64:総評2:2025/03/22(土) 23:55:09 ID:???0
(前略)
悩ましい選定を終えた今、改めて考えたい。
大賞、すなわち「一番のクソゲー」とは何なのか?
少なくとも、罵倒や嘲笑を正当化するための「最底辺の悪」ではない。
確かに、KOTYeは一定の低俗さや悪趣味性を伴う。
しかし、それを自覚し、単なる負の感情の垂れ流しに陥ることを避けようとしてきた。
「クソゲーであってくれ」と望むのではなく、「クソゲーを掴んでしまったからには何としてでもネタに変える」という、前向きな姿勢を是としてきた。
安易な同調や馴れ合いに終始せず、論理的に考え、多角的に分析する力を養い、健全な批判精神を磨く。
ユーモアを交えた批判が、下品な言葉遣いや悪ふざけと隣り合わせであると認識しつつも、機知に富んだ表現を追求する。
なればこそ、各年の「一番のクソゲー」を判断する基準の根底には、共通の「願い」がある。
ただの駄作ではなく、辛酸を嘗めさせられながらも「語らずにはいられない」ほどの強烈な存在感を放つ、最強の好敵手、最凶のヴィラン、あるいはピカロ的な魅力を持つ作品であってほしいのである。
人は本能的に新しい刺激や変化を求め、出来事に解釈を与えて物語を紡ごうとする。
ならば、理不尽なゲームデザインやバランスに苦しめられつつも、そこに「戦う価値のある敵」としての強さを見出してしまうのは、ある種の宿命なのかもしれない。
クソゲーの根絶は、極めて実現性の低い理想である。
ゆえに、我々は現実的な妥協として、クソゲーとの共存を目指す。
すなわち、クソゲーを笑いに昇華しようと悪戦苦闘する。
その挑戦が、妥協の中から新たな理想を萌芽させると信じて。
最後に、叛逆の竜を迎え撃った皇帝の言葉を本年の大賞作品から拝借し、KOTYe2024を締めくくる。
「願わくばクソゲーよ、強くあれ。停滞した時代を動かす颶風であれ」
最終更新:2025年05月06日 13:27