九六式陸上攻撃機(96しきりくじょうこうげきき)
帝國海軍の双発陸上爆撃・雷撃機。略称「九六式陸攻」「中攻」。
三菱内燃機株式会社名古屋航空機製作所で設計され、設計主務者は一式陸攻と同じ本庄季郎技師。

九六式艦上戦闘機?と並んで日本の航空技術が欧米と同等のレベルまで進んだことを示した最初の機体。当時としては驚異的な航続性能を有し、日中戦争から太平洋戦争(大東亜戦争)の初期まで第一線で活躍した。なお海軍の命名法によって急降下爆撃ができない本機は爆撃機ではなく攻撃機とされた。

転移後、一式陸上攻撃機の登場とともに第一線から退いたが、その長大な航続距離を買われ、その半数が二式陸上輸送機として活躍――残り半数は保管――している。
……というよりも、長距離輸送機を多数必要――何しろ帝國本国と大陸との間は遠い――としたため、やむをえず九六式陸攻を戦列から外したというのが実情だろう。

一一型
航続距離:4550キロ(最大)
最高速度:時速350キロ
巡航速度:時速250キロ
武装:7.7ミリ機銃3門
爆装:通常、最大800キロまで

九六式21型
全幅    25.0m
全長    16.5m
総重量   8000kg
エンジン  三菱金星45型 1000馬力2基
最大速度  373km/時
航続距離  4380km
乗員    7名
武装    20mm機関砲×1、7.7mm機銃×4
      魚雷または爆弾800kg
初飛行   1935年

1939年に毎日新聞社の主催で世界一周飛行を行った『ニッポン号』は、本機の民間型である

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最終更新:2006年09月02日 15:54