62:総評1:2025/03/22(土) 18:14:09 ID:???0
(前略)
さて、これにて大根役者がすべて揃ったところで2024年の次点及び大賞の発表に移る。
次点は
『奈落ノ胤 ~堕淫調教SLG~』
『シークレットラブ(仮)』
『セレクトオブリージュ』
そして大賞は
『GEARS of DRAGOON3 ~竜刻のレガリア~』
とする。
2024年は8月まで選評が一切とどかない状況が不安視されていたが、結果として見ると16本の選評が届いた。
さらにはそのうち5作品の選評が申し開きの期間に投稿されたのはこのゲームをエントリーさせずには終われないという気概を感じずにはいられない。
2024年にエントリーした作品の共通点をまとめてみると「コンセプトの破綻」が挙げられる。
ゲームを買う際に事前に入手する情報というのはとても重要である。
コンセプトを見て面白いと思って購入を決める事もあれば、すでに予約しているゲームであってもコンセプトを元に発売されるまで期待をふくらませるものである。
しかしながらプレイした結果、コンセプトに合っていないものだったとすればユーザーが一番最初に感じるのは「ガッカリ」であり、その後どれだけ面白くてもなかなかプラス以上の評価をしづらい。
例えるなら高級寿司を売りにした店に行ったのに中華料理が出てきたようなものだ。
楽しみにしていた寿司は食べられず、かといって中華料理が美味しいかというと、必要な材料も揃っておらず、寿司屋の厨房では火力も足りず美味しく作るのは至難の業であると想像できる。
この状況は開発時にも悪影響で、コンセプトがズレてしまったがゆえにゴール地点が定まらず、ふわふわと宙に浮いた状態でひとまずの完成になったという状況になるのは想像に難くない。
コンセプトとゲームの内容が合っていないという状況では作品の根幹となるものがブレている状態となるので意図的に狙わない限りは良ゲーへともなりにくいだろう。
そしてコンセプトの破綻という今年の共通点がある中で、『シークレットラブ(仮)』と『セレクトオブリージュ』は双極にあった。
コンセプトとして掲げた「秘密の恋愛」に誠実であった結果そのコンセプトが足を引っ張り、作品の全体的な質を落としてしまった『シークレットラブ(仮)』
コンセプトとして掲げた「成り上がり」に不誠実であった結果実態と作品との乖離が激しく、キャラゲーとしての逃げ道も不遇なヒロインの存在が足を引っ張る『セレクトオブリージュ』
これらはある種対をなす作品であり、今年を象徴する意味でも次点に出させてもらった。
調教SLGをコンセプトに掲げた『奈落ノ胤 ~堕淫調教SLG~』はシステムの何から何まで説明不足でそもそもゲームとして遊ぶに耐えなかった。
そして今年のエントリー作品を退け、『GEARS of DRAGOON3 ~竜刻のレガリア~』を大賞たらしめたのは圧倒的な手数の多さである。
移動、マップ、育成、UI、戦闘と、RPGにおいて必要と思われるものすべてに問題をかかえているためプレイ時間の大半が苦痛である。
にもかかわらずエンカウント率や敵のレベルデザインにおいてバランスが悪いためさらに苦痛の時間が長引く。
ストーリーを見ても同じ敵を相手にして何度も決着を先送りにされるというフラストレーションのたまるものであった。
そして主人公が抱えた矛盾にも決着を付けないまま最終決戦に挑み、ラスボスとも決着がつかない。
これではカタルシスを感じる事ができない。
それらの欠点一つ一つは基本に忠実であり平凡ともいえた。
しかしすべてが歯車のように噛み合い、プレイヤーにかかるストレスが多種多様に襲いかかる結果となった。
よって、2024年KOTYe の大賞は『GEARS of DRAGOON3 ~竜刻のレガリア~』とする。
KOTYeのコンセプトとは何か。
当初はネタスレとしてはじまったが、今はクソゲーを踏んでしまった悲しみや苦痛を笑いに昇華させるという事だろう。
誰だって楽しみにしていた作品がクソだったら悲しいし、面白そうだと思って買ったゲームがクソだったら苦痛だ。
そのような場合でも一度このスレに来て不満を吐き出す。
できれば選評を書いてほしいが、報告に来るだけでもいい。
今年もあったように、別の人がバトンタッチをして書いてくれるかもしれない。
そうして「まぁ、笑いに変えられたならいいか」と新しい気持ちで次の月末エロゲの日を期待できるようになるのである。
KOTYeはそのような場として存在してほしい。
その土壌を整えるためにも、もう一度確認しておかなければいけない事がある。
クソゲーを踏んでしまった悲しみはプレイした人、つまりは選評を書いた人のものであると。
「つまらなかったゲームを罵倒するところではありません」
KOTYeのWikiに書いてあるこの言葉は選評を書く側だけでなく、その選評を読む側も心がける必要がある。
もし単に投下された選評の内容以上にクソゲーを罵倒する場所になってしまうと笑いに変えるというコンセプトが薄れてしまう。
クソゲーを買ってしまった怒りを笑いに変えてスッキリするはずが、話が勝手に大きくなり必要以上の罵倒が飛んでしまうと選評を書いた側にも余計なストレスがかかる。
そうなってしまうとこのスレの笑いに変えるというコンセプトが崩壊してしまうし、何より選評を書く人もいなくなってしまう。
このスレが残り続けるかはスレ民ひとりひとりの言動に委ねられている。
クソゲーとは何か。
このスレで度々語られてきた問いに対し、50年ほど前にその答えの1つが提示されている。
SF作家のシオドア・スタージョンがとある議論で「SFの90%はクソだ」と批判された。
するとスタージョンは「どんなものでも90%はクソだ」と反論した。
これはスタージョンの法則(あるいは黙示)として語られているものだが、エロゲも例に漏れない。
この法則はクソなきジャンルに名作は存在しないと言い換える事ができる。
クリエイターが10%を目指し、挑戦をし続ける限りはクソゲーは生まれてしまう。
ゆえに我々は生まれた作品をクソゲーとして批判することはあれど、挑戦そのものを否定することはできない。
今年の共通点であったコンセプトの崩壊も10%に至る挑戦の結果だったと言える作品もあるのではないか。
その挑戦に敬意をこめて、魔王討伐の偉業を成し遂げたある英雄の言葉を借りてKOTYe2024の結びの言葉とさせてもらう。
「僕はね、終わった後にくだらなかったと笑い飛ばせるようなクソゲーがしたいんだ」
最終更新:2025年05月06日 13:23