Chapter 6-1 : 分厚い雲

(投稿者:怨是)





 1944年7月2日。午後5時。
 国防陸軍第七機甲大隊――通称ダリウス大隊は当初の予定通り、この集落へと足を運んでいた。
 空を仰げば分厚い雲が立ち込め、地上を見渡せば色褪せた煉瓦の建物が立ち並ぶ。

「ここか……」

 現在彼らがいるのは、クロッセル連合王国南端……リスチア王国某所の集落の孤児院付近。
 正確にはリスチア王国の領土からは少しはみ出しており、形容するならば小国の中の小国であった。
 少し歩けば他国領のすぐ近くであるこの集落は、沈黙を粗末な煉瓦で包み込みながら、静かに聳え立っている。
 ダリウス・ヴァン・ベルン少将は今にも雨の降りそうなこの景色に眉をひそめ、ディートリヒを後部座席に乗せた軍用ジープの、ドアを開ける。
 この大柄なMALEのために屋根を取り払ってやったのが災いし、乗り込んでもちっとも気が休まらない。
 屋根の代わりといっては何だが、背後に頼もしい気配があるおかげで、運転には集中できるかもしれなかったが。
 それにしたってこの灰色の雲のせいで空気もまったく美味しいとは云えなかった。

「手早く殴り込みと行くか?」

「気持ちは解るが、落ち着け」

 四方を塀に囲まれた建物は、そこそこの大きさを周囲に主張している。
 相手の戦力は未知数である。それに、出来れば穏便に済ませたかった。
 皇室親衛隊の情報がもし歪曲されたものだったら? 相手は本当に、ただの孤児院なのかもしれないのだ。
 その場合、先制攻撃を仕掛ければ無用な犠牲を相手に強いる。ベルンは、自身の誇りにかけてそれだけは回避したいのだ。

 それでも確かに。確かに、孤児院を自称するにはいささか陰鬱すぎる建物である。
 塀の向こうの建物を忌々しげに見つめながら、同行する皇室親衛隊のメンバーからの連絡を待つ。

 一向に鳴る様子の無い通信機を傍目に、ベルンはつい先日の出来事を回想していた。





 時間を遡って、7月1日。自室にて。
 幾度も皇室親衛隊との共同戦線を張ってきたが、一向にダリウス大隊の名誉は回復せずにいる。
 ついには“暴走大隊”などという不名誉なあだ名まで付けられ、隊員の一部からは不平や不満も出てきた。
 もはや、一刻の猶予も無い状況である。親衛隊の中でも比較的こちらに友好的な者との連絡が取れれば良いのだが。

 ……かつて共に陰謀に立ち向かう事を誓い合ったアシュレイ・ゼクスフォルトは国外追放されたが、彼は元気にしているだろうか。
 フュールケ、グリッツ、ベッセルハイムやあの新兵らは、こちらを信用してくれているのだろうか。


 ディートリヒをソファに寝かせつつ思案にふけっていたところに、ノックが響く。

「ダリウス・ヴァン・ベルン少将。いらっしゃいますか」

 聞き覚えの無い女性の声に名前と階級を訊かれるとは。
 まさか、もう潮時じゃあないだろうな。

 立ち上がって恐る恐るドアを開ければ、やはり見知らぬ女性士官が無表情で立っていた。
 はて、顔立ちもどことなくエントリヒ系とは違うし、どこの所属だろうか。
 上で纏めた長い金髪に、エメラルドグリーンの瞳。中々の美人ではあるが少し童顔だ。背も低い。
 こりゃ戦場と睨めっこする軍人というよりも、机と睨めっこしている手合いの風格だな。
 ここは定番のアレのひとつでも訊いてみようかなどと、ベルンは意地悪心と軟派な下心とを、ほんの少しだけ質問に混ぜてみる事にした。

「名前と階級、所属もお願いできるか。あと……スリーサイズも」

「……ロジーナ・サゼット中尉。所属は陸軍参謀本部です」

 南無三、これはまずったか。ただでさえ無表情な彼女が、空気を凍らせるようなオーラを醸し出す。
 何にせよ、道理で見覚えが無い訳だった。まさか参謀本部から直々にお出ましとは。ベルンは頭の回転を、少しだけ滑らせる。

 参謀本部といえば、中心部から国防陸軍へと指令を出す組織であり、いわば親会社のような存在だ。
 流石に何事かと思い、とりあえず部屋に招きいれて相手が用件を切り出すのを待つ事にする。
 先ほどまで寝そべっていたディートリヒもその異様な雰囲気を察したのか、ソファを一旦バウンドさせつつ座りなおしていた。
 サゼットは鞄から書類を取り出し、暫く目を通してからようやく口を開き始める。

「いい知らせと悪い知らせがあります。まず良いほうからお話し致しましょう」

 “いい知らせ”のほうは予想できないが、悪い知らせのほうはだいたい見当が付く。
 おそらくは除隊通知か何かではないのだろうか。

 思えば一年近くはネガティヴキャンペーンの火の粉を何とかして振り払ってきたが、最後に見る顔がこの見知らぬ美女だとは。
 ディートリヒ。グリム。ハイメ。ダリウス大隊に今まで付いてきてくれた皆。
 私はもう駄目かも知れない。きっとこれは何かの冗談だ。

「――ベルン少将。当方には既に、第七機甲大隊の皆様の名誉を回復させる用意がございます」

 何、名誉を回復させる用意があると。
 腹をくくらんとするベルンの耳に届いた言葉は、意外なものだった。

「なんと……」

「な、なんだって!」

 唖然とするベルンとディートリヒをよそに、サゼットが床に置いた鞄からもう何枚か書類を漁る。
 あれでもない、これでもないと呟きながら、暫しこちらを待たせること五分。

 物理的にも用意してあるなら、はじめから“取り出す用意”も済ませておけと云いたくもなるが、それが原因で無用ないざこざになるのも御免被りたかった。
 遠からずお役御免になるかもしれない危機的状況であるにも関わらず、二重の御免など賢明な判断ではない。
 書類を何枚か左手の指に挟みながら顔を上げたサゼットは、ようやく話をまとめたようだった。
 そのうちの一、二枚ほどを右手に持ち替え、ベルンへと差し出す。

「“亜人救出作戦”という、小規模戦闘を伴う作戦が立案されておりまして。火急を要する事態なので乱文になりますが……」

 渡された書類によると、概要はこうだ。
 皇室親衛隊の一部隊と共に連合王国南端の集落の孤児院へと赴き、亜人を二人ほど救出するものである。
 この孤児院は連合王国側もお手上げ状態となるほどの怪しい団体が運営しており、MAIDの力さえあれば何とか奪還できると。
 そして身体能力などに秀でるディートリヒが適任であるというものだった。

「……ふむ」

「あなた方が皇室親衛隊側に私利私欲で動いているわけではない事を証明できれば、いや――
 少なくとも“皇室親衛隊にとって利益のある存在”である事を証明できれば、おそらくは一連のネガティヴ・キャンペーンもなりを潜めるかと」

 そう都合よく事が進めば万々歳でもあるが、俄かに信用するには危険なカードでもあった。
 確かに皇室親衛隊の命令の通りに全て動けば、物事は万事丸く収まる。
 が、得てしてあちらの戦場を取り仕切っている若造共は、まだまだケツも青いくせに簡単に物事を諦め、兵をパスタのように切り捨てる。
 まるで切り捨てる事が格好いい事であるかのような風潮が広まっている。
 それが納得できずに今まで軽い命令違反を犯してでも友軍の窮地を救ってきたが、今度は何と“救え”という命令なのだ。

「私はあなた方が、正義の為に動いている事を充分に存じ上げているつもりではありますがね。あ、でも信用していただけなくても結構です。
 これだけ長期にわたって暗闘の中をかいくぐって来られたベルン少将ですし、いきなりこんな都合の良い作戦が舞い込んできては疑り深くもありましょう」

 彼女の言葉の通り、早速ながらベルンの胸中には暗雲が立ち込めていた。掌を返したような対応ではないか。
 皇室親衛隊も一枚岩ではないという事は今までの経験則で重々承知していたが、こんな作戦を立案した連中は、何枚目(・・・)の岩なのか。
 そんな胸中を知ってか知らずか、サゼットは次の書類に目を通していた。

「そこで、次に悪い知らせのほうをお伝えしますが」

 何だ何だ。既に先ほどの知らせ自体が充分に悪い知らせだったじゃないか。嘘っぱちめ。
 ベルンの片眉が少しだけ動いた。口を開こうとしたところで、痺れを切らしたディートリヒがそれを遮る。

「勿体ぶっちゃいけねぇよ、お嬢ちゃん! もっとハキハキ云ってくれ!」

「彼ら――いえ、シュバルツ・フォン・ディートリッヒ少佐は、救出した亜人をMAIDに改造し、私兵として使役するつもりです。
 これは事実ですけどね。我々国防陸軍参謀本部としてはそれを看過出来ないというのもまた、事実です。
 少将もご存知でしょう? レオ・パールの話は」

 シカトかよと叫ぶディートリヒを無視して続けたサゼットの話は、ベルンの暗雲を僅かに取り除く要素の一つだった。
 ――レオ・パール。確かネコ科の動物の特徴を持つ亜人だったか。
 少し以前に監視付きで皇室親衛隊が迎え入れ、教育にあたったとかそうでないとか等といった話だ。
 出会いは偶発的なものとして知らされていたが、はて。

「シュバルツ君が、ザハーラ領で捕獲した亜人をMAIDにしたという話だな。
 あの時は調査中に奇襲を受けたので射殺せざるを得なかったと聞いているが、まさか今回は“わざと”やってのけるつもりか」

「……残念ながら、そういう事(・・・・・)になってしまいますね」

「あの野郎、まだ懲りてねェのか!」

 結局の所レオ・パールは失敗作としてシュバルツが教育を放棄し、ザハーラ領へと派遣する形で追い返したらしい。
 今度は上手くやるという事だろうか。丹念に教育を行えば、確かに手なずけられるという道理はあるだろう。
 その亜人が凶暴な性質でなければの話ではあるが。

ブリュンヒルデの姉御は何の為にこの国を守ってきたんだ……!」

 ディートリヒの嘆きにサゼットは目をつぶって首を横に振り、一度視線をこちらに戻す。

「彼らがこれからやろうとしている事はまさに、命に対する冒涜行為です。殺さなくても良い命をわざと殺しているのですから。
 この非人道的な計画を、国の威信にかけて……いえ、全人類の正義にかけて、何としてでも阻止せねばなりません」

 そう云って鞄をまたごそごそと漁る。まだあるのか。
 たった一枚の、少しだけ色の違う紙をこちらに手渡す。

「こちらが追加の作戦内容です。あなた方にはこちらの追加書類のほうを優先していただきます。
 もちろんご理解いただけるとは思いますが、これは皇室親衛隊側、特にあの少佐殿の耳には届けてはなりませんよ。
 計画が邪魔されれば、彼はどんな暴挙に出るのか解ったものではありませんから」

 では失礼致しますと云って立ち上がると、彼女はベルンにドアの外まで案内される。
 終始無表情だった彼女は、ベルンがドアを開けたその一瞬だけ、表情を和らげた。

「作戦が予定通りに運び次第、彼奴らは皇室親衛隊の狙撃部隊の方々によって処分される予定です。
 ……よろしく頼みますよ。ダリウス・ヴァン・ベルン少将」

 見慣れぬ女性の小さな背中を見送りドアを閉めると、溜め息が一つ、喉越し爽やかとは云いがたいものが出てきた。
 救出ついでに狙撃部隊による暗殺とは。何やら随分と物騒な話ではないか。こちらとしては全て穏便に済ませたい。

 にも関わらず、追加と云われて渡されたこの書類と来たら、筋書きだけはきちんと通っているのだ。

 孤児院はまともな団体ではないからMALEの力を要する。
 そこで、ダリウス大隊と皇室親衛隊が孤児院へ向かう。
 救出はきちんと行うが、皇室親衛隊のシュバルツ・フォン・ディートリッヒだけは非人道的な道楽者であるから射殺する。
 亜人は残りの皇室親衛隊が責任を持って管理し、非人道的な道楽者の排除に協力してくれたダリウス大隊は晴れて汚名返上の正義の味方。

 ――などという寸法だが、なるほど筋書きはきっちり通っている。
 エントリヒ皇帝もおそらくはそのような私利私欲の為に非人道的な実験を強行する事を、決して許しはしないだろう。
 そして“皇帝派”を名乗る連中とて、その皇帝の怒りにインコのように追従するに違いないのだ。
 シュバルツの暗殺成功を機に、こちらは嫌疑が晴れて“実は親衛隊側にとって都合の良い存在だった”という事が証明されるという事か。
 それらを考えれば確かに筋書きはきっちりと通っている。
 しかし、このダリウス・ヴァン・ベルンにとってはそれらがかえって不気味に見えて仕方が無いのだ。
 出撃までもう幾ばくも時間は残されていない。


「何も無ければ良いのだが……」


 その呟きだけが、ドアを開け放したこの空間に、空しく響いた。





「むぐッ!」

 回想は突如として、後頭部の衝撃によって幕を閉じる。
 幸いにしてクラクションにぶつかる事は無かったが、ハンドルに額を強く打ったために二重の痛みに挟まれる。
 暫しの悶絶の後に振り向けば、案の定ディートリヒが右腕を出したまま固まっていた。またデコピンか。こやつめ。

「わ、悪ィ。まさかそこまで痛がるとは……」

「お前は加減というもんが判らんのか! クラクションに当たったらどうしてくれるんだ!」

 小さな声で少しだけ語気を強めると、俄かに後頭部が痛むような気がした。
 頭を抱えて風に晒し、痛みが引くのを待つと、頭の上にひんやりした感触が二、三粒ほど突いてくる。

「だって、急にボーっとしちまって反応が無ェからよ!」

「心配するな。ただの考え事さ」

 この天気では仕方あるまい。
 ぽつぽつと降ってきた雨をしのぐ為に、先ほどまで助手席に置いてあった板を屋根の代わりにフロントガラスとシート後部に乗せる。
 湿気が喉にへばりつくのを邪魔臭く感じつつ、孤児院の方角へともう一度視線を合わせたが、やはり雨が降っても沈黙を守るか。

「怖気づいてたりしてねぇだろうな」

「お前のデコピンのほうがよっぽど恐い」

「へへッ、そうかい」

 備え付けの通信機のピープ音が、彼らの談笑を区切った。
 周囲の気だるい湿気が一気に吹き飛ぶ。

「おッ、来るぞ」

《あぁー……アッーアッー! テストゥ! テストゥートゥーッ! トゥットゥーん!》

 気の抜けた声だが、間違いない。
 事前の打ち合わせで聞いたことがある。この口調は、彼だ。

《ハイはいハーイ! こちら皇室親衛隊のシュバルツ・フォン・ディートリッヒ“少佐殿”でございムェス。僕ちゃん超元気。
 準備完了系につきそろそろ動きましょう的な雰囲気なんで、紳士の皆様によろしくお伝えくださいな。以上、通信終わゆ!》

 妙に上機嫌で調子外れな通信は、一方的に途切れる。
 お目当ての亜人を前にして、機嫌を良くしているのだろうか。
 同じくこちらも機嫌が良くなりそうだった。

 ようやく動く。ここで全てを確かめよう。
 そして、なるべくならば平和的に事を済ませよう。
 暗雲を吹き飛ばす一陣の風となって、彼らとの間に横たわる膨大な闇を陽光の元に晒してやろう。

「よぅし、許可も下りたことだし、紳士の皆様に連絡を廻すぞ」

 車の後ろの、MALEのほうのディートリヒは、いつもの得物とは別の大剣を取り出し、スタンバイ状態に入っていた。
 普段彼が使う巨剣エッケザックスは5Mもの刃渡りの生み出す打撃力が売りだが、今回は生憎と入り組んだ屋内戦においては扉をくぐる事もままならない。
 そこで今回は、片刃剣のナーゲルリングを用いる事にしたのだ。
 どうせ今回の作戦は、彼の場合は徒手空拳を用いねばならない。今回だけは、この獲物は張子の虎のようなものであるべきなのだ。
 事前に内緒話で全員に伝えた作戦を、今一度頭の中で反芻する。

「ダリウス・ヴァン・ベルンより大隊の諸君。作戦は頭にきちんと入ってるな?」

《もちろんですとも!》

 救出は行う。
 だが、殲滅は行わない。
 シュバルツも殺さず、悪くて失脚までに留める。
 ――それで良いのだ。何も殺すことは無いじゃないか。

「これより亜人救出作戦を開始する! 各員、紳士的に作戦を展開するぞ!」



最終更新:2009年02月05日 01:11
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