もどかしい世界の上で Ordinary_world.
門限が間近で、上条にそうしろと言われたとはいえ、あの場に上条を置いていくべきではなかったと御坂美琴は後悔した。
『大丈夫、何でもねえよ。引き留めて悪かった。御坂、おやすみ』
とっとと寝ろよと手を振って、常盤台の寮の前で別れた上条当麻は美琴が今まで見た事のない表情を浮かべていた。
二〇八号室の自分のベッドで上掛けにくるまって、美琴は世界を巻き戻す。
あの時、上条は笑顔で、ひらひらと手を振って、明日もまた会えるからといつものように嘯いて
『大丈夫、何でもねえよ。引き留めて悪かった。御坂、おやすみ』
とっとと寝ろよと手を振って、常盤台の寮の前で別れた上条当麻は美琴が今まで見た事のない表情を浮かべていた。
二〇八号室の自分のベッドで上掛けにくるまって、美琴は世界を巻き戻す。
あの時、上条は笑顔で、ひらひらと手を振って、明日もまた会えるからといつものように嘯いて
熱を持った黒い瞳は美琴を呼び続けていた。
上条が美琴を寮まで送り届ける時はいつも寮の手前五〇メートルで別れて、上条はそっけなくその場を立ち去っていた。誰かに見られる危険を冒して自分から寮の前まで歩こうなどと誘う事も、美琴の手をいつまでも離さないと言う事もなかった。
上条の様子がおかしくなったのは、上条の部屋からの帰り道で美琴が謝罪を口にした時だ。上条は強い口調で美琴を励まし、その後言葉に詰まり、そして上条の中で何かが起きた。
門限を無視してでも今夜は上条に付き添ってやれば良かった。上条は平静を装っていたが、上条の心が今までにないほど大きく揺れ動いているのが美琴には痛いほど伝わった。
あんな目をした上条を、美琴は初めて見た。けれど、あの瞳には見覚えがある。それも、とても自分に近い場所で。
「あの馬鹿、何て目をしてんのよ。あれじゃ……あれじゃまるで……」
美琴は腕の中の枕に額を押し付ける。
麻疹にかかった子供のように、体中が熱い。
いっそ頭から水でもかぶろうかと思い、夜気の肌寒さを思い出して美琴はその考えを打ち消した。
「……熱い」
黒い瞳から伝染した熱が美琴の全身を包んで離さない。
美琴は頭から上掛けをすっぽりとかぶり、世界中の全てから自分の姿を隠して呟く。
「あんな目で見られたら、私どうしたらいいか……わかんなくなるわよ」
上条の様子がおかしくなったのは、上条の部屋からの帰り道で美琴が謝罪を口にした時だ。上条は強い口調で美琴を励まし、その後言葉に詰まり、そして上条の中で何かが起きた。
門限を無視してでも今夜は上条に付き添ってやれば良かった。上条は平静を装っていたが、上条の心が今までにないほど大きく揺れ動いているのが美琴には痛いほど伝わった。
あんな目をした上条を、美琴は初めて見た。けれど、あの瞳には見覚えがある。それも、とても自分に近い場所で。
「あの馬鹿、何て目をしてんのよ。あれじゃ……あれじゃまるで……」
美琴は腕の中の枕に額を押し付ける。
麻疹にかかった子供のように、体中が熱い。
いっそ頭から水でもかぶろうかと思い、夜気の肌寒さを思い出して美琴はその考えを打ち消した。
「……熱い」
黒い瞳から伝染した熱が美琴の全身を包んで離さない。
美琴は頭から上掛けをすっぽりとかぶり、世界中の全てから自分の姿を隠して呟く。
「あんな目で見られたら、私どうしたらいいか……わかんなくなるわよ」
冬独特の低気圧配置を逃れるように、小春日和の青空がいくつもの建物で切り取られた頭上に広がる朝。
一月五日、美琴は上条の部屋の玄関前に立っていた。
美琴は上条の玄関のドアに背中を預け、上条が出てくるのを待っていた。
美琴は空の薄い水色と雲の白さを眺めながら、ドアの向こうの物音に耳を澄ます。
チャイムを鳴らして自分の来訪を知らせようかとも思ったが、上条に身構える時間を与えない方が良いと判断し、黙って上条がドアを開けるのを待った。
ドアノブが何度も揺すられるガチャガチャという音を鉄のドア越しに耳にして、美琴は扉から背中を離して正対する。
「あーあ、珍しく良い天気なのに俺は一人であと二日も補習……あれ? 朝っぱらからお前何やってんの?」
ドアの向こうから顔を出し寝ぼけ眼をゴシゴシとこすって『何でお前がここにいるの?』と不思議そうに首を傾げる上条に、美琴はブレザーのポケットから一本の細い金属の棒を取り出すと、目の前でゆらゆら揺らした。
「おはよ。アンタに借りた部屋の鍵、返すの忘れてたから持ってきたわよ?」
「あー……そういやそうだったな。でもまあ、こっちも予備の鍵あるし、この次会った時にでも返してもらえばいいかって思ってたから」
「じゃあこの鍵もらってて良い?」
「返せっ! ……ったく、テメェにゃ早過ぎんだよ」
「え?」
上条は美琴の手から部屋の鍵をひったくるように受け取ると
「何でもねえよ。……朝っぱらからわざわざこんなとこまで来させちゃって悪りぃな。寮まで送ってってやりたいけど、俺今から補習で……」
「冬休み中はずっと補習って、アンタ前に自分で言ってたじゃない。……ここまで来たんだから、ついでにアンタの学校まで送ってったげる」
美琴は上条の手を取り、いいからとっとと行くわよと登校を促す。
「俺は登校拒否の小学生じゃねーぞ?」
「私もアンタの母親になったつもりはないわね。……ほら、遅刻しちゃうからさっさと歩いた歩いた」
美琴は上条の手を取り、ぐいぐいと上条を引きずるように歩き出す。そんな美琴を見ながら上条がほんの少し笑った事に、美琴は気づいていない。
だだをこねる子供を連れて行く引率者のように上条を引きずる美琴の後ろで、上条は時々学生鞄を持ったままの右手で何か気になるのか『こうかな、それともこうか』とマフラーの位置をちょいちょい直していた。
「アンタ、それそんなに気に入ってんの?」
「ったり前だろうが。俺のクラスにも彼女持ちの奴はいっけど、セーターとマフラーをいっぺんにプレゼントしてもらえるなんてことはそうそうねえぞ?」
学ラン着ると下にセーター着れないから勘弁な、と上条は頭をガリガリとかいて
「でもな、学校に持っていってみんなの前で着て見せたんだぜ。あのセーター」
「あ、そ」
あっさり引き下がってみるものの、まさか上条がそこまですると思っていなかった美琴は顔の筋肉が言う事を聞かず対処に困った。そう言えば上条は以前美琴が電撃をお見舞いしようとした時に『大事なマフラー』と言っていた気もする。
この彼氏、日頃は反応が薄いくせにこう言う嬉しがらせを平然とやるから気が抜けない。
美琴の手の中で、美琴とつないだ上条の手の力が強くなったり弱くなったりを繰り返す。美琴はふにふにと手を握られているような感触に
「私と手をつなぐの、嫌なの?」
「……嫌って事はねえと言うか……ようやく慣れたかな。最初の頃はつなぐというより握りつぶされそうでむしろそっちが怖かったけど」
「は? 何よそれ」
「お前気づいてなかったのか?」
上条がすわマイリマシター、と負け犬っぽい顔を一瞬だけ作って
「俺達が付き合いだして最初の頃、お前ガッチガチだったんだぞ? 肩なんかこーんなに力入ってるし、話振ると顔が無理にお嬢様っぽい笑顔になってるし、言葉遣いはバリバリの敬語だし何かあると電撃出すの堪えようとするからこめかみはひくひく言ってるし」
ビキィ!! と自分のこめかみから変な音が聞こえる。
上条は自分のこめかみを人差し指でツンツンと指し、上下に動かして見せた。
「最初、俺は御坂美琴という名の別人と付き合ってんじゃねーのかって思ったぞ? あれはたしか一週間くらいしてからだったかな。お前が急に二人でプリクラ撮りたいって言いだして、俺がやだって言ったら」
バチバチ、と火花の散る音も聞こえた。それが自分の出す高圧電流の音だと気づく頃に
「その後お前がいつも通りビリビリしはじめて、やっとお前が元に……あれ? あれ?? 何で? 何でお前はそこでそんなおっかない顔になってんの?」
「忘れなさい……」
「え? 何だって?」
「その辺の事は記憶の中からすっぱり消せって言ってんのよっ!!」
美琴は叫び、上条の頭上を雷撃の槍という名の殺息が襲う。
上条と付き合いだして最初の一週間は美琴にとって黒歴史に他ならない。
「ま、ま、待て……」
右拳を裏拳の要領で使って雷撃の槍をなぎ払い、上条はうう、と唇を噛みしめる。マフラーは奇跡的に難を逃れたが、上条がとっさに手放した鞄の角はちょっと焦げていた。
「良くわかんねーけど悪かった、俺が悪かったってば!」
上条は半泣きを超えてとっくに泣いていた。
「その話は二度とすんじゃないわよ……良いわね?」
美琴に手を握られて逃げられない上条は隣で首を縦にガクンガクンと振っている。
(それにしても)
夕べ上条の中に現れた大きな揺らぎの余波は、今の上条からは見いだせない。気持ちが弛緩した今なら、落ち着いて夕べの事を聞けそうだ。
美琴はなるべく軽い口調で、まるでたった今思い出したかのように
「そういやアンタさ、夕べ何があったの?」
「…………へ?」
美琴の問いに、上条の瞳がすっと伏せられる。
「夕べ? 何かあったっけ?」
「とぼけないでよ。……夕べ私を寮まで送った時、アンタは何を思ったの?」
「いや、ホントに夕べ何かあったっけ? 俺心当たりねえんだけど」
何かを隠すように逸らした視線の先で、上条の瞳が揺らぎ出す。
今、上条は美琴の前で何かを必死に隠そうとしている。記憶喪失の事をごまかした時のように、何もなかった振りをして。
いつもの薄い反応で。
いつもの鈍い態度で。
上条の手が美琴を離そうとして、美琴は自分より大きなその手を離すまいと強く握り締める。
「何やってんの? アンタの学校までまだかかるわよ?」
「え? あ、いや、御坂、送ってくれてありがとう。でも、ここまでで良いぞ。俺、子供じゃないんだから一人で行けるしさ。ほら、ここからだったらお前の寮も近いだろ? だからお前はここで帰……」
「逃げるな」
「……え?」
「何逃げようとしてんのよアンタ?」
美琴はつい、と瞳を上げて
「私がアンタを学校まで送ると何か不都合でもあんの?」
両足を強くアスファルトの上で踏ん張り、上条の瞳を逃がさないようキッ! と見返す。
「い、いや別に不都合なんかない……朝早くから俺んちまで鍵返しに来させちゃったしさ、お前の時間使わせて悪りぃなって」
やはり上条を一人で帰すべきではなかった。
夕べ、上条は美琴に内緒で一人何かを決めてしまった。
「じゃ、問題ないわよね? 私はアンタの彼女なんだしさ。いいでしょ、彼氏?」
「……ああ、そうだな」
彼氏、と美琴に呼ばれて上条の肩がギクン! と硬直する。
「……頼む」
うつむいて、苦しげに、上条は美琴の視線を避ける。
……やっぱり昨日この馬鹿を一人で帰すんじゃなかったわよ。
上条の手を握りしめたまま、美琴は桜色の唇を強く噛みしめた。
一月五日、美琴は上条の部屋の玄関前に立っていた。
美琴は上条の玄関のドアに背中を預け、上条が出てくるのを待っていた。
美琴は空の薄い水色と雲の白さを眺めながら、ドアの向こうの物音に耳を澄ます。
チャイムを鳴らして自分の来訪を知らせようかとも思ったが、上条に身構える時間を与えない方が良いと判断し、黙って上条がドアを開けるのを待った。
ドアノブが何度も揺すられるガチャガチャという音を鉄のドア越しに耳にして、美琴は扉から背中を離して正対する。
「あーあ、珍しく良い天気なのに俺は一人であと二日も補習……あれ? 朝っぱらからお前何やってんの?」
ドアの向こうから顔を出し寝ぼけ眼をゴシゴシとこすって『何でお前がここにいるの?』と不思議そうに首を傾げる上条に、美琴はブレザーのポケットから一本の細い金属の棒を取り出すと、目の前でゆらゆら揺らした。
「おはよ。アンタに借りた部屋の鍵、返すの忘れてたから持ってきたわよ?」
「あー……そういやそうだったな。でもまあ、こっちも予備の鍵あるし、この次会った時にでも返してもらえばいいかって思ってたから」
「じゃあこの鍵もらってて良い?」
「返せっ! ……ったく、テメェにゃ早過ぎんだよ」
「え?」
上条は美琴の手から部屋の鍵をひったくるように受け取ると
「何でもねえよ。……朝っぱらからわざわざこんなとこまで来させちゃって悪りぃな。寮まで送ってってやりたいけど、俺今から補習で……」
「冬休み中はずっと補習って、アンタ前に自分で言ってたじゃない。……ここまで来たんだから、ついでにアンタの学校まで送ってったげる」
美琴は上条の手を取り、いいからとっとと行くわよと登校を促す。
「俺は登校拒否の小学生じゃねーぞ?」
「私もアンタの母親になったつもりはないわね。……ほら、遅刻しちゃうからさっさと歩いた歩いた」
美琴は上条の手を取り、ぐいぐいと上条を引きずるように歩き出す。そんな美琴を見ながら上条がほんの少し笑った事に、美琴は気づいていない。
だだをこねる子供を連れて行く引率者のように上条を引きずる美琴の後ろで、上条は時々学生鞄を持ったままの右手で何か気になるのか『こうかな、それともこうか』とマフラーの位置をちょいちょい直していた。
「アンタ、それそんなに気に入ってんの?」
「ったり前だろうが。俺のクラスにも彼女持ちの奴はいっけど、セーターとマフラーをいっぺんにプレゼントしてもらえるなんてことはそうそうねえぞ?」
学ラン着ると下にセーター着れないから勘弁な、と上条は頭をガリガリとかいて
「でもな、学校に持っていってみんなの前で着て見せたんだぜ。あのセーター」
「あ、そ」
あっさり引き下がってみるものの、まさか上条がそこまですると思っていなかった美琴は顔の筋肉が言う事を聞かず対処に困った。そう言えば上条は以前美琴が電撃をお見舞いしようとした時に『大事なマフラー』と言っていた気もする。
この彼氏、日頃は反応が薄いくせにこう言う嬉しがらせを平然とやるから気が抜けない。
美琴の手の中で、美琴とつないだ上条の手の力が強くなったり弱くなったりを繰り返す。美琴はふにふにと手を握られているような感触に
「私と手をつなぐの、嫌なの?」
「……嫌って事はねえと言うか……ようやく慣れたかな。最初の頃はつなぐというより握りつぶされそうでむしろそっちが怖かったけど」
「は? 何よそれ」
「お前気づいてなかったのか?」
上条がすわマイリマシター、と負け犬っぽい顔を一瞬だけ作って
「俺達が付き合いだして最初の頃、お前ガッチガチだったんだぞ? 肩なんかこーんなに力入ってるし、話振ると顔が無理にお嬢様っぽい笑顔になってるし、言葉遣いはバリバリの敬語だし何かあると電撃出すの堪えようとするからこめかみはひくひく言ってるし」
ビキィ!! と自分のこめかみから変な音が聞こえる。
上条は自分のこめかみを人差し指でツンツンと指し、上下に動かして見せた。
「最初、俺は御坂美琴という名の別人と付き合ってんじゃねーのかって思ったぞ? あれはたしか一週間くらいしてからだったかな。お前が急に二人でプリクラ撮りたいって言いだして、俺がやだって言ったら」
バチバチ、と火花の散る音も聞こえた。それが自分の出す高圧電流の音だと気づく頃に
「その後お前がいつも通りビリビリしはじめて、やっとお前が元に……あれ? あれ?? 何で? 何でお前はそこでそんなおっかない顔になってんの?」
「忘れなさい……」
「え? 何だって?」
「その辺の事は記憶の中からすっぱり消せって言ってんのよっ!!」
美琴は叫び、上条の頭上を雷撃の槍という名の殺息が襲う。
上条と付き合いだして最初の一週間は美琴にとって黒歴史に他ならない。
「ま、ま、待て……」
右拳を裏拳の要領で使って雷撃の槍をなぎ払い、上条はうう、と唇を噛みしめる。マフラーは奇跡的に難を逃れたが、上条がとっさに手放した鞄の角はちょっと焦げていた。
「良くわかんねーけど悪かった、俺が悪かったってば!」
上条は半泣きを超えてとっくに泣いていた。
「その話は二度とすんじゃないわよ……良いわね?」
美琴に手を握られて逃げられない上条は隣で首を縦にガクンガクンと振っている。
(それにしても)
夕べ上条の中に現れた大きな揺らぎの余波は、今の上条からは見いだせない。気持ちが弛緩した今なら、落ち着いて夕べの事を聞けそうだ。
美琴はなるべく軽い口調で、まるでたった今思い出したかのように
「そういやアンタさ、夕べ何があったの?」
「…………へ?」
美琴の問いに、上条の瞳がすっと伏せられる。
「夕べ? 何かあったっけ?」
「とぼけないでよ。……夕べ私を寮まで送った時、アンタは何を思ったの?」
「いや、ホントに夕べ何かあったっけ? 俺心当たりねえんだけど」
何かを隠すように逸らした視線の先で、上条の瞳が揺らぎ出す。
今、上条は美琴の前で何かを必死に隠そうとしている。記憶喪失の事をごまかした時のように、何もなかった振りをして。
いつもの薄い反応で。
いつもの鈍い態度で。
上条の手が美琴を離そうとして、美琴は自分より大きなその手を離すまいと強く握り締める。
「何やってんの? アンタの学校までまだかかるわよ?」
「え? あ、いや、御坂、送ってくれてありがとう。でも、ここまでで良いぞ。俺、子供じゃないんだから一人で行けるしさ。ほら、ここからだったらお前の寮も近いだろ? だからお前はここで帰……」
「逃げるな」
「……え?」
「何逃げようとしてんのよアンタ?」
美琴はつい、と瞳を上げて
「私がアンタを学校まで送ると何か不都合でもあんの?」
両足を強くアスファルトの上で踏ん張り、上条の瞳を逃がさないようキッ! と見返す。
「い、いや別に不都合なんかない……朝早くから俺んちまで鍵返しに来させちゃったしさ、お前の時間使わせて悪りぃなって」
やはり上条を一人で帰すべきではなかった。
夕べ、上条は美琴に内緒で一人何かを決めてしまった。
「じゃ、問題ないわよね? 私はアンタの彼女なんだしさ。いいでしょ、彼氏?」
「……ああ、そうだな」
彼氏、と美琴に呼ばれて上条の肩がギクン! と硬直する。
「……頼む」
うつむいて、苦しげに、上条は美琴の視線を避ける。
……やっぱり昨日この馬鹿を一人で帰すんじゃなかったわよ。
上条の手を握りしめたまま、美琴は桜色の唇を強く噛みしめた。
上条の補習が終わる時間を見計らって、美琴は携帯電話をポケットから取り出すと短縮ダイヤルを使って上条に電話をかけた。
実家に帰っていた時は両親の目が気になってなかなかかける事ができなかったが、ここは学園都市の中だ。今の美琴は美琴は仲の良い友達とちょっと電話で話しているようにしか見えないだろう。
けれど、上条の声が良く聞き取れるように静かな場所を探して移動すると、どこに行っても人の目が気になってしょうがない。何だか周りの人全員が自分の一挙手一動足に注目しているように思えてくる。受話器を握りしめた手が変な汗をかいているような気がする。顔もたぶん真っ赤だし、新米ビジネスマンが上司に定時連絡するように、直立不動でちょっと斜め上の空間を見上げて電話をかけている姿は、きっと滑稽だ。
美琴は耳に押し当てた携帯電話だけに意識を集中させて
(何回かけても慣れないって言うか、この瞬間は緊張するのよね。あーもうドキドキするなぁ。早く出てくれないかしらあの馬鹿)
……一〇コール。
(……あれ?)
……二〇コール。
(………あれれー?)
三〇コールを過ぎても上条と回線がつながる気配がない。美琴は携帯電話を耳から離すと、自分の顔の前に液晶画面を持ってきて
「おっかしーわね。ここは圏外じゃないし番号を間違えてるって事もないし、何でつながらないんだろ……?」
上条はどこか賑やかな場所にいて、着信音が耳に入らないのだろうか。それとも向こうが圏外で……いや、それはない。呼び出し音はずっと鳴り続けている。上条の携帯電話への着信は成功しているが、上条自身が携帯電話から離れた場所にいるか、着信そのものに気づいていない可能性もある。
「うーん? どうしたんだろ。メール送って確認してみようっと」
美琴は電源ボタンを押して一度回線を切断すると、そのまま親指でボタンをポチポチと押して新規メール作成画面を呼び出す。上条のメールアドレスを登録番号リストから入力してから『アンタ今どこにいんのよ?』と文面に記載すると送信ボタンを少し強めに押し込んだ。しばらくそのままで待っていると手の中で握り締めたカエル型の携帯電話からメール着信音が鳴り、受信メールフォルダにメールが一通届いていた。
送信者は上条当麻。
内容を確認すると『久々にクラスの友達と会って遊んでる』と書かれている。
「友達と一緒じゃしょうがないか。大方ゲーセンでも行ってんのかしらね。アイツも補習続きで羽根を伸ばしたいだろうし、こっちは黒子も帰ってきてる事だからあの子を誘って私もどっかに遊びに行こうかなー」
それは邪魔しちゃ悪いなと美琴は苦笑して、『わかった』とだけ返信のメールに書き込むと送信ボタンを一度押した。送信完了の画面を確認してから二つ折りの携帯電話をパチンと閉じて、ポケットにしまい込む。
上条からの「ごめん」というメールは届かなかった。
実家に帰っていた時は両親の目が気になってなかなかかける事ができなかったが、ここは学園都市の中だ。今の美琴は美琴は仲の良い友達とちょっと電話で話しているようにしか見えないだろう。
けれど、上条の声が良く聞き取れるように静かな場所を探して移動すると、どこに行っても人の目が気になってしょうがない。何だか周りの人全員が自分の一挙手一動足に注目しているように思えてくる。受話器を握りしめた手が変な汗をかいているような気がする。顔もたぶん真っ赤だし、新米ビジネスマンが上司に定時連絡するように、直立不動でちょっと斜め上の空間を見上げて電話をかけている姿は、きっと滑稽だ。
美琴は耳に押し当てた携帯電話だけに意識を集中させて
(何回かけても慣れないって言うか、この瞬間は緊張するのよね。あーもうドキドキするなぁ。早く出てくれないかしらあの馬鹿)
……一〇コール。
(……あれ?)
……二〇コール。
(………あれれー?)
三〇コールを過ぎても上条と回線がつながる気配がない。美琴は携帯電話を耳から離すと、自分の顔の前に液晶画面を持ってきて
「おっかしーわね。ここは圏外じゃないし番号を間違えてるって事もないし、何でつながらないんだろ……?」
上条はどこか賑やかな場所にいて、着信音が耳に入らないのだろうか。それとも向こうが圏外で……いや、それはない。呼び出し音はずっと鳴り続けている。上条の携帯電話への着信は成功しているが、上条自身が携帯電話から離れた場所にいるか、着信そのものに気づいていない可能性もある。
「うーん? どうしたんだろ。メール送って確認してみようっと」
美琴は電源ボタンを押して一度回線を切断すると、そのまま親指でボタンをポチポチと押して新規メール作成画面を呼び出す。上条のメールアドレスを登録番号リストから入力してから『アンタ今どこにいんのよ?』と文面に記載すると送信ボタンを少し強めに押し込んだ。しばらくそのままで待っていると手の中で握り締めたカエル型の携帯電話からメール着信音が鳴り、受信メールフォルダにメールが一通届いていた。
送信者は上条当麻。
内容を確認すると『久々にクラスの友達と会って遊んでる』と書かれている。
「友達と一緒じゃしょうがないか。大方ゲーセンでも行ってんのかしらね。アイツも補習続きで羽根を伸ばしたいだろうし、こっちは黒子も帰ってきてる事だからあの子を誘って私もどっかに遊びに行こうかなー」
それは邪魔しちゃ悪いなと美琴は苦笑して、『わかった』とだけ返信のメールに書き込むと送信ボタンを一度押した。送信完了の画面を確認してから二つ折りの携帯電話をパチンと閉じて、ポケットにしまい込む。
上条からの「ごめん」というメールは届かなかった。
昨日は『担任の手伝いをしてるから遅くなる』だった。
一昨日は『友達に誘われたんで一緒に飯食ってる』だった。
その前は『完全下校時刻まで居残り確定』でさらにその前は『日直』とだけ書かれていた。
こんな感じでかれこれもう一〇日以上、美琴は上条に会えていない。週に二回の食事作りも『遅くなるから』と断られた。一度しびれを切らして門限直前に上条の寮まで足を運んでみたが、外から見ても上条の部屋に電気は付いていなかった。
上条はここのところ学校からの帰りが遅い、らしい。
(だーちくしょう、こんな事ならあの鍵返さないで持っときゃ良かったわよ)
美琴は先日上条に返した鍵の冷たい感触を思い出し、掌の中でぐっと握り込む。
今年も一月は中旬を過ぎて、カレンダーで上条の誕生日を確認できる時期に入った。クリスマスのように先約を入れられてはたまらない。今回は上条の予定をとっとと押さえて約束を取り付けおかなくてはと美琴は心に誓う。そして誕生日当日は上条と二人きりで祝いたい。
誕生日プレゼントはペアで身につけられるアクセサリーが良いかなぁなどと考えて、美琴の頬がぽっと赤くなった。お揃いのネックレスにして上条の分は美琴が、美琴の分は上条がそれぞれ首につけてあげるのも良いわねなどと当日の光景をあれこれ夢想しつつ
一昨日は『友達に誘われたんで一緒に飯食ってる』だった。
その前は『完全下校時刻まで居残り確定』でさらにその前は『日直』とだけ書かれていた。
こんな感じでかれこれもう一〇日以上、美琴は上条に会えていない。週に二回の食事作りも『遅くなるから』と断られた。一度しびれを切らして門限直前に上条の寮まで足を運んでみたが、外から見ても上条の部屋に電気は付いていなかった。
上条はここのところ学校からの帰りが遅い、らしい。
(だーちくしょう、こんな事ならあの鍵返さないで持っときゃ良かったわよ)
美琴は先日上条に返した鍵の冷たい感触を思い出し、掌の中でぐっと握り込む。
今年も一月は中旬を過ぎて、カレンダーで上条の誕生日を確認できる時期に入った。クリスマスのように先約を入れられてはたまらない。今回は上条の予定をとっとと押さえて約束を取り付けおかなくてはと美琴は心に誓う。そして誕生日当日は上条と二人きりで祝いたい。
誕生日プレゼントはペアで身につけられるアクセサリーが良いかなぁなどと考えて、美琴の頬がぽっと赤くなった。お揃いのネックレスにして上条の分は美琴が、美琴の分は上条がそれぞれ首につけてあげるのも良いわねなどと当日の光景をあれこれ夢想しつつ
上条当麻がつかまらない。
手伝い、友人、居残り。この三つを使い回して上条は美琴に言い訳し、一〇日以上美琴の前から姿をくらませている。最初のうちは割と好意的に考えていた美琴だったが、上条からのメールが受信フォルダの中にたまっていけばそれがうそだと嫌でも分かる。そして、美琴から何度かけても上条は電話に出ない。
避けられている、と思う。
眠たくてもおざなりでも投げやりでもいい加減でも自分の言いたい事はきちんと言っていた上条が、ここのところずっと美琴を避けている。
美琴は薄っぺらな学生鞄を肩に担ぎ直して思い出す。あの日見た上条の瞳と同じものを、美琴はとても身近な場所で見た事があった。
(あの馬鹿、言いたい事はとっくに分かってんのよ)
それを上条に向けられて最初は美琴も途惑ったが、それはあの時の上条だって同じだったはずだ。上条は何故それを美琴に言おうとしないのか。美琴には弱音を吐いても良いと言った上条が、どうして自分自身にはそれを当てはめようとしないのか。
頭にきた。
心の底から、本当に。
(電話してもメールを送っても部屋の前で待ち伏せてもダメなら直接つかまえてやるわよ。あんのクソ馬鹿、覚悟しなさい)
美琴は学舎の園から寮への帰り道を無視して、上条の通うとある高校を目指す。
避けられている、と思う。
眠たくてもおざなりでも投げやりでもいい加減でも自分の言いたい事はきちんと言っていた上条が、ここのところずっと美琴を避けている。
美琴は薄っぺらな学生鞄を肩に担ぎ直して思い出す。あの日見た上条の瞳と同じものを、美琴はとても身近な場所で見た事があった。
(あの馬鹿、言いたい事はとっくに分かってんのよ)
それを上条に向けられて最初は美琴も途惑ったが、それはあの時の上条だって同じだったはずだ。上条は何故それを美琴に言おうとしないのか。美琴には弱音を吐いても良いと言った上条が、どうして自分自身にはそれを当てはめようとしないのか。
頭にきた。
心の底から、本当に。
(電話してもメールを送っても部屋の前で待ち伏せてもダメなら直接つかまえてやるわよ。あんのクソ馬鹿、覚悟しなさい)
美琴は学舎の園から寮への帰り道を無視して、上条の通うとある高校を目指す。