(投稿者:店長)
「……いただきます」
クロッセル連合陸軍前線基地。その食堂で
ルルアは食事をとっていた。
以前はルルアの隣には、教え子(
シリル)と戦友(
エルフィファーレ)がいた。
けど今は誰もいない。いなくなってしまった。 どちらも、ルルアには手の届かない所へ行ってしまったのだ。
その事をルルアは優しい性格をしていた故に、自分に非があったのではないかと思いつめていた。
神狼が死んだ時も思いつめ、苦悩し、外傷が癒えるまでの合間何度も自分を見失った。
マクスウェルの胸を借りて大きく泣いてなかったならば、きっとまたそうなっていただろう。
暗い気持ちによって心が曇る。賑やかで騒がしいはずの周囲の音が次第に聞こえなくなる錯覚を覚える。
「隣、いいかな?」
だからだろうか。
不意に声を掛けられるまで、その人物のことに気づかなかったのは。
気配も、足音さえも、全く感じられなかった。
こんな事では前線で命を落としかねないとルルアは思いつつも、落ち込んだ気持ちを上向きには出来ない。
「あ、良いですよ……どうぞ」
「ありがとう」
灰色の頭髪を三つ編みにした、クロッセル連合陸軍の服を着た女性士官だった。
しかし、サングラスのせいで人相は把握できない。
おかしな人だとルルアは思いつつも、それを問うつもりにはなれなかった。
彼女はコツコツと自分の皿に盛られたスパゲティーの中へフォークを幾度か鳴らしながら、そっと呟く。
「彼女のこと、信じてる?」
「!?……な、なんのことでしょうか」
その静かな呟きは完全に治癒していないルルアの心を突き刺し、有効過ぎる一撃を与え、狼狽させる。
慌てて冷静に対処しようと、表情を強張らせるが、それで冷静と言える訳がない。
一方の女性士官はスパゲティーをフォークに絡め、口に頬張る。
上品なその仕草はどこか、今はいない戦友のそれに似ている気がした。
「まぁまぁ、……信じているのでしょ? エルフィファーレのこと」
「……無論です」
「なら大丈夫かな?教えても」
──この人は一体何を……
ルルアは引っ込めた筈の動揺に翻弄され始めた。 十秒にも満たない短時間で色々な推測や仮説が頭の中を飛び交うが、
冷静になれないルルアはそれらの情報を掴めず、ただ眼前の人物が不思議ではなく、もっと確かで重要なものに見えてきた。
「ああ、けど教えるのはヒントだよ?」
「な、ふざけ―――!!」
「すとーっぷ。まあ落ち着きなさいな。これでも相当にギリギリなんだからね?」
慌てて女性士官はルルアの綺麗な唇に指を当てて、その先を制する。
そして絶えず周囲に気を配っていることに気づいた。
何故、そこまで警戒するのだろう?
判らない。何故彼女はエルフィファーレのことを知っているのだろう?
判らない。教えることがギリギリとはどういう意味なのだろうか?
いくつもの疑問符が浮かぶ最中、いつの間にか押し当てられていた指が取り払われ、女性士官の口がゆっくりと動いた。
「──ブラックバカラ」
「?」
「この言葉について調べてみなさい?……んしょ、ご馳走様」
いつの間にか、最後の一口を腹に収めた女性士官は最後にルルアに対して投げキッスをしてきた。
恐らくは彼女なりの応援なのだろうが、非日常的であって重要な時を終えて頭が混乱しているルルアはそれが嘲っているようにも見えた。
それにしても……ブラックバカラという言葉にどのような意味があるのだろうか。
「……悩んでいても、始まりませんね…」
結局ルルア一人では『ブラックバカラ』という単語が何を意味するのかが分からなかった。
こういう時はあのマクスウェル中佐を頼るしかない。それでも駄目ならば、部隊を抜けてでも調べなくてはいけない。
それが、エルフィファーレに繋がるのなら……立ち止まってはいられないのだから。
☆
ルルアは早速そのことをマクスウェル中佐に告げて、テーブルで向かい合って座りながら相談しあっていた。
場所はマクスウェルの部屋で、ズラリと色々な専門書が並んだ本棚以外には余計な私物が一切無く、全体的に小奇麗で纏まっている。
そういえば、ゴドウィンの部屋も似たような感じだったと、ルルアはちらと思った。
「ブラックバカラ……か」
「何か知っていませんか?」
「オイチョカブに似ている賭けトランプでバカラというのがあるが、違うな……確か、ここだったかな」
冗談なのか本気なのか分からない推測を言っって、マクスウェルは一旦テーブルから離れ、本棚から分厚い書物を取り出す。
昆虫、動物、歴史、地理、色々なジャンルの専門書の中から取り出されたのは植物図鑑であった。
まず目録を確認してページをパラパラと捲っていくマクスウェルは、目的のページを見つけると図鑑をテーブルに置いた。
「これだな」
「……黒薔薇ですか」
白黒の写真に撮影されているその花は、 薔薇のように見えた。
グリーデル王国で栽培されている品種であるブラックバカラ。
赤の色素が濃すぎる故に黒ずんで見える薔薇。
白黒写真においても、殆どが真っ黒にしか写らない。
「花言葉は……随分と物騒だな…」
「確かに……」
貴方はあくまで私のもの、恨み、憎しみ。
凡そ大半の人々には受け入れがたい花言葉だ。というよりも、薔薇には似合わない、暗くて暴力的な花言葉。
そして、あの女性士官が何故これを指したのか、一体この花がどうしたというのだろうか。
いや待て。とマクスウェルは考えることだけに集中する。
この言葉を告げるだけで周囲を伺ったとルルアは言っていた。
つまり公言できない何かを示している? 例えば、作戦名だ。
軍人には守秘義務というものがある。機密を守ることでその情報漏洩を防ぎ、相手に悟らせないようにするためにだ。
ならば、この単語が守秘義務の発生する機密事項ならどうだろうか?
マクスウェルは剃り忘れた顎鬚を摩りながら、己の脳細胞を活性化させていく。
「……もしかしたら、な」
「何か心当たりが?」
「……まぁ、私に任しておけ」
ルルアに対し、彼は普段見せない愛嬌とは程遠い、不器用な笑みを浮かべながら答えた。
兎も角、ルルアの事だ。安心させなければ何をしでかすか分かったものではない。
仲間の為ならば己の命さえひょいと差し出すような彼女なのだ。充分注意しなければいけない。
──にしても、ルルアにこのことを告げた奴は何者だ?
いや、そんな事はどうでも良い……まずはこの言葉の意味を調べ上げることが先決だ。
最終更新:2010年02月09日 01:06