(投稿者:Cet)
どん、と思い切り殴られたような衝撃が胸から体中を貫いた
後方に吹っ飛ばされる
視界だけが自分自身の意思とは無関係に移動する
落ちた
暗い穴に落ちた
何故か落下の衝撃を感じない
視界の端を赤い光が飛び交っている中で何かが見えた
暗い影
白い光
「影に暗いも何もないさ」
そう男は言った。
僅かな光さえない暗闇の中で響いた。
「誰?」
「名前なんざどうでもいい、俺は思想家だ」
俺は変わらなくちゃならないんだ愛するあいつを解き放ってやる為に。
男は歌う。
「ところであいつって誰だっけ」
そして訊いた。
「知らないよ、そんなこと」
「だろうな、でも俺は自分自身さえ破壊できる、何たって俺は思想家だ、ここは俺の世界なんだ、そんなの、考え次第で幾らだって変えられるんだ、そう自分自身だって」
「多分だけど、愛するあいつっていうのは貴方が好きだった女の子のことだと思うよ」
男は黙っていた、そうしてまた歌い出す。
俺は思想家だ、自分自身だって破壊できる、そして俺は狩猟者だ。
「じゃあな」
「待てよ、俺は狩猟者だ」
「それこそ知らないよ、じゃあね」
待てって言ってるだろ! 男の声を背に暗闇を歩いていく。
月明かりで地面が仄かに光っていた。
青白い光のもと、少女が切り株の上に座って空を眺めている。
木々の上に、月が優しく光っていた。
「刻(とき)が見えればいいな」
少女は囁くように言った。
「どうして」
「私には何だって見える、そう皆が言ってたよ」
「そうかい」
「でも刻が見えないんだ、どうしてだと思う?」
「努力すれば見えるんじゃないかな、でも刻ってなんだい?」
「さあな、努力すれば見えるのかもしれないよ」
見えないな、そう呟く少女の脇をすり抜けていく。
森を抜ける。
気が付くと白い闇の中にいた。
闇の中で、温かな何かを抱きしめていた。しかしそれが何なのか分からない。
いつまでもこうしている訳にもいかないな。
そう思い、その抱きしめている何かを手放すことに決めた。
さよなら
時刻は午前八時を過ぎたところ、白を基調とした清潔な印象を与える食堂に座っている人影は一つ。
「頂きます」
目を閉じてそう一言、
シュワルベは呟いた。
器用に箸を扱ってうどんをすすっていると、その目の前にもう一人が現れる。
寝癖で片方の髪が跳ね上がっていた、フォーマルなエプロン
ドレスもどこか整合性を欠いていた。手にはバイキング形式の食堂で余りもののあり合わせを盆に盛っている。
「
トリアさんどうしたんですか?」
「ね、寝坊しちゃった」
珍しいこともある、とシュワルベはとりあえず相席を進めた。
「ご飯を食べないと訓練もはかどりませんよ」
「ああ、いいんでしょうか今部隊の皆が一生懸命訓練してる最中に朝食を頂いちゃって。
っていうかシュワルベさんはどうしたんですかっ」
「はかどりませんよ」
そう言いながら丼を傾けて汁を啜る。
「まあ私も人のこと言えないですけど」
はあと溜息をついて、頂きます。と一言、もそもそとパンを口に運ぶ。
不意にトリアが顔を上げると、シュワルベの視線が自分の顔面に突き刺さって抜けまいとしていることに気が付いた。
「ね、寝癖直す時間もなくて」
「あの、トリアさん、ハンカチ」
ハンカチ? と脳内に疑問符を浮かべていると、シュワルベは席を立ってこちらに歩み寄り、ポケットから取り出していたハンカチでその目元を拭い始めた。
「ど、どうしたんですか?」
「それはこっちの台詞です、目の前で食事中の人がいきなり涙を流し始めたら、当事者でない限りはびっくりします」
そこでトリアはようやく事の次第を知るのであった。
「あ、あれ、あれ、私、どうして」
「う、拭い切れない」
ぽたぽた、と落ちる雫を留めようと、トリアは手のひらで目元を覆うのだが、適わず。
ぽたぽたと指の間から零れ落ちていく。
白い光の中、塹壕がたくさん、でも同じような深さの砲撃痕もたくさんの荒野。
死体がたくさん、ついでにGの死骸も同じだった。一応動き回っているのは人間だった。
厚手のコートに身を包み、包帯で顔の左半分を覆った士官が塹壕の中に滑り降りて、腰を降ろした。すぐ隣に横たわる肢体。
「よお、生きてるか」
「う」
呻き声をあげて肢体が目を開ける。
「アンリか」
「そうだよ、他にいねーよ。つーかお前背骨折れてるからさ、これからの人生苦労することになるよ」
「馬鹿ばっかだな、俺」
「保証するわ」
たばこ、と肢体が呟いた。ん、と一本取り出して、火を点けて、咥えさせる。
「っていうかお前煙草吸えたっけ」
そう言う隣、震える息で煙を吐き出す。
「さむいよ」
あ? と聞き返すと同時に煙草が地面に落ちた。
「トリア」
「あ? よく聞こえねーよ。
トリアー! 俺だー! 結婚してくれー! こうだろうが、もっかい言ってみろよ。あーったくしょうがねーな、俺がドッグタグ貰ってくからな、後お前が言えなかったことは全部ラジオに投函してる、だから心配するな、な畜生死んじまえ何もかもクソッタレこの世界も滅びちまえしねしねいしねいしねしねいしねっ」
白い光の中、人の絶えた荒野に盲人が佇んでいる。
「俺は思想家だ、自分自身だって破壊できる。ああでも見えやしねぇんだ、もう見えやしねぇんだよ」
「うう」
ぐす、と鼻を啜るトリア。
「鼻先を赤くして目を潤ませて蹲って」
「何で状況描写してるんですか?」
特に意味は無いです、とシュワルベ。
「とにかく、情緒不安定ですね、女の子だからありがちなのか、私には分かりかねるんですけど」
「ご面倒をおかけしてすみません、ああでも訓練に行かなくちゃ」
「世のムジョウここにありですね、でも医務室に連れて行きますからね、するとほら遅刻の言い訳だってバッチリ」
「訓練行きます」
「医務室」
柔らかな日差しが緑葉の隙間から漏れていた。
葉擦れの音が細やかに奏でられる。
丘陵地帯がうねるように続く中、小高く平らな尾根に、一軒のログハウスがあった。
庭のようなスペースにテーブル、その周りに大きな椅子が二つ、小さな椅子が一つ。全てが清潔な白い樹脂の意匠。
その大きな椅子の一つに男が座っていた。森林浴を楽しんでいる。
「ん、そろそろ行こうか」
立ち上がる。
「まだ来てないのか、いつになるんだろう」
歩き出す。
暫くして彼の姿は森の中に消えていった。
最終更新:2009年02月28日 00:51