とある魔術の禁書目録 自作ss保管庫

Part02

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止まらない気持ち


 うららかな土曜日の午後。
 ここ学園都市で暮らす学生達にとっては、日頃の勉強や能力開発から離れて自由に羽を伸ばせる時間である。
 気の置けない友人との語らい、普段できないようなやや羽目を外した遊び、どのような過ごし方にせよ彼らにとって心沸き立つ時間であることは間違いない。
 それは誰にでも平等に訪れる時間のはずであった、のだが。
「うー、なんでアイツに会えないのよー」
 彼女、御坂美琴に関してはやや様子が違うようである。

 その日朝早くから出かけていた美琴は、昼前にふらふらっと常盤台中学学生寮の自室に戻ってくると、けだるそうにベッドに倒れ込みそのまま枕に顔を埋めた。
「あの馬鹿、どこ行ったのよー」
 美琴はずっと上条当麻を捜していたのだ。
 ずっと、そう、ずっと。
 正確には月曜日から一週間。
 一週間、ずっと美琴は上条を捜しているのだ。
 いつもの公園、上条がよく利用するスーパー、コンビニ。
 昨日までは放課後になるたびに、そして今日は朝から、心当たりを手当たり次第捜しているのだが上条の姿はどこにもなかった。

 会えなくなった当初、美琴は上条がまたやっかいごとに巻き込まれて学園都市を離れているのではないかと疑った。
 しかし美琴の友人でかつ上条の友人の義妹でもある土御門舞夏に聞くところによると、上条は学園都市には普通にいるらしいのだ。
 ではなぜ、美琴は上条に会えないのか。
 まったくわからない。
 会いたい人に会えない、しかもその理由すらもわからない、そういうわけで現在の美琴の機嫌はすこぶる悪い。
 いや、悪いと言うよりむしろ、
「約束したじゃない、私の言うことなんでも聞いてくれるって。会えないんじゃそんな約束してたって何の意味もないじゃない。バカ、バカ! 当麻のバカバカバカバカ!!」
最悪の部類に入るようだ。
 しかも、
「先週まで約束しなくたっていつでも会えたのに。どうして急に会えなくなったの? もしかしてアイツ、私に会うのが嫌になったの? 会えば一日中引っ張り回すから? だから私に会わないようにしてるの? 私、アイツに避けられてるの!? 絶交!? 三行半!?」
ネガティブ思考まで加わって最悪中の最悪の精神状態のようである。

「そ、そんなこと、ないわ、よ、ね……」
 ゆっくりとベッドから起き上がった美琴は緩慢な動作で椅子に座ると机に向かった。
 そして机上のノートパソコンを起動させると、そこに一枚のディスクを入れた。
やがてパソコンはディスク内の映像をモニターに映し始める。
 その映像を見ながら頬を赤らめ、ほうっと静かに息を吐く美琴。
 モニターに映し出されていたのは入院中の美琴と上条の姿だった。

 なぜそんな映像があるのだろうか。
 実は入院中の美琴の様子は、病院内の監視カメラで常に録画されていたのだ。
 何しろ彼女は学園都市でも貴重なレベル5。
 しかも彼女には妹達の件もあり、一方通行と並んで特にその存在は貴重だ。
 それにいつも部屋を使っている上条に至っては、その能力はある意味世界の宝である。
 そんな学園都市にとっての重要人物である彼らに万が一のことがあってはならない。
 そういう理由で入院中の美琴と上条の様子は極めてプライバシーに関わることを除いてほぼ全て録画されていた。
 もちろんその映像は二人が退院すると同時に破棄されるはずだった。
 だが、その話を聞きつけた美琴がプライバシー侵害で訴える、と病院の上層部に掛け合い、事を穏便に済ませる条件と称して自分と上条の映像を全て光ディスクに収めて持ち帰ってきたのだ。
 今ではそのディスクは入院中の思い出と共に美琴の宝物になっている。
 特にこの一週間、「上条当麻欠乏症」による不安で押しつぶされそうな美琴の心を唯一支えているのがディスク内の映像なのだ。

 ディスクには美琴と上条が病院に来てから退院するまでの全映像が収められている。
 映像の中から、美琴は自分たちが病院に入院したときの物を見始めた。



 一ヶ月前の戦いの際、上条をかばって重傷を負った美琴は、上条に抱きかかえられて病院にやってきた。
「なあ、カエル先生、カエル先生はどこだよ! コイツを、御坂を助けてくれ!」
「か、上条君? 何があったんだい? そ、その子は一体?」
 重傷の上条は見慣れている病院のスタッフも、さすがに涙や鼻水で顔をぐしゃぐしゃにした上条や、そんな彼が連れてくる重傷の女の子には驚き戸惑っていた。
「んなことはどうでもいいから、先生呼んでくれよ! 御坂が、御坂が死んじまう!!」
 要領を得ないスタッフの態度に上条が怒鳴っていると、病院の奥からバタバタと慌てて冥土帰しが走ってきた。
 上条は美琴を担架に乗せると、動かない体を引きずりながら冥土帰しの側までやってきて土下座した。
「先生、頼む! アイツを、御坂を助けてやってくれ! アイツは女の子なのに……グスッ……俺をかばって……ヒクッ……怪我して、大変で! 死ぬかもしれなくて! だから、なんでもするから、アイツを、アイツを!!」
 しゃくり上げながら話す上条に冥土帰しはできるだけゆっくりとした口調で話しかけた。
「わかった、彼女は僕が責任を持って治してみせるよ。だから君も早く治療するんだ。君の怪我だって間違いなく重傷なんだよ」
「だから、俺なんかどうでもいいから!!」
「彼女は医者として絶対に僕が治す。いいから君は黙って僕の言うことに従うんだ」
「…………!」
 上条を一括して黙らせた冥土帰しは、上条の肩をぽんと叩くと美琴が入れられた手術室に入っていく。
 上条は流れる涙を拭おうともせず、黙って自分も担架に乗せられた。

「アイツって結構泣き虫なんだ。私のために、だから、あんなに泣いてくれたの、かな。だったら、いいな……」
 入院初日の映像を見終わった美琴は画面を次の映像、入院し、部屋で眠り続けている自分とそれをひたすら見舞い続ける上条の映像に切り替えた。
 それはこれと言って変化のない映像ではあったが、この映像の中の上条の瞳は他の誰でもない、自分だけを映している。
 そう思うと美琴の心はこそばゆいような恥ずかしいような、そんな想いで満たされるのだ。

 そして最後に切り替えた自分が目覚めたときの映像。
 もう何度も、飽きるほど繰り返し見たシーンではあるものの、上条の独白を聞きその様子を見た美琴は顔を真っ赤にしていた。
 美琴は思う、よく自分はあの瞬間、体内電流の漏電をしなかったものだと。
 そして誉めたいとも思った、感激のあまり場を茶化したりせずに上条の独白を最後まで聞いた自分を。
 その我慢のおかげで今の自分には上条を引っ張り回す大義名分ができたのだから。

 いつもならここまで見れば美琴の心は落ち着いているはずだった。
 だが今日の美琴の心は晴れなかった。
 確かにあの時の嬉しさや心の満足感を思い出すことはできるのだが、その気持ちを覆い尽くす感情に心が捕らわれてしまっているのだ。

 嫌われてしまったのではないか。

 恋を知る者なら誰もが持つような他愛もないネガティブな想いが心に落とした一滴の黒いシミ。
 だがそのシミはどんどん広がって美琴の心を蝕み始めていた。

 会いたい。

 会って話がしたい。

 彼の気持ちが聞きたい。

 自分を嫌わないで欲しい。

 願わくば、自分の想いが通じて欲しい。

 もはやシミは過去の楽しい思い出程度ではどうしようもできない状態になっていた。
「会いたいよ、会いたいよ、とうまぁ……」
 美琴は机に突っ伏して静かに涙を流した。



「……あれ? 今は?」
 がばっと顔を上げた美琴は泣きはらした目をこすりながら周りを見回した。
 窓から見える景色は既に夕日に照らされており、完全下校時刻、一日の終わりが近いことを示していた。
 どうやら眠ってしまったらしい。
「あちゃー、午後からもアイツを捜さないといけなかったのに」
 とりあえず顔を洗おうと洗面所に向かった美琴は、携帯が着信を知らせて鳴っていることに気づいた。
「アイツからってことはないわよね、この一週間まったく携帯に出ないんだから。ん? 初春さん?」
 発信者は初春飾利だった。
 ジャッジメントの活動中にどうしたんだろう、もしかしたら白井黒子に何かあったのかも、そう思いながら美琴は電話に出た。
 電話口の初春はやや慌てたような感じだった。

『御坂さん? 良かった、やっと繋がりました。何度もかけてたんですよ』
「ごめん、ちょっと寝ちゃってて」
『お昼寝、じゃないですよね……最近疲れてるんじゃないんですか? ちゃんと寝てますか?』
「そ、そんな心配するほどのことじゃないわよ。ところでどうしたの? 何度も連絡くれたって言ってたけど」
『あ、それ、なんですけど。それが、その』
 急に口ごもった初春に美琴は訝しげな表情を浮かべた。
「どうしたの? 私に用事だったんでしょ」
『は、はい。そうなんですけど』
「何よ、はっきりしないわね。そんな遠慮するような仲じゃないでしょ、私たち」
『そう、そうですね、はっきりした方がいいですよね。あの、御坂さん。御坂さんの彼氏、さんのことについてなんですけど。ちょっと、気になることが』
「え、アイツのことが何かわかったの!? あれ? ちょっと待って初春さん、念のために聞くんだけどか、彼氏って誰のこと?」
 美琴は、はやる気持ちを抑えて初春に尋ねた。
 美琴の頭には自分の彼氏と言えば上条のことしかないのだが周りがそう認識しているとは限らない。
 それに自分が上条を捜していることを美琴は誰にも言っていない。
 よって誤解を防ぐためにも初春の言うその「彼氏」とは誰なのか確認しておく必要があると美琴は判断したのだ。
『御坂さんが入院してたときにずっと付き添ってくれてたあのツンツン頭の人です。彼氏なんですよね?』
「い、いや、アイツはその、彼氏っていう訳じゃないんだけど、その」
『違うんですか?』
「えっと、その、付き合っては……まだ、ない」
『あれ? 彼氏じゃないんなら、じゃあ別にいいのか、な?』
 拍子抜けしたような初春の声を聞いた美琴はあわてて電話にかじりついた。
 初春の態度からこのまま話が終わりそうな予感がしたからだ。
「ちょ、ちょっと待って、アイツがいったいどうしたの? お願い、教えて初春さん!」
『は、はい、わかりました。じゃあ今から、ジャッジメント177支部に来てもらえますか?』
「わかった、すぐ行くから待ってて!」

「御坂さん……」
 電話を切ってため息をつく初春。
 二人はまだ恋人同士にはなっていないとのことだが、今の美琴の態度から上条に対する想いの強さはよくわかった。
 だからため息が出る。
 真実をはっきりさせることは大切だが時としてそれが正解ではない場合もあるからだ。
 美琴に辛い思いをさせるかもしれない。
 でも大丈夫、だと信じたい。
 面識はないし自分もチラとしか見ていないが上条が美琴を見舞っている時の目、あれは大切な人を真摯に想う目だったと思う。
 彼の心の大切な部分に美琴は確かにいる。
 多少の問題は起こるかもしれないが二人ならきっと大丈夫だと、初春はそう信じたかった。
「大丈夫ですよね」
 美琴を出迎える用意をしながらジャッジメントの監視カメラの映像を見る初春。
 そこにはとあるファミレスの中で女子高生といっしょにいる上条の姿があった。

 一時間後。
「…………」
「あ、あの、御坂さん、これは、その、えと」
 街路樹の影に隠れて呆然とファミレスを見つめる美琴と何か言わなければと必死で言葉を探す初春の姿があった。
 ファミレスの窓側に座っている上条は相変わらず同じ学校の人と思われる女子高生と談笑していた。
 いや、正確には談笑しているように美琴には見えた。
 実際には声は聞こえないのだからどういう話をしているのかはわからないのだ。
 だが美琴には目の前の映像だけでショックだった。
 しかもここに来る前、177支部でこのファミレスの一週間の映像を見せてもらっていた。
 そこには毎日このファミレスを、今いっしょにいる女子高生と共に訪れる上条の姿があった。
 今日と違ってすぐにこのファミレスを離れてはいたものの、たしかに上条は毎日この女子高生と会っていたことになる。

 自分が必死で上条に会いたがっていた間、彼は自分の知らない女性と過ごしていた。
 ならば自分はいったい何をやっていたのだろうか。
 上条の独白を聞き、退院後は毎日のように関わりを持ち、週末もいっしょに過ごした。
 その中で少しは想いが通じ合ったと思っていた。
 そしていつかは本当に通じ合えると期待していた。
 でもそれは自分の思い過ごしだった。
 儚い幻、幻想だった。
 なぜなら上条は自分と会うことよりも今いっしょにいる女性と共にいることを選んだのだから。

 バカみたい。
 ううん、みたいじゃない。
 私はバカだ。
 とんだ道化だ。

 一人で勝手にはしゃいで勝手に落ち込んで。
 結局想う相手は自分のことなどまるで見ていない。
 そもそもいっしょに過ごしていたのだって上条からすれば約束から派生した義務感で付き合っていただけと考えた方が自然だ。
 本当は嫌なのに無理矢理。
 だって、上条は自分を見てくれていないのだから。
 見ていない、いや、既に、嫌われているのかもしれない。

 つーと一筋の涙が美琴の頬を伝った。

 でも、どうしてだろう。
 それでも、彼に会いたい自分がいる。
 それでも、彼と話をしたい自分がいる。
 会って何をする?
 何を話す?
 わからない。
 でも会いたい。
 なぜ?
 決まっている。
 相手がどう思っていようと関係ない。
 私の心は決まっているから。
 そう。
 私、御坂美琴は、上条当麻が――。

 美琴は涙を拭うと、強い決意の光を瞳に宿し初春を見た。
「ありがとう、初春さん。あの馬鹿のこと教えてくれて」
「御坂さん」
「このままじゃ終われないもんね。ちゃんとあの馬鹿と話しないと」
 美琴はキッとファミレスの上条をにらみつけると、ポケットから携帯を取り出し上条の番号を呼び出した。
 上条はあっさりと電話に出た。

『あ、御坂! ちょうど良かった。話があってさ』
「ふーん、そう。私もアンタに用があるの。でも電話じゃなんだから直接会わない? すぐ表に出てきてよ。待ってるから」
『表に出てくるって、お前俺がどこにいるか知らないのにどうや――』
「知ってるわよ。いいからさっさと出てきなさい」

 美琴は携帯をポケットにしまうと、静かに歩き出した。
 一方、首をかしげながらファミレスから出てきた上条はきょろきょろと美琴の姿を捜していた。
「待ってるとか俺がどこにいるか知ってるとか、御坂の奴、いったい何を?」
「久しぶりね」
「うわ! お、驚かせるなよ」
 突然背後から声をかけられた上条はばっと後ろを振り向いた。
 そこには腕を組んで明らかに不機嫌な顔をした美琴が立っていた。
 美琴は上条を見てふんと鼻を鳴らした。
「いきなり後ろから声をかけただけよ。電撃使わなかっただけマシと思ってちょうだい」
「……比較対象がめちゃくちゃだろ」
「それよりも、久しぶりに会ったんだから何か言うことは? なにしろ、一週間、ぶりなんだから」
「そ、そうだな。ほんと、久しぶり。元気そうだな」
「もうちょっと気の利いたこと言えないのかしら……そうね、元気と言えばそうなるのかしら。でも、人を一週間無視し続けて女の人と毎日デートしてたどこかの誰かさんに比べたらまだまだよ」
「ん? それって誰のことだ? まさか……俺のことか?」
「俺のことか、ですって?」
 心底不思議そうな顔をした上条に、非常に細い美琴の堪忍袋の緒はあっさりと切れた。
 美琴は上条といっしょにファミレスから出てきた、色気はないもののやたらとスタイルのいい美人を指さした。
「あ、あ、あ……アンタ以外に誰がいるってーのよ! 女だってそこにいるじゃない! いったいそいつ誰よ!」
「だ、誰って、こいつは俺のクラスメートで吹寄制理って言うんだけど。後、初対面の人間を指さすのは失礼だぞ」
「うるさい! でも吹寄? どっかで聞いたことあるわね。それはともかく、どうしてアンタはそのクラスメートと毎日毎日毎日毎日デートしてんのよ! 人が散々アンタを捜してるときに、アンタ何やってんのよ!」
「え、えと、俺、吹寄とデートなんてした覚えはないんだが。なあ」
 困った顔をした上条は不機嫌そうに隣に立つ女性、吹寄制理を見た。
 吹寄は上条に答えることなく美琴に近づき、軽く会釈した。
「はじめまして。あたしは吹寄制理、そこにいる上条当麻のクラスメートよ」
「は、はじめまして。御坂美琴、です。あの、何か?」 
 吹寄につられて挨拶を返した美琴だが、当の吹寄は美琴の全身をなめ回すようにじろじろと見ていた。
「ふーん、なるほど」
「ですから、あの」
「これは確かに土下座する価値はありそうね」
「土下座?」
 一通り美琴を観察したらしい吹寄は美琴の質問にはまったく答えず、不機嫌そうな表情を変えることなく話を続けた。
「御坂さん、初対面の人にいきなりこんなこと言うのはなんだけど、あなた勘違いしてるわ」
「勘違い?」
「そう、あたしと上条はデートなんてしたことはないわ。というよりあたしと上条の間には色恋沙汰に類する感情そのものが存在しない。あたしはこの一週間、担任に頼まれて上条の勉強を見ていただけ。詳しくは上条に聞けばいいけどとにかく、そういうことだから安心して」
「は、はあ」
「じゃあ、さよなら。ごゆっくり」
 結局言いたいことを一通り言うと、美琴の言葉を無視して吹寄はすたすたと歩き出した。
「は、はい、さようなら」
 あっけにとられた美琴は呆然と吹寄を見送った。
「あ、そうだ。上条!」
 ファミレスから離れていこうとした吹寄は突然、上条の方を向いて大声を出した。
「は、はい!」
 その声に上条は半ば反射的に体を硬くした、その様子を美琴が面白くなさそうに見ていることも知らずに。
「先生の頼みだから今回は付き合ったけど、二度と貴様に付き合うのはごめん被るわよ。ありもしない誤解をされたくないし、貴様だって誤解なんてされたくないでしょう。自分の不始末はこれからは自分でなんとかして。少なくともあたしを頼るのは止めてちょうだい。じゃあ、コーヒーごちそうさま」
「あ、ああ。こちらこそありがとう。本当に助かった」
 今度こそ吹寄はファミレスの前から立ち去っていった。

「あ、あの、御坂」
 上条は吹寄を見送ると、おそるおそる美琴に声をかけた。
 しかし美琴はなんの返事も返さない。
 ただ下を向いてゆっくりと深呼吸を繰り返すのみ。
 業を煮やした上条が再び声をかけようとしたその時、美琴はばっと顔を上げた。
「質問に、答えてくれる?」
「えっと、それも例の約束か?」
「違うわ、それにあんな約束、もうどうでもいい。反故でいいわよ。でも、質問はする。約束とか、そんなの関係なく、アンタの意志で教えてほしい」
「……わかった、答えられる範囲でなら」
「まず、何がどうなってるのか教えて。状況がわからないわ」

 上条は自分の置かれていた状況をかいつまんで美琴に話した。
 聞き終えた美琴は盛大なため息をついた。
「何? 結局またこの一週間、補習やら追試で大変だったってこと?」
「いや、正確には違うぞ。補習や追試はまた別の機会だ。で、今回は補習と追試だけでは単位を補いきれないので課題の提出を課されたのだ、しかもその提出期限は来週頭。さらに言うなら上条さんの頭ではとてもじゃないが処理できる量ではなかった。見てくれ!」
 胸を張った上条は何がそんなに嬉しいのか鞄から次々とレポートやらノートやらを取り出していく。
 美琴は上条の境遇にあきれかえりながらも彼の激闘の跡を眺めた。
 多い。
 天才である美琴からすれば大した量ではないが、お世辞にも優秀とは言えない上条にとっては非常に多い量の課題だ。
 これだけの課題が補習や追試に加えて必要になるとは、と美琴はさすがに上条が気の毒になってきた。
 確かに誰かの手伝いが必要だった、というのも理解できる。
「それから吹寄に手伝いを頼んだのは担任の小萌先生なんだ。俺の課題の進行状況を聞いて誰か適当な人を、と」
「で、あの巨乳の美人に白羽の矢が立ったわけ?」
 上条はうんうんとうなずいた。
「クラスの連中の推薦もある、なんでも俺のフラグ体質が通用しないから安心らしい。御坂も見てわかったろ? アイツと俺の相性の悪さ」
 美琴は素直に上条の言葉を信じられた。
 なぜだろうか、恋する女の直感みたいなもので吹寄からは上条に対する「想い」が欠片も感じられなかったからだ。
 確かに彼女なら上条とずっといっしょでも何も起こらない、そう思えた。
「それで月曜から毎日ファミレスの前で待ち合わせて図書館で勉強してたんだ。安心だって言う割にはクラスの連中、色々邪魔してくるからさ、学校ではとても勉強にならなかったんだ」
「図書館、確かにそれじゃアンタを見つけられるわけないわね。アンタに一番似つかわしくない場所だもの」
「ほっとけ。で、今日は図書館が休みだったから仕方なくファミレスで勉強してたんだ。そんでもって財布が非常に軽い上条さんの精一杯のお礼としてコーヒーをごちそうした。だから、その、俺はこの一週間、誰かとデートとか、浮かれたことは何一つしてない。それだけは信じてくれ」
「連絡が一切付かなかったのは?」
「どこかの訳のわからない連中から連絡があったりしてほしくないから電源を切っていた」
「なるほどね」
 課題を終えようと頑張れば頑張るほど邪魔が入る。
 上条の不幸体質を考えれば十分考えられることだった。
「だからといって御坂にまったく連絡をしなかったのは謝る。その、ずっと捜してくれてたみたいだし。とにかくこれで全部だ」
「そう」
 安心からだろうか、美琴は体中から力が抜けるのを感じていた。

 上条の言葉に嘘はないだろう、そもそもこういうことで嘘をつく人間ではないし辻褄も合っている。
 締め切りが迫る課題を処理するために一週間カンヅメ状態で勉強してその間誰とも連絡を取れない状態にしていた、しかもその手伝いの女性とも私的な交流はない。
 なんてことはない、タネを明かせばその程度のこと。
 結局自分が感じていた心配や不安はただの杞憂だったようだ。
 でも、と思う。
 それでもいくつかの疑問が晴れない。
 いや、疑問というより上条が肝心なことを隠しているような気がするのだ。
 美琴は考えた、上条が隠すような理由を。
 そして一つの仮説が浮かんだ。
「え、でも、それじゃ」
 その仮説が事実ならあまりにも自分は無様ではないか。
 無様で滑稽。
 だがあくまでそれは美琴の脳内での仮説、確認しなければどうってことはない。
 上条だってせっかく隠してくれているのだからその厚意に甘えることだって一つの選択だ。
 それでも美琴は確認する道を選んだ、仮説を、上条の気持ちを確かめたかったから。

「ねえ、そもそもその課題っていつ出されたの?」
「え。い、いつって」
「答えて。ううん、答えなさい」
「……退院して、すぐ」
「やっぱり。一週間じゃなくて一ヶ月の量だった訳ね」
 上条の答えを無理矢理聞き出した美琴は自分の仮説が正しいことを実感した。
 しかし仮説をさらに強固にするために質問を重ねた。
「じゃあどうして私に相談しなかったの? 私の成績、知ってるわよね。あの程度の問題、私なら訳なく解けるわよ」
「そ、そりゃやっぱり中学生に勉強を教えてもらう高校生ってのも情けないと思うし」
「本当に?」
「…………」
 露骨に目をそらした上条の無言の答え。
 言外に嘘を言っている、と言わんばかりの態度だ。
「吹寄さんが言っていた土下座ってどういう意味? もしかして今日は図書館が休みだから明日にしようって言われたのを、今日課題を終えるために手伝ってもらいたいから土下座して頼み込んだ。違う?」
「…………」
 やはりこの無言も肯定という意味だろう。
「最後。アンタが私にあるっていう用事は?」
「……あ、明日の予定、聞こうと思って。今週全然会ってないし」
 美琴の仮説は確信に変わった。

――アンタ、私のために、こんなことしてたんだ。

「はは、やっぱり、やっぱりそうなんだ……」
 少しずつ、少しずつ美琴の視界が歪みだした。
「何やってんのよ、私は……」
 しゃくり上げながら美琴は手の甲で涙を拭った。
 だが涙は次から次に溢れ出しとどまるところを知らなかった。

 美琴は理解した。
 今の上条の境遇を引き起こした最大の原因は自分にある、と。
 上条の出席、および成績に関しては彼の不幸が呼んだことかもしれないが、課題をまったく済ませられなかったのはひとえに自分のせいである。
 退院して以来、放課後は毎日上条を引っ張り回した。
 週末など一日中付き合わせた。
 美琴と違い完全自活の上条がそんなに遊び回れば、学生として通常勉強する時間を取るだけで精一杯のはずだ。
 当然課題に手を付ける時間などあるはずもない。
 結局締め切り間近になり途方に暮れる羽目になる。
 だが美琴に責任を感じさせないために上条は自分で問題を抱え込むことにした。
 しかも自分との週末の約束を守るために土下座までして今日中に課題を終えようとしてくれた。
 上条はひたすら美琴のことを考えてくれている。
 そこに余計な感情はない。
 それに引き替え自分の態度はどうだろう。
 上条のことを信じることもせず己の感情のみを優先させ、勝手に傷つき、勝手に嘆き、勝手に怒った。
 美琴は自分自身が情けなかった。
 悔しくてたまらなかった。

 でも。

 嬉しかった。
 上条の自分に向けてくれるやさしさが。
 上条がずっと自分のことを気にかけてくれていたことが。

 悔しさや悲しさ、嬉しさ、喜び、様々な感情がない交ぜになって次から次に涙という形で美琴からあふれてきた。
 もう止まらない。
 止めることなどできない。

 ああ、私は本当にコイツが、上条当麻が、好きなんだ。



 一方の上条は美琴とは別のベクトルでテンパっていた。
 色々と質問してきたかと思うと、美琴が急に泣き出したのだから。
 女性への接し方という分野では幼稚園児以下のスキルしか持ち合わせていない上条。
 美琴の気持ちなどわかろうはずもなく、ただおろおろするばかりだった。
 仕方ないので上条は目を閉じ、何も考えないことにした。
 無心で自分の本能がしたいようにすることにしたのだ。
 そして、本能は、ぎゅっと美琴を抱きしめることを選んだ。

「あ、あの。これは体が勝手に……」
 最低だな俺、と思った上条は、電撃が来ることを覚悟しながら美琴に声をかけた。
 だが上条の期待に反して美琴は何もしない。
 いや、美琴はちゃんと上条の行動に反応していた。
 上条の体を抱きしめる、という反応を。
 結果として上条のテンパり具合は過去最高をあっさりと更新した。
「どうしたんでしょうか! これは上条さん大ピンチですよ! このままでは犯罪犯しますよ、大変ですよ、父さん母さん! 御坂さんがやたらかわいいんですよ! それにふにゃっとしてなんか気持ちよくて、いいにおいまでして女の子の体ってこうなんだって、ああ何考えてるんだ俺! 理性だ理性、水平リーベ僕の船。3.14159265358979323846264338……」
 美琴に聞こえないよう小声で呟く上条。
 その内容といい、テンパっているようで妙なところは結構冷静である。
「不幸なのか、でも結構幸せっぽい気もするけど、どうなんだ、俺!」
 結局上条の葛藤は美琴が泣きやむまで続くことになるのだった。



「あのさ、まだ質問あったんだけど。私に週末付き合わされるのって迷惑?」
「別に。というかこういう普通の学生らしいことしたことないから結構楽しいし、できたらこれからも誘ってほしい」
「そう。良かった……」
 美琴は再び上条の胸に頭を預け、上条をさらにどぎまぎさせるのだった。

 上条は安心する。
 美琴の機嫌が直ったこと、誤解が解けたことに。

 だが上条は知らない。
 美琴が反故にすると言ったのはあの日の約束だけではないことを。
 上条の言葉を待つと決めたあの日の「誓い」すら反故にする、という意味をも持つということに。


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