Prologue 5 : Nothung

(投稿者:怨是)






 1944年4月30日。グレートウォール戦線の仮設兵舎、エントランスのフェンス沿いにて。

 皇室親衛隊少佐のアシュレイ・ゼクスフォルトが除隊、国外追放処分となってから、半年ごろの月日が流れていた。
 あの日以降、彼が率いていたこの隊はアロイス・フュールケ大尉が引き継ぐ事となり、人員もそれに併せて調節されることとなる。
 戦況は依然安定しているとは云いがたいが、戦車隊が出入り口付近に並んでいるおかげで焚き火と洒落込む事が出来た。
 一年ぶりにキャンプファイアができる。昨年は禁止されていたのだ。

 キャンプにゼクスフォルトの姿、そしてMAIDのシュヴェルテが消えて久しくなった今でさえ、彼らの姿がどこかにいないかと探そうとしてしまう。
 フュールケはアルコールにやられた精神をひんやりした空気で覚まし、御不浄を済ませた手をボトルの水で洗いながら、手頃な切り株に腰を下ろす。
 ここから便所まで行くのはいささか距離があり、それくらいなら近くの木に引っ掛けたほうが早かったのである。

「よいしょっと。楽しんでるかお前ら」

 向かい側には人事異動を免れたザニ・グリッツ曹長とハンス・ベッセルハイム少尉、そして新兵のトーマス・ハッセ二等兵が腰を下ろしていた。
 トーマス・ハッセはまだまだ若手のルーキー野郎であり、これからの成長に大きな期待がかかっている。
 初陣でフライの死骸に蹴りをかますほどの度胸の持ち主で、先日の作戦でもワモンを一匹仕留めた時に触覚を圧し折っていた。
 そのハッセが、金属製カップをこちらに向けて乾杯のポーズを取る。

「ええ楽しんでますとも。最近、新しい子が何人か陸軍に配属されたりとかで。誰が最初に告れるかって話を」

「んだとッ、初耳だぞそれ! 俺ぜんっぜん聞かされてねぇんだけど! どゆこと?」

 フュールケの不満を各々が手で、カップで、薪で受け止め、反対側の手から反論を叩き返す。
 最初の攻撃はベッセルハイムからだった。

「だァってフュールケ隊長よぉ。あんたずっとエミアが忘れられないつぅて、メソメソしてたじゃねぇかよ!」

 フュールケにダイレクトアタック。1000のダメージ。ターンエンド。
 続いてはグリッツ曹長が語彙のカードをドローする。トーマス・ハッセとの波状攻撃である。

「そうですよ。みんな気を利かせてナイショにしてたんですから。ねぇハッセ君」

「ええそうですとも」

 二つの攻撃が絡み合って、フュールケへと命中する。単純な二倍の効果ではなく、二乗でケタを変えてしまうものだ。
 かと思えば、フュールケの防御は彼らの予想以上に堅く、口から放たれた槍はそのまま掴まれてしまう。

「ばっかおめぇ、元カノつぅても死んじまったら時効だよ。過ぎた事をいつまでもクヨクヨしてたら、あっちだって気持ち悪がって成仏できねぇだろうが」

 物理的な死は、海馬や小脳をはじめとする記憶回路の死も含む。
 遺族や周囲の人間の心には残っていようと、本人は永遠にそこから先の現世の出来事を記憶に留める事ができないのだ。
 が、もし仮に霊魂が存在するとしたら、昔の恋人――それも振った相手がいつまでもこちらを気にかけている様子を見て、良い感情を抱くであろうか。
 このあたりでグリッツが、冗談ともつかない茶々を入れる準備を整えていた。

「何せ二回も死んでますしね」

 云っちゃったよ。
 暫く酒の勢いに任せて忘れようとしていた事実を、ここにして突きつけられる。確かに彼女は二度死んだ。

「へ? 二回? 二人死んだって事ですか?」

「そうか、ハッセ君はまだ知らなかったっけ」

 要点の掴めていなかったハッセを見、グリッツがまだ彼にこの事を教えていなかった事に気付く。
 新兵の彼に教えるには少しばかり重たく、云い方を充分に吟味すべきではないかとして、ついこの間まで仲間内で相談していたのだ。
 まぁいいや。どうせこれだけの度胸がある新兵に、多少の乱暴な解説をしたところで大した打撃は無いだろう。
 そもそも今夜話す予定だった話題だったではないか。グリッツは三、四程度に言葉を纏める。

「エミアは一回死んで、MAIDになったんだよ。そんでまたもう一回死んだって話。シュヴェルテが殺されたのは知ってるだろ。あれがエミア」

「あー。ジークフリートが殺した裏切り者って新聞には出てましたよね」

 帝都栄光新聞だったか。皇室親衛隊の誰もが手に取る新聞であり、徐々にエスカレートしつつある内容に、人々の心は離れつつあった。
 今ではあの記述を信用する人間がどれくらいいるだろうか。おそらく、半分程度かもしれない。

「ヴォストルージアのスパイとか書いてあったが、新聞社の連中もとんだデタラメを書きやがる。
 あいつがどこの生まれかぐらい、俺がよく知ってる。俺もエミアも、昔ゃ陸軍にいたかんね。恋人同士だったんだ」

 フュールケとエミア・クラネルトは、二人とも陸軍にいた。
 そして、フュールケの視界では、アシュレイ・ゼクスフォルトは他の隊の通信兵として存在していた。
 確かエミアと続いたのはどれくらいだったか。一年半ほど保ったかどうか。
 付き合った当初からの性格の不一致が災いして、前途多難な恋路だったような記憶がある。

「まァ、それも先方から三行半突きつけられて、少ししないうちにアシュレイ坊やが持ってっちまったけどね」

「その後スパイの濡れ衣と、元カノのダブル消滅たァ。皮肉もいいところだぜ」

 ベッセルハイムがそこから先へと繋げ、フュールケへとパスを返す。
 パスを返されたフュールケの感情は、極めてフラットだった。

「一瞬だけざまぁみろって思ったけど、後でそんな事考えやがった自分自身に腹が立ってしょうがなかったよ。
 自業自得なんだからよ。エミアに三行半貰っちまったのは……まァそんな事はいいんだよ! 良くないけど!」

 今更マイナスへと感情を傾けさせる――いわゆる感傷に浸るという行為が無益な事くらい、彼の理性が心得ていたのだ。
 失恋から立ち直るのに随分とかかったがここにきて時間が特効薬となってくれた。またはタフな新兵に勇気付けられたか。
 新しい歌を歌おう。次の恋の歌でも歌ってやろう。

「とにかく、陸軍に一番顔が利くのはこの俺さ。新しい子は俺が一番乗り! 乗りりぃーんっ!」

 おちゃらけた動作で周囲に宣戦布告する。過ぎた事をクヨクヨしていては、祖国の英霊にも申し訳が立たない云々。
 しかし、周囲が宣戦布告に宣戦布告を重ねようとしていた。

「いやぁ僕でしょ。今までで三十人くらい付き合ってますよ」

「ちっがッ、俺だよ俺! フュールケは一度つきあったからいいだろ! 俺なんて生まれてこのかた春が訪れた事なんて一度も無ぇよ!」

 そりゃそうだ。フュールケの突っ込み攻撃。ヅバババ。GEBOBOBOBO。

「そらお前、その斜に構えた性格を何とかしないと寄ってこねぇって。きな臭さを隠そうとしないんだもんお前」

「るせぇ! 人の事云えた義理か! てめぇが云うなてめぇが! っていうかグリッツてめェ今、何人っつった!」

 ベッセルハイムの頭蓋骨側面を鉄拳で挟み込んで回転させつつ、矛先は俄かにグリッツのほうへと向いた。

「えっとォ……四十人くらいでしたっけ」

「多いよ!」

「普通でしょ」

 二十代で、恋人と付き合う最低年齢がおおそ十五歳だとしたら、十年間ほどで四十人もとっかえひっかえしていたという計算になる。
 単純計算で、三ヶ月サイクルでここまでやってきた事になる。ハイスコアだった。勲章がもらえる。
 かくしてザニ・グリッツ曹長はアロイス・フュールケらによる嫉妬勲章を授与される事となり、羽交い絞めで様々なサブミッションを受ける事となった。

「いやいや普通じゃない普通じゃない。全ッ然ッ普通じゃない。ほら、ハッセ君も何か云ってやれ」

「ええ普通ですとも」

 この野郎。グリッツがサブミッションの呪縛を解き放ち、ハッセの隣へと再び舞い戻る。
 二人は両の手をしっかりと握り締め、そしてグリッツ側が抱き寄せた。

「ほら普通っていった! だよねハッセ君、最高だ! 陸軍女よか、僕ぁ君に惚れそうだ!」

 グリッツが、抱き寄せついでにくすぐり攻撃も喰らわせる。
 やはり後輩は弄ってこそ、華ではないか。

「うははははやめてくださいよ全く! 僕は貴方に惚れて親衛隊に入隊したんですよ!」

「うわーお前ら最ッ低!」

 フュールケとベッセルハイムはそのノリに少しだけ追従すべく、茶々を入れる。
 同性愛ネタは、なかなかどうして「最低!」と云われやすい。もっとも、彼らの場合は冗談の範疇であるが。



 ――ふと、フュールケの左肩に手がずしりと乗った。
 何事かと思って振り向くと、戦車の乗務員らしき兵士が二人ほど、至極迷惑そうな表情でこちらを睨んでいた。
 そのうちの、フュールケの肩に手を乗せていたほうが口の端を歪めつつ開く。

「……あのさ、お前らちょっと聞け。っていうかこっち向け。うん」

 押し殺した声に、空気が凍る。中心の焚き火も心なしか色あせて見える。
 周囲を見回せば、今しがたやってきた戦車兵二人以外のどの面子も、一様に表情を凍らせていた。
 やっちまった。完全にやっちまった。

「お前らうるさいよ。今何時だと思ってんだ」

「おしゃべりすんなとは云わないけどォ、ちったぁ時間帯とボリューム考えなって。いい歳こいてそれじゃ流石に恥ずかしいべ?」

 片割れのほうも口を開く。砕けた口調ではあるが、そこに含まれるのは純粋に叱責の意である。

「ぁ、ハイ、すみません……」

 思わずボソリと謝罪を述べるハッセに、砕けた口調の側の戦車兵が続けた。

「いや“すみません”じゃなくてさ。次から気をつけろって事。わかるよね。
 俺らだからこんなんで済まされッけど、ライフル持ってくるファシスト野郎がたまにいッからサ。考えなヨ」

「ハイ、気をつけます」

 やっちまったか。意気消沈とまでは行かないが、話の炎に水を差されたフュールケらが黙り込む。
 肩に手を乗せていた戦車兵は周囲の反省の意を察したのか、その手を離してそのまま振る。

「程ほどにね。おやすみ」

「うス。おやすみス」

 遠足や学生旅行で騒ぐ後輩達を叱りに来たような、そんな先輩二人と形容すべきか。
 戦闘服とヘルメット姿の二人が戦車の陰に隠れた事を見届ける頃には、辺りの氷点下の空気が焚き火に暖められ、再び温度を取り戻していた。
 酒の勢いに乗って思い切り騒いでいたフュールケも、酔いを醒まして先ほどの騒乱を自省する。



「まァちょいとばかし騒ぎすぎたな。反省反省……」

「……それで、昔話でしたっけ?」

 ハッセが思い返す。フュールケが手洗いを済ませるために近場の木へと足を運ぶ前に、昔話のネタを振ったのだ。
 用を足している間に恋話に変わっていたが、本題はたぶんこちらのほうだった。

「まァ、昔って云うほどじゃないけどね」

 両端の二人にも目配せする。
 ゼクスフォルトにとっては部下の一人という印象しか無かったのかもしれないが、この二人とて名前はある。そしてこのフュールケにも。

 視野は前方しか捉えられない。
 それでも、空間は三百六十度へと展開され、遥か上空にも、そして地中にもあらゆる物が存在する。

 ザニ・グリッツ曹長。
 ハンス・ベッセルハイム少尉。
 そしてあの時の臨時編成部隊、ランスロット隊の副隊長を務めた、アロイス・フュールケ大尉。
 あの時絶望感に駆られて己の不幸を呪ったのは、何もアシュレイ・ゼクスフォルトだけではない。


「聞かせてやるよ。ノートゥング隊に合流した、あの時の俺達の話を」



最終更新:2009年02月01日 12:45
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