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オリジナルアート
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オリジナルアート残酷物語
いわゆる「オリジナルアート」、つまりマンガ原稿の売買がいつごろからおこなわれていたかはいまのところよくわからない。だが、アメリカでも当初はオリジナルアートがずいぶん邪険な扱いを受けていたことは確かであるらしく、『Comics Between The Panels』(Steve Duin & Mike Richardson、DARK HORSE Comics刊)の「Original Art」の項には愉快なエピソードがいくつも並んでいる。
たとえばこんな話
たとえばこんな話
アル・ウィリアムソン(Al Williamson)がある朝キング・フィーチャー社の内装工事の現場に行くと、現場でハル・フォスター(Hal Foster)の『Prince Valiant』の原稿がペンキのマスキングに使われていることに気付いた。
あるいはこんなのも
ニール・アダムス(Neal Adams)がDCコミックスのプロダクションルームに入っていくと、編集者がカッティングボードの上でオリジナルアートを賽の目に切り刻んでいるのに出くわした。
「私が奴のところに歩いていくと、そいつは『見てくれよ、連中はいつもオレにこんなことをやらせやがるんだ。いい加減嫌気がさすぜ』なんて言いやがる。それで私は尋ねた『いったいなにをやってるんだ』と。『ゴミ処理だよ。三か月に一度これをやらなきゃならないんだ。まったくケツが痛くなってくる』頭に来た私は『いいか、もう二度とそんなマネはするな、じゃないと貴様をブン殴ってやるからな』と吐き捨てた」
アダムスは当時のDCのアートディレクター、カーマイン・インファンティーノ(Carmine Infantino)に喰ってかかり、自分たちのアートワークが破壊されている事実を訴えた。インファンティーノは肩をすくめただけだった。「私がこのことを訴えた人間はみな私のことを狂人を見るような目で見た。彼らは私の訴えに破棄しなければ棚が空かないじゃないかと言った。それに対して私は『なぜ君らはアーティストに原稿を返却しないんだ?』と尋ねた。彼らの答えはこうだ『誰もそんなこと望んじゃいない』」
断わっておくが、インファンティーノは自身アーティストである。要はその当事者自身にとってすら、マンガ原稿は印刷して本にするためのもので、版にしたあとの「それ」は単なるゴミだった訳だ。
だが、一方で昔からアメリカ人はコレクション好きな人種でもある。どうやら50年代には既にコレクター同士の間でコレクション市場が出来上がっていたらしい。そして、それがより滑稽な事態をももたらすことになる。
だが、一方で昔からアメリカ人はコレクション好きな人種でもある。どうやら50年代には既にコレクター同士の間でコレクション市場が出来上がっていたらしい。そして、それがより滑稽な事態をももたらすことになる。
サム・モスコウィッツ(Sam Moskowitz)はあるオークションでヴァージル・フィンレイ(Virgil Finlay)のモノクロスケッチを競り落とし損ね、ひとり淋しく家に帰る羽目になった。それと同じ晩かどうかは思い出せないが、彼は深夜ヒューゴー・ガーンズバック(Hugo Gernsback)のオフィスに行ってゴミ箱のてっぺんから13枚ものフランク・R・ポール(Frank R. Paul)の原画を拾い上げた。
この種のエピソードをこのコラムは「ゴミ箱の神話」と呼んでいる。
ゴミ箱の神話? そんなのは枚挙に暇がない。あるゴミ箱からはギル・フォックス(Gil Fox)がルー・ファイン(Lou Fine)の比類なき『Hit Comics』#17のカバーを見つけ出したし、ウィリアムソンのコレクション中最良の『Prince Valiant』の原稿(ヴァルが橋の上でバイキングを倒すシーンのもの)はゴミ箱から拾ってきたものだ。それにビル・スタウト(Bill Stout)は『ファンタジア』で使われたステゴサウルスのセル画を救いだすために三度もゴミ処理用の化学薬品槽に駆けつけた。
こういう状況はコレクターにとっては夢のような話だろうが、アーティストにとってはたまったものではないだろう。
時代が下り、60~70年代のマーヴルコミックスのような会社では逆に原稿を決して外に出さず、社内にプールして管理するようになった。ジム・ステランコ(Jim Steranko)とグレイ・モロウ(Gray Morrow)は自分の原稿を返却するように契約書に明記しなければならなかったほどだ。つまり、彼らほど人気のないアーティストたちは返却を求めようもなかったのだ。
コミックファンダムがコレクター市場を形成して以降、アーティストたちはむしろ自分たちの原稿の管理権を巡ってパブリッシャーと闘争している。なにしろ原稿を売れば、決して高いとはいえない原稿料の他に余分な収入が期待できるのである。
たとえば70年代にハイクォリティーなオリジナル作品を多数出版し、現在では一種偶像的に評価されているウォーレンコミックスでもこの点では大差がなかった。むしろワンマン社長だったぶん質が悪かったらしい。ウォーレンでコミックス編集を長らくつとめその黄金時代をつくったアーチー・グッドウィン(Archie Goodwin)のこのことに関するコメントが『Comics Between The Panels』の「Warren Publishing」の項にある。
時代が下り、60~70年代のマーヴルコミックスのような会社では逆に原稿を決して外に出さず、社内にプールして管理するようになった。ジム・ステランコ(Jim Steranko)とグレイ・モロウ(Gray Morrow)は自分の原稿を返却するように契約書に明記しなければならなかったほどだ。つまり、彼らほど人気のないアーティストたちは返却を求めようもなかったのだ。
コミックファンダムがコレクター市場を形成して以降、アーティストたちはむしろ自分たちの原稿の管理権を巡ってパブリッシャーと闘争している。なにしろ原稿を売れば、決して高いとはいえない原稿料の他に余分な収入が期待できるのである。
たとえば70年代にハイクォリティーなオリジナル作品を多数出版し、現在では一種偶像的に評価されているウォーレンコミックスでもこの点では大差がなかった。むしろワンマン社長だったぶん質が悪かったらしい。ウォーレンでコミックス編集を長らくつとめその黄金時代をつくったアーチー・グッドウィン(Archie Goodwin)のこのことに関するコメントが『Comics Between The Panels』の「Warren Publishing」の項にある。
「少なくとも私がウォーレンで働いていた時期はクリエイターの権利なんかないも同然だった」グッドウィンは語る。「私が何度しつこくジム・ウォーレン(Jim Warren)に原稿を返却すべきだと言っても、彼を動かすことはできなかった」
で、必然的にこのことがウォーレン社が倒産した際にモメ事を引き起こすことになる。
1985年、倒産したウォーレン社の財産は連邦法に基づきウォーレンが返却しなかったオリジナルアートを含めて、競売にかけられることになった。競売の結果そのライセンスものの出版権を含めて獲得したのがハリスコミックス(Harris Comics)である。
これに対して当然アーティストたちは反発した。以下はマイケル・ディーン(Michael Dean)による『The Comics Journal』#253のニュース記事「The Vampirella Wars: The Untold Story of James Warren's Custody Battle with Harris Comics」から。
1985年、倒産したウォーレン社の財産は連邦法に基づきウォーレンが返却しなかったオリジナルアートを含めて、競売にかけられることになった。競売の結果そのライセンスものの出版権を含めて獲得したのがハリスコミックス(Harris Comics)である。
これに対して当然アーティストたちは反発した。以下はマイケル・ディーン(Michael Dean)による『The Comics Journal』#253のニュース記事「The Vampirella Wars: The Untold Story of James Warren's Custody Battle with Harris Comics」から。
ウォーレン買収に対する最初の議論は58人のウォーレンで仕事をしたクリエイターや編集者によってほとんどすぐに巻き起こった。フランク・ソーン(Frank Thorne)、ビル・デュベイ(Bill DuBay)、ニール・アダムス(Neal Adams)、ジョン・セベリン(John Severin)、アレックス・トス(Alex Toth)、フォレスト・アッカーマン(Forrest Ackerman)といったひと達は原稿の所有権はウォーレンに帰属しておらず、したがってハリスがこれを購入することはできないこと、ウォーレンが所持するのはこれらのコンテンツの初版時の出版権のみであるとこの裁定に抗議した。デュベイはウォーレンには原稿をアーティストたちに返却する意志があり、原稿の持つ意味はちゃんと理解されていたと主張し、オフィスに原稿があったのは単に人員不足でアーティストへの原稿の発送が遅れていたためだと言った。「多くの原稿が返却されたが」ジャーナルの取材に対し彼は言う「多くの原稿が返却されていなかった」
でまあ、すったもんだの末に個々のアーティストとハリスの間で交渉がなされることになった訳だが、その結果はまちまちで、調べてもよくわからない。現在ではハリス自体も開店休業のような状態にある。
日本人にとってこのケースが興味深いのは昨年のさくら出版の原稿横流し事件とある意味でよく似ていることだ。当然その背景は違い、ウォーレンは悪意を持ってやった訳ではないのだが、日米のクリエイターサイドの原稿に対する意識の違いを考えるには、これはちょうどよい事例だろう。
日本人にとってこのケースが興味深いのは昨年のさくら出版の原稿横流し事件とある意味でよく似ていることだ。当然その背景は違い、ウォーレンは悪意を持ってやった訳ではないのだが、日米のクリエイターサイドの原稿に対する意識の違いを考えるには、これはちょうどよい事例だろう。