジュールのため、彼女がついて来るのを諦めるやも、と。
「無理そうなら、今回はやめとくか、御坂? 元々無茶な話だし」
「……何言ってんの? 行くって言ってるでしょ。じゃ、片付けて行きますか!」
「お、おい……?」
予想に反して。御坂美琴の意思に揺るぎはなかった。
「ちゃんと準備したかったけどしょうがないわね。着替えしか用意してないけど、ロシア行った時もそもそも手ぶらだったしね。後は向こうで買い揃えるわよ」
上条は美琴の切り替えの早さに唖然とする。
「アンタは一旦戻ってスーツケース取ってくるのよね? 私も近くのコインロッカーに少し預けてるから、そっち寄って直接空港行くね。一旦別れて空港で合流ってとこかしらね」
「いやお前それでいいけど……白井とか寮とか学校とか色々……」
「んなの、言ったら監禁されるわよ。許可出るワケないんだから最初っから言う気無し。ごちゃごちゃ言ってないで行くわよ!? ああ、ここはもう私が払っといてあげる。じゃ、空港で! 細かい注意事項あったら、後でメールして!」
上条は唖然としたまま、手早くメジャーなどを片付け伝票を引っ掴んで走り去った彼女を、振り返って見送った。
◇ ◇ ◇
美琴は、笑みを隠しきれずに走っていた。足取りは軽やかに。
彼女にとっては『置いていかれない事』が確実となったこの展開こそ、ベストに近いものだった。
(置いてけぼりは無くなったし! 指のサイズも確認できたし! それに……!)
瓢箪から駒と言うべきか。
(なっ、なんかマフラーあげても不自然じゃない流れに……ほんとに挑戦してみるかな? あ、いやいや……)
「そ、そんな先のことより。ホテルで着替えたり、やることは一杯ある! 集中集中!」
美琴は浮つきそうな気分を、口に出して押さえこんだ。
コインロッカーから全部取り出して、ホテルに行って……いや、空港ラウンジで確か着替えられたはず、そこで着替えて、制服とか今着てるものを空港のロッカーにぶち込んで……黒子に連絡して……とシミュレートしてゆく。
(門限近いから黒子には遅れそうだから寮監によろしく、と『いつも通り』のメールで……怪しまれないように。黒子には後で怒られるだろうなあ。おみやげで機嫌直してくれりゃいいけど)
駆けながら美琴は思い出す。
(ああ、それに合流する前にキューピッドアロー社に予約しないとね。加工に立ち会う旨も伝えなくちゃだし……って、向こう今時差考えると真夜中じゃない!? うわわ、メールで予約するとして……やっぱ時間足りない! 急がないと!)
数時間後にハワイに到着して安心した途端、上条と二人きりである現実と、夜はどうするのかという事に思い至って完全にテンパってしまうお嬢様の姿となるのだが、……今のところはまだ、やるべき事に忙殺されつつもきっちり片付けていく、流石のお嬢様であった。
◇ ◇ ◇
「そりゃ準備する時間が無かったのは、分かる。……それにしても。」
「…………、」
空港で再び合流した二人。
美琴は、上条の前では初の私服である。もじもじしながら、上条の論評を待つ。といっても、「似合う」だの「可愛い」だのはカケラも期待しておらず……むしろ、戦う気あんのかとなじられるかも、と少々びくついていた。
「その服、完っ全に観光モードだな……」
案の定、上条の声色には幾分呆れたようなトーンが含まれていた。
「べっ、別にこれで戦えるわよ! ま、まあ下はドロワーズだから、ハイキックは出来るだけ避けるけど」
「お前どんな戦い想定してんだよ! それに蹴んな!」
ドロワーズはれっきとした下着なワケで、本来その下に下着を履くことはない。ただ、この短パン常備お嬢様の場合、普通の下着を履いた上でのドロワーズ着用かもしれず、その辺りは本人のみぞ知る、である。
戦いに向かおうというのに、足もサンダル履きで、とてもとても全力疾走するにはつらい。美琴は必死に言い訳を探す。
「……そ、そのね。あっちで戦ってさ、ケリがついた後でのウィンドウショッピングとか用の、なの。ほんと、もうちょっと時間あれば、いいの見繕えたんだけど、ロッカーにはコレしか放り込んでなくて)
「いや、それで問題あるわけじゃねーし。むしろその、やや動きが制限された格好の方が良い」
上条の言葉に美琴は眉をひそめた。
「何よそれ」
「お前が完璧に動ける状態は怖すぎる。糸の切れた凧みたいに飛んでいくだろお前」
「アンタがゆーな! 一緒にすんな馬鹿!」
実に似た者同士の二人であるが、本人達は気づいていない。
「それはそうと、だな……」
「な、何?」
上条がぐいっと近づき、美琴は急な接近に思わず身を固くした。
「やっぱり。お前ちゃっかりシャワー浴びてきただろ! 何か髪濡れた感じだし、シャンプーの匂いとかするぞ!」
「わっ、悪い? だってハワイ着いたらもう朝よ? 丸一日お風呂入れないなんて勘弁!」
日本時間11月10日19:00に出発したとすると、ハワイ時間11月10日07:00(日本時間11月11日02:00)頃到着という形になる。19時間の時差があるのだ。
美琴は、空港ラウンジで制服から着替えようとしたときにシャワールームを発見し、拝借したという訳である。
「そうか、着いたら朝か……」
上条は美琴の答えに、改めてスケジュールを頭の中で考える。
「そうよ、飛行機の中では丸々寝とかないと、時差ボケでやられるわよ」
「はあ……飛行機苦手なんだよな。寝れるかな」
「海外何度も行ってるんでしょ、飛行機慣れしてないの?」
「色々とトラウマがなあ……」
上条が渋い顔で答える。と、その表情がやや変わると同時に。
「おい、上条当麻」
突然の声に、美琴は振り返る。そこには、黒服の男が一人、佇んでいた。
「思ったより早かったな。こちらが第三位の彼女か……確かマークが高圧電流でアフロにされかけた……」
「あっ、あれは冗談よ! 本気でやるわけないでしょ!」
美琴が顔を赤くして叫ぶ。ちょっぴり『彼女』という言葉にも過剰反応して。
上条が酔っ払っていた間の出来事なので、上条は何のことか分からず目をぱちぱちさせていた。
「それに後で詳しく説明する、って約束したのにまだ教えてもらってないし! あれどーなったのよ!」
「い、いやそれは自分が約束したわけでは……分かった、そう約束した者――おそらくマークだと思うが、確認しておこう。……それより」
黒服はコホンと咳ばらいをした。
「二人共、準備はどうだ?」
「イキナリすぎて万全とは言い難いけど、もうこれで行くしかねえって感じだな」
横で美琴も頷く。
「で、今回はまともな出国になるのか? 魔術側の奴らと絡むとさ、パスポートなしで放り込まれたり、超音速機使われたり、ロクな記憶がねえんだよな」
上条はあまり期待せず尋ねた。
「その言い方で言えば、お前たちはまともな出国になるな。普通にパスポートを使っての出国だし、キャンセル待ちで取ったチケットだ。ほら」
黒服は上条に2枚、チケットを手渡した。
「良かった……えーと、席は、っと」
ほっとして上条はチケットを確認する。美琴もそのチケットを見るべく覗き込む。
[E-32] [G-34]
「えっ、隣じゃないじゃない! ……あ」
思わず、美琴は口にしてしまい、ぱぱあっと赤面する。隣に座っての移動を当然のように考えていた美琴は、意外すぎてそのまま口走ってしまったのである。
上条の方はそんな美琴の態度に気づかず、チケットを眺めたまま首をすくめた。
「こんな緊急出発じゃ隣同士は流石に無理じゃねーか? 言うほど離れてねーし。それに、どうせ寝るだけだし……」
「そ、そうね……しょ、しょうがないわね」
赤面した美琴は俯き、ま、まあ隣だと寝顔見られたりとかヤバイしね、等と小さな声でゴニョゴニョつぶやいた。
「思った以上に、その彼女が厄介でな」
黒服の言葉に、え? と美琴の顔がこわばる。
「あまりに有名人すぎて、正攻法で行かざるを得なかった。偽造パスポートで行く方法を検討していたんだがな……」
「ああ……そうね。この半年だけでも、ロシア能力実演とか学芸都市社会見学とか行ってるし、偽造なんてしても国際線の検査官の目視レベルで私だってモロバレだわ、間違いなく」
「他にも非合法な手段はあるんだが、それは他のメンバーに回した。なんせパスポートすら取得できない連中だったんでな」
上条は納得する。番外個体に学園都市IDが発行されてるとは思えないし、黒夜海鳥もパスポートを取れるとは思えない。他のメンバーも、パスポートがあったとしても出国にストップがかかりそうな気がする。
「すべて裏をかいて出国する必要もあるまいと言う訳でな。というわけで、お前たちは正々堂々……」
黒服は一旦間を開けて、口元に笑みを浮かべた。
「ハネムーン気分でハワイへ、というわけだ」
黒服の言葉に上条はげっそりとした表情になる。
「エコノミーで席も離れて、こんな学生服着て何がハネムーンかっつーの。まあコイツは新婦みたいな格好と言えなくもないけど……って、怒るなーっ!」
いきなり隣でバチバチやり出した少女に、上条は慌てて右手で美琴の肩を掴む。同時に、美琴の電撃は治まった。
「コイツはすぐ怒ってビリビリするから! 変なからかいは死ねるから! 頼むからヤメテ!」
「あ、ああ……すまなかった」
謝りつつも、黒服はその少女の表情を伺いながら確信する。こちらのボスもお年頃であるため、この年代の少女の表情の裏側はおおよそ読める。これは怒っているのではなく、いわゆる……。
上条は妙な空気を振り払うように、えーと何時発だ、とつぶやきつつチケットを改めて隅々まで確認した。そして、ギョッとした表情を浮かべる。
「じ、時間やべえ! のんびり話してる場合じゃない、まともに行くんなら発信機《ナノデバイス》入り無痛注射も要るだろ? あれも時間食うぞ!?」
「そ、そうね! さっさと行こ! あ、ああもう電撃は大丈夫」
様子のおかしかった美琴も反応し、上条の右手が美琴の肩から離れるやいなや、足元の大きなカバンをひっつかむ。
「アンタは?」
上条もスーツケースを掴み、黒服に声をかけた。
「私は見送りだ。学園都市の情報を送る役割でな」
「オーケー。じゃ、行ってくる!」
「ああ、ボスの面倒を頼む。くれぐれも。」
「……あんまり了解したくないが、了解。よし、御坂行くか!」
上条は一歩踏み出し、歩き出した。
ぺこり、と美琴も無言で黒服に頭を下げ、ずんずん歩き出した上条に付いてゆく。
――そうして。
上条は動き出した飛行機の中で、座席でブルブル震えながら。
美琴は上条の2つ後ろ斜めに座り、視界に入るツンツン頭の存在に安心し、見つめながらいつしか眠りに落ちていった。
ハワイで、大きな分岐路に立つことになるとは、夢にも思わず――
◇ ◇ ◇
その頃。
学園都市のとある一角には、窓のないビルがある。たった一人の『人間』のために用意されたビル。
巨大なガラス容器のようなものの中で逆さまに浮かぶその『人間』は、並ぶ報告を眺めていた。
―――学園都市第三位、非論理的現象を否定する存在としてメインプランに再投入。
―――プラン再投入に伴い、第三位と『幻想殺し《イマジンブレイカー》』との通信における情報規制解除。
―――学園都市第三位、『トリガー』を意識下に置くことに成功。『トリガー』となるリングの入手は現地にて想定通りに行われる模様。
滞空回線《アンダーライン》――学園都市中に5000万機ほど散布されている70ナノメートルのシリコン塊、それらがもたらす情報をとりまとめた報告である。
(彼女は情報が集めづらいのが難点だな)
第三位、御坂美琴の周りにも当然、滞空回線は敷かれている。しかし、彼女が不意に出す電撃、これが滞空回線の天敵で、彼女が少々癇癪を起こしてビリビリッ! としただけで、全部撃ち落とされていくのである。
よって、彼女の周りの滞空回線は情報を集められるギリギリの数に留めてある。むろん、彼女は知る由もないが。
(……プランの安定的実行においては有害であるため、『幻想殺し』と彼女の接触は最小限に抑えてきたが)
滞空回線で監視し、上条と美琴が連絡を取り合った際に有害と思われる話題に移行する気配があれば遮断処理を行う。二人が携帯電話で話す時、最初調子よく話せていても、途中で切れてしまうのはこれが原因である。
しかしもはや、その遮断処理は不要となった。
フィアンマのために『回り道』をさせられている現状を正す、には。
(プランの再構築を行わねばならぬこの状況ではやむをえまい。彼女を誘導し、プランへ投入し、『幻想殺し』を揺り動かす……さてさて、どちらの方向を示すやら。)
彼女が『トリガー』を使うかどうか、それすらも選択肢の一つに過ぎない。
その上で、『幻想殺し』の方向性を見極める。それまでは、プランは凍結――そのために”学園都市やその関連したものが危機に陥ろうとも”。
(大局を見定めるには、『星』の動きも捉えねばならぬよ、レイヴィニア=バードウェイ……薄々感じ取っているようだがね。説明のできぬレベルで『幻想殺し』と引き合うあの『星』の存在を軽んじれば……)
アレイスター=クローリーは笑みを浮かべる。
「お手並み拝見といこうか、……科学と魔術の子供達。」
Fin.