言語学・日本語学・国語学系を出典とするもの

2019 宮城教育大学 石黒圭『語彙力を鍛える』 理解をする時に参照する頭の中の語彙のリソースは〜読み手の知識や文脈、感情などに配慮することが求められます。

2005 中京大学 井上史雄「日本語は生き殘れるか」
2005 神田外語大学 池澤夏樹「言葉の流星群」
2005 皇學館大学 大野晋「日本語の教室」
2005 神戸女子大学 大野晋「日本人の神」
2005 日本大学 大野晋「日本語の年輪」
2005 徳島文理大学 加賀野井秀一「日本語は進化する」 
2005 武庫川女子大学 加賀野井秀一「日本語は進化する」 
2005 南山大学 川本茂雄「ことばとイメージ」
2005 多数大学 川田順造「コトバ・言葉・ことば」
2005 石巻専大 川村湊「言霊と他界」
2005 東海学園大学 金田一春彦「ホンモノの日本語を話していますか?」
2005 成城大学 金田一秀穂「新しい日本語の予習法」
2005 敬愛大学 金田一秀穂「”コンビニ敬語”の謎」
2005 近畿大学 坂井直樹「死産される日本語・日本人」
2005 姫路獨協大学 子安宣邦「漢字論」
2005 専修大学 鈴木孝夫「ことばと文化」
2005 東京農業大学 鈴木孝夫「ことばと文化」
2005 北海道工業大学 鈴木孝夫「ことばの社会学」
2005 明治大学 鈴木孝夫「ことばの人間学」 法とは何かという問〜必要があると思う。
2005 国学院大学 鈴木孝夫「ことばの人間学」
2005 東京農業大学 鈴木孝夫「教養としての言語学」
2005 成城大学 谷崎潤一郎「現代口語文の欠点について」
2005 中央学院大学 野村雅昭「日本語の風」
2005 熊本県立大学 丸谷才一「日本語のために」
2005 大阪学院大学 丸谷才一「日本語のために」
2005 複数大学 森田良行「日本人の発想、日本語の表現」
2005 帝塚山大学 森本哲郎「日本語 表と裏」
2005 日本大学 森本哲郎「日本語 根ほり葉ほり」
2005 京都産業大学 森山卓郎「コミュニケーション力をみがく」
2005 甲南女子大学 森山卓郎「表現を味わうための日本語文法」
2005 摂南大学ほか 山下秀雄「日本のことばとこころ」
2005 関西大学 リービ英雄「日本語の勝利」
2005 複数大学 リービ英雄「日本語を書く部屋」
2005 南山大学 柴田武「日本語はおもしろい」
2005 新潟大学 柴田武「ホンモノの敬語」
2005 立命館大学 柴田武「ホンモノの敬語」
2005 青山学院大学 柴田武「ホンモノの敬語」
2005 宮崎大学 柴田武「生きている日本語」
2005 群馬大学 樺島忠夫「これからの漢字政策を考える」(『しにか』h16.3)
2005 名古屋市大 高見健一「伝聞が伝聞でなくなるとき」(『言語』h15.7)
2005 九州国際大学 佐竹秀雄「日本語はどの程度「文字の言語」であるか(『言語』h16.8)
2005 弘前大学 佐藤和之「覇権・方言と言文一致政策」(『言語』h16.9)
2005 武蔵大学 沢田允茂「言語と人間」
2005 二松学舎大学 太田省吾「動詞の陰翳」
2005 愛媛大学 岡本夏木「子どもとことば」
2005 愛知教育大学 荒川洋治「もしも…あなたが外国人に「日本語を教える」としたら」
2005 長崎総合科学大学 尼ヶ崎彬「ことばと身体」
2005 複数大学 高島俊男「漢字と日本人」
2005 東京國際大学 田中克彦「ことばとは何か」
2005 法政大学・中部大学 田中克彦「ことばと国家」
2005 岐阜経済大学 田中克彦「ことばの差別」
2005 大阪大学 田中克彦「ことばのエコロジー」 今日の世界には、少なく見積っても三〇〇〇もの異なる言語が〜答えを見出すことになるかもしれない。
2005 札幌大学 田中克彦「名前と人間」
2005 複数大学 野口恵子「かなり気がかりな日本語」
2005 敬愛大学 水谷修「外来語はもちろん対処必要」(『読売新聞』h15.11.1)
2005 中部大学 白川静「人名漢字追加 国語表記全体の見直しを」(『朝日新聞』h16.6.26)

1972 名古屋大学 中島愛悦「これからの日本語」 人それぞれが持っているボキャブラリー「語彙」の数は千差万別だ。〜ニュースの流れの中で、実際に行なうのはむつかしい。

1969 東北大学 森重敏「言葉と道徳(『言語生活』1967.2) いうまでもなく、ことばは話し手と〜雄弁が多弁と似て非なるものであることはもちろんである。
1969 佐賀大学 堀込庸三「東と西にかける橋」(朝日新聞1969.1.16夕) 「かつて私どもの祖先が漢字を受け取って、〜これが日本語の文化言語としての何よりの資格証明だと思う。」

1967 専修大学 永野賢『学校文法 文章論』 「女は男である。」——こういう表現が、日本語では可能である。〜そういう近しい間柄という□に規制されたともいえるのである。
1967 大阪女子大学 『日本語の歴史』第七巻 「日本文化の重層性」を語彙にとらえてみることは、〜不死鳥のいのちをもって生きつづける日本語がある。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2024年05月28日 09:36