重槍と大斧と

(投稿者:ニーベル)



「呼びましたか。テオドリクス

 己以外には、誰もいないはずの練兵場に、声が響いた。
凜とした、力強く、気高い声。その声だけで、男は誰が来たのかを察した。


 振り返り、男は、その姿を確認する。
漆黒の鎧を身に纏い、その鎧の上を艶やかな金髪が流れ、鎧越しにでも伝わるその美しい身体。練兵場には似合わぬその美しさは、一種の完成された芸術作品であるとすら錯覚するほどだった。
 それとは対照的に男――先程ブリュンヒルデと言われた女性に、テオドリクスと呼ばれたか――は上半身を晒し、その筋骨隆々とした肉体は、鍛え抜かれた盾を想像させる。

「ジークはどうなのだ」

「強い子です。あの子は」

「どんどん、強くなるのだろうな」

「ええ、次を、担う子ですから」

 甲冑を着ながら、ブリュンヒルデのその言葉を聞いて、テオドリクスは頷く。
あのブリュンヒルデが期待し、鍛えあげている上に、本人の才能にも目を瞠るものがある。それは強くもなるだろう。
 少なくとも、自分は遅かれ速かれ追い抜かれる事を、テオドリクスは誰よりも自覚していた。
生まれ、初めて戦場へと走ったのは何時のことだったか。かつては、自分こそが最強だと思っていたこともあったのだ。誰も自分には勝てない。そう自惚れていたと言っても差し支えはなかった。
 その自惚れを、見る影もなく粉々に砕いたのが、このブリュンヒルデだった。
今でも、あの時のことは覚えている。自分の大斧による振り下ろしを全て叩き落とした腕前も、喉元に槍を突きつけてきたあの鋭い眼差しも、眼を瞑れば鮮明に映像になり、蘇る。
 あの時から、自分が最強などという、甘い幻想は砕け散った。その後、自分より上の者が多くいることもまた知った。強さなど、多数対多数では、余り役に立たないことも。
それでも、強さを追い求めることは止めなかった。それが、自分の支えであることを良く知っているからだ。己の身体を鍛えに鍛えてきた。何のために鍛えているのか。それもはっきりしないままに、がむしゃらに鍛えてきた。
 昔の自分を越すために、強くなりたかったのか。そう問われれば、違うと答えるだろう。自分でもはっきりとしない目的だったが、ブリュンヒルデをここに呼んだことで、はっきりと自分が求めていたことが理解できた。

「それで、何の用ですか。貴方は、ふざけて私を呼ぶような人ではないはずですから」

 ブリュンヒルデが微笑む。
その表情に、微かに自分の心が動くが、押さえつける。

「俺と、立ち合ってもらいたい」

 そう、言葉を吐き出した。
吐き出した瞬間に、先程の心の動きとは違う、熱さが心を埋め尽くす。

「もう一度、ですか」

「ああ、そうだ」

 ブリュンヒルデが、じっとこちらを見つめる。
その見つめる瞳は、鋭く、射抜くような視線へと変化する。

「また、己が最強であることを証明するためにですか」

「違う」

「では」

「俺は、お前と、もう一度立ち合いだけだ。ただ、それだけだ。それだけが、俺の望みだ」

 血が、熱く滾ってくる。心臓が、高鳴る。気が、漲ってくる。

「本気、なのですね」

「ああ」

 ブリュンヒルデが、槍を、ヴォータンを構える。
それにつられるように、自分の腕が、大斧を頭上へと構える。
 ブリュンヒルデが優しげな笑みを浮かべ、すぐにその表情が引き締まる。

「いくぞ。ブリュンヒルデ」

「参られませ。テオドリクス」

 鋭く、それでいて周りを揺らすような重量感を感じさせる音が、練兵場に、響き渡った。



 同時の踏み込みだった。
ブリュンヒルデの扱う重鎗ヴォータンと、己が持つ大斧がぶつかり合い、火花を散らしあう。
 このままなら、押し切れる。そう思った瞬間にブリュンヒルデが槍を微かにずらすのが見えた。身体を、反射的に後ろへと飛び跳ねさせる。
鋭い音が響き、腕が痺れたような感覚が残った。

――弾いたか、俺の斧を。

 驚くようなことではなかった。ブリュンヒルデなら、それぐらいは軽くやってのけるだろう。

「だがな」

 両手から片手だけに持ち替え、斧を握り直す。踏み込む。ブリュンヒルデが、槍を下から突き上げてくるのがはっきりと見えた。
それを斧で叩き落としたかのように見えたが、微妙にまた弾かれている。身体を捻り、そのまま突き上げてきた槍を避ける。
 隙がない。ならば、どうすればいいか。そんなことは分かりきっている。
地面へと斧を勢いよく叩きつける。ブリュンヒルデの方へと砂が飛び散り、視界を奪い、地面へと叩きつけた斧を蹴りつけ、上へと飛ばす。
 獲った。それはすぐに誤りであると、身体が反応していた。また、斧が弾かれる。それを掴み、柄で砂煙の中を突き抜けてきた鈍い光を受け流す。
そのまま斧を横へと薙ぎ払うが、薙ぎ払ったのは砂煙のみ。ブリュンヒルデは、初めからそこにいたように、前へと立っている。

 再度、お互いの身体が動き始める。
斧が、意志を持っているかの如く、ブリュンヒルデの首を獲らんと激しく動き始めた。
それを防ぐように、槍が、振り下ろされてくる斧をことごとくはじき返す。それも、力で対抗してくるわけではない。
力だけで返してくるのならば、テオドリクスは、確実にブリュンヒルデを破る自信はあった。単純に力のみで判断するならば、自分の方が大きく上回っているという確信に近い物すら感じるのだ。
 それが、ブリュンヒルデの護りを一度も崩せていない。それは何故なのか。テオドリクスは、初めて立ち合った時、それも分からぬままに負けた。
今ならば、それは分かる。そして、その考えは当たってはいなくとも、そう外れてもいないだろう。
 所謂、技。そうとしか、テオドリクスには説明できなかった。いや、説明などはいらなかった。どうして弾かれるのか分かったとしても、それを破る方法が見つからなければ意味もない。

 こうして絶えず攻め続けていたとしても、いずれは、反撃が来るだろう。
そうなるまえに勝負を決めたかった。反撃が来る頃には自分の身体の方が疲弊しているはずだ。その時、ブリュンヒルデの渾身の突きを防ぐ自信は、なにもない。
 全身に力を駆けめぐらせ、常に力を斧へと送り続け、最大限の一撃を維持する。それが出来なくなったのならば、その時点で自分は、またブリュンヒルデに敗北することになる。
 斧と槍が触れあう度に、紅い光が宙へ浮き、消える。ブリュンヒルデの体力に、翳りは見えない。

――また、負けるのか、俺は。

 敗北。それは、過去の自分が最も嫌っていたモノ。なのに、今はそれほど嫌でもなくなっている。敗北から、多くを学べたからだろうか。
次第に斧に入っていく力が、少しずつ、大地が植物に養分を吸われるがように、抜けていくのを感じていく。
 負けるか。また、ブリュンヒルデに負けるか。結局、俺は届かなかったのだ。
そう、覚悟していた時に、ふと違和感を覚えた。斧を弾き返す、槍の捌き方が、鈍くなっている。

 なんだ。そう思った次には、槍が、耳障りな音を立てながら地面へと落ちた。身体が、斧を捨てた。腕が、その鎧からは想像できないほどの華奢な身体を支えた。







「ふざけるな」

「ふざけてなどいません。貴方の、勝ちです」

「これが、勝ちだと。病人のようなお前を倒して、俺が勝ったというのか。お前は、俺を、侮辱しているのか」

 テオドリクスは、自分の中に渦巻くこの衝動をどうすれば良いのか分からなかった。
ただ、言葉は止められなかった。自分でも理解できないほどに、荒れていた。

「貴方は、今、私と立ち合って、破った。それが、真実でしょう」

「弱っているお前を倒して、何が勝利になる」

 ブリュンヒルデが微笑んだ。その笑みが、今は酷く、弱々しく見える。
 あの違和感は、こういうことだったのか。自分は、何を考えていたのだ。弱っていることに気付きもせずに、立ち合いを申し込んだというのか。
勝ったという喜びはまったく訪れはしない。ただ、テオドリクスの中を苦みが駆けめぐっていた。

「貴方らしいですね、その答え」

「……ブリュンヒルデ」

 支えて、初めてわかる、この華奢な身体。
こんな身体で、一人、軍神という名の重荷を背負い続けていたのか。それがどれほどの負担であるのか、他の連中は考えもしなかったのか。

「もう、大丈夫です」

 ブリュンヒルデの顔色は、とてもではないが、そうは見えない。それでも腕は勝手に動いて、ブリュンヒルデを立ち上がらせていた。
先程、拾っておいたヴォータンを手渡す。身体は、少しばかりふらついている。そのブリュンヒルデの様子を見て、胸に、嫌なモノが走るのをテオドリクスは感じた。
 同時に自分が、がむしゃらに鍛えていた理由を、隠していた靄が取れた。ここで、それは言わなければ駄目だ。はっきりとそう感じた。

「ブリュンヒルデ」

「なんですか」

「俺は、鈍い男だったらしい」

 ブリュンヒルデがいきなり何を、というような表情を浮かべる。

「どうしたのですか」

「俺は、お前のことが好きだったようだ」

 ブリュンヒルデが、驚きを顔に浮かべて、固まった。
遅すぎたという思いが湧き出るが、それでも言えたのだ。言えぬまま終わるより、言っておけただけ、ましではないか。

「それは、どういう」

「そのままの意味だ。身体を、大事にしろ。最期まで」

 ブリュンヒルデの肩を叩き、歩き始める。
もう平気だ。そのブリュンヒルデの言葉を信じて、テオドリクスは途中で別れた。 
 言葉は、交わさなかった。交わせなかった。テオドリクスは、もう、理解していた。

 ただ、それをはっきりと頭の中に浮かべるのが、嫌だっただけだ。








 その後、ブリュンヒルデは逝った。
結果的には、あれが最後の立ち合いになってしまった。
 あの時から、ブリュンヒルデは自分の死が近いことを悟っていたのだろう。だからこそ、ジークを鍛え上げていたのだ。
そして、自分との立ち合い。あれは、何故受けてくれたのだろうか。

「考えても、分かるはずがないか」

 考えるのはやめにしよう。ブリュンヒルデは、最後に自分との立ち合いを受けてくれ、自分は、あの言葉を言えた。

「それで、十分ではないか」

 呟く。聞く者は誰もいない。
ふと、耳を澄ませる。足音が聞こえてきた。人数は一人。足音からいってそこまで年齢は重ねていない。
 近づいてきているが、無視して、自分の斧を研ぎ始めた。ブリュンヒルデも、自分の武器は大切にしていた。

「あ、あの……テオドリクスさん……ですよね?」

 自分の名前が呼ばれた。しかし、この声は、知らない。

「あう……ええと、私の名前はアースラウグと申しますっ……それで、ええと…」

 振り向かずに、斧の手入れを進めていると、このアースラウグと言った娘は、勝手に自己紹介をし始めた。
その自己紹介が、あまりにもおどおどとしすぎている。これでは、説明されていてもよく分からない。

「……しっかりと喋れ」

「はひっ……その、テオドリクスさんはブリュンヒルデかー様と同期だったんですよね?」

 聞き慣れた名前が、出てきた。その名前の人物を、かー様と言った。思わず顔をあげた。

「……かー様?」

「はいっ……私はかー様の……ブリュンヒルデかー様のコアで動いています」

 ブリュンヒルデのコア。それで動いている。
それでかー様なのか、と一人で納得する。確かに、よく似ていた。幼い頃のブリュンヒルデがこうなのであろうと、想像させるような姿だった。
 身体に、微かに震えが走った。この感じは、良く覚えている。初めて、ブリュンヒルデを見たその時と、まったく同じ震え。
笑みが、浮かびそうになるのを抑える。

「成程な、よく似ている」

「はい、テオドリクスさんは、かー様のことを良く知っているらしくて……わたし、かー様みたいな、立派なメードになりたいんです!」

 こちらを見るその眼差し。何かも、懐かしさがテオドリクスの心を満たしていく。思わず、斧を手に取っていた。

「試してやる」

 一言、告げると斧を振り回し、構え直す。
アースラウグが驚いたような顔をしていたが、自分の意を理解したのか、顔が引き締まり、重槍を構える。
 どこまで似ていた。武器も、構えも、その気高い姿も、自分をまっすぐ射抜くその視線も。全てがだ。

「槍を継ぐもの……アースラウグ、参りますっ!」

 テオドリクスの身体を喜びが駆けめぐる。
ブリュンヒルデの面影を残す、この娘がどうなるのか、見届けてやろう。

 再び、斧と槍が、ぶつかり合った。
 あの時と同じ音を、響かせながら。



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最終更新:2009年07月12日 22:15
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