とある魔術の禁書目録 自作ss保管庫

Part20

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恋愛相談


 翌日の放課後、美琴は上条からの弁当箱の返却を待つためにいつもの約束の場所で待っていた。
 朝はいつものように弁当を投げて渡していたため、きちんと上条に相対するのは今この時が久しぶりである。

 美琴はコンパクトを見て髪を整えながら、ブツブツとつぶやいていた。
「えとえと、なん、なんて言えばいいのかしら。『久しぶりね!』でいいのかしら。それとも、何もなかったかのようにお弁当の感想を聞けばいいのかしら」
 髪を整え終えコンパクトをしまった美琴は胸に手を当て、ゆっくりと深呼吸をした。
「とにかくあせらない事よ。あせったりしたら電気漏れちゃうし、びっくりしたりしてもきっと電気漏れちゃう。佐天さんに言われたでしょ、そういうのは絶対やらない事」
 昨日佐天と初春に仕込まれた、「上条当麻陥落作戦」を思い出しながら美琴は深呼吸を繰り返していた。
「それに今日の一番の目的は、アイツと名前で呼び合うようになる事。そう、それが一番大事なんだから」
 美琴は目を閉じながらうんうんとうなずいた。
「名前で……アイツを当麻って……、アイツが美琴って……!」
 自分達が恋人のように互いを名前で呼び合うさまを想像した美琴の顔が真っ赤になる。
「と、とと当麻……、み、ミミみこ……と!」
 その瞬間、美琴の脳は沸騰し、いつものように漏電が始まりだした。

――ダメ!

 だが漏電が起きたとわかった瞬間、美琴は自分だけの現実を必死で制御し、強引に漏電を押さえ込んだ。
 美琴は荒い呼吸をつきながら心臓に手を当てた。
「あ、危なかった……。こんなんじゃ全然ダメじゃない……」

――アレ?

 不意に、美琴の視界がぐにゃりと歪んだ。それと同時によくわからない痛みのようなものが右のこめかみのあたりを襲った。
 美琴は顔をややしかめながらこめかみに指を当てた。
「何かしら、これ?」
 美琴は何度か頭を振った。
 すると痛みは徐々に消えていき、視界の歪みも元に戻っていた。
「なんだったのかしら、あれ……」
 美琴の胸の中に一抹の不安が過ぎった。

 だがそんな不安は、
「どうした、御坂。腹でもこわしたか?」
 突然美琴の目の前に現れた、学園都市一空気の読めないこの男、上条当麻によってあっさり霧散した。

「キャ――――!!」
「うわ!」
 突然の上条の出現に驚いた美琴は、無意識に電撃を彼に放った。
 上条は少し驚いたような声は出したものの慣れた動作で右手を振り上げ、それを打ち消した。




 目の前に現れたのが上条だと認識した美琴は、後悔と驚愕でその顔を真っ赤にした。
 一方上条の方は美琴の電撃に対して顔を引きつらせていた。
「あ」
「……うん?」
 顔を引きつらせたままの上条に対し、美琴はばっと頭を下げた。
「その、ごめん、なさい! わざとじゃないの! ただびっくりして、思わず!」
「…………」
 素直に謝る美琴を見た上条は軽く鼻から息を出すと、彼女の頭をポンポンと軽く叩いた。
「気にすんなよ、急に声をかけた上条さんも悪い。まあビックリはしたけどな」
「でも」
「いいから、な」
 上条は手をどけると、美琴の頭に鞄から出した弁当箱を乗せた。
「それよりこっちだ。今日も弁当美味かったよ。ありがとうな、御坂」
「あ」
 惚けたような表情で弁当箱を手に取った美琴を見て、上条はニカッと笑みを浮かべた。
「久しぶりに面と向かって礼を言えた。御坂、ごちそうさま」
「あ、うん」
 美琴は弁当箱を胸に抱えたままこくこくと嬉しそうにうなずいた。
「美味し、かったんだ、そうか、よかった。エヘヘヘ」
「ああ、美味かったよ」
 上条はぐっと右手の親指を立てた。
「そうかそうか、うん、よかった、よかった。ヘヘヘヘ」
 なおも美琴はうなずき続ける。
 そんな彼女を見た上条は、何度か目をしばたたかせた。
「なあ」
「へ? な、何?」
「お前、なんでそんなに嬉しそうなんだ?」
「はい? そう、なの?」
「ああ、なんかな」
「え……、何それ、よくわかんない」
 美琴は顔をぺたぺたと触った。
 そんなに変わったところはないよう、美琴には思われた。
 だが彼女の唇の端や目尻のあたりには、やはり笑みが残っていた。
 表情に笑みを残したまま、美琴は首を傾げた。
「変わったところは、ないと思うんだけど」
「いや、なんか嬉しそうだぞ、本当に。いい事でもあったのか?」
「別に。……そ、そうよ!」
 美琴は上条を指差した。
「そんな事言うなら、アンタの方だって!」
 今度は上条の方が首を傾げる番だった。
「俺が? 何?」
「あ、アンタだってやたらニコニコして。何、何よその締まらない顔は!」
「何言ってんだ御坂。上条さんはいつだってキリッとして凛々しいんだぞ」
「何言ってるって、それはこっちのセリフよ。アンタ今、嬉しそうにニコニコしてるわよ。アンタの方こそ何かいい事あったわけ?」
「そ、そうか?」
 上条も美琴と同じように顔をぺたぺたと触ってみた。
 だがその際の感想も、唇の端や目尻の反応も美琴とまったく同じだった。
「そうなのか?」
「そうよ」
「はあ」
「してるの」
「…………」
「…………」

 本人達としてはよくある口ゲンカ。
 だが端から見たらお互い嬉しそうにじゃれ合ってるようにしか見えない、ありきたりな会話。
 彼らの心の底にある感情はおそらく同じ。
 久しぶりに相手に会えた事に対する喜び。
 だが残念な事に、二人とも互いの感情に関してはまったく理解できていなかった。
 というより、お互い自分の感情だけで精一杯で、相手の感情にまで想像が及んでいなかったのだ。
 奇妙なすれ違いを続けながらも、上条と美琴は抑えきれない笑みを浮かべたまま互いを見つめ、黙りこくっていた。




「ヘヘ」
「プフッ」
 やがてどちらともなく吹き出し、その沈黙は終わりを告げた。
「止めるか」
「そうね」

――ああ、やっぱり楽しいなあ。案ずるより産むが易し、昔の人は本当いい事言ったわね。恥ずかしがったりしないで、もっと早くこうしてればよかった。

 上条より恋愛レベルが高く、精神的にも成長していた美琴は今の自分の感情を素直に受け止めていた。
 上条と共にいる今の空気や、ほんのりと鼻腔をくすぐる彼の匂い、鼓膜を振るわせる彼の声に安らぎを覚えていた。
 だが美琴は安らぎのあまり忘れていた。
 今の自分が上条と共にいて安らぎを覚える事が何を意味するのか、という事を。
 そして美琴がその事に気づいた時、既に彼女の体は安らぎに対して素直に反応していた。

「おい、御坂。なんか、電気漏れてるぞ。だから止めろって、おい!」
 美琴の体から漏電が始まっていたのだ。
「へ……?」
 上条の言葉にようやく美琴は我を取り戻し、現状を把握する。
「あ、あ……」
 軽いパニックを起こしそうな自分を奮い立たせ、美琴は自分だけの現実を必死で制御する。

――ダメー!!

 なんとか周りに被害を出す前に、美琴は漏電を止める事ができた。
「よかった」
 美琴はほっと安心のため息をつく。
「本当、よかった。ビックリしたけど」
 上条も安心したようなため息をついた。

 上条は美琴の頭を再びポンポンと軽く叩いた。
「お前最近、あんまりビリビリしないな、と思ってたから何事かと思ったぜ。電気のお漏らしとかって、そんなのあったんだな」
 上条の言葉に美琴の顔にさっと朱みが差す。
「あん、アンタね、女の子に向かってお漏らしとか言わないでよね。この変態、色魔!」
 上条は美琴とは逆に顔を青ざめさせた。
「へ、変態? 言うに事欠いて、変態って!? 色魔って!? それはちょっと名誉毀損ですよ御坂さん、ジェントル上条さんに向かって! 周りの目もあるんですから止めていただきたいのですけど!」
 しかし美琴は自己嫌悪と羞恥をごまかすために上条に噛みつき続ける。
「変態以外何があるのよ!」
「だからな御――」

――アレ?

 突然、美琴の視界がぐにゃりと歪んだ。先ほどと同じ症状だ。
 しかし今度は先ほどより酷い。
 世界そのものがぐるぐる回っているかのような感じまでしていた。
「あ、あれ……」
 美琴の視線が急に定まらなくなった。
 さらに体もゆっくり揺れ始めており、妙に息苦しくもなっている。
 美琴の様子の急変に気づいた上条はあわてて美琴の肩を掴んだ。
「おい御坂、大丈夫か!」

――もしかして、これってちょっと、ヤバい、かも。

 しかし美琴の意識は徐々に闇に落ち始めていた。
 体の揺れは徐々に激しくなり、そのまま上条の方に体を預けるように倒れていった。

「おい御坂、御坂、しっかりしろよ、おい!」
「…………」
「御坂、御坂、御坂! ……おい、みさか! みこと、美琴、美琴、美琴――――!!」
「…………」

 上条の叫びをどこか遠くで鳴り響く幻聴のように思いながら、美琴の意識は完全に闇に落ちていった。






「…………」
 目を覚ました美琴の目に入ってきたものは、薄暗い場所の見た事もない天井だった。
「…………」
 美琴はゆっくりと首を横に向けた。
「どこなの、ここ?」
 次に反対側に顔を向けた美琴の目に、簡易机に突っ伏して眠っている上条の姿が映った。
「アレ? ここは、アンタの部屋、じゃないわよね」
 以前上条の部屋を訪れた時の記憶を思い返しながら美琴はつぶやいた。
 もちろんあの時は入り口までしか入っていないため中の様子を美琴自身が知る由もないのだが、少なくとも今自分と上条がいる場所があの時の部屋でない事だけはなんとなくわかった。
「うん、違うわね。あのシスターもいないし」
 上条の部屋には必ずインデックスがいる、認めたくない現実にざわめく心をなだめながら美琴は現状を把握しようとし始めていた。

「にしても薄暗いわね。電気とかないのかしら」
 目が部屋の薄暗さに慣れ始めた美琴は再度首を左右に動かした。
 どうやら今いる場所は、自分にとってデメリットのある場所ではないらしい。
 若干消毒液の臭いがするが空気は澱んでいないし、自分が今寝かされているベッドも快適さにおいて問題ない物である。
「……? ベッド?」
 美琴はゆっくりと上半身を起こした。
 誰かが着替えさせたのだろうか、美琴は常盤台の制服ではなく簡易的なパジャマのような物を着ていた。
 美琴が首を部屋の壁側に向けると、そこにあるハンガーに彼女が着ていた制服が掛けてあった。
「コイツが着替えさせた、ってわけではないみたいね」
 制服がきちんと丁寧にハンガーに掛けてあったところからすると、女性の服の扱いに慣れた者が扱っているようだった。
 ならば美琴の着替えをさせた者もそれと同じ人間だと考えた方が筋が通っている。
 美琴は改めて自分の着ている服を見た。
「これって、入院患者の服?」
 頭からすっぷりとかぶる白いゆったりとした服は、患者の体になるべく負担をかけないよう工夫された入院患者用の服であった。
「てことは、ここは病院?」
 自分のいる場所がとある病室だと目星をつけ薄暗い部屋を見渡した美琴は、自分の推論が間違いではない事を確信した。

 飾り気のない、テレビもないやや大きめの部屋。
大きなベッドにカーテンが掛かっている大きな窓。
 上条が入院中によく使っている部屋と同じ作りだったのだ。
「で、もう夜みたいね」
 美琴は窓の方を見た。
 窓のカーテンは月明かりで照らされており、時刻が既に夜である事を物語っていた。



 自分のいる場所を把握した美琴は首を傾げた。
「そういえば、なんで私こんな所にいるんだろう?」
 本来、一番に考えなければいけないであろう事を、美琴はここに来てようやく考え始めた。
 その時、部屋のドアが開き、誰かが部屋に入ってきた。
 同時に部屋に明かりがつけられた。
「…………!」
 まぶしさに目を閉じる美琴。

「あ、すまないね。まぶしかったかい?」
 部屋に入ってきた人物は穏やかな口調で美琴に声をかけた。
 その姿を見た美琴の口からは、とあるマスコットキャラクターの名前が出ていた。
「リアルゲコ太」
「?」
 部屋に入ってきた人物は、冥土帰しだった。




 冥土帰しは美琴の様子を見て何度かうなずいた。
「よかった、目が覚めたんだね?」
 美琴は軽くうなずいた。
「はい。あの、私、どうしたんですか? ここ、病院みたいなんですけど、何が何だか」
「覚えてないのかい?」
 尋ねる冥土帰しに美琴は再度うなずいた。
「はい、目が覚めたばかりですし。えっと、確か」
 美琴は顎に指を当てた。
「そう、コイツと会って、それで……そう、急にめまいがしたと思ったら。気がついたらここにいて」
「ふむ」
 美琴の話を聞きながら、冥土帰しは小さくうなずいた。
「まあその認識で間違いないかな?」
 冥土帰しは軽く咳払いをした。
「簡単に言うとね、君は公園で気を失ったんだ。そこでここで寝ている上条当麻くんが君をこの病院まで連れてきた、というわけだ。君が住んでいる常盤台中学の寮だったかな? そこへの連絡なんかも彼がしてくれてね、君が検査をしている間に。それで身体の異常はこれと言って見あたらない、という事で君はここで眠る事になったわけだ、目を覚ますまでね。ここまではわかったかな?」
「はい。あの、何の異常もなかったんですか、私?」
「ああ、別に熱もないし、何かの病魔に冒されているわけでもない、心拍数も血圧も正常だよ? 多分、疲れが出たんじゃないかな? だから大事を取って明日まで入院してもらう事にしたんだよ、わかったかい?」
 美琴はこくりとうなずいた。
「はい、えっと、ありがとうございました、ご迷惑おかけしたみたいで」
「いやいや、患者を治すのが僕の仕事だからね、迷惑とかそんなのは全然ないよ」
「はあ、そうですか。それで――」
「それよりも驚いたね、まさか彼が自分の入院以外の用事でここに来るなんて。しかも女の子を看て欲しいなんて、いやはや、青天の霹靂とはまさにこの事だね、君もそう思うだろう?」
 自分の言葉を遮って話を続ける冥土帰しに若干の不安を覚えた美琴は、強い口調で口を開いた。
「あ、あの!」
「ん? どうしたんだい? あ、ああ、すまないね、あまりにも珍しいものを見てしまったせいで、つい興奮してしまっていたようだ」
 美琴の言葉で正気になった冥土帰しは、頭に手を当てて苦笑いを浮かべた。
 美琴は未だに眠っている上条の方を見た。
「あのコイツ……じゃない、上条当麻さんは、どうしてここに?」
「彼かい? 彼はね」
 冥土帰しは小さく笑みを浮かべた。
「君が目を覚ますまでここにいたい、そう言ってたんだよ。君の身体は大丈夫、だとは伝えたんだけどね」
「…………」
「彼は本当に、君の事を大切に想っているんだね」
「…………!」
 冥土帰しの言葉に顔を真っ赤にした美琴は口をぱくぱくと開け、声にならない声を出した。
「ただ、君も目を覚ました事だし、彼にもそろそろ家に帰ってもらわないとね? 実はもう夜の十一時を過ぎているんだ。本当は見舞いの人も全て帰ってもらってる時間だ。ただ彼はうちの上得意だから、多少は融通も、ね?」
「そ、そうです、ね」
 冥土帰しの発言に美琴は寂しそうな表情になった。
「そう露骨に嫌な顔をされると僕としても困るんだけど。でも、一応規則だからね?」
「はい」
 美琴の表情は晴れない。
「まあ明日も来てもらえばいいじゃないか、そうだろう?」
「はい」
 美琴はつまらなさそうにこくりとうなずいた。
「それじゃあ彼は僕が起こして帰ってもらうから、君はまた明日までゆっくり眠るんだ。いいね?」
「はい、その、今日はありがとうございました」
 美琴は冥土帰しに頭を下げるとベッドに入り、上条に背を向けた。
「……おやすみ」
 冥土帰しの言葉はすぐに睡魔に襲われ始めた美琴の耳にはほとんど入っていなかった。






「…………」
 顔に朝日が差すのを感じた美琴は、ゆっくりと目を開けた。
 小さなかわいらしいあくびをしながら目をこすり、美琴は上半身をゆっくりと起こす。急激な血圧の変化による立ちくらみを起こさないためだ。

 美琴は昨日の出来事を思い出しながらため息をついた。
「せっかく久しぶりにアイツに会えたっていうのに、何やってるのよ私は」
 しかも今日は土曜日。あと二日我慢しないと、上条に会える月曜日にならないのだ。
 美琴は再びため息をつこうとした。
「まった……ん?」
 部屋の中に人の気配を感じた美琴は顔を横に向けた。
「アンタ……」
 美琴の視線の先にいたのは、見舞いの人用のソファーで横になり眠っている、上条当麻だった。

「帰ったんじゃなかったの?」
 美琴はのろのろと起き上がると、上条の側に立った。
 そして昨日上条が突っ伏していた机の上を見た。そこには教科書やらノートやらが散乱していた。
 美琴は眠っている上条にジト目を向けた。
「課題をやってたわけね、アンタ」
 おそらくだが上条は自分の家には帰らずこの病室に泊まり、見舞いの時間を課題をする事で過ごしたのだろう。
「ふーん、なるほど……」
 課題をざっと見渡したところ、間違いは多いもののなんとか終わらせてはいるらしかった。
「私が手伝わなくても頑張ってるじゃない、アンタ……ん?」
 少し寂しそうに微笑んだ美琴は、ベッドの足下に空になった病院食の食器を見つけた。
 おそらく上条が美琴の代わりに食べたのだろう。
 美琴はぎゅっと拳を握りしめた。
「アンタは何やってるのよ……。まさか食費浮かせるためにここにいたっての?」
 だがここで美琴の拳からふっと力が抜けた。
 美琴は先ほどまでとは一転、優しい笑みを浮かべた。
 彼女はそのまましゃがみ込み、ツンツンに尖った上条の髪を愛おしそうに撫でた。
「じゃないか。アンタの場合、病院食がもったいないから食べた、そう考えた方が自然よね。病院食なんて大して美味しい物でもないんだし。だいたい課題だって家でもできるんだから、あのゲコ太みたいな先生に逆らってまでここにいる必要なんて、アンタにはないんだもんね」
 美琴は上条の髪を撫で続ける。
「私のために、ありがとうね……当麻」
 上条の名前をつぶやいた美琴は、自嘲気味に笑った。
「誰も見てなかったら簡単に言えるのね、私でも」
 美琴は上条の頬をつんとつついた。
「普通に言いたいのよ、私も。アンタはそんな事、気にもしてないでしょうけど」
 美琴は何度も上条の頬をつついた。
「当麻、当麻、当麻、当麻とうま当麻トウマとうま当麻。あーあ、本当、自分で自分が情けないわよ、当麻。にしてもアンタのほっぺた、意外と柔らかいのね。あっちこっちでケンカばっかりしてるから皮膚も岩みたいになってるのかと思ったけど」
 美琴は上条の頬をつつくのを止め、つついていた人差し指を見つめた。
「…………」
 そのままきょろきょろと部屋の中を見回す美琴。
「…………」
 美琴は音を立てないよう大きく息を吸い込んで、深呼吸をした。
 何度か深呼吸を繰り返した美琴は、上条の頬をじっとにらみつけた。
 美琴は目を閉じて心臓に手を当て、二、三度うなずいた。
「あ、アンタが悪いのよ。その、私の事、た、大切に、してくれてる、から、いつもいつも」
 美琴は昨日の冥土帰しの言葉を思い出していた。

『君の事を大切に想っているんだね』

 第三者から見た上条の美琴への態度、それは多少の誇張はあるかもしれないけれど、客観性を持つ一つの真理である。
 その真理を心の中で反芻しながら美琴は上条へ身体を近づけた。
「これは、いやらしい気持ちとかじゃなくて、当麻への、お礼、なだけ、なんだから……」

 言い訳がましく繰り返しながら、上条の頬に美琴は自分の唇を押し当てた。




 時間にしてわずか数秒後だろうか、顔を真っ赤にした美琴は上条からばっと離れた。
「し、しちゃった……」
 真っ赤になった頬に手を当てたまま美琴は音もなくすうっとベッドに戻ると、布団を体に巻き付け全身を隠し枕に顔を押しつけた。

――キスしちゃったキスしちゃったキスしちゃったキスしちゃったキスしちゃったキスしちゃったキスしちゃったキスしちゃったキスしちゃった――!!

 そのまま美琴はゴロゴロとベッドの上を転がり始めた。

――何やってるのよ、何やってるのよ、何やってるのよ私は!! あんな不意打ちみたいな、寝込みを襲うみたいな! でも、でも、でも……しちゃった! しちゃった! アイツにキスしちゃった――!!

 ひとしきり転がった美琴はもそもそと布団から顔だけを出すと、潤んだ瞳で上条をじっと見た。
「アンタもしかして、起きてたりする?」
 しかし上条からはなんの返事もない。
 様子が変わった感じもしない。
 美琴はゴクリとつばを飲み込んだ。
「も、もし狸寝入りなんてしてたら、超電磁砲ぶっ放すわよ……!」
 かなり物騒な事をつぶやいてみたが、それでも上条の様子に変化は見られない。
 どうやら本当に眠っているらしい。
「よかった……」
 美琴はほっと胸をなで下ろした。
「けど」
 美琴は数度瞬きをした。
「寝てるって事は、さっきの、アレは、私だけが知ってる、一方的な行為なのよね」
 美琴は布団と枕を体から離した。
「一方的、ね……。それじゃあんまり意味、ないのかしら」
 美琴はのろのろとベッドから降りると、再び上条の側にしゃがみ込み彼を見つめた。

「そ、その、え、エッチな事なんかは、ち、ちゃんとお互い気がついてて、合意の上でやらないとひ、卑怯だし。私だって初めてはちゃんと思い出深いものにしたいし。夕日のきれいなホテルでの告白からの流れとか、うん。だから、そういうのは絶対まだやっちゃダメよ、そう。わかってるわね?」
 十四歳という年齢を考えれば至極当然な事を、なぜか誰かに言い訳するかのように美琴はつぶやいていた。
「でも」
 美琴はその視線を上条の唇に向けた。
「そ、そそその手前なんだったら、もう少しいいんじゃないかしら。コイツはあのシスターとはそういう関係じゃないって言ってたし、ここでコイツの知らないうちであっても、先にやっちゃってれば私の勝ちなわけだし。既成事実になるし。先手必勝、先んずれば人を制す」
 美琴は先日佐天が言った『恋は戦争』という言葉を、自分に都合のいいように拡大解釈しながら言い訳を続ける。
「そう、これは戦争なのよ。あのシスターにも、あの巨乳にも、これから現れるかもしれない他の女達にも負けないためには、絶好のチャンスは目一杯使わなきゃ」

 倫理的には確実に間違っているし、普段の美琴なら絶対にそうしないであろう思考過程だが、なぜか今の美琴はその事になんの疑問も持たずにある意味間違った思考を続けていた。
 しかもこのような思考をほんの0.05秒で行うあたり、今の美琴はその優れた頭脳を非常に残念な方向にフル活用していた。
 おそらく先ほど上条の頬にキスをした事によって何らかの脳内リミッターが外れてしまったのだろう。
 げに恐ろしきは、暴走乙女の恋心とレベル5の頭脳。

 美琴は身体を伸ばし上条に覆い被さるような体勢を取ると、真上から上条の顔を見つめた。
 上条の唇と美琴の唇の距離はもう30cmほどしかない。
「アンタが起きてる時に、アンタとのちゃんとしたファーストキスはしてもらう。だから、これはその予約よ、予約。私は、当麻のファーストキスを二回もらっちゃうんだから。その代わり、私のファーストキスもアンタに、あげるから」
 根本的に間違った思考過程を経て確実に間違った結論にたどり着いた美琴は、覚悟を決めるとぎゅっと目を閉じ、上条の唇に自分の唇をゆっくりと近づけていった。






「ち、ちょっと初春、押さないでよ。今いいとこなんだから」
「でも佐天さん、こうでもしないと白井さんが乱入しそうで。だからもう、暴れないでくださいって、御坂さんにばれちゃいますよ」
「もう、その手をお離しなさい初春! だから、そんなに人の頭を振るんじゃありませんの! そんな風にされたら、わ、わたくし、能力がまったく使えなくなる事あなたも知ってるでしょう! ああ、お姉様の貞操が、貞操が! わたくしが早く助けに行かないといけないのに!」
「だから白井さんは余計な事しないでください!」
「御坂さん、ラブラブなの~?」
「春上さん! お姉様に限ってそのようなおぞましい事はありえませんの! だから初春、お離しなさーい!」
「だから白井さん、暴れないでって――」
「ちょっと初春も押さないで……キャ!」



 美琴達の距離が互いの呼吸を感じられるくらいの所にまで近づいた時、ガラララと勢いよく部屋の入り口のドアが開き、佐天、初春、春上、白井の四人が倒れ込んできた。
「…………!」
 上条にキスをする寸前の体勢で美琴は固まる。
「あ……」
 あからさまなその体勢と美琴の様子に、佐天は罰が悪そうな声を出す。
「…………」
 ゆっくりと佐天達の方に顔を向けた美琴の表情からは、さあっと血の気が引いていく。
 その事を理解した佐天は、ばっと立ち上がると努めて明るく笑った。
「あ、お、おはようございます御坂さん。な、なんでも入院したって聞いてみんなでお見舞いに来たんですよ、今日は土曜日で学校もお休みですし」
「…………」
 美琴は黙って佐天の話を聞く。
 佐天はそのまま話し続けた。
「えっと、それでですね、部屋に入ろうかな、でもまだ朝早すぎるかな、とか思って中を覗いたら、なんかすっごい決定的瞬間が見られそうだったので、ついかぶりついてしまいまして」
「…………」
 美琴の表情が徐々に引きつり出す。
 その顔色は青から赤に変わりだした。
「ですからあたし達に悪気はありませんし、お邪魔する気もさらさらありませんので、今日のところはこれで失礼します。あ、白井さんもちゃんと連れて行きますので、ご心配なく。ささ、それでは続きをどうぞどうぞ。あたし達はまた部屋の入り口からこっそりじっくりがっつり録画しつつ見させていただきますから」
「できるわけないでしょう――――!!」
 とうとう羞恥の感情が爆発した美琴の大声が部屋中に響き渡った。



「あなた達、いったいいつから、どこから見てたの!?」
 涙目の美琴は佐天と初春に食ってかかった。
 佐天は唇に軽く指を当てると、ニッコリと笑みを浮かべた。
「えっと、御坂さんがベッドの上でゴロゴロと転がっているあたりからですね。かわいかったですよ、御坂さん」
「そこからなのね? その、私がまだ寝てるところからじゃ、ないのね?」
「はい、あたし達が来た時はもう御坂さんはベッドの上でゴロゴロと」
「そう……」
 上条へのキス未遂だけでなく、上条の頬にキスした瞬間までまさか見られていたのでは、そう心配していた美琴はほっと胸を撫で下ろした。  
「? どうしたんですか?」
「う、ううん、なんでもないわよ」
「そうですか。それで、何やってるんだろう御坂さん、と思って部屋の中を見回したら、なんと! カミジョウさんがいるじゃないですか! しかも寝てるし! 御坂さん、これっていったいどういう事なんですか? お泊まりですよね、これ!」
 佐天は目をキラキラと輝かせて美琴に詰め寄った。
 さっきとはすっかり美琴と立場が逆転している。
「どういうって、別に、アイツがお見舞いに、その、来てくれただけよ。お泊まりって言ったって、そんな変わった事もなかったし」
「そうなんですか? 本当に?」
「そうよ。だいたいアイツはソファーで寝てるでしょ。それにそこの机見てよ、コイツお見舞いとは言ってもここで課題やってただけだし」
「確かに。あーあ、なーんだつまんない。てっきりアニメみたいなイチャラブエッチなハプニングでもあったかと思ったのに」
 佐天はつまらなさそうに唇を尖らせた。
「あるわけないでしょう!」
 美琴は佐天の言葉に脊椎反射的に反応した。
 佐天はカラカラと笑った。
「わかってますよ、ちょっとからかっただけじゃないですか、もう」



「…………」
「それにしてもさすがですね、カミジョウさん。あたし達は寮監さんに止められてたから昨日はお見舞いできなかったのに、自分はお泊まりでお見舞いしてるなんて」
「それはその、たまたまよ、たまたま」
「たまたま、ですか?」
「そう。具合が悪くなって意識を失った私をこの病院に連れてきてくれたのがアイツだっただけ。その流れでアイツはここに泊まったのよ……って、どうしたの?」

 ようやく顔の火照りが収まりだした美琴が見たのは、ニヤニヤと笑みを浮かべてうなずき合う佐天と初春の顔だった。
「いやー、相変わらずカミジョウさんは王子様だな、と思って」
「ですねー、それにこの流れだと御坂さんを病院に連れてきた時はお姫様だっこですね、間違いなく」
「お姫様!? そうなの!?」
 美琴は思わず初春に顔を寄せた。
「いえ、私達は知りませんけど」
「でもカミジョウさんの王子様具合からするとそれもありかな、と」
「そう、そうかしら……。あれ? ねえ、佐天さん」
「なんですか?」
「そういえば確か、黒子もいたわよね、あの子はどこ?」
 美琴はふと思った疑問を口にした。
 本来なら真っ先に自分に飛びついて来るであろう人間が大人しい事がどうにも解せなかったのだ。
「ああそれなら」
 初春は部屋の入り口を指差した。
「お姉様が……お姉様が……穢されてしまった……」
 そこには初春が持ってきたビデオカメラの液晶画面を見ながら呆然とする白井の姿があった。
「どうしたの、あの子?」
「さっきの御坂さんのキス寸前の映像を見せたんですよ。白井さんは見てませんでしたから」
「な……!」
「けど白井さんにはちょっと刺激が強すぎましたね」
 初春はチロと、かわいく舌を出した。
 しかし美琴はそれどころではない、再び顔を真っ赤にして初春に詰め寄った。
「ち、ちょっと初春さん! なんでそんな映像が!」
「言いませんでしたか、録画してるって?」
「言ってたかもしれないけど、やっぱり知らないわよ、もう止めてよ!」
 そう言って美琴は白井の側に行くと、ばっと彼女の目の前からビデオカメラを取り上げた。
「本当にもう……」
「おねえ、さま……?」
 白井が虚ろな目をして美琴を見上げた。
「ん?」
 美琴が返事をした瞬間、白井は人が変わったかのように美琴に飛びかかった。
「お姉様お姉様お姉様お姉様! ご無事でしたか! あれは未遂ですわよね、まだいたしてはいませんわよね! お姉様はきれいな身体のままですわよね! 黒子は、黒子は、黒子は、黒子は!!」
「な、何すんのよアンタは、ちょっと離しなさいってば! コラ!」
 美琴は必死の形相で自分の足にすがりつく白井を、彼女と同じくらい必死の形相で引きはがそうとするのだった。



 一方その頃。
 眠っていた上条は周りの喧噪にようやく目を覚まし始めた。
「う、うーん、なんかうるせえな。……ん? 誰だ、お前?」
 目を開け上半身を起こした上条は、目の前にいる少女に声をかけた。
 少女は上条にぺこりと頭を下げた。
「初めましてなの~。私、御坂さんの友達の春上衿衣といいます。御坂さんの彼氏さん、これからよろしくお願いしますなの~」
「はあ、これはご丁寧に。俺は上条当麻、よろしく……って、何、御坂の彼氏って、何それ?」
「違うの?」
 春上は不思議そうに小首を傾げきょとんとした。
 上条は顔を真っ赤にして首をぶんぶんと横に振った。
「違う違う、俺は御坂の友達であって、その、彼氏とかそんなんじゃ……」
 初めて会った少女にとんでもない事を言われ軽く混乱する上条。
 そしてそんな上条にさらに二人の少女が絡み始めた。




「春上さん、違うわよ。この人と御坂さんは『まだ』彼氏彼女の関係じゃないの」
「そうなの~?」
「そう。てなわけで初めましてカミジョウさん、あたしは御坂さんの友達で佐天涙子って言います。でもってこっちのお花畑が初春飾利」
「お花畑って佐天さん、酷すぎます!」
「ごっめーん初春。でもまあ、特徴掴んでてわかりやすいじゃない。ね!」
 突然春上との会話に割り込んだかと思うと、上条そっちのけですっかり自分達のペースで会話を始める佐天達に、上条の思考はまったく追いつけていなかった。
 そこでとりあえず現状を把握するため、上条は自己紹介をする事にした。
「えと、俺は上条当麻、よろしく。お前達は、佐天さんに、初春さん、だっけ? でもってこっちの子が春上さん、で合ってた?」
「はい、正解です。これから御坂さん共々よろしくお願いしますね、御坂さんの『未来の』彼氏さん」
「はい? だ、だからなんだよそれ、上条さんは別に御坂とは」
「はいはい、みなまで言わなくていいですって、あたし達は御坂さんの友達ですから。お弁当の事とか夜の公園でのデートの事とか、全部ちゃーんと知ってるんですよ」
「……は、はあ。……はあ!? な、なんでそんな事を知ってるんだ?」

 佐天のペースにますます混乱する上条。
 そんな上条と佐天達の様子に気づいた美琴は彼らの間に割って入ろうとする。
「ちょっと佐天さん、ソイツに何言って……て、いい加減離れなさい黒子!」
「嫌ですわ! お姉様から穢れが祓われない限り、黒子はお姉様から絶対に離れません! さあお姉様、この黒子と身も心も一つになる事によって、魂の汚れを祓いましょう! おあつらえ向きにちょうどベッドもありますの!」
「だから穢れてなんかないって言ってんでしょうが、この馬鹿黒子! 離れなさいっての!!」
 しかし白井の鉄壁のブロックに阻まれ美琴は上条の元にたどり着けない。

「で、上条さんは、御坂さんの事どう思ってるんですか?」
「ど、どうって?」
「だーかーらー、もう、わかってるでしょ!? そういう事です! 一人の女の子として御坂さんをどう思ってるかって事ですよ!」
「え? え? 女の子としてって、え? ……え!?」
 美琴が白井と一進一退の攻防を続けている間も、佐天による上条への質問はどんどん続けられていった。
「答えにくいですか? じゃあもう少し具体的な質問からにしてみましょう。まず御坂さんの事をかわいいと思ってるかどうか、それから行きましょうか」
「は!? み、御坂がかわいいかって!? え、えーとだな、かわいいかどうかと言えば、その、えっと、えと……かわいい、御坂が……えと、アイツの笑った顔が俺は、いやあ、あの、えと――」
 しかも状況を上手く飲み込めておらず、さらに寝起きで思考が未だ惚けている上条がオブラートに包まない返事を失言に近い形で返すものだから、状況はますます美琴にとってまずい状態になっていた。
「佐天さん、お願いだからもう勘弁して!! だから黒子! アンタももういい加減にしなさい!!」
「はいはい、御坂さんは邪魔しないで。おとなしく白井さんの相手をしていてください。それで上条さん、笑った顔がどうしたんですか? 男らしくハッキリ言ってくださいね、そこ重要ですよ! 初春、証拠になるんだからちゃんと録音しておいてね!」
「いや、いや……あの、だから、えと……」
「上条さん、男ならあきらめが感じです。さっさと御坂さんをかわいいと思ってるって認めちゃってください! 続きの質問はまだまだあるんですから!」
「み、認めるって……え、俺が!?」
「アンタはそれ以上もう、何もしゃべるな――――!!」
「御坂さんと上条さん、とっても仲良しさんなの~。ラブラブなの~」
「春上さ――――ん!!」



 とうとう耐えきれなくなった美琴の大声が朝の病院中にこだました。

 寝込みを襲われファーストキスを奪われそうになったにも関わらず、その事に気づく事すらできていない不幸な少年、上条当麻。
 想い人とのファーストキスを二度までも邪魔され、その上想い人から名前を呼んでもらったにも関わらずその時の記憶がない不幸な少女、御坂美琴。

 彼らの騒々しくも穏やかな日常は今日もこうして始まるのだった。



おしまい







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