休息は都へ

(投稿者:エルス)


「……ん、朝か」

 宮殿内の使用人用に設けられた部屋のカーテンで締められた窓から差し込む僅かな光を見て、シャルティは呟いた。
 あまり家具の置けないこの部屋にはベッドとクローゼット、そして小さな机だけが家具と言える物で、他には何も無い。
 シャルティは何時ものようにベッドからクローゼットに行くまでに着ていた寝巻きを脱ぎ、
 それから机の上に置いていた黒いリボンで後ろ髪を項辺りで一纏めにする。
 クローゼットから私服を取り出し、充分時間をかけて着替え終わると髪の手入れをして、
 懐中時計などをズボンのポケットに入れ、カーテンを開けた。
 太陽光が容赦なく薄暗い部屋に慣れた眼を襲い、しばし眼の痛みとその眩しさに顔を顰めていたシャルティだが、
 青々とした空を見ると、自然と笑顔になった。

「良い天気だ」

 窓を開けてみようかと、シャルティは一瞬思い、手を伸ばしたがその途中で動作を止めた。
 どうせ外に出て行くのだし、ここで窓を開けていっても雨が降った時が大変だ。
 そう思ったからだ。
 最終的に窓は開けずに部屋を出てしっかりと鍵を掛けた。
 盗まれるような物を持ってはいないが、まぁ念のためと言う奴だ。
 宮殿の廊下を背筋を伸ばした、まるでコンパスが歩いているような、 キビキビとした歩き方で暫く歩いていると、
 向かい側から兎の人形を抱き、可愛らしくトコトコと赤髪を揺らしてベルゼリアが走ってきた。
 シャルティが気付くとほぼ同時にベルゼリアもシャルティに気付き、その前で軽くジャンプし、トンと着地して「んー」と言いながら首を傾げた。

「どこ行く?」
「街に買い物だ」
「ベルゼリアも行く」
「すまんが独りにさせてくれ、気を休めたい」
「んー…」
「………すまない、ついでで林檎を買ってくる。それで良いだろう?」
「ん、待ってる」


 晴天に負けぬ明るさの笑顔を見せたベルゼリアはその場でクルリと一回転して、またトコトコと走り出していった。
 誰かを探しているのだろうか、はたまたこの広大な宮殿内を探検しているのか。
 どちらかはシャルティには分からなかったが、記憶している買い物リストにバラ科で落葉高木の果実を追加し、シャルティはまた歩き出した。
 五分間歩き続けても宮殿の廊下は終わる事無い。
 それはシャルティが自分から申し出て使っている使用人用の部屋が宮殿の隅の方に位置しているからでもあったし、
 何よりシャルティが知り合いのメードと擦れ違う毎に簡単な世間話や挨拶を交わしているからでもあった。
 それに擦れ違ったメードの内、何人かにお茶の誘いや遊びの誘いを受け、
 それを断る詫びに相手の好きそうであまり大きくない物を買ってくると言っているから、これは当然の結果とも言えた。
 ちなみに、これも当然の結果なのだが、今シャルティが記憶している買い物リストは朝の時点と比べると約1.5倍程度に増加していた。
 少し財布の中身が心配になってきたシャルティだったが、取り敢えず、やっと宮殿の外に出た。
 天気は変わらず快晴、気温はやや暑い方だが、それも汗を掻くと言うほどでもない。

「さて、行くか」

 シャルティはそう呟き、両手をポケットに突っ込んで、自分の足で大勢の人で賑わう通りへと向かった。
 連絡さえすれば皇室親衛隊か陸軍の下っ端を使って車で行く事も出来たが、
 シャルティはそういう人を使うと言うのが嫌いであったし、何より今日は自分で歩きたかった。
 何故なら、何時もは天気など窺っていられないような状況なのに今日は空の色を、雲の動きをゆっくりと観察できる。
 こんな日に車など使って有り余っている時間を無駄に長くする意味は無い。
 それに何より、シャルティは人ごみがそれほど嫌いではない。
 むしろ、沢山の人が話し合い、笑い合い、歩き回っている、そんな一般的で平和な場所が好きなのだった。

                 ―――□―――

「雨、か」

 一通りの買い物を終え、とあるパン屋の前で雨宿りをして結構大きな紙袋を抱えながら、目覚めた時と同じような口調でシャルティは呟いた。
 ザーザーと音を鳴らして振り続ける雨は容赦なく石畳の通りを濡らし、
 朝の快晴に判断を見誤った買い物客を次々に通りから店の中やら前やらへと退避させ、あっと言う間に通りは静かになった。
 今、通りを騒がしているのはたまに通るフォルクスヴァーゲンと雨宿りする客に傘を売ろうとする商売熱心な店員くらいなのだ。朝のような活気はない。

「まぁ、これも良いか」

 そう言うとシャルティは眼を閉じ、雨音を楽しんでいるのか口元を綻ばせた。
 湿った空気、濡れた石畳の匂い、雨音、車の走行音。
 何もかもが戦場には無い、優しい音色と匂いだ。
 人間が出す、生活の、行動の匂いや音とでも言うのだろうか、それらにシャルティは精神を集中させた。
 どうせ、何分と経ってもこの雨は止まないだろう。だから止むまで、この感じを大事にしようと思ったのだ。

「我ながら、可笑しいな」

 フフフとシャルティが笑うと、パン屋の店番でもしてたのか10代前半の少年がドアを重そうに開けて出てきた。
 背丈は130cmくらいで比較的地味な服装に茶色いベレー帽を被っている。髪はブロンド色で、サファイアのような碧眼。
 まるで玩具屋に売っている人形を現実にしてみたような、そんな少年だ。
 その少年は笑っているシャルティの直ぐ横にまで行った。すると、露骨に不機嫌な顔をして息を一つ吐いた。

「そこに立ってられっとよ、ものすんげー邪魔なんだけど」
「ん、あぁ、すまない」

 少年の声でシャルティは自分がパン屋の看板の前に立っていた事に初めて気付いた。
 商売する上で看板の果たす宣伝効果をシャルティは推測でしか知らなかったが、それが悪い事だと言う事は分かった。
 だから迷いもせずに、紙袋から物が出ない程度に、シャルティは頭を下げた。

「すまなかった」
「ま、別にいーけどよ。どーせ売れねーし」

 ぶっきらぼうに、そして諦めたように言った少年の言葉にシャルティは頭を上げ、そうなのか?と不思議そうに聞いた。
 店前で立っているだけだが、中々に良い匂いを出している。だからシャルティは結構美味いのだろうと思っていたのだ。

「不味いのか?」

 文字通りの単刀直入でシャルティが言うと、少年は人を馬鹿にしたような疲れた笑みを浮かべて、そうじゃねー、と呟いた。

「親父がちーとな、訳有りってか、耳有りってか……」
「亜人か?」
「ん、まぁ、な。味は良いけど、中々客が入らねーのよ。差別ってやつ?アレ大っ嫌い」
「同じ帝国市民だろうに、そんな事が起こっているのか…」
「これが現実って奴だよ、お姉さん。んまー、親父は親父で気ぃ使ってんのか最近出てこねーし、俺が店番やってっけど、どーにもなんねーし」
「そうか……大変なのだな、お前は」
「別にー。これが『運命』って奴?コレも大っ嫌い」

 クヒヒと不気味な低い笑い声を上げる少年を、シャルティは考えもなしに撫でていた。
 話を聞いていたら、勝手に右手が少年の頭を撫でていたのだ。そこでシャルティは、自分の考えに気付いた。
 いきなりの事に顔を赤らめ、傍から見ても慌てるのが分かる。初めて会った女性に頭を撫でられているのだから、しょうがないのかもしれない。

「強いな、お前」
「そ、そうか?おれはそうは思わねーけど…」
「否、お前は強い。私が言うのだ。それを認めろ」
「そこまで言うなら仕方ねーな、認めるよ」
「うむ、これは良い事なのだ。素直に認めた方が得をする」
「そーいうのは大人の汚ねぇ所だよなー。ま、おれはそーいうの嫌いじゃねーけど」
「ほぅ、見た目以上に大人だな」
「ちっちぇーって言いてぇんだろ?しょうがねーよなぁ、まだ11だし」
「将来、お前は良い人間になるだろう。お前は頭が良い」
「あのさ、お前お前ってのも気持ちわりーんだけど。ま、名前言ってねーからしょうがねーな、おれはミヒャエル、アンタは?」
「シャルティ、だ」
「珍しそーな名前だな、覚えとくよ、シャルティ姉さん?」
「よせ、ただ単にシャルティで良い、ミヒャエル」
「りょーかい」

 気だるげに答えた少年はその後、あの特徴的な笑い声を上げて、地面を蹴った。
 そしてまだ雨の振り続ける通りを見て、それが忌々しいのか、ただ単にむかつくのか、唾を吐き捨てた。
 シャルティはその行動をぼうと見ていて、ふと思いついた。

「雨、中々止まんな」
「そーだな」

 相変わらず気だるそうな少年の声を聞きつつ、シャルティはポケットから懐中時計を取り出し、今が何時なのか見てみた。
 ルミス連邦に住んでいるという職人が作った装飾の少ない、けれど壊れず、誤差の無い銀製の時計は、精確に午後2時47分を示していて、少しして針が進み、午後2時48分になった。

                 ―――□―――
 結局、雨を止むのを待っていて、宮殿に帰ってみれば辺りは暗くなっていて、人工の灯火が帝都を照らす時間帯になっていた。
 少し急ぎ足でメードの待機場に向かうシャルティだったが、手に持っている紙袋の中身を渡す相手は既に居ないだろうと思っていた。
 懐中時計を見てみれば時刻は午後11時17分。ベルゼリアは勿論、他のメード達も眠りにつく時間だ。
 誰も居ない、暗い待機場が待っているのだろう。そう思いつつも、シャルティは足を止めなかった。
 自分から言い出したのだから、買ってきたものを相手に渡さねばならない。そう思ったからだった。
 そして、やっと待機場の前まで来て、シャルティは気付いた。
 待機場から、まだ声が聞こえている。誰か居るのか?と思った時にはシャルティは扉を開けていた。

「ん?……あ!シャルティ姉様!おかえりなさい!」

 と、元気一杯にシャルティに抱きついてきたのは先程まで何故か起きているベルゼリアやヴォルフェルト、カッツェルトとトランプをしていたアースラウグだった。
 シャルティが呆然として部屋を見渡すと、朝に会ったメードの殆どがここに居た。
 喜ぶよりも先に、複雑な思いが込み上げてくる。

「お前達、何をしている。こんな所で遊ぶよりも、ちゃんと寝て休息を―――」
「何言ってるんですか、皆シャルティ姉様を待ってたんですよ?」
「それは分かっている。だがな、アースラウグ、私一人の為に大事な睡眠時間を―――」
「んー、林檎」
ベルゼリア…」

 あっという間にシャルティを中心にメード達が集まり、ワイワイガヤガヤと一気に騒がしくなる。
 しかし、その輪の中に入れずに、独り角の方でおどおどしている影があった。
 シャルティはその影を見ると、優しく微笑んだ後、歩み寄り、頭を撫でてやった。

「ジーク、相変わらずだな」
「…………………は…い…」

 照れて顔を赤くするジークフリートに、その頭を撫でながら微笑むシャルティ。
 さながら、顔の似ていない姉妹とでも言えそうな光景だ。







 が。


「お前は一番寝ていなければならんだろうが」
「ぁ痛……………………」

 その光景はシャルティが放った拳骨によって、一瞬の静寂と続く笑い声で、いとも簡単に崩れ去るのだった。



最終更新:2009年12月08日 10:49
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