(投稿者:店長)
たった1ヶ月。
組織的な後ろ盾のない一個人がこの時間で調べ上げられたのは彼が非凡であり、そしてマクスウェルの個人の、否、
既に故人となっているジョー・ゴドウィンから彼へと継承されたコネの広さが一因であろう。
クラーク・マクスウェルの凡そ持ちえるコネを最大限に用いての情報攻勢によって、
今まで秘匿されてきた
エルフィファーレのことが次第に浮き彫りになっていく。
エルフィファーレは元々軍情報部第7課に所属するエージェントであること、
ブラックバカラとは彼女を指すコードネームであること。
そして、今回の一連の事件、エルフィファーレの離脱の真実。
彼女に下された命令、その内容。軍人としてはともかく、人としては許せるものではない。
「──くそったれ!」
調べ上げた資料を、テーブルに叩きつける。何十枚にもなっていた紙の束がテーブルの上に散らばったが、気にしたものではない。
なんなのだ、これは。
ガラン・ハード大佐が死んだのも、
ルルアを悲しませたのも、こんなものが原因だというのか?
「あの、マクスウェル中佐?」
何時の間にか、ルルアが入室していた。
怒りに熱くなった頭を冷静に戻し、エルフィファーレのことが分かったと言って、自分が招いていたことを思い出した。
失敗したな。と一度顔を手で覆いながら天井を見上げ、息を吐き出す。
「──良いニュースと胸糞悪いニュースとがあるが、どっちから聞きたい?」
「……良いほうを、お願いします」
「エルフィファーレが離反したのは命令からだった」
「……本当、ですか?」
「本当だ……そして悪いほうだが」
マクスウェルの表情が、苦々しさに歪む。
言えばルルアがどんな顔をするかなど想像がつく。
彼女が、ルルアの雰囲気が、死んだ妻と似ている事もあり、できれば口を閉ざしたままでいたかったが、それは言わなければいけない事なのだ。
「──エルフィファーレはこちら側に帰ってこない。裏切り者とレッテルを貼られたまま死ねと、そう命令されている」
「!?」
「……自分の目で、見ろ」
ルルアはテーブルに叩きつけたままの散乱している資料の束を全て取って、目を通す。
その目線は忙しなく文章を追っていく。急ぎすぎて何度も読み直した。
何度も見返す。そして、その一文で目が止まる。
「なんですか、これは……」
「見たとおりだ」
「なんで、エルフィファーレは、任務で……」
『秘匿作戦:No.4381 メード、エルフィファーレを
軍事正常化委員会に所属させ、諜報任務を実施せよ。
尚、軍事正常化委員会の壊滅、ないし自身の正体が判明した場合においても帰還は許されない。
該当する情報を破棄し、軍事正常化委員会所属の裏切り者として処分後、コアを回収する』
決して生きて帰ることが許されない。 未帰還を以て任務が完遂するというこの内容。
こんな命令をエルフィファーレは、決して相談もできずに真実をその心の奥底に封じていたのか。
ポタリと雫が資料の上に落下した。
「……泣いている暇はないぞ」
「ぇ……?」
「お前はここで諦めるのか?ナイトホーク」
「ッ……そのつもりはありません」
「いい返事だ」
頬を伝う涙を袖で拭う。今は泣いている時ではない。
この命令を撤回させるための手段が必要だ。
相手は軍情報部第7課。正攻法ではまず無理だろう。
だけど、心配は要らないだろう。ルルアは隣に立つマクスウェルを見る。
受話器を片手に電話先の相手と待ち合わせの電話をしているようだった。
──彼なら、何とかしてくれそうだ。
私は、私のできることをするまで……。
何度かの電話の相手を変え、その度にルルアには少し分からない専門用語らしき言葉が交わされる。
漸く電話の受話器を下ろし、ルルアの表情を伺いながらマクスウェルが呟いた。
「さて……ちょっと付き合ってくれ。デートと洒落込もう」
その次の台詞に、ルルアは一瞬とはいえ目が点となった。
☆
今二人は街中を歩いていた。
しかし、ルルアとマクスウェルの姿を見たとき……おそらく片方は軍人とは思われないだろう格好になっている。
それもそうだろう。
なぜなら、今ルルアが着ている格好は礼服として通じるような婦女子の装いなのだから。
不恰好な眼帯と右目の傷を隠すためにベールを纏い、日傘を差している。
ルルア的にはヒラヒラのフリルの多いスカートによって太股や尻に普段感じないむず痒さに近い感触を受けて、
恥ずかしい思いをしている。
胸元はさすがに開いてはいない。そもそも、見せるような胸が無い。
その代わりに宝石を用いずに刺繍糸の細工で飾られており、それがルルアの持つ可憐さをかもし出している。
紋様は撫子らしき花の花弁をモチーフにしているようだった。
日傘を握っていない手には少し大きな弦楽器のケースが握られている。
こうしてみる限りでは弦楽器の演奏者に見えなくもない。
一方のマクスウェルは儀礼用の軍服だった。 といっても、流石にこてこてに装飾されたサーベルは吊るしていない。
「マクスウェル中佐」
「違うぞルルア、今はクラークだろ?」
「……クラーク、その……まだ着替えてはいけないのでしょうか?」
「まだだ」
そしてつい先程はとある老執事との会談を終えたところだ。
彼の正体はわからずじまいだったが、
マクスウェルが手渡した手紙を受け取るとすぐさま踵を返していったのがルルアには印象的だった。
マクスウェルが言うには、今回の計画の肝となる人物だというのだが、ルルアには何がなんだかさっぱりだ。
「はぁ……ところで何処に向かっているのです?」
「……娼館」
「ふぁ!?」
「と、表向きはそうなっている……軍情報部第7課の本部だ」
「お、驚かさないでください……てっきり」
「てっきり?」
「な、なんでもありませんっ!」
心臓に悪いです、と、ルルアは顔を赤らめながらむくれる。
こうしてみると年相応の娘にマクスウェルは見えた。
勿体無い、普段から着飾れば、と思う。彼女の戦友みたいに。
「今日のマクスウェル──」
「クラーク」
「……クラークは意地悪です」
「…こんな可愛い子がいたら苛めたくもなる……さて、着いたぞ」
顔を赤らめながら抗議するルルアを律儀にいなしながら、マクスウェルは気を引き締める。
いよいよ、ルルアにとっての本番の時がやってきた。彼女もまた、背筋をピンと伸ばしながらその建造物を見る。
彼女の役割は……彼をエルフィファーレの本当の上司であり、
この軍情報部第7課の課長である”ワイズマン”に対面させることなのだ。
ワイズマン、賢人や男の魔法使いを表す言葉を偽名としている男の本名はオーベル・シュターレン。階級は准将。
グリーデル王国の平民出身だが、無表情の仮面を常に外さない冷血な人物として有名である。
私利私欲に無縁で、すべての物事をコストとして計算する。それは己の命すらも対象となっているという。
すべては王国のために、彼は必要であれば幼子から老人まで呵責なしに抹殺する。
現在の軍情報部第7課のトップであり、自身もまた暗殺術や諜報術を身に着けたエージェントでもある。
その灰色の頭髪に細い頬が印象的な顔を持っているが、
いまだに彼の表情筋が大きく変化したところを誰も見たことがないという。
髪の色と同じその灰色の目は、王国に有益か否かを見定める。
そしてエルフィファーレに死んで来いと命令したのも彼だった。
そのワイズマンに命令を撤回させる。それは如何に難題であろうと、成し遂げなければならないのだ。
「覚悟はいいな?」
「こちらは大丈夫ですよマクス……こほん、クラーク」
「宜しい。では参ろうか、レディ?」
「え、えっと……、エスコートをお願いします、ジェントル?」
「その調子だ」
緊張をほぐそうと考えたのか、
何時もの不器用な笑みを浮かべながら、ルルアの右腕をそっと自分の腕に組ませて入室していった。
最終更新:2010年02月09日 01:24