Chapter 4 :時は五月 後編

(投稿者:Cet)



 その板張りの四角い部屋には電話が十台あった。窓はあるもののカーテンで仕切られている、広い部屋だった。
 少女が座り込むその周りに並べてあって、少女はそれを交互に取り、短い会話をして切ることを繰り返していた。
 そこに別の影が現れる。彼女が同時に電話を切った。コールは鳴らない。
「おじさま、お久しぶりですっ」
「ああ、フレデリカ。今日も可愛いね」
 おじさま、とちょっと照れたように窘める少女。年のころは十歳くらいだろうか。
「フレデリカ、彼は今どうしてる?」
「はい、別室で射撃訓練をしているようですが」
「そうか、ん、じゃあ」
「おじさま、いつでもいらして下さいね。その為の情報操作なら幾らでもしますから」
「それは心強い言葉だね」
 そう言って笑み一つ残して部屋を通り抜けていく。当然、無音である。
 少女はそれを見送る。呆れたように、満足そうに笑うと、同時にコールが鳴る。はいもしもし、少女は笑う。会話をする、切る。同時に電話が鳴り出す。

 別室はシューティングレンジになっていた。二十五メートルのレンジ、幅は四メートルくらいだろうか。そこにフォッカーが入り、扉を閉める。
 ばんばん、という音にそれらはかき消されるも、少年は撃ちつくした銃をカウンターに置き、イヤーカバーを外した。精悍な瞳でフォッカーの方を見遣る。
「こんにちは、フォッカーさん。今日は何の用事です?」
 にこり、と少年は笑った。フォッカーは何も返さない。
「見てるだけですか」
「そうだ、続けてくれ」
「了解」
 再び拳銃に視線を戻すと、弾倉の交換にかかる。
「君もおじさんって呼んでいいんだけど」
 少年がイヤーカバーをかける瞬間投げかけた言葉は霧散し、銃声で消滅する。
 バン、バン。ばしばしとその度に備え付けの円形のターゲットに弾痕が刻まれていく。その狙いはひどく正確だ、二十五メートル。その距離でなお着弾圏は狭い。
 フォッカーはにこりと笑った。そのまま踵を返し、音も無く退室した。
 少年は撃ち続ける、その網膜にはマズルフラッシュが何度と無く焼き付いて、それでも少年の表情は動かない。

 フォッカーがまた戻ってくると同時にフレデリカは電話を置く、コールは鳴らない。
「どうでしたか? おじさま」
「難しいね」
 フォッカーはぽりぽりとポマードで固めた頭を掻きながら言った。
「難しいことは何もないんでしょう、おじさまにとって」
「君に言われるとはね、いやしかし」
 少女はふう、と溜息を吐く。
「おじさまらしくない、あの子が何だって言うんですか、まるで、亡霊を相手にするような態度で接してらっしゃる」
 フォッカーは笑う、いつものように。
「フレデリカ、君も彼と深く話してみたらどうだい」
「ど、どうして私が」
 少女は慌てて言った。
「何たって年が近いものだから」
「それはそうですけど、あの子」
 周囲に視線を彷徨わせる。
「怖いのに」
「あっハハハハ」
 呵呵と笑うフォッカーが踵を返し部屋を出て行く、思った通りだと少女は悪態がてらその背中を睨んだ。扉が静かに閉まり、同時にコール。もしもし、声色はそのままに顔は笑っていない。

「フォッカーさん、どうでしたか」
「ああ、重畳。特に問題なし、これで計画にも弾みがつくね」
 多少の過大評価は男の常である。付き人のようにそのアパートの扉の前に立ちすくむ男、トーマス・ギュンター少尉は茫洋とした目つきでいる。
「計画などと口走るのは」
「ああ、心配ない。この辺りはフレデリカの情報管轄内だから、幾らでも修正が利くし」
「仕事を増やすのがそんなに好きですか貴方は」
 これは一本取られたね、言いながら二人は歩き出す。

 少女はスカートのちりを払って立ち上がった。どうして私が、と悪態をつきつつ、そろそろ少年が出てくる頃だと見計らう。予想通り、少年はその部屋に現れた。食事を取る為だ。
 ランニングシャツに綿のズボンというラフを通り越した服装である。ただしその白い肩は筋肉で盛り上がっている、引き締まった肉体だった。
 その彼が破顔して少女を見遣った。少女は緊張した様子で声をかける。
クナーベ、一緒にご飯食べる?」
「いいよ、君、忙しいんだろ」
「そうです、その為に急ぎました」
 少女は笑う、その証拠にコールは鳴り止んでいる。
「どっちでもいいけど、どっちが作るかが問題だね」
「はい、私が作ります」
「いいよ」
 クナーベは人当たりの良い笑いをちらつかせながら部屋を横切っていく。
「適当な物を作れたら呼ぶよ、終わったら買出し行ってくるね」
「そんな」
 少女は何となく悲しそうに言った。何だか自分が置いてけぼりにされていくような気がしたのだ。(事実そうなのだが)
「じゃあ、一緒に行く?」
「それは、無理ですけど」
 少年は考える、じゃあ、と切り返す。
「俺は待てるから、その間に仕事を終わらせるってことで」
「まあ、いいですけど」
 少年は笑った。少女は、ふっと顔を逸らせる。その間に少年は彼女の視界から消えている。
 少女は思う、あの子はきっと私に気を持たせようとしてあんな風に言うのだ。そうでないのなら私がきっと移りげなだけだと。

 少年はスープを作ることに決めた。何故そうしようと思ったのかは分からない。ただ材料が揃っていたからだ。白パン、野菜、ウインナー、各種調味料。彼はまずスープの地を作るべくする。
 準備を終えると鍋を火にかけた。青白いガスの燃焼色が彼の網膜に浮かび上がる。
 ぼぅっと見つめていると、その光が彼を暗闇へといざなっていく。
 いつもそうしてフラッシュバックが待ち構えている。一際明るい一度っきりの発光で彼の意識は暗闇から現実に連れ戻される。
 射撃訓練をしている間もそうだ、トリガーを引く度に彼はどこか遠い世界からこちら側へと戻ってきているような、そんな気分になる。



 どこからどこまでが夢なのだろう。
 夢から覚めるにはどうすればいいのだろう、少年は考える。
 暗闇、どこまでも続く暗闇。
 そして暗闇はいつも明ける。いつも同じ場所に帰ってくる。
 その頬に手が添えられていた。
 ざあざあと雨が降りしきる中、それは外部から与えられる唯一の温もりだった。彼は再び現実へと戻ってくる、目を開けると、そこには少女がいて、笑っている。
「ラシェル……?」
「違いますよ、私の名前は貴方がくれた一つっきりです」
 少女は笑った。その体も雨で濡れている。
「彼女はどうした」
「帰りました、もう二度と戻ってくることはないでしょう」
「どうして」
「何でも、夢が叶ったんだそうですよ」
 少女もよく分からないといった調子で答える。
「あの時泣いたのは私じゃありません、彼女です」
 青年は沈黙する。
「私は嬉しかったけど、彼女は嫌だったみたいです。そりゃそうですよね」
「ああ、俺が悪い」
「だったら謝ってください」
 少女は微笑んで言う。
「好きだよ」
「はい」
「大好きです」
「はい、私も大好きです」
 少女が笑う。どちらとなく、二人の距離が縮まっていく。
 あと少しでゼロというところで、少女が言う。
「ねえ、クナーベ。どうしたら夢から覚めるの?」
 少年は笑った。
「叶えるだけさ」
「ええ、私もそう思う」
 キスをする。


 闇に閉ざされていた筈の周囲から、拍手が起こった。
「ブラヴォオオォォウ! おめでとう!」
「おめでとうクナーベ、ファイルヘン!」
 その声を全く意に介した様子がない二人は、お互いに体を抱きしめあう。
 大騒ぎの様子は一気に沈静化していく。う、とか、あ、とかどこかばつの悪そうなうめきごえが交わされあう。
 そしてクナーベが目を開けた。ファイルヘンが笑う。
「ありがとさん」
「皆さんありがとうございます、これからも、よろしくお願いします」
 二人はそう言った。
 再び拍手が起こる、ただ見るだけ、とか行きたくないむしろ行かないとかだだをこねていた大人や少女じみた女性なんかも拍手をしていた。
「ちくしょー、羨ましい」
「羨ましくなんかないわよっ」
 畜生! と二人くらい言っているのが聞こえたが、もうなんかどうでもいい気がする。

「おめでとう」
 一人自室にいたフォッカーが呟いた。
 幕が閉まる。そして始まる。
 アンコールが鳴り響いているが、まだまだ続く。


最終更新:2009年02月26日 21:34
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