ベッドの下の鈍感男
常盤台中学学生寮二〇八号室。
美琴は自分のベッドの上で、お気に入りの漫画を読んでゴロゴロしていた。
「…この密室のトリック、前にも似たようなの出てこなかったっけ? もしかしてネタ切れかしら?」
密室探偵がドヤ顔でトリックを暴くのとは対照的に、眉をしかめながら辛口コメントを呟く読者。
単行本を片手にふと時計を見ると、17時30分を回るところだった。
「まだこんな時間か…黒子はまだ来ないわね」
ルームメイトの白井は、風紀委員の仕事で19時まで帰って来られないらしいのだ。
仕方が無いので、美琴はヒマを潰す為に、先程読んでいた漫画に再び目を向ける。
しかしその時だ。『ピンポーン!』とチャイムが鳴った。
白井はまだ帰ってくる時間ではないし、
そもそも白井ならば、わざわざ寮の正面玄関のインターホンを押す筈もない。
彼女も美琴同様この寮の…更に言えば、この部屋の住人なのだから。だが、となると…
「来客…? 珍しいわね…」
何か宅配便でも届いたのかと、テレビドアホンのモニターを覗き込む。
するとそこには、見覚えのあるツンツン頭の少年の顔が映し出されている。
瞬間、美琴は驚きのあまり1m後方までバックジャンプした。
「のあああああっ!!? なな、何でアンタが女子寮【こんなとこ】に!?」
『おー、美琴かー? 悪い、ちょっと開けてくれ』
「ええっ!? あ、開け!? ちょま…待ってて! 今、部屋片すからっ!」
突然の来訪で焦りに焦る美琴。
普段から小まめに掃除しているので部屋は散らかっていないのだが、それはそれ、これはこれなのだ。
色々と男性には(特にこの男には)見せられない物があったりするのである。
10分。それが、上条が寮の玄関前で待たされた時間であった。
その間に美琴は出来る限りの大掃除をマッハでこなし、身だしなみまで整えたのだった。
「おじゃましまーす、と」
「どどど、どぞ、どぞう!」
入居者の許可も下りたので、女性の部屋に足を踏み入れる上条。
するときちんと整理された部屋の中で、美琴が何故か正座して待ち構えていた。
美琴は、「上条が何の為にここへ来たのか」という疑問よりも、
「上条が自分の部屋に来て、しかも二人っきり」という事実の方が先行して、
もうドキドキするやらドキドキするやら、もしくはドキドキするやらで、思考が働かない。
その結果、
「お、おおお、お手柔らかにっ!」
という訳の分からない挨拶をしてしまった。
「お手…? いや、別にそんな大した理由で来た訳じゃないんだけどさ」
そう言うと上条は、自分のカバンに手を突っ込んで、何かを探し始めた。
そして取り出したのは、
「これ、美琴のだろ?」
美琴が愛用している、ゲコ太型携帯電話であった。
美琴は「あっ…」と言葉を漏らし、ポケットに手を当てる。…やはり無い。
どうやら上条は、美琴の落とし物をわざわざ届けに来てくれたようだ。
落とし主が分かっているなら、警備員に届けるよりも手間が省けるからである。
だがしかし、何故これが美琴の物だと分かったのだろうか。
確かに中学生にもなってこれを使っているのは少数派だが、それでもゲコラーは美琴だけではないし、
そもそも知らない小学生の物かも知れない。
そこまで考えた美琴は、真っ赤になりながら声を荒げた。
「えっ!? ま、まままさかアンタ! これ、な、中身見たの!!?」
「んな事するかぁ! 俺のケータイから美琴のケータイにかけてみたんだよ。
そしたら案の定、それが鳴ったからさ」
「あ、な、何だ。なるほどね…」
心底ホッとする美琴である。
実はこの携帯電話、待ち受けが罰ゲームの際に撮った上条とのツーショット写真で設定されており、
しかも上条とのメールは全て保存されているので、中身を見られたら完全にアウトだったのである。
実に惜しい事に。
「まぁ、いいや。とにかくそれ、確かに返したからな」
そう言って、部屋の入り口に体を向ける上条。本当にこれを渡す為だけに来たらしい。
だが、このまま帰してしまうのは、何かこう、勿体無いような気がする。
白井が帰ってくるまで一時間以上ある事だし、普段の美琴は、
その素直になれない性格が邪魔をして、上条を部屋に招くなどという大胆なお誘いはできないだろう。
気付けば美琴は、上条の腕を引っ張っていた。
「…? どうした?」
「あっ!? え、え~っと……その…
そ、そう! 良かったらお礼に、お茶でも飲んでかない!?」
「え? いや、そんな大した事はしてないし…」
「アアア、アンタに借りとか作りたくないのっ!
アンタはどう思ってるか知らないけど、私が個人的に気に入らないのよ!
だから、いいから飲んでいきなさいよ! 何だったらお菓子とかもあるから!」
「そんな感謝の押し売りされてもだな…」
「美味しいお菓子がございます。お茶も沸かしてございます」
「お前はどこの泣いた赤鬼だよ」
上条をこの場に留める理由が思い浮かばず、美琴は強引な策に打って出る。
しかしそんな美琴の必死さに折れ、上条はその場に座り込んだ。
正直、セレブなお嬢様の言う「美味しいお茶」や「美味しいお菓子」に、興味が無かった訳でもないし。
だが美琴は、この時上条を帰さなかった事を、すぐに後悔する羽目になるのであった。
「そしたらそん時、青髪がこう言ったんだよ。
『節子、それドロップやない。それは…それは私のおいなりさんや!』…ってさ」
「あーっはっはっはっはっはっ!!! おい、おい、おいな、りさ……ぶっふぅーーーっ!!!」
上条は美琴から差し出された、何だかよくわからないけど高級そうなお菓子と、
何だかよくわからないけどめちゃくちゃ美味しいお茶で舌鼓を打ちながら、
学校で体験した「すべらない話」を披露していた。
話の内容はひっどいが、美琴が腹を抱えて爆笑しているので、結果はオーライである。
多分、普段はお嬢様学校でお嬢様方とお上品でおハイソなお会話をお嗜んでおいらっしゃるので、
こういった男子学生特有のバカ話には耐性が無かったのだろう。
上条も「そこまで爆笑されると逆に恥ずかしい…」と、若干引く。
「っと、そろそろホントに帰んなきゃだな。買い物もあるし」
ふと、上条が時計に目を向ける。針は18時28分を告げており、そのまま腰を上げた。
「げほっ、げほっ! はー…お腹痛い……
あー、そうね。黒子が帰って来る前に、アンタはここから出た方がいいもんね」
本当はまだ上条と一緒にいて楽しく喋っていたい所だが、
現実問題もし白井にこんな状況を見られたら、考えるだけでも恐ろしい。
仕方ないので寮の玄関までは見送ろう―――と、思った矢先だった。
「ちょ、ちょっと待ってっ!?」
再び、美琴は上条の腕を引っ張った。ただし今回は先程と違い、緊迫したように顔を強張らせている。
「ど、どうした美琴。急に―――」
「しっ! 声を出さないで!」
何が起こったのかは分からないが、上条は言われた通りそのまま黙り込む。
すると、こちらに近づいてくるのが足音が、部屋の外から聞こえてきた。
美琴は、一気に顔を青ざめさせた。
「く、黒子だわ…でも何で!? まだ帰ってくる時間じゃないのに……
って、そんな事考えてる場合じゃなかったわ!」
そう。今は上条をどうにか隠す事が先決である。
事態は急激に慌ただしくなり、暢気に爆笑していた数分前の自分をぶん殴りたくなってくる美琴。
「とりあえずここに隠れてて!」
「おぅわっ!!?」
美琴は自分のベッドの下へ、強引に上条を押し込んだ。上条にとっては二度目の経験である。
その直後だった。
「おっ姉ぇぇぇ様あああぁぁぁぁ!!! ただいま戻りましたの~!」
部屋のドアを開けたハイテンションな白井が、帰宅するや否や美琴の胸に飛び込もうとした。
が、美琴はそのまま白井の顔面にハイキックをお見舞いする。手馴れた物である。
「げぶらぁっ! お、お姉様…相変わらず素敵なおみ足ですの……がくっ…」
「アンタのその余裕は何なのよ…
って言うか! な、何でこんなに早く帰ってきちゃ…帰ってこれたの!?
今日、仕事は7時までかかるって言ってなかったっけ!?」
思わず「何でこんなに早く帰って来ちゃうの!?」と、本音を言いそうになったが、
すんでの所でブレーキをかける。
「いえ、実は初春の仕事が早く片付きましたので、わたくしの方にもヘルプして頂いたんですの。
お陰で30分近くも早くお姉様のお顔を拝見できましたの~!」
「へ、へぇ~。初春さんがね~」
返事をしつつも、自分のベッドに視線が移ってしまう美琴である。
こうしてる間にも、上条は狭苦しい空間で息を潜めさせられているのだ。
「ああ、そうそう。初春と言えば……もう入ってきても構いませんわよー!」
白井は部屋の入り口に向かって話しかけた。すると外から、美琴の見知った顔が二人入ってきたのだ。
「あ、お邪魔しますね御坂さん」
「いや~、久しぶりですね~! 御坂さんと白井さんのお部屋って!」
「う、初春さん!? 佐天さんも!?」
「帰りにバッタリお会いした佐天さんが、どうしてもわたくし達の愛の巣…
もとい、わたくし達の部屋に寄りたいと駄々をこねられましたので…」
「ちょっと白井さん! 人を駄々っ子みたいに言わないでくださいよ!
あたしはただ、御坂さんの部屋で美味しいお茶を飲みたいな~って思っただけなんですから!
初春だって、お嬢様達が食べるお菓子って興味あるでしょ!?」
「仕方ないですよね。甘い物の前では、女の子はみんな無力なんですから」
「初春…よだれをお拭いなさいな……」
何だかベッドの外がワイワイと騒がしくなってきた。
上条はベッドの下で丸くなりながら、長期戦を覚悟したのだった。
あれからどれだけの時間が経ったのだろうか。
時計も無く、部屋の光もわずかにしか届かないベッドの下で、
上条はひたすらガールズトークを聞かさせていた。
やれあの店の服が可愛いだの、やれ最近ダイエットを始めただの、
男の上条からしたらど~~~っでもいい話題で盛り上がっている。
そのせいで、やたらと時間も長く感じる。美琴もいつの間には会話を楽しんでいるようで、
もはやこの部屋に男が紛れ込んでいる事を忘れているのではないかと、本気で心配になってきた。
「不幸だ…」と聞こえないように呟く上条。
するとその時だ。上条も気になる話題に移行したので、思わず耳を済ませた。
「あっ! そう言えば御坂さん。例の好きな人とはその後どうなったんですか?」
「ぶっふっ!!?」
つまりは恋バナという奴である。佐天の不意打ちに、美琴はお茶を口から噴射させた。
「ゲホッ! ゲーッホ! す、すす、好きな人って!? わ、わわ、私そんなのいないけど!?」
上条本人がいる部屋で余計な事を言える訳も無く、とりあえず誤魔化そうとする美琴だったが、
その態度は佐天にとっては、火に油…いや、火事現場にタンクローリーで突っ込むような物だった。
「ほっほ~う? じゃあ何ですか?
御坂さんは好きでも何でもない人に手作りクッキーを渡すんですか?」
「い、いや、アレはだから!」
「て、ててて手作りですって!? ままま、まさかお姉様…あの男に…あの類人猿に……
あの7月頃に夜通し追いかけっこしたり夏休み最後の日に背後から抱きついたり
大覇星祭で間接キスをなされたり9月の30日に仲良く写真を撮ったりしていたあの類人猿と!
そのような事までしていたと言うんですの~~~!!?」
「うおおおおい黒子おおおお!!!
何その不自然な説明口調!!! わざと!? わざとなの!? バレるでしょうがあああああ!!!」
「バレるって…何がですか?
まさか御坂さんのベッドの下に御坂さんの好きな人が潜り込んでて、
実はこの一連の話に聞き耳を立てている…って訳でもないでしょうし……」
「えええええええぇぇぇっ!!!?
初春さんって読心能力者でも透視能力者でもないわよねっ!!?」
ベッドの下で、上条が硬直する。
(え? えっ!? い、今の白井の話…何かまるで俺の事を言われてたような気がするんですけど!?
って事はまさか、美琴が俺の事を…? って、いやいやいや!!! 有り得ねーだろ!
そんな素振り見た事無いし、そもそも美琴って、普段は俺にツンツンしてるし……)
それは、そんな素振りに気付いていないお前のせいである。
上条の頭がグルグル回っていると、佐天がタイミングよくこんな事を言ってきた。
「もう…いい加減、その素直になれない性格何とかした方が良いですよ?
相手はかなりの鈍感なんですから、御坂さんがそんなんじゃ、
向こうは嫌われてるって思ってますよ!? きっと!」
「そ、そんな事…言われても……」
「まぁまぁ。
ツンデレな所も御坂さんの魅力ではありますが、確かにこのままでは進展は難しいでしょうね」
「初春さんまで…」
そしてベッドの下では。
(え…? ツンデ…レ? 美琴が? え、ちょっと待てよ。
もし今までの態度が、感情の裏返しだったとしたら…………………
いやいやいやいや落ち着け俺っ!!!
そんな事は絶対に無いから変に期待すんなよ上条さん!!!
そ、そうだよ! そもそもその好きな相手が俺だって確定した訳でもないんだし―――)
「こうなったら練習しましょうよ。『私は《上条さん》の事が好きなんです!』って!」
「そうですね。一度吹っ切れてしまえば、
《上条さん》にも素直なお気持ちを伝えられるようになるかも知れませんし」
「ま、まさかお姉様…本当にあの類人猿の事を…
あの《上条さん》の事をお慕い申し上げると仰るおつもりですのっ!!?」
確定した。
瞬間、この会話が上条に筒抜けである事を踏まえ、恥ずかしいやら現実逃避したいやらで、
美琴は盛大に「ふにゃー」をした。その間も上条は美琴のベッドの下で、
(マジで!? マジでなのか!? うわっ、明日からどんな顔して美琴と会えばいいんだ!!?
つか気付けよ今までの俺~~~~~っ!!!!!)
と悶々としているのだが、それは無事にここから脱出してから考えるべきであろう。
上条の帰宅が余りにも遅いので、
心配したオティヌスからの着信(インデックスがまともに電話を使えない為)が鳴り響き、
今までベッドの下に潜伏していた事が白井達にバレて、
更なる大騒ぎに発展して、寮監までもがここへ駆けつけてくるという、
最悪の未来が現実になるその前に―――