ラノロワ・オルタレイション @ ウィキ

「つまらない話ですよ」と僕は言う(上)

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「つまらない話ですよ」と僕は言う(上) ◆olM0sKt.GA



晴天の霹靂という言葉がある。昨今の少年少女の国語力について何ら情報を持ち合わせていない俺だが、そこまで珍しい言葉ではないだろう。
もしまったく聞いたことないってんなら、それはもう少し学業に精を出した方がいいというサインかも知れない。
何せ俺だって知ってるくらいだ。定期テストの度に赤点の恐怖と戦う辛さは、身を持って知っている。

意味をご存じだろうか。まぁゆとりだなんだといかめしく眉をひそめるはた迷惑な年寄りにはなりたくないと、常日頃から自戒を心がけている俺としてはあっさりと回答を披露してしまうわけだが、この霹靂というのはつまり雷のことらしい。
要するに、澄みきった青空を夢見心地にぼんやり眺めているときに、アホの谷口もかくやと言わんばかりの空気の読めなさで雷をドカンと落とされりゃ誰だってびっくりするって話だ。

ああその通りだろうよ。何も雷じゃなきゃらいけないわけじゃない。雪崩だって、鉄砲水だって、アンドロメダ大星雲から飛来した新型ウイルスだって構わない。
どこからともかなく聞こえるおっさんの、どうにも投げやりで面倒くさそうなバリトンボイスが日本沈没なみのインパクトを持っていたとしても、驚くことではないのだ。
なぁ、古泉よ。聞こえてるか。
朝比奈さんが亡くなったんだってよ。

「あんた、ちょっと顔色悪いわよ・・・・・・少し休んでく?」

外から見た俺の様子は中の俺が思っている以上に酷い有様なのか、かなりトーンを落とした声でそう言われた。
こいつはこいつで幾つかの名前に反応していたようだが、はっきり言って俺は心遣いに手を振る余裕さえない。

よお、古泉。お前分かってんのか。朝比奈さんが死んだんだぞ。
ハルヒが好き放題するためだけに作れられたSOS団なんてトンチキな団の中で、数少ない常識人だったあの朝比奈さんだよ。
そりゃあそうだよなぁ。ものは倒すは自分もこけるわ、普段の生活からしてドジと愛嬌を振り撒くのが仕事みたいなお人だ。
こんな異常事態に対処できるわけがない。未来からきた、なんてエキセントリックな要素も通用しない。
長門だって、たったの六時間もしないうちに死んじまうんだからな。

信じられるか。あの間延びした甲高い悲鳴を聞くことも、手ずから入れてくれたお茶をじっくり味わうことも、もうできないっていうんだぜ。
まさかあの味を忘れたとか言うんじゃないだろうな、古泉。
五人いたSOS団が、たったの半日で三人になっちまった。もうあの部室に皆が揃うことは、永遠にないんだ。
それでもお前は言うんだろうな。例によってあの気持ち悪い笑顔でだ。
ハルヒがその気になれば全部元通りって。はっ。
俺には、あのわがまま娘をどうしてそこまで信奉できるのかさっぱり分からんね。
見ろよ。このくそったれな世界は何も変わっちゃいねぇ。いくらハルヒが二足歩行を覚えたての猿並に図太い神経をしてるからって、何も知らないってことはないだろ。
まだハルヒが悲しみ足りないって言うのか。そんなのってあるかよ。
お前はどうなんだ、古泉。この期に及んで「何も変化が起きませんねぇ」なんてすかしてやがるんじゃないだろうな。
もしその通りだっていうなら。
まだ間違いに気付かねぇって言うんなら。

俺は、天下のSOS団服団長様に言わなきゃならんことがある。

「大丈夫だ……先を急ごう」
「無理するもんじゃないわよ。……場合が場合だし、何ならあんただけ引き返しても」
「いや、それは駄目だ。……本当に大丈夫なんだ。心配かけた。悪い」

俺は立ち上がる。道路に突っ伏したときについた汚れをはたいて落とす。
御坂はさっきまでのビリビリもどこへやら、多少不安の残る表情をしていたが、それ以上俺を止めようとはせずにいてくれた。
引っ張り上げてくれる優しさは格別のありがたさだ。俺の言葉にどれほど力がこもってたかは分からないが、感謝の一言につきる。
立ち止まる暇はなんて、一瞬たりともありはしないのだ。
萎えた足に無理やりムチ打って、俺達は歩き出した。

すんません、朝比奈さん。本当はガキみたいに泣きわめいた後一生ふて寝を決め込みたいくらい最悪の気分なんですけど。
長門のときみたいにやけ食いで腹のもん全部ぶちまけてやりたいくらいですけど。
今は、全部後回しにします。

「あの馬鹿を、止める……!」

これ以上、仲間が減るのを見たくないんで。


◇  ◆  ◇  


(……駄目だ。とても接触できる空気じゃない)

警察署の地階と一階、さらに二階とを結ぶ階段の影に身を潜ませながら、トレイズは心中でひとりごちた。
ナイフの反射で作った簡易の鏡によれば、背を預ける壁の向こうにいるのは三人とも女性のようだ。古典的な方法だが、それだけに、光を気取られないよう注意すればかなり有効である。
トレイズが最も再会を望んでいる彼女の姿は残念ながらそこにはなかった。頭上では二度目となる放送が届けられている。

BGMのように響くそれが細かな物音を誤魔化してくれたのが幸いした。お陰で気取られることなく接近できた。
トレイズは放送と相手の動きにちょうど半分ずつ意識を割きながら、そうしてるつもりなのは本人だけでえ実際は大部分が読み上げられる死者の名前に傾いていたのだが、そろそろと慎重に立ち上がる。
直接相手を視認することはできなかったが、それでも分かったことがあった。
彼女たちに接触するのは危険だ。中でも、首都でも見たことのない珍しい銃を構えている女性は特に警戒が必要に見える。
銃の構え方はトレイズがため息をつきたくなるほどに完璧だし、位置取りは部屋を最良の条件で制圧している。
かつてトレイズが対峙したテロリストなどとは比較にならない。暢気に、顔を出していたら、その瞬間容赦なく殺されていただろう。
その様子を想像すると分厚いはずの壁がひどく頼りないものに思えてきた。これ以上、ここに留まるのは命に関わる。

(ここから離れよう。多分、それが一番安全だ)

入り口へ行くことは彼女達の視界に入ることになるので無理として、多少物音を立てても気付かれない二階から脱出する。
それほど背の高い建物ではないし、木に近い窓からでも飛び移ればたとえ気付かれたとしてもエルメスを発進させる時間は稼げるだろう。
具合のいい場所がなければ生地の頑丈なカーテンで即席のロープを作ればいい。最悪身一つで飛び降りてもなんとかなるだろう。
頭の中でエルメスにたどり着くまでの案を複数用意しながら、トレイズは無音のまま一段ずつ階段を昇る。

放送は既に終わっている。
滑稽なほどの慎重さだが、騒音の助力を得られない今は衣擦れの音さえ察知されるのではないかと思えてしまう。あの人間にはそれだけの威圧感があった。
一方で、放送がトレイズの捜す彼女の名前を言わなかったことに心の底から本当に全力で安堵していたりもした。
首尾よく二階にたどり着く。それだけのことが中央山脈の単独登頂に匹敵する偉業に思えて、トレイズは念のため更に歩いてから膝を折って大きく息を吐いた。
まるで呼吸を忘れていたかのようだ。長居は危険とばかりに、さっきの部屋から一番離れた窓を目指す。
対角を意識して選んだ窓は幸い嵌め殺しではなく、下は植え込みで柔らかい土が敷かれていた。
窓枠に手をかける。脳内でエルメスへの最短の距離を計算し、それを最も効率よく実行するべく意識を集中する。

トレイズは最後に大きく深呼吸すると気持ちだけは大きく脱出の第一歩。踏み出そうとした。が。

(…………開かない?)

ビクともしなかった。鍵を開ければ左右に滑らすだけの単純な作りのはずが、いくら力を入れても一向に動く素振りがない。
まるで建物までトレイズの敵に回ったかのようだ。決して逃がすまいと口を閉じる箱。騒音が出るため乱暴な手段にも出られない。
尚もやっ気になり、両手を使い全力でことに当たろうとしたその瞬間。

「その窓は開きませんよ」

一ミリも意識していなかった方向から声を掛けられ、トレイズは無言のままみっともないくらい大きく飛び上がった。


◇  ◆  ◇  


警察署の一階に三人の人間がいました。師匠と朝倉涼子と浅上藤乃でした。
厳密に言うと朝倉涼子は人間ではありませんが、色々とややこしいのでここではそう呼ぶことにします。
彼女達が捜している人間はまだ見つかっていませんが、そんなことはお構い無しに、今は放送が流れています。
大事な情報を聞き逃すのも困るので、三人は少しだけ足を止めて放送を聞いていました。
三人がいるフロアは、普段は市民の人たちが書類をもらったり手続きをしたりするのに利用されている場所です。
場所を選んだのは師匠でした。攻撃を受けることなく敵を発見できて、なおかつ咄嗟のときに移動しやすいから、というのが理由です。

放送がこれまでに死んだ人の名前を読み上げ、師匠はそれを聞きながら油断なくP90を構え周りに気を配っていました。読み上げられる名前には特に何も感じませんでした。
朝倉涼子は壁の端に手を付いて何かを高速で呟いていました。放送を聞いているようには見えません。
さっきまで彼女は師匠に命じられたある作業をしていたのですが、今はもうそれも終わっています。
浅上藤乃はどこに居ればいいのか分からないと言った様子で、銃を持った師匠から少し離れた場所に小さくなって座っていました。ちなみに、感想がないのはこの二人も同じでした。
死んだ人の名前を全員分言って、放送は終わりでした。わざわざ時間をかけたわりに得るものはありません。この世界の仕組みについて説明されましたが、師匠のすることは変わりません。師匠は無益な情報を喜ぶ人ではありませんでした。

「では、再開しましょう」

気を引き締め直すように言いました。浅上藤乃が素早さの足りない動きで立ち上がります。
師匠は、いたずらを終えた子供のような顔で戻ってきた朝倉涼子に簡潔に聞きました。

「で、あなたは何をしていたのですか」
「何って、師匠のお手伝いよ。悪いことじゃないわ」
「あなたは分かりやすく説明する癖をつけるべきです」
「そうしたいのは山々なんだけど、有機生命体が理解できる範囲だと情報の欠落がどうしても無視できない規模になっちゃうのよね。この場合は特に……」
「その言葉は聞き飽きました。次に私がなんと言うかは分かりますね」

だんだん口調が鋭くなっていく師匠を浅上藤乃が怯える子供のように見ていました。
朝倉涼子はちっとも怖がっていません。ん~、と口に指をあて考える仕種です。

「つまり、この建物全体に情報改変を施した、ということになるのかしら」
「具体的には」
「物理的な構成情報の書き換え。対象は正面入口が1つと非常用の扉が4つ、それと24枚ある窓ガラス全部。
本当はこの建物を通常空間から丸ごと隔離できればよかったんだけど、流石にそれは無理みたい。
この処理だけでもかなり時間がかかっちゃったし、これくらいが今の私の限界値みたいね」
「その結果どうなったのです」
「ちょっとした防弾ガラスより強度が増したんじゃないかしら。
それとほんの僅かの膨張。師匠は知ってるかしら、窓や扉って例えば枠が少し曲がっただけで使えなくなる脆弱な構造なの。
地震のときはすぐに出口を確保しろって言うわよね。それって……」
「つまり」
「そう」

大体のところを理解して師匠は話を止めました。結論は朝倉涼子に任せます。朝倉涼子は片目を閉じると、優等生だったころのままの眩しい笑顔で言いました。

「逃げられない、ってこと」


◇  ◆  ◇  


古泉一樹は自分が遅きに失したことを痛烈に感じていた。

(真っ先に退路を断たれましたか……。流石は長門さんの同類、抜け目がない)

放送のメモ。朝比奈みくるの死亡。それを受けた世界の観察。その他最低限の必要事項をこなしたことで後手に回らざるを得なくなってしまった。

(新たにもたらされた「世界」に関する情報は興味深いですが、考察するにはこの窮地を脱する必要があるようです)

黒い壁。ブランク。何もない終わり。考えを巡らせたせいで閉じ込められたのでは世話はない。
古泉は今、トレイズと名乗った青年と共に、電話を受けた部屋に籠っている。
開かない窓を必死でこじあけようとする姿はとても危険人物には見えず、しかしその冷静な判断事態は評価に値するので接触を図ったのだ。
状況は逼迫している。彼への試練などと言っている場合ではなく、一つの判断ミスが容易く古泉を殺す。トレイズがもたらした情報は僅かだが、そう判断するには十分過ぎた。

「朝倉さんと行動を供にする謎の人物。それも相当の手練れですか。やれやれ、頭が痛い」
「相当なんて言葉じゃ足りない。強い人間はそれなりに見てきたけど、あれはその誰も敵いそうになかった」

手札を確認するために、小さく会話する二人の回りには互いの持ち物がきちんと整頓された状態で並べられていた。
気を許したわけではない。この場を脱するための一時的な共同体だ。敵意が無いことは伝えても、それ以上のことは語らない。
トレイズからは今死ぬわけには行かないとしか聞いてないし、古泉も己の真意はほとんど語らなかった。
時間はない。その上余裕はもっと少ない。必然的に形作った最低限の絆だ。

「既に述べたように僕たちは袋の鼠という表現がこれ以上ないほど的確に当てはまります。外への脱出を不可能にしたのは朝倉さんの仕業と見て99%間違いないでしょう」
「物の作りを変えちまう奴がいるなんて、想像できない。普通そんなのありえないだろ?」
「生憎と、僕たちは少々普通とは違っているものでして」
「悪いけど、全く対策が思い付かない。銃の扱いなら多少自信はあるけど……」
「それも、朝倉さんのお仲間である人物程ではないのでしょう?」
「あんたに何か考えはないのか。知り合いだって言ってたが」
「申し訳ありませんが、知り合いだからこそ、どうにもできないことが分かってしまうのですよ」

トレイズがガクリ頭を垂れる。それなりに肝は座っているようだがここ一番で打たれ弱いようだ。
打つ手なしという結論に着実に近付きつつあるのでは、それも致し方ないのかも知れない。
双方言葉が途絶えた。それぞれ顔も見ようとはしない。これで足音でも聞こえてこようものならいよいよもって観念するしかない。

万策尽きて、古泉は床に散らばった道具を一つずつ片付け始めた。形見分けでもするようなゆっくりした動作だ。さすがに、喩えの不吉さに笑ってしまう。
古泉を真似てか、トレイズも同じように片付け始めた。てっきり絶望に沈んでいるかと思ったが、その瞳は思った以上に力強かった。

「……俺は、こんなところで終われないんだ。守らなきゃならない人がいるから、俺は俺の身を守る。どうしようもなくたって、何とかしないといけない」
「……そうですね。それは僕も同じです」

交わしたのは、それだけだった。決意でひっくり返せるほど、盤面は容易くない。
やがて、古泉の手が一冊の本に至った。重たいハードカバーの、分厚い装丁の本。
中に栞が挟まれている。
そこに書かれている文字を読んだとき、古泉は文字通りに目を丸くした。

「……ときに、この本はどちらで入手されたものですか」
「それは……図書館だ。そこで死んでた女の子がその本を指差してて、とても大事なものみたいに見えた」

何も言わず古泉は厚皮の表紙をつぅ、と指でなぜた。
言われてみれば確かに、部室の、少しずつ増えていく本棚で見た覚えがある。
古泉は一言断り、本をトレイズではなく自分の荷物の中に入れた。事情は言わなかったが、勝手に察するものがあったのかトレイズも何も聞いてこない。
古泉は顎に手を当てて考え始めた。状況は変わっていないのに、思考がさっきよりずっとクリアに感じられた。
打つべき手段。為すべきこと。
それがあるとするなら。

「時間稼ぎ……でしょうか」


◇  ◆  ◇





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