白井黒子は動かない
<設定>
原作7巻の「美琴が何故かブツブツ言いながら何時間も付き合ってくれた」日の午前中のお話です。
逆に8巻との繋がりが悪くなりますが、その辺はご容赦を。
□□□
「護身術のテスト、ですの?」
白井黒子は、髪をくしけずりながら、机の上でふにゃっている御坂美琴に問いかける。
夏休みが終わり、始業式を過ぎた最初の土曜日。
朝食を取り、部屋で分厚い護身術のテキスト…イラストが多いので分厚いだけだが、
それを御坂美琴が早速にらめっこしている状況である。
週明けに実技テストがあるのだが、覚える気がまるで起きない様子だ。
興味があったり必要であったりする事ならば、大学クラスの難問であろうと挑戦する美琴であるが、
興味がなければあっさり切り捨てる。この辺りがLV5の資質とも言えるだろう。
「そう。あーもうユウウツ‥」
美琴は無敵の電撃技を持っているせいか、護身術に身が入らない。
「とはいえお姉様、実際にその電撃が通じない殿方が存在するわけですから…」
「あの馬鹿みたいのが他にいてたまるもんですか!」
「なるほど、お姉様はその殿方には無抵抗で抗わない、と」
「な、何の話してんのよアンタ!」
朝からぎゃあぎゃあと、御坂美琴は元気いっぱいだ。
「というわけで黒子、今から実技練習にいくわよ」
「へ?今からですの?」
「そう。アンタ護身術のスペシャリストなんだから、実際に教えてよ。テキストより何倍も早いわ」
「お姉様ったら…確かに空いてはいますけど、午前中ぐらい優雅に過ごしませんこと?」
「午後から間違いなく暑くなるでしょ。涼しいうちに!さあ行くわよ!」
しょうがないですわね、と黒子は席を立つ。何にせよ美琴と一緒に行動するのは、至高のひとときだ。
制服以外での外出は、届出も面倒なため、2人はランニングと短パンの上に制服を着る事にした。
美琴には慣れた格好だが、黒子は不満な様子だ。
「わたくしの美意識ではとてもとても、耐えられないですの…」
「アンタ、ケンカ売ってんの?」
橋の下なら日影もあるし、広いから気兼ねなくできる、と土手に向かって歩いている。
コンビニの前で、美琴は「ちょっと飲み物買ってくるね」とコンビニに入ろうとする。
「あらお姉様。特製ドリンクならありますわよ」
「誰が飲むかっ!」
ずかずかとドリンクコーナーに向かう美琴。
(涼しいですわね~)
と、黒子はコンビニの冷気にあたりつつ、ふと人の気配を感じ、横を見ると。
上条当麻が顔を背けるように週刊誌を立ち読みしていた。明らかに気付いている。
どう見ても、「君子危うきに近寄らず」を実行している風情である。
黒子が上条に会うのは、始業式の日の、地下街テロリスト事件で会って以来だ。
謎の土人形が元だと思われる瓦礫の傍で、真剣な顔でその瓦礫を見つめる上条当麻。
その横で、御坂美琴は、その少年を見ていた。…いや、見惚れていた。
――お姉様があのような眼差しをされるなんて。
割って入り、テレポートで連れ去ったが…
近いうちに、この少年と真正面から向き合う時が来るような、そんな予感がする。
今日は、その前哨戦と参りましょうかしら。
「あらあら、これはこれは。カミジョーさん、おひさしぶりですの」
「おう。ひさしぶり、って、まだあの騒ぎから数日しか経ってねーだろ…」
「朝から立ち読みとは、優雅な生活でいらっしゃいますのね」
「ほっとけ!…御坂も来そうだし、帰」
「来て悪かったわね」
当然ながら、美琴も合流してきた。手にドリンクを持って。
御坂美琴がドリンクを手に取って、振り向いたとき…ツンツン頭が眼に入った。
もうその瞬間から心臓の鼓動が早くなる。
(もう!なに浮き足立ってんのよ私!)
回りこむようにして近づくと、予想通り黒子と話していた。
「来て悪かったわね」
美琴は、口をへの字にして、動揺を押し隠しつつ話しかける。
「ところでカミジョーさん。おヒマでしたら私たちに付き合っていただけません?」
(く、黒子!?)
「ほほう、女子中学生からデートのお誘いですか」
「いいお話でしょう?」
「だが断る」
「何で即答ですの!美人女子中学生たちからのお誘いですのよ!?」
「深窓の令嬢なら喜んでいくけどな!お前らは真逆だろーが!」
「…本来なら金属矢をブチ込むところですけども、お願いする立場ですから我慢致しますわ…」
「そうまでして、何に付き合わせる気だ」
「護身術の練習、ですわ。やはり現実は殿方から身を守るモノですから、是非ご協力願えませんか、と」
「…おおかた、俺を関節技でボコボコにする気だろ?」
「(ギクッ)なんですのその被害妄想。いいじゃありませんの、女子中学生の体を触れるんですのよ?」
「んなもんメリットになるかっ!俺に残るのは中学生にベタベタ触ってた変態という評判しか残らんわ!」
黒子は少し意外に思っていた。何だかんだ言って、下心もあってOKするのではないかと思っていたのだ。
上条は全く興味ないようだ。
(軽い男だと思ってましたが、意外に硬派…ふーむ)
その時、黙っていた美琴が口を出した。
「まあ無理にとは言わないけどさ…逆にそっちが、例えば前みたいに宿題に困ってるとかあれば、その交換」
「御坂」
「ん?」
「困ってる」
「はい?」
「…宿題に困ってます。今日ほとんどを片付けないと、やばい」
諸々の事情があって、夏休みの宿題を完遂できなかった上条は、
オリジナルの『宿題の宿題』を小萌先生から渡されていた。今日は、帰ったらそれをやる予定だったのだ。
それを聞いた美琴はにんまりと笑う。
「んじゃあ決まりね。午前中は私たちの護身術に付き合う。午後はアンタの宿題に私が付き合う」
「ぐ…」
上条が唸りながら悩んでいる。
黒子としても、午後の話は余計だ。
「…わかった。ただし!その護身術とやらで…その、不可抗力な事が起こっても、金属矢・電撃はナシだぞ?」
「…例えばどのような事ですの?」
「取り押さえるときの関節技とか、体密着するだろーが。俺だって抵抗するし、どこに触っちまうかわかんねーよ」
「その辺は勿論何も言いませんわ。胸を揉みしだくとかは一発で制裁させていただきますけど」
「…どこにそんなボリュームあんだよ(ぼそっ)」
「何かおっしゃいまして?」
「いや別に」
「カミジョーさんは、そのカッコ、汚れても構いませんの?」
河原、といっても橋の下に着いた御坂美琴と白井黒子は、制服を脱いで陸上用ランニングと短パンになっている。
上条当麻はTシャツにチノパンとラフな格好だ。
「破けるのは困るけど、洗濯すりゃ済む話なら、まあ大丈夫」
上条はキョロキョロしながら、
「護身術なら、こんなとこまで来なくてもできねーか?広くなくてもできるだろ」
「…お姉様のプライドを考えてあげて下さいな。試験前日にあがいている姿は見せられませんですの」
「ち、違うわよ!どうせやるなら、広い場所の方がいいじゃない!」
「ま、何でもいーけどさ。どーすんだ?」
上条は相変わらずのスルースキルを発動させ、美琴は言い訳している自分がバカらしくなってくる。
「え、えっと試験自体は課題は決まってて、ただ本番がどれを指定されるかが分からない、の」
「んじゃ一通りやるしかねーか」
「そうなりますわね。じゃあお姉様、テキストお借りしますわ」
「ではフェーズ1。『手を掴まれたとき』ですの。ではカミジョーさん、わたくしの手を」
上条は黒子の右手の甲を掴む。次の瞬間!
「ぐああっ!」
上条が目をおさえてうずくまる。
「…ジャッジメントでは、このように空いている手の甲で、相手の目を叩きますの。
でも、テキストでは違いますのね。ではカミジョーさん、手をもう一度…」
「ザケんなテメエ!ったく…」
上条はもう一度黒子の手を取る。
黒子は、上条の親指側に自分の手を押し込むようにねじって、あっさり振りほどいた。
「お、スゲエ。しっかり掴んでたぞ今。」
「ではお姉様。どうぞ」
上条は美琴の手を握る。
(…やっぱりですわね……) 美琴は顔を真っ赤にしている。
美琴は赤くなりながらも、これはあっさりクリアした。
「続いてフェーズ2。『両手を掴まれたとき』ですの。ではカミジョーさん、わたくしの両手を、そうそう」
その瞬間、黒子は上条の金的に向かって右足を蹴り上げた!
「うぎゃあああああ、あ、あ?」
「ジャッジメントではこうやって蹴り上げるよう教育されておりますが、まあ今回は寸止めにしておきましたわ」
「御坂!コイツ何とかしてくれ!俺いつか死ぬ!」
「く、黒子、アンタ…」
「他愛ないジョークですの。ではテキスト通りに」
上条はげっそりしながら、もう一度黒子の両手を掴む。
すると黒子は軽く腕を引き、それに対抗しようと上条が腕を引き戻した瞬間!
そのまま黒子は上条に引かれるままに体当たりし、頭が上条の顔にあたるようにぶつかった。
たまらず上条は転がり、あっさり黒子は脱出した。
「あっぶねえ!後頭部打ちそうだったじゃねーか!」
「テキスト通りですの。では…」
美琴は上条の前に立ち、両手を差し出す。上条はその両手を掴む。
(両手握られちゃってる…)
美琴はこれだけで舞い上がっている。上条はいつ美琴が動くかとじっと見つめている。
「お・ね・え・さ・ま?」 ハッ!
(え、えーと、腕を引いて、相手が引き戻したら、体当たりしつつ、頭で顔を攻撃、だっけ…)
美琴は息を吸い込むと、軽く腕を引き、上条の動きに合わせて体当たりした!
…頭を上条の顔にぶつけるのを忘れていた。故に。
ただ押されて尻餅をついた上条の膝の上に、美琴はちょこんと横座りしながら、抱きしめられていた。
美琴は、ゆっくりと左を向く。わずか5センチほどの距離に引きつった上条の顔がある。
上条は、ランニング姿の美琴の腕ごと肩口から、支えるように抱きしめていたのだが、
さすがにこの距離での抱擁と、柔らかい感触に、完全に硬直していた。
お互い、パニック状態で身動き取れずに居る所へ、怒り心頭モードの黒子が飛んできた。
「な・に・を・やってるんですの!!!」
黒子は美琴に触れるやいなや、テレポートで5メートル離れた箇所に飛ぶ。
美琴はその座った状態で、どさっと地面に落ちた。
「あたっ!」
「あたっ、じゃないですわよお姉様!なに殿方といちゃついておりますの!?」
上条はまだ腕を前に出して固まっていた。
――1時間半が過ぎた。
フェーズ9を終え、最後のフェーズ10を行って終了という所だが…
珍しく、白井黒子は、御坂美琴にあきれ返っていた。
「お姉様…」
「…云わないで、お願い…」
美琴は、ずどーんと落ち込んでいる。
ことごとく、失敗していた。
それもこれも、上条当麻が原因である。
なにしろ触れられた瞬間、頭が真っ白になり、覚えたことが全く出てこない。
『羽交い締めにされた時』では、上条に抱きすくめられただけで全活動が停止。
『肩に手を回された時』では、手をひねり上げるつもりが、上条とダンスを踊り。
次こそは、と思えば思う程空回り、滅多に見せない涙目で毎度挑むのだが…
上条は、黒子の完璧な護身術の『ムチ』によってボロボロではあったが、
その後の美琴の『アメ』、すなわち…結果として、抱きつかれたり押し倒されたりしているうちに、
恋とは異なるが、美琴に対して愛しい気分になっていた。
子どもが一生懸命頑張っているのを応援するのに近いが、美琴がそれを知ったら相当複雑な顔をしそうである。
「…御坂って、もっと器用だと思ってたがなー」
上条は黒子にヒソヒソと話しかける。
「さすがにその感想を聞くと、お姉様が気の毒になってきますわね」
「?」
「まあ、失敗は逆にそこさえ気をつければ、試験レベルはクリアできるでしょう。では、最後と参りますの」
美琴もフラフラしながら近づいてきた。
「それ、やるの…?」
「は?……うっ」
「これはダメだろ」
課題最後には。
『車内などで臀部を触られた時』、とあった。
白井黒子は上条当麻に背を向けている。
「…本気で、やんのか?」
「気乗りはしませんが、ここまでやってきて最後だけ省略って、負けた気がしません?」
「誰と戦ってるんだオマエは」
御坂美琴は、少し顔を赤らめて見つめている。
上条は黒子のお尻に手を伸ばす…完全に変態である。
「なあ、次の瞬間に痴漢現行犯で手錠掛けられる、っつーオチはねーよな?」
「…少なくとも、手錠掛けるなら、お姉様に抱きついた時点でやっておりますの」
「さいですか…じゃあ、いくぞ」
まあ触れた瞬間に極められるんだろうな、と思いつつ、黒子のお尻に右手を当てる。
…
……
白井黒子は動かない。
「…おい?」
「それは当ててるだけですわ。触っていただかないと」
「…はい?」
「撫でまわしていただかないと、気分が出ませんわ」
「ちょっと待ちなさいよ黒子!それって私にも…!」
「お姉様はすぐに対処すればよろしいですわ。というよりそれはわたくしが許しませんの」
「オマエ無茶苦茶言ってるぞ…」
「まあ、正直申しまして、わたくし痴漢された経験がございませんので、一度どのようなものか、と」
「…俺、オマエのこと前に変態さんですか?と言ったことあるが、…本当だったんだな」
「この程度で変態などと。…撫でるのに夢中になっておられると、極められた時逃げられませんですことよ?」
(撫でる、か。さすがにシャレなんねーけど…まあ数秒の話だよな…)
さわ…
さわさわ…
…
……
白井黒子は動かない。
「あの…白井…?」
「…。」
上条も妙な気分になりつつあった。黒子はTバックのせいもあり、感触が、…なのである。
(手、手を止めたいのに、止まらねえ…)
美琴は気付いた。上条と黒子の間に謎のピンク空気が漂い始めている。
(! 黒子!?)
白井黒子の頬が赤らみ始めている…?
それを確認した瞬間、微かな嫉妬心と共に、スタンガンクラスの電撃を2人に向かって撃ち込んだ!
「はあぁぁぁぁ…」「ぬああああああ!」
上条の右手は黒子に触れていたため、イマジンブレーカーは発動せず、2人は崩れ落ちた。
頬をペチペチと叩く感触があり、上条は目を覚ました。美琴が心配そうにのぞき込んでいる。
「え、えーと、大丈夫?」
「あ、ああ…そうか。…すまん、変な空気を止めてくれたんだな。」
「なによデレデレして!みっともないったら!」
「何か引きずり込まれるような…な。で、白井は?」
起き上がりながら、上条はキョロキョロしつつ姿を探す。
「…気分がすぐれない、って帰っちゃった。 わ、私は午後からのアンタとの約束もあるし!」
「そうか。お前の尻の課題はどーするんだ?」
「やんないわよ!っつーか尻の課題て言うな!…試験に出たら、まあやってみるしかないわね」
上条と美琴がそうして午後に向けての打合せも兼ねて、話し込んでいる、その頃。
白井黒子は、自分の感情に戸惑いながら帰途についていた。
(お遊びでしたのに。…触れられている間に、湧き上がってきた、あれは…)
――数週間後、白井黒子はその男に生命を救われる。それはまた、別の話。
おしまい。