とある魔術の禁書目録 自作ss保管庫

Part07

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とどかぬ思い Welcome_to_the_Edge.


 泣き疲れたらしく、いつの間にか美琴は小さな寝息を立てていた。上条は美琴を起こさないように息を殺して美琴の膝裏と背中に腕を回して抱き上げると、ゆっくりとベッドに横たわらせる。寝息が続いているのを確認してから風邪を引かないように掛け布団をそっと美琴の体の上に乗せてやった後、部屋の電気を消して足音を立てないよう布団の上に腰をおろした。
 上条は色彩を失った部屋の中で自分の顔を両手で覆い隠し、呼吸音を殺しながら一人で考える。
 抱き上げた美琴はあまりにも軽かった。自分以外の体温を持つ物体がこんなに軽く感じられるとは思わなかった。
 俺はこんなにもコイツのことを知らなかったのかと上条はまぶたを閉じて、美琴の言葉を反芻する。言葉の意味は興味と、可能性と、好意と……たぶん最後は愛だろう。
 美琴の思いに応えたいという気持ちに反発するように、何かが上条の心の中で警告音を激しく鳴らす。それ以上近づいてはいけないと上条を制止するその音の名は、きっと常識や道徳だ。
 美琴は一四歳で中学生だが彼女の思いと誇りは何よりも強く、それ故に上条は深い尊敬の念を覚えたが、社会通念はそれ以上の思考を許さない。上条が美琴に近づくことを許さない。中学生に手を出したすごい人がどうというのはただの言葉のあやでしかない。それが二人を取り巻く世界の秩序だ。
 上条にとってインデックスを守り続けるのも、妹達を死なせないために学園都市第一位に立ち向かったのも、使徒十字阻止のために学園都市中を走りまわったのも、風斬を元に戻すために美琴に助力を頼んだのも、何もかも最後は自分のためだった。
 誰かが傷つくのを見るのは辛い。自分が戦って誰かが助かるから拳を握る。美琴や神裂のように結果に恩を感じられたりしても、それは上条にとって何もかもが終わった後のおまけのようなものだ。
 美琴の思いに応えたい、と言う気持ちと。
 その思いに応えてはいけない、という気持ちが心の真ん中でぶつかり合う。
 美琴に思いを傾けられるだけの理由が欲しい。この右手が必要と言われるのと、同じように理由が欲しい。
 美琴は、誰かを好きになるのに理由はいらないと言った。だったら、美琴が上条を好きだから上条が美琴を好きになると言うのは、理由ではなく依存だ。美琴のように理由なく誰かを好きになるのは感情のなせるわざで、その感情を美琴に向けてはならないと常識が警告音を鳴らす。男が女に向ける感情は、その逆とは違うから。
 どっちを向いても、上条には行き止まりのように思えた。妹達の時のように新しい道は見つからない。
 夜の闇の中で、遮光カーテン越しの人工の光が上条の心に影を生み出す。
 影の中で、闇よりなお濃い影が新しい道を塗りつぶして隠す。


「起ーきーろー、朝だぞー」
 誰かに頭を叩かれた。
 上条当麻は何だよ痛えなと思って叩かれたところに手を当てながら目を開けると、鼻先一〇センチのところに御坂美琴の顔があった。
「ぬぉうわっ! 痛てっ!」
 上条の最初の奇声は目の前に美琴の顔があったことへの驚きで、次は驚いて起き上がった直後美琴の額に向かってヘッドバットをお見舞いした痛みで上げた声だ。痛い痛いと布団の上で仰向けになってのたうち回っていると、上条の足元でも美琴が同じようにおでこを両手で押さえて痛いじゃないのよ馬鹿とうずくまっている。
 上条はガバッと起き上がり、腹の底に力を込めると
「おい御坂、テメェ朝っぱらから何してやがる!」
「朝ごはんがもうすぐできるから起こしに来たのに、頭突きで返すってのは何なのよ!?」
「え? ……朝飯?」
 昨夜のことを考え込んでいるうちにグースカ寝こけて、いつの間にか朝になっていたらしい。
「コタツを部屋の真ん中に持ってくるから、とっとと起きて布団片付けてくれる? あと歯を磨いて顔洗ってきて。アンタは補習があるんでしょ? さっさとしないと遅刻するわよ?」
「……あ、ああ。悪りぃ」
 額の痛みと寝起きの回らない頭を左右に振って意識をはっきりさせると、布団を畳んで押し入れにしまい、そこから着替えを引っ張り出して洗面所で服を脱ぎながら歯を磨いて、最後に顔を洗った。抜け殻になったパジャマを洗濯かごに放り込んで顔をタオルで拭くと、コタツの天板の上にはできたての朝食が二人分用意されていた。
「…………まともな朝飯がある」
「あの、それって何かものすごく引っかかる言い方なんだけど?」
「違う違う! たぶんお前が考えてる意味じゃなくって、朝起きたら誰かが作ってくれた朝飯があるっていいなあって話だよ! 俺夕べの残りでやっつけたりコンビニで買って済ませたりすっから、こういうの見たことないんだって!」
 かつての同居人インデックスは家事能力ゼロの食べる方専門だったので、食事の支度をするのは上条の仕事だった。五和も泊まりこみ護衛に来てくれたことがあったが、第二二学区のお風呂施設に行って、その後アックアとの戦闘に入ってしまったのでご飯を作ってもらえたのは一回きりだった。だから上条にとって女の子の手作り日本の朝ごはんと言うのは、これが初めてだ。
「……と、とりあえず時間あんまりないんだし、いいから食べましょ」
 美琴に背中を押されるようにコタツに足を入れ、お箸を持って両手を合わせていただきますの挨拶をする。美琴が差し出すご飯茶碗を受け取って猛スピードでかきこむと、そんなに急いで食べたら喉に詰まるわよと注意された。
「何もそこまでがっつかなくても誰も取らないわよ?」
 二人暮らしの食卓は何かと戦争状態だったせいか、その頃の習慣が抜けきっていなかったらしい。悪りぃと言って食べるスピードを落とすと、はいお茶と言って緑茶の入った湯のみが差し出された。
 何というか、上条のかゆいところに手が届くようなタイミングだ。
「……うまい」
「よかった」
 上条の対面で正座した美琴がお箸を持ったまま小さく微笑む。
「お前何時から起きてこれ準備したの?」
「全部だと一時間前くらいかな」
「……全部?」
「アンタのお弁当作ってたから」
「……弁当?」
「高校って給食ないんでしょ? 今冬休みだから学食もやってなさそうだし、お弁当箱勝手に引っ張り出しちゃったわよ?」
 大覇星祭で一緒に昼食を摂ったとき、美琴の家事スキルの高さを匂わせる発言を聞いた覚えはあるが、他人の台所で一時間で飯炊いて本格的な和食揃えて弁当まで作れるもんなのか?
「あー、えっと、……サンキュー。助かる」
 上条が頭をガリガリかきながらお礼を言うと、どういたしましてと対面から嬉しそうな美琴の笑顔が返ってきた。


 左手で美琴の手を握り、右手で弁当箱が入って厚みが増した学生鞄を持つと上条は部屋を出た。美琴は私服姿のままで、美琴のキャリーケースはいまだ上条の部屋の隅に取り残されている。
「アンタの部屋の鍵貸してくれる?」
「部屋の鍵? ……何すんだよ。まさか玄関のドアに紐で釣った水入りバケツを仕掛けたり」
「私は小学生かっ! ……そうじゃなくて。制服に香水の匂いがつかないようにしてたから、アンタを学校まで送ったら戻って着替えて、これから一回寮に戻ろうと思うのよ。その後は私時間空いてるから、アンタが補習に出ている間にアンタの部屋掃除しといたげる。いろいろ取っ散らかしちゃったしお台所も綺麗にしておきたいしね。で、アンタが帰ってくる頃に合わせて晩ご飯も作っといてあげる。もちろんちゃんと門限は守るわよ。どう?」
 名案でしょ? と得意げに笑う美琴に上条は力いっぱい疑わしげな視線を向けて
「とか何とか言って、俺の部屋の家捜しする気じゃないだろうな?」
「しないしない。約束する。……合鍵作っちゃおうかな」
「家主に断りなくんなもん作んじゃねえっ! ……ったく」
「でもさ、玄関開けたらご飯ができてて『お帰りー』って誰かが迎えてくれるのって何か嬉しくない?」
「御坂……」
 上条は少しだけその光景について考えてみることにした。
 帰宅する上条。ドアを開けて笑顔で迎えてくれる美琴。美琴の背後からは美味しそうな食事の香りが漂い、小さな部屋に暖かな空気が満ちて行く。
 以前の上条だったら『そんなままごとみたいなことはお断りだ』と即座に切って捨てただろう。だが今ならどうだろう。実際に美琴が朝食と弁当まで文句も言わずに作ってくれた、朝の風景を見てどう思う?
 ……そんなに嫌じゃない。
 上条は何だか少し悔しくなって美琴から視線をそらすと、鞄の取っ手を持ったまま学ランのポケットをゴソゴソとあさり
「ほれ、鍵」
 美琴の掌の上にぽん、と鉄の細い棒を落とした。
「預けとく。なくすんじゃねーぞ?」
「大丈夫大丈夫。それに予備作っとけば問題ないわよ?」
「だから俺に黙って合鍵作んなよ! 隣でニヤニヤ笑いやがってお前やっぱりいたずらする気満々じゃねーか! 本当はドアを開けたらバケツじゃなくて火矢とかコインとか濡れた雑巾とかいろいろ飛んでくるんだろ!? それって俺の右手じゃ防げねえからステイルのルーンカードよりタチが悪いだろが!」
 上条と美琴以外誰の姿も見えない朝の通学路で、美琴のあははと言う元気な笑い声と上条のやめろ馬鹿よせと言うわめき声が交差した。


 キーンコーンカーンコーンと言うお昼を告げる鐘の音は録音でセットされている。
 放送委員がいなくとも定時になったら校内に流れて、たった一人で教室の机に向かっていた上条はようやく午前中の補習から開放された。
「うあー、お昼お昼お昼ですよっと。それにしても朝飯はうまかったし弁当は御坂が作ってくれたし、これってかなり幸せじゃねーのか俺?」
 ……いや、まだ油断はできない。
 一見普通のお弁当と見せかけておいてその実何を仕込まれているかわからないぞと、上条はまるで白井の『パソコン部品』を受け取った美琴のようなことを考えた。食ったら電気が流れるおかず(ふこう)とかあったら嫌だなー、とおびえながら学生鞄の中から弁当箱を取り出し、包みを開いて蓋をパカッと開ける。
「……あれ? おにぎりと唐揚げと玉子焼きとえーっとこれは……」
 上条がいつも食べる量よりは少なめで、小学生向けのような品揃えだが、見たところ中身は普通のお弁当だ。そして一つとして朝食と同じ品が入っていない。おまけに冷凍食品を使った様子もない。そう言えば昨夜美琴とスーパーに買い物に行った際、美琴はいつも以上にいろいろ買い物をしていたような気がする。
「え? 何だこれ、アイツわざわざ朝飯と別に一人分の弁当のおかず作ったってーのか?」
 本当にそれで一時間で作ったのかよだったらアイツすげーなと感心しながら上条は唐揚げをかじる。
「……うまい」
 それしか言葉が出ない。
 もぐもぐむぐむぐと咀嚼してゴクリと唐揚げを飲み込み、校内の自動販売機で買ったペットボトルのお茶のキャップを空けて口の中に注ぎ込む。
「いくら好きだからっつったって、そこまでできるもんなのか……?」
 今朝の美琴は、上条が知っているいつもの美琴だった。夕べのことがまるで夢だったかのように笑顔で振る舞い、悲痛な叫びをおくびも出さずに上条を学校まで送ってくれた。美琴の事だから言うだけ言ったらすっきりしてあとには引きずらないのかもしれないが。
 ―――昨夜のあれは夢なんかじゃない。現実だ。
 時間が経つのを待って、美琴が成長するのを待って、答えを出すのが一番良い。けれどそれでは『今』の美琴の心に応えたことにはならない。それはきっと逃げだ。
 美琴は自分の心から逃げることなく正直に全てを打ち明けた。上条が今の気持ちを全部打ち明ければ美琴は納得はしてくれるかもしれないが、きっと泣かせるし傷つけるだろう。そんな美琴の姿は見たくない。
 それは結局自分のためであって美琴のためではないと言う考えに行きつくと、上条は午後の授業開始まで残り五分を告げる予鈴を聞きながら、両手におにぎりを握りしめてかぶりついた。


「ただいま……」
「お帰り!」
 ―――本当にいた。
 上条が玄関の扉を開けると、エプロン姿の美琴が顔を出して笑顔で上条を迎え入れた。
 ……否、目が笑ってない。
「み、み、御坂? 何でお前そんなにおっかないオーラ放ってんの?」
「……ん? 何か言った?」
 気のせいだったのだろうか。目の前の美琴はニコニコと笑って

 玄関のドアがバシンッ! と目の前で大きな音を立てて閉められた。

「あれ? ……俺もしかして閉め出された?」
 上条の前で玄関のドアがゆっくりと開き、中からベージュ色のブレザーの袖がにゅっと伸びて、手の中に掴まれた本のような物がぽいっと放り出された。本は重力に引かれバサッという音を立てて通路に落ち、フルカラーのペラペラなグラビアページが見開きでパラパラと冬の風に煽られる。
 それはどこかで見た事のある写真。
 それはどこかで見た事のある角度。
 それはどこかで見た事のあるお姉さん方の陰陽道マガジン。
「……え? あのまさか御坂さん、貴女様はこれをもしや……」
 美琴は鉄のドアの向こうで腕を組んでかんかんになっているだろう。
「頭の二、三ページだけね」
 声が聞こえた。
 口調は普通だか怒ってる。とてつもなく怒ってる。
 扉越しに美琴の殺気を感じる。
「アンタが何でこんなもんを持ってるか説明してもらおうかしらね?」
「それは……………………ッ!?」
『それは土御門からもらったもんであって、大体お前は中学生だから俺は』
 ……言えるわけがない。
「まったく、何で私がいるのにこんなの持ってんのよ。信じらんない。それとも何? アンタの好みはやっぱりこういうのなわけ?」
(だったらお前に見せろって言ったら見せてくれんのかこの中学生!)
 ……そんな事もっと言えるわけがない。
 叫ぼうとした文字を頭の中にある黒板消しでガシガシと拭いて、代わりに浮かんで来た映像を詳細な部分まで妄想しないうちに頭をぶんぶんぶんぶんと横に振って追い払い、上条は拾い上げた雑誌をどうやって保護しようか途方に暮れる。このまま学生鞄の中にしまって部屋の中に持ち込んでもアウト、ドアポストにこっそり落としてもたぶんバレる。隣の部屋のドアポストに落として隠してもらおうかとも考えたのだが、舞夏に見つかったら今度は土御門が危険だ。
「御坂、やっぱり家捜ししやがって……不幸だ」
 彼女とは、彼岸の女と書く。男にとって女は、いつの時代もわかりあえない向こう岸の存在だ。
 男が何故こういう本を欲しがるかなんて、女に理解できるはずもない。ましてやそれが……中学生(みこと)では。
「ほら、カバン貸して。お弁当箱入ってんでしょ? ……何これ、プリント? もしかして補習って宿題とかもついてんの?」
 上条が泣きたい気分で美琴に学生鞄を差し出すと、美琴はカチャカチャと鞄の留め具を外して蓋を開け、中に手を入れると弁当箱とB4版のプリントを取り出した。さらに鞄の中をのぞき込んで、先ほどの雑誌を持ち込んでないかどうかチェックする。
 ―――お前は背広の中のマッチを探す嫁か?
「ああそうだ。時間余ったから洗濯物干しといた。畳んでベッドの上に置いといたからあとでしまっといて」
「お前は俺の奥さんかっつーの……」
 上条が苦し紛れに一言だけ呟くと、ボフン! という変な音が聞こえた。どうやら美琴は真っ赤になって立ったまま目をぐるぐる回しているらしい。
「い、いいいい、いやあの奥さんって、私はただ時間があったから掃除と洗濯をしておいただけで」
 美琴は取ってつけたような言い訳を始め、両手がなめらかにわたわたわたわたと動いて否定の意を示す。
「……サンキュー、御坂。でもそんなにあれもこれも頑張るとパンクすんぞ? ちったあ手を抜くことを覚えろよ。この先長いんだから」
 赤い顔のまま目をぐるぐる回しわたわたわたわたと掌を振る美琴にお礼と忠告を伝えると
「この先長いって、……………………どういう意味?」
 何かを期待するような美琴の視線が痛い。
「どうって、どこの学校に行くのかはわかんねーけど、お前も中学卒業したら自炊生活するんだろ? 何もかも全力投球してっと疲れちまうから適当に手を抜けよって先輩からのアドバイスだけど?」
「…………ぬか喜びさせんじゃないわよ、馬鹿」
 目に見えて明らかにがっくりと美琴は肩を落とした。何事かをブツブツ呟くと振り切るようにそこからガバッと顔を上げてニッコリ笑い
「ま、いいわ。ご飯の時間まで間があるし、アンタの勉強見てあげる。これ明日提出なんでしょ?」
「そうだけど……じゃあ、頼む」
「ん、よろしい」
 右手にプリントを掲げ、左手に弁当箱の包みと上条の学生鞄を下げる美琴の後に続き、上条は玄関で靴を脱ぐとしゃがみこんで美琴の革靴の隣に自分のバッシュを揃えて置く。常盤台中学指定の革靴は上条のバッシュより数センチ小さく、じっと見つめているとだんだん遠近感が狂っていくような気がした。美琴の手や美琴の肩、美琴の背中と同じくらい小さいその姿に
「……アイツこんなに小さかっんだな」
 上条は背後で何やってんのよーと美琴が呼ぶ声と小さな革靴を見比べて、自分は今まで美琴の何を見ていたんだろうと恥じ入る思いと共に玄関から立ち上がった。


「俺ダメ人間になりそう……」
「元からダメ人間だと思ってたけど。今頃気づいたの?」
「そうじゃねーって」
 寒風吹きすさぶ夜の帰り道で、上条は美琴とつないだ手を振り回しながら弁明する。
「夕べの晩飯だろ? 今朝、昼の弁当、んで晩飯とお前に作ってもらってばっかだから堕落しそうだなって言っただけだよ」
「……それくらいじゃ堕落しないでしょ。むしろもっと作ってあげたいくらいよ。それよりお弁当どうだった? 量足りた?」
「もうちっと量があると助かる。味は文句なし」
「そう……じゃあ次があったら反映させるから」
「そうだな、次があったら頼む」
 上条とつないだ美琴の手がぎゅっと強く握られて
「夕べは……その、えっと、カッコ悪いとこ見せたわね」
 美琴がほんの少しだけうつむいた。
「何が?」
「アンタにいろいろ当たっちゃったなって。片思いで構わないって言ったくせにもう弱音吐いてさ。あんなの、カッコ悪いったらありゃしないわよ。大失敗」
 わざと軽く言ってみせるが本当は話をするきっかけが欲しかったのだろう。美琴は肩を落とし、小さな声で自分の言葉を切り崩すように、端的に必要な言葉だけを紡いだ。
「……お前は弱音吐いちゃいけねえのか?」
「え?」
 何でも良い。美琴を元気づけるだけの言葉が欲しい。笑っていて欲しい。美琴が笑ってくれるから上条も嬉しいのではなく、美琴を笑わせて『そんなの気にすんなよ』と美琴の憂鬱を吹き飛ばしてやれる存在になりたい。自分のためではなく、美琴のために。
「誰かにそう言われたのか? 違うだろ。お前が強いのもすげーのも俺は知ってっけど、お前まだ一四歳だろが。弱音吐いたってそんなの当たり前だろ。それの何がいけねえんだよ? 俺はお前のことを何にも知らねえけど、お前がすげー奴なのは知ってるよ。言えよ、弱音も俺に言いたい事も全部」
「…………うん」
「だから、そのだな……」
 上条は隣で肩を落とす美琴を見て、美琴を元気づけてやりたいと思った。喜ばせてやりたいと、笑わせてやりたいと素直に思った。美琴が上条に何くれとなく世話を焼いてそれが嬉しいと思えるように、上条も友情ではなく心から美琴のために何かがしたいと初めて感じた。
 美琴は自分にうそをつかず全てをさらけ出して正面からぶつかって、心が傷ついてもなお前に進もうとする。そんな美琴を上条は素直に尊敬し、何一つ恥じることなく肩を並べて一緒に歩きたいと思った。上条が手を伸ばして美琴を守るのではなく、美琴が上条を保護するのもはなく、この少女と対等に並んで世界の上に自分の足で立ちたいと願った。
 もっと真っ直ぐに、もっと単純に。細かい理由を全て取り払って、ただコイツのそばにいたい、と。
 美琴の芯に眠る本音と弱さを受け止めて、上条の心の中で警告音が鳴り響いたが、上条はそれを振り払った。
 上条の中で、これまでずっと形を取ることを否定してきた何かがようやく顔を出す。

「あ、しゃべってたらもうこんなところまで来ちゃったか。早いなぁホント」
 美琴のおどけたような声で我に返ると、上条は美琴が住む寮の手前五〇メートルのところに立っていた。じゃあね、と美琴が離そうとする手を上条は掴んで引き止める。
「あれ? どしたのアンタ? 何か用でもあんの?」
「あとちっとだけ歩かねえか? ……、お前さえ良ければ寮の前までだけど」
「……うん。あとちょっとだけ、だけどね」
 たったの五〇メートルでは大した言葉を交わすこともできず、上条と美琴は寮の入口の前に並んだ。寮の壁を彩るいくつもの窓からいくつもの光がこぼれ落ちて、少女たちのとまり木がしばしのまどろみから目覚めたことを告げていた。きっとあの窓の向こうでは美琴と同じ頃の年の少女達が笑い、悲しみ、泣いて、夢を見て、明日を思い、今日と言う一日を生きているのだろう。
「手、離してくれないと寮に入れないんだけど」
 美琴が上条の目をのぞきこんで苦笑する。
「何ぼんやりしてんの?」
「……え? あ、あれ? い、いや、そのあの……すまねえ」
 上条はああ悪りぃと謝罪をかすかな音に変えて、名残を惜しむように美琴の小さな手を離した。
 さっきまでは一四歳の中学生で、本気で相手にしてはいけない少女で、友達以上恋人未満の存在だった美琴を、初めて出会う誰かのように心の中に焼き付けて。
 この日、上条当麻は知る。
 この世界に『生まれ直して』初めて芽生えた感情を。今まで誰に対しても持ちえなかった思いを。
「アンタ、一体どうしたの? 何でそんな顔してんのよ?」
 一度は寮の玄関をくぐりかけた足を引き戻し、美琴は上条に歩み寄ると上条の両腕に手をかけて何度も揺さぶる。
「アンタがそんな顔して私を見送るんじゃ、アンタをここに置いて帰れないわよ。しっかりしなさいよ、ねぇ?」
 美琴が上条を正気付けるように何度も揺さぶる。
 美琴の存在が上条の心を何度も揺さぶる。
 夜空の黒と人工の光だけが息をする視界の中で、美琴の姿だけが色づいて見えて
「俺、は……」
 その先の言葉が―――――――――――――――出ない。


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