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CROSS†POINT――(交信点) 前編

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CROSS†POINT――(交信点) 前編 ◆EchanS1zhg



 【0】


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 【1】


あなたは草原の中に立っている。
草原は広く暗い。
見上げればそこは星ひとつ瞬いていないただの漆黒で、真っ白な月が浮かんでいるだけだ。

草原には風が吹いている。
薄ら寒い風は長くのびた草とあなたの髪の毛を揺らす。

あなたは草原を当て所なく彷徨い始める。
草原はどこまで行っても草原のままで、あなたはどこにも辿りつくことができない。

声が聞こえたような気がする。
あなたは後ろを振り返る。するとそこにはいつの間にかに制服を着た少年が立っている。

”―― Kill You!”

少年は血に濡れたナイフをあなたに向けてそう言った。
そして、少年自身もまた血塗れであった。

”―― よくも!”

あなたは拳銃を構えようとする。しかし、身体は鉛のように重く、そうすることはできなかった。
少年は真っ赤な目であなたを睨みつけて叫ぶ。

”―― 人殺し!”

風が吹く。風がその声を四方八方へと運んでゆく。
あなたは人殺しだ。
運ばれた声はあらゆるところに届き、ほどなくしてあなたが人殺しだということは皆に知れ渡るだろう。


あなたは人殺しだ。


あなたは人を殺した。


あなたは人を殺してしまった。


だから、


あなたは人殺しだ。






 ■


薄暗い部屋。天井の木目。点いていない蛍光灯。少し埃っぽい空気。重たい布団。静まり返った空気。
荒い吐息。早鐘のように打つ鼓動。じっとり浮かび上がった汗。そして、うなじに張り付いた毛が気持ち悪い。
それは、つまり――

――夢。そうだと気づくのに、テレサ・テスタロッサは横になった布団の中で1分の時間を必要とした。



「……………………」

無言で布団を捲ると、テッサは上体を起こしシャツの袖で額に浮かんだ汗を拭った。
夢だと理解しても鼓動の高鳴りは簡単には治まってくれないらしい。
テッサは目を瞑り、一度深く息を吸い、そして吐いて、もう一度目を開いた。幾分か落ち着いたと、そんな気がする。

戸を閉じきった薄暗い部屋の中、テッサは枕元に手を伸ばし、腕時計をとって時間を確かめた。
時刻は短針が3を指し、長針が12より少し右に傾いたところだった。
起きる予定であった時間よりかはかなり早く、とはいえ寝なおすには少し足りない。そんな時間の頃である。
なにより、夢のせいで目が冴えてしまっている。汗に濡れた身体も気持ち悪く、また寝なおすという気は起きなかった。

「……………………」

悪夢だった。
この人類最悪による催しが始まってよりすぐ、草原の只中で吉井明久と出合ったあの時の夢だった。
しかし夢の内容は現実とは異なる。
あの時の彼はテッサに敵意を向けてはいなかったはずである。ましてや凶器など手にはしていなかった。

「………………人殺し」

果たしてそうなのだろうか。テッサはいつかの自問を繰り返す。
彼を助けることができたかもしれない。自分の取った行動は不適切なものだったのかもしれない。
同じことを、しかしあの時と今とではひとつ違うことがある。もうすでに吉井明久は死亡しているのだ。助けることはできない。

彼の級友である島田美波に件の話をした際、彼女はそのことを実に彼らしいと笑い話にしてくれた。
しかし、もう一度同じ話をした時、彼女はまたそう言ってくれるだろうか――いや、それはありえないだろう。
最早、吉井明久の存在は取り戻せない。
収束した結果はそれまでの過程にある情報を揺るがせないものへと固定してしまう。
テレサ・テスタロッサが吉井明久の死に関与しているという事実はこの先、揺るぐことはないのだ。
無論。そこにある意味は取りようにより変化するし、自己を弁護する論を導き出すのも難しくはないだろう。だがしかし、

”―― 人殺し!”

夢を見てしまったのだ。それはなにより、テッサ自身がその過去に罪悪感を抱いている証拠に他ならなかった。



たっぷりと5分は思考の中に沈んでいたか、テッサは喉が張り付くように渇いていることに気づくと布団から身体を出した。
鞄から水を取り出そうとし、しかしついでに顔も洗えるなら台所か洗面所がいいと膝を立て、何かに気づく。

「………………?」

それは、微かな女性の呻き声だったろうか?
油断をしていたかもしれない。今は、いつどこであろうが誰かに殺されるかもしれないという状況なのだ。
寝ている間に何かがあったのかもしれない。いや、それは現在も進行中なのかもしれない。

「インデ――……」

隣で寝ているインデックスに声をかけようとしてテッサはそれを中断した。
彼女の潜っている布団は寝息に合わせて軽く上下している。おそらくは心地よい夢の中なのであろう。
ならば下手に起こさない方が無難だと判断する。
もし襲撃者がいるのだとすれば、ここに誰かがいると気づかれるのはまずい。彼女を起こせば騒ぐ可能性がある。

再び枕元に手を伸ばし、テッサは脱ぎ捨てていた上着の下から拳銃を取り出した。
とても扱いやすいとは言えない重たいリボルバーを両手で握り、撃鉄をゆっくり起こして音を立てないように襖へと寄る。
耳を済ませる。だが何も聞こえてはこない。
もしかすればさっきのは気のせいだったのかもとテッサは思う。悪夢を見たせいで気が立っていたのかもしれない。

襖をゆっくりと引いて、顔だけを出して廊下を窺う。
一瞬、外の明るい日差しが目を刺したが、やはりこれといった変化はない。
右を見て左を見て、もう一度右を見て、胸元に構えた拳銃を下ろそうかとしたその時――

「………………!」

再び呻き声が聞こえた。間違いない、女性の声だ。誰とまでは特定できないが、確かに女性の呻き声だった。
拳銃を構えなおし、テッサは意を決して廊下へと出る。ミシリと板張りの床が音を鳴らし、緊張から熱い息が口から漏れた。
廊下の片側へと身を寄せ、一歩、二歩。少しずつ慎重に歩を進める。

テッサは決して戦闘が得意な方ではない。ならば、今あるアドバンテージを保持していなくてはならない。
おそらくはまだ相手に気づかれていないこと。そして一撃必殺の威力を持つ拳銃を手にしていること。
それを不意にしないよう、テッサは彼女なりに最大限の慎重さで廊下を先に進む。

ミシリとまた床が音を鳴らし、テッサは廊下の角へと辿りついた。
角の向こうから血の臭いが僅かに漂ってきている。
最早、非常事態であることは疑いようがない。

今度は選択を誤らないように、テッサは拳銃を強く握り締め、そして――――


 【2】


病院の広いロビーの端。
ここにはありそうで、しかし実際には普通、人の目には触れないであろう奇怪な赤色のオブジェが4つ並ぶ、その向こう側。
受付を待つ人の為に用意されたソファのひとつに、一見して男子の学生だとわかる二人が肩を揃えて座っていた。
片方が大きすぎてもう片方が小さく見えるというようなこのコンビは、小さい方が持つ携帯電話の画面を覗き込んでいる。

 【[本文]:死線の寝室 ―― 3323-7666   [差出人]:人類最悪】

表示されているのはたったそれだけで、たったそれだけの文字列が彼らにとっては非常に意味深であった。
果たして”死線の寝室”とは一体何なのか? 合わせて書かれている数列の意味とは?
これらを彼らはそのよく回る頭で検討し始める。
さて、彼らは一体どこから手をつけてゆくのだろうか? それはまず、こんなところからであった――



「――ではまず、我々が検討すべき事柄は”このメールの送り主は本当に人類最悪本人なのか?”だ」

ソファから立ち上がり人差し指を立てて問題を述べた大きい方――水前寺邦博の言葉に、小さい方の坂井悠二は驚いた。

「何を驚くことがあるのかね坂井クン?
 先ほど聞いた話によれば、君が所有している携帯電話には既に誰からか電話がかかってきたという事実があるではないか。
 つまり、その者が人類最悪と同一人物か仲間でもない限り、その携帯電話の番号を知っているものが他にいたということになる。
 ではその心はどこにあるか。おれは君が先刻見せてくれた交渉によってこの着想を得たのだがね?」

考える時間を与えるよう発言を止めた水前寺を前に、悠二はソファに座ったままなるほどと頷いた。
確かにこの携帯電話の番号を知る者がこの企みの主催者以外にいてもおかしくはないのだ。

「そう。我々に支給された物品についてはほぼ例外なく”元の持ち主”がいたのだと推測できる材料がある。
 先ほど、交渉により交換が成立したバギーと刀がよい例だな。どちらもワンオフ物故、個人の物であったと確定できる。
 まぁ、全ての支給品がそうかはともかくとして、その携帯電話も元々”誰かの物”であったと推定できるわけだ」

ふむ。と悠二は頷く。『シズのバギー』に『贄殿遮那』、どちらもこの世にひとつしかないはずのものだ。
そして悠二は支給品と名簿の名前の中に同じものがあると気付き、バギーに関心を寄せている人物をシズ本人だと看過した。
この携帯電話の名前は『湊啓太の携帯電話』といい、湊啓太という名前は名簿にはないが問題そのものは変わらない。
ちょっとした応用にてある程度の仮説が導き出されることになる。

「湊啓太と言ったかその携帯電話の持ち主は。いや、登録されている持ち主の名前はまた別だったようだが、
 まぁ、名簿に見当たらない名前なのは変わりないので細かいところは後回しにしておこう。
 では不可解な怪電話をかけてきた女がどうしてこの電話の番号を知っていたのか?」

それは簡単だった。ただ単純にその女性――おそらくは同じ参加者である誰かは最初から電話番号を知っていたのだ。

「そうだな。いくつかのパターンが考えられる。
 ひとつは件の彼女は名簿の中に自身の知りあいを発見し、連絡を取ろうとしたということだ。
 この場合、湊啓太などという名前が名簿にないことは問題にならない。
 そもそもとして名簿には本名らしからぬ名前がいくつも載っているのだ。名簿と電話の名前が一致しないことは不自然ではない。
 そしてもうひとつは件の彼女がここより外に連絡を取ろうとした場合となる。
 知りあいや家族などにまずは連絡を取ってみる。不自然な行動ではないし、こちらの方がもっともらしいだろう。
 だが、この可能性は通話の内容により否定されるので、先の可能性が有力であろう」

またふむと頷き、悠二は夜中にかかってきた電話の内容を思い出した。
それは”友人を殺した”などというまさに怪電話そのものであった。

「あなたの友人を殺しましたなどとは物騒極まる。
 言い捨てて切ったことから彼女は電話の持ち主が本人であると確信していたようだが、この点は間抜けと評価せざるを得まい。
 もっとも、実際に誰かを殺していたのだとすれば関係者にとっては笑い話にはならないことだが……」

悠二は水前寺の視線を追って、ロビーの中に横たわる4つの死体へと視線を移した。
そう、ここでは人が死ぬのだ。そしてはじめに脱落者として呼ばれた10人の内に、友人である吉田一美の名前があった。
もしかすれば件の彼女はこちらを知る人物だったのかもしれない。そんな可能性もまだ存在している。

「ともかくとして、
 おれが言いたいのはこの携帯電話にメールを送ることも、人類最悪の名前を騙ることも決して難しくはないということだ」

前提を語り終え、水前寺は次なる段階へと論を進ませた。



「では、まず第一の可能性として件の女がこのメールを送ってきた場合を考えよう」

了解したと、悠二は頷いた。

「この場合、死線の寝室とは彼女とその携帯電話の持ち主の間で通じる隠語だと推測するのが妥当であろう。
 併記されていた八桁の番号が電話番号だとするならば、そこにかけることで彼女とコンタクトできるかもしれん。
 無論。彼女の言動からこの行動には少なからず危険が伴う。
 そして我々はその危険の度合いを測る術を持ってはいない。故に判断は慎重に行わねばならんだろう」

”3323-7666”と書かれていた八桁の番号。確かに電話番号だと見るのがもっともなのかもしれない。
だが、これについても可能性は幅広い。
郵便番号から住所を割り出せるのかもしれないし、金庫や扉などの暗証番号かもしれない。
そもそもとして死線の寝室という言葉と合わせて謎解きになっているのかもしれないのだ。
ここらへんは一度発信者の意図を探ってみないことには特定することはできないだろう。
もっとも、電話番号であるならば、一度かけてみれば即座に判明するが――しかし、これはリスクが伴う。判断は慎重に、だ。

「では、第二の可能性として本当にあの人類最悪がこのメールを送ってきたのだと考える場合、
 その意図を探る為には大きな問題がひとつある」

それはなんなのか? 悠二は考えるが、水前寺が答えを言ってしまうほうが早かった。

「それは、その携帯電話を悠二クンが持っていることを想定しているか否かだ。
 あの男は鞄の中身はランダムだと言っていたが、それは当てにならんし、確定させることは不可能だ。
 ならば、そうである場合とそうでない場合を想定せねばならん。

 まずひとつに、その携帯電話を悠二クンが持っていることを人類最悪が想定し、君宛てにメールを送ったのだとする。
 その場合、このメールの内容には人類最悪の明確な意図。引いてはこの企画からの意図が篭められていることとなる。
 ならば、我々はあの男が我々を死線の寝室とやらにコンタクトさせようとする意図を推測せねばならない。
 それは今の所全くもって不明であり、解く当ても目には見えていない。
 だが! これを解決できれば、我々はそれを得るべくして動いていた事の真相とやらに一歩近づけることは間違いないだろう。
 無論。ことに対しては慎重に慎重を重ねなくてはならんが、この場合は最終的にはコンタクトすることが望ましい」

なるほとと悠二は水前寺の説に関心した。
つまりこの場合は、坂井悠二という登場人物に人類最悪が役を与えようとしているわけだ。
その意図を辿れば、つまりこの企画――あの男の言葉を借りるなら物語の向かう先がわかるということになる。

「では逆に、支給品は言葉通りにランダムであり、悠二クンが携帯電話を持っているというのは偶然、
 またはその電話を誰が持っていようが構わなかったとした場合、どうなるか。

 その場合は、メールが送信されてきたのはその携帯電話の付加価値だと捉えるのが順当だろう。
 つまりその携帯電話はただの連絡手段なだけでなく、時折メールが送られてくる携帯電話だったという訳だ。
 例えば、送られてきたのが電話番号だとして、そこに電話をかければなんらかの情報を得られるとかな」

悠二は手にした携帯電話を見る。もしそうなのであれば、これを引いたのはとても幸運なのかもしれない。
だが、水前寺はそこに冷や水をかけるような恐ろしい発言を浴びせかけた。

「電話だからといって、かけたら通話が始まると考えるのは早計だぞ悠二クン。
 携帯電話というのはだな、簡易の電波送受信機とするには実に優秀であり、それもそういう役割なのかもしれん」

つまり、送られてきた番号に電話をかければ、その信号を受けてどこかに仕掛けられた爆弾が爆発する。
などということもありえる。と聞き、悠二は電話を見つめたまま息を飲んだ。

「なんにせよ、迂闊には触れることはできんというわけだ。
 そもそもとしてオレは自分のものではない携帯電話を信用できん。
 スパイやテロリストの常套アイテムだからな。その電話にしたって何が仕掛けられているとも限らん。
 かかってくる当てがある以上、捨てるわけにもいかんが、……まぁ、時間を見て中を検める必要はあるだろうな」

僅かに動揺した感じでなるほどと頷き、悠二は携帯電話に対する印象を改めた。
今まではただの通信手段としか思っていなかったが、水前寺が言うにはそれ以外にも色々と用途があるようだ。
なるほど、電波を飛ばすのであれば、何らかのリモコンとして使うことも難しくないのだろうと納得する。



「さて、3つの可能性が持ち上がった。

 ひとつ。
 これは参加者の内の誰かが、同じ参加者に向けて送ったメールである。
 身に覚えがない故、我々にとっては間違いメールとなるわけだが、しかしなんらかの情報になるやもしれない。

 ふたつ。
 これは人類最悪より悠二クン宛てのメールである。
 このメールはこの企画においてなんらかの意味が持たされていると考えるべきであり、
 そして我々はそれがどういうものなのかを推測し、吟味した上でコンタクトを取るのが好ましいと言える。

 みっつ。
 このメールはこの携帯電話宛に送られた付加価値である。
 この場合、メールの意味やコンタクトの結果がどうなるかと推測するのは極めて難しい。
 当たるも八卦当たらぬも八卦の心持ちでコンタクトを試みる他はないだろう。

 これら3つの可能性及び、まだ浮かび上がってきていない別の可能性からひとつの結論を導き出すことは現在不可能だ。
 必要なのは”死線の寝室”及び”3323-7666”というワードに対する情報であろう。
 オレはどこかの誰かがこれを知っているという可能性は少なくないと思っている。
 なので、これよりの情報収集の過程でこれらに関してもアプローチし、知っている者がいれば何かと尋ね、
 その人物にもこのメールの意図がどこにあるのかを探るのに協力してもらうことが望ましい。

 と、思っているがどうかね?」

いいんじゃないかな。と悠二は答えた。
出会ってからというもの、感心しっぱなしだが、水前寺という男はなんにせよ頭が早く回る。
新聞部の部長ということらしいが、普段から膨大な情報を扱っていればこうなるのか、
それとも水前寺がこうであるから新聞部の部長というポジションにいるのか、なんにせよ感心し納得するばかりであった。

「では、ここからは君の仕事だぞ悠二クン。
 実のところを言うと”死線”という言葉にはどこかで聞き覚えがある。
 あー、まぁ、ぶっちゃけたことを言ってしまえば、神社で交わした情報交換の中で聞いた言葉のはずだ」

なので――という、水前寺の言葉の続きを聞く必要はなかった。
約束を反故にした手前、自分から電話をかけるのはばつが悪いから、悠二がそうしてくれという話である。
悠二としても、神社にいるはずのヴィルヘルミナには若干の苦手意識があったが、まぁかまわないと携帯電話の――

「待ちたまえ悠二クン! 君はオレの話を聞いていなかったのかね?」

ボタンに指を置いたところで水前寺にそれを制された。

「言ったではないか。他人の携帯電話は信用できんとな。
 かかってくるのは如何ともし難いが、できうる限りこちらからは使わないのが好ましい」

ならばどうするのか? 疑問に思う悠二に、水前寺は長い腕を伸ばしてホールの端を指差し、それに気づかせた。

「こちらからかける分に関しては電話などどこにでもあるだろう。
 そこらの電話が使えるのかという実験も兼ねて、まずはそこの公衆電話から電話をかけてみてくれたまへ。
 もっとも、この世界そのものがあの男の手の内となればこんなことに意味はないのかもしれんが、
 しかしできるだけ奴の意図しない行動を取るということは、いつか我々によい結果を齎してくれるかもしれん」

なるほどね、と悠二はソファから立ち上がり、水前寺と共に公衆電話が並べられたコーナーへと近づいた。
とりあえず右端の電話から受話器を持ち上げ、そこで足りないものがあることに気づく。

「先ほど、院内の売店よりせしめておいた。使いたまえ」

水前寺のポケットから出てきたテレホンカードの束を見て、悠二は本当にこの人はよく動くなとまた感心した。


 【3】


「――それでは、電話を切るのであります」

ヴィルヘルミナはそう告げると、持ち上げていた受話器を下ろし、小さな溜息をついた。

「多事多端」
「まったくであります」

電話をかけてきていた相手は悠二であった。
シャナが発見するか、キョンが電話番号を持ち帰るが先かと思っていたが、その前に本人より電話があったのである。
それについてはよいことだろう。いくら彼女とて彼が無事であることに安堵しないほど薄情ではない。
彼と同行しているはずであった水前寺の無事も確認されたし、杞憂は減った――が問題はまた増えた。

悠二と水前寺の二人は現在、この世界の北東に位置する病院に滞在しているらしい。
浅羽直之の捜索を主目的としていると考えればヴィルヘルミナから見ても妥当だと思える場所だ。
しかしまだ彼の発見には至っていないらしい。そして、彼ではない他の人物を悠二と水前寺は発見している。

島田美波の級友である吉井明久と土屋康太。キョンの仲間である朝比奈みくるであろうと思われるメイド服の女性。
どこの誰とも知れぬ着物姿の男。そして、ここから行方知らずとなっていた零崎人識
合わせて5人。全て、既に物言わぬ死体に成り果てた後であった。
最初の4人は病院でまとめて、そして零崎人識はそこより離れた市街の中で発見したのだという。

彼や彼女らが死んだことをヴィルヘルミナは惜しいとは思わない。
話を聞く限り、彼らは戦力なりえないと思えたからだ。せいぜいが朝比奈みくるより未来のことを聞きたかったぐらいか。

「シズという人物でありますか」
「虚心坦懐」

そして、二人は多くの死体とは別に生きた人物とも出会っていたと言う。
シズという名前だけはキョンと会話を交えたアラストールより聞いていた。既に人を殺している危険人物とのことだ。
しかし、悠二は自身もそれを知っていながら彼と平和的な交渉を成し遂げたのだという。
まさにティアマトーの言う虚心坦懐の至りであろう。悠二が時折見せる機転と胆力にはヴィルヘルミナも感心するばかりだ。

交渉の結果、悠二はバギーを差し出し、シズの持っていた贄殿遮那と交換することができたらしい。
これは僥倖だとヴィルヘルミナも柄になく悠二を褒めたくなる。
シャナの手に愛刀が渡れば彼女も喜び、戦力の面から見ても十全を尽くせるようになるに違いない。
もっとも、それでシャナが悠二の評価をまた高め、喜びの表情を彼に見せる光景を想像すると心に波立つものもあるが。

だがしかし、そううまくいくならそれはそれでよいともヴィルヘルミナは考える。
贄殿遮那を取り戻せたのはいいが、バギーを失ったのはやや手痛い。
移動手段としてということもあるが、現在、シャナはそのバギーを目印に悠二を追っているのだ。
悠二の言によればシズは話の通じない相手ではないようであるし、シャナが負けるような相手でもないようでもあるが、
しかし何か誤解が起こってしまうかと想像すると心配になる。

「杞人之憂」
「……そうであります。今はいらぬ心配に気を割いている時ではないのでありました」

桜色の炎が揺れる一室にはそれより濃い赤の臭いが立ち込めていた。そう、只今手術中なのである。


 ■


ヴィルヘルミナは逢坂大河の失った右腕に義手を取り付ける手術を行っていたが、
その光景は万人が想像する手術とはいささか様子が異なり、傍目には随分と幻想的に映るものであった。

部屋の中は、《夢幻の冠帯》を展開したヴィルヘルミナの発する炎によって淡く桜色に染められている。
狐面のヴィルヘルミナは部屋の一端に座し、そして中央には繭のように包帯で包まれた逢坂大河の身体が浮かんでいた。
大河の身体のうち、繭の中より露出しているのは手術を施される右腕と、頭。そしてそこから垂れる豊かな髪の毛のみ。

これらは手術の痛みで彼女が暴れたり、そのせいで自身を傷つけないようにとの処置だ。
右腕を切断し義手を取り付けるという手術だが、あいにくとここには麻酔がない。故に途轍もない激痛が伴う。
彼女はそれでもいいと言ったし、始める以上ヴィルヘルミナにも途中で止めるつもりなどないが、並みの痛みではない。
あまりの激痛に心変わりが起き、途中で止めてくれなどと泣き叫ぶかもしれない――故の拘束であった。

「――――んぐううううう! ……ぐぅっ! んんんっ! ――――っ!!」

実際、始めてみればこの通り、大河はあまりの苦痛に悶絶している。
猿轡を噛ましている為に何を言ってるのかは不明だが、おそらくそれがないとしても意味のある言葉は吐けなかっただろう。

ヴィルヘルミナは彼女の進言通りにその悲鳴を無視して、手術を進めてゆく。
既にティアマトーの一閃により大河の右腕は適切な長さに断たれている。今は細かい作業を繰り返す段階だ。
包帯に持ち上げられた腕の切口を前に、ヴィルヘルミナは片手に鋏。片手に糸を通した針を持って器用に仕事をこなしてゆく。

「おぐううぅおおおお……! んんんんんんんん……ぐうううううううう…………っ!」

肉の中に鋏を突き刺し、チョキン。血管を引き出したら手早く糸で先端を括る。その間に鋏は湯を潜らせ炎で消毒する。
また鋏を突き刺して、チョキン。神経を剥き出しにしたら必要なものを残し、不必要なものを桜色の炎で殺す。

「がっ! がぁっ! ぐぅうううう……んぐうううううううううう……!」

チョキン。チョキン。チョキン。チョキン。チョキン――ヴィルヘルミナの動作に揺るぎは見られない。
鋏と糸とを交互に通してゆく姿はまるで機織り機のようでもある。
見る見る間に作業は進み、肉の断面でしかなかった傷口は生身と作り物を接続するコネクタへと変じてゆく。

「あぐおあぐあぐおおあ! ん――っ! んん――っ!! んんんんんんんうううううう……!!」

作業が進むにあたって漏れ聞こえる大河の悲鳴も大きく切羽詰ったものへと変化してきた。
なにせ、肘から先の神経がほとんど剥き出しにされているのだ。それは言葉に表すこともできないような苦痛なのであろう。
獣のような唸り声をあげる大河の顔は真っ赤で、噴出した汗が髪をべっとりと濡らし、目に当てた包帯に涙が滲んでいた。

「ぐがおおおおおお……! あぐあっ! があっ! がああああ……っ!」

桜色の炎が傷口を舐め、穢れを落とし、僅かに痛みを癒す。しかし、これとて大河の身を慮ってのことではない。
癒しにより彼女の身体が僅かに弛緩するのを見てヴィルヘルミナはより深い場所に鋏を突き込んだ。

「がああああああああああああああああああああああ……っ!!」

ヴィルヘルミナはこれらを丁寧に丁寧に繰り返す。
鋏を肉に突き入れ、必要なものを糸で縛り、不必要なものを炎で焼き、鋏を湯に通して炎で炙り、また突き入れる。
耳に届く悲鳴にも、鼻につく血の臭いにもヴィルヘルミナは揺るがない。


チョキン。チョキン。


チョキン。チョキン。


チョキン。チョキン。






そして、手術は進み、終了した。
時間にしておよそ1時間ほど。手術の内容からすれば神業の如き速さだろう。だがしかし、


「………………………………………………………………」


小さな彼女。逢坂大河が真っ白に燃え尽きるには十分以上の時間であった。


 【4】


「うえぇぇ…………」

薄暗い廊下の上を須藤晶穂がフラフラとした足取りでどこかへと向かっている。
ひとつ呻き声を漏らすと板張りの床がミシリ。またひとつ呻き声を漏らすと床もミシリ。
彼女がこんな風に廊下を歩いている理由は、その胸に抱えた中くらいのバケツのせいだ。

「これってどこに流せばいいんだろう……?
 台所の流し? お風呂? トイレ? それとも外に捨ててきたほうがいいのかな……?」

中くらいといっても、中にはなみなみと水が湛えられており、少女が抱えて歩くにはややという以上に重い。
そしてその中の水は赤く濁っており、これが彼女に嘔吐くような声を上げさせる原因であった。
最初に水を汲んだ時には透明だったものが赤く濁っているのは、先ほどまで行われていた手術に使われていたからである。

「……う」

未だ耳に残る大河の悲鳴と、濃い血の臭いに晶穂は顔を顰めた。
なんで自分がこんなことをしなくてはならないのかとも思うが、しかしこんなことしかできないのだからしかたない。
最初は晶穂も手術の手伝いをするつもりだったのだ。
だが、ヴィルヘルミナが最初の一刀を入れた時、それは無理だと悟り、部屋を飛び出してしまった。
手術だということはわかっていたし、血を見ることも覚悟していた。だが、大河が苦しんでいる姿を正視することができなかった。

「(あんなのどう考えても18禁じゃない)」

自己弁護するとすればこんなところか。
できるのならば、大河の傍についてがんばるよう応援できるのがよかったのだろう。
彼女とはこの事態に陥ってよりすぐに一緒となった間柄である。
言わば、ここでの物語の中ならば最初の仲間であり、無二の友になる存在のはずなのだ。
多分、これが映画やドラマだったのならば大河の友は彼女に付き添い励まし続けたはずだと、晶穂はそう思う。
しかし現実は苛烈だ。少女らしさを投げ捨て獣のように吠える彼女の姿は女子中学生には刺激が強すぎた。
まるで洋画の中に出てくる悪魔憑きの少女である。しかもそれは作り物ではなく、スクリーン越しでもないのだ。

「はぁ……あたしって……」

沈む気持ちに抱えたバケツも重さを増し、晶穂の足は止まってしまう。
誰かの役に立とうという気持ちはあったのだ。しかし、そのやる気がたいしたものでなかったのは現状が証明している。
できたことといったら大河の声に耳を塞いで、最後の最後に汚れた水を捨てに行くことだけ。

「うぅ……」

ともかくとして、汚れた水を捨てに行くことが現在の限界で、与えられた役柄だ。
涙も出ないがそれも仕方ない。せめてこれぐらいは全うしよう――と、再び足を踏み出した時、

「――動かないで下さい!」

その目の前に拳銃が突きつけられた。






「え……?」
「え……?」

須藤晶穂とテレサ・テスタロッサ。うまくいかない少女同士が狭い廊下の中で交差する。
しかし、勘違いに食い違い。この交差では物語は発生しえず。

互いに空しさを与えるのみであった。








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