1:フリズィスケルブ宮の一幕

(投稿者:LINE)                 登録タグ一覧 【 LINE ルインベルグ



「おーまーえーたーちー、待ぁてぇぇぇいぃぃぃ!!」

 初老の男性の怒号が、石造りの廊下に反響する。

「待てと言われて待っちゃうお馬鹿はいませんよーだ」

 いませんよーだ。
 と、戯けた声が繰り返す。

「そんなに怒らないでよ~。 そのおヒゲとっても似合ってるよ?」

 なんていうかラブリー?
 くしし、と笑う声が続く。

「お前たち、今日という今日こそは勘弁ならん! そこになおれぃ! 手打ちにしてくれるわぁッ!」

 ハート形に結わえられた口ヒゲ―――しかもご丁寧に接着剤で塗り固められている―――をゆっさゆっさ揺らした老齢の執事が、キャーキャー喚きながら先を行く少女たちを追いかけていた。
 その手に握り締められた、抜き身のサーベルの白刃が鋭く煌く。

「だってさ、だってさ、昼間っから口開けて居眠りしてるほうが悪いんじゃん? そら悪戯のひとつもしたくなるさね」

 軽いおちゃっぴーてやつだよ。
 と、すかさず合いの手が入る。

「き、きさまらぁーーー!!」
「きゃははは♪」

 と、笑い声がそろった。

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……まぁてぇぇえいぃぃ……ぜはっ……はぁぁ……はぁ」

 しかし本気で逃げる少女たちに年老いた執事(butler)が追いつけるはずもなく、廊下の壁にもたれ掛かって肩で息を切らせた。

「まったく、あやつらめときたら好き放題しおってからに……」

 老執事は彼女達の日々の“イタズラ”の数々を思い起こして頭を抱えた。
 昨日はティーポッドの中身を水で薄められた“ショーユ”と入れ替えられた所為で、外国のお客様にどえらい粗相をしでかすところだったし、一昨日は壁掛けのトナカイの剥製が角を切り落とされたうえに、白ペンキをぶちまけられて山羊の剥製に作りかえられてしまったり、などなど……
 あの二人の暴挙を挙げれば枚挙に暇がない。

「それもこれも殿下があの二人を甘やかすからだ……まったく殿下にも困ったものだ」

 愚痴をこぼす老執事のもとに近付く人影が一つ。

「―――よい。 忠誠には報いるところがなければならん」
「で、殿下ぁ!?」

 老執事の背後には、いつの間にか彼が仕える主君が佇んでいた。
 アルベルト・フォン・グランデューク・ルインベルグ。現ルインベルグ大公フリードリヒ2世の嫡男にして、次期大公の最右翼。
 身の丈が2メートルに迫ろうかという長身の主君は、当然ながら老執事の愚痴も耳にしている。

「わ、私めとしたことが殿下に対してなんたる無礼を―――かくなる上はこの腹掻っ捌いてお詫びいたします!」

 言うや否や、老執事は両手で勢いよくシャツを開いた。
 そこから覗く見事に鍛え抜かれた腹筋は、日々の弛まぬ鍛錬の賜物。老いによる衰えを一切感じさせない。 
 老執事は今自らの腹に、先ほどまで少女たち相手に振りかざしていたサーベルを突き立てようとしている。

「まぁ、待て爺。 慌てるな」

 アルベルトは特に慌てた様子もなく、それでいて素早く、力強く、老執事の腕を掴んだ。
 振り上げられたサーベルの切っ先が、腹に達する寸でのところで止まる。

「しかし!」
「幼少の頃よりのそなたの忠誠、もはや疑う余地もない。 だから剣を収めるのだ」
「おぉぉ、殿下ぁぁ……」

 目尻に涙を湛えながら老執事は崩れ落ちた。
 彼は彼の肩を抱く主君の背に、神の威光にも似た光を見たのだ。

「ところで爺……その髭は……?」

 しかし老執事が敬愛してやまない主君は今、笑いを堪えるのに必死だった。

「はッ―――!? こ、これはあやつらがしでかしたのです!」
「ハッハハ、そうか、すまんすまん―――」

 ハート形に結わえられた自身の口髭を思い出して激昂する、悪鬼羅刹のごとき形相の老執事に、さしものアルベルトも怯んだ。

「しかしあの二人も退屈なのだろう。 この宮殿はあの二人にとってあまりに窮屈すぎる……」
「仕方がありますまい。 我が国のMAID開発(・・・・・・)は特秘事項でありますゆえに……大公陛下ですら存じ上げないのですから」
「ハッハッ……父上は知りたくても知ることができないのだ。 仕方があるまい」

 現ルインベルグ大公であるフリードリヒ2世は重い病を患い、長期に渡って病床に伏せている。
 そのため現在ルインベルグ大公国の国事全般の決定権は息子であるアルベルトに委ねられていた。実質上の最高権力者と言っていい。
 その彼が権力の座に就いてから下した最初の決断が、ルインベルグ大公国におけるMAID開発だった。
 EARTHによって研究が進められ、主要5カ国によってMAID製造が始まったばかりの頃、ルインベルグ大公国もまた秘密裏(・・・)にMAIDの製造に着手し、その成果を得ていた。
 それこそが件の2人、老執事の頭を悩ませる2人の少女たちなのだ。

「そう、特秘なのだ……それ故この城に閉じ込めるような形になってしまってはいるが、その責は彼女達にはない。 あるとすれば、それは彼女達を創り出した我々にこそある」
「殿下……」

 沈痛な面持ちで佇む主君の姿に、老執事はただ押し黙るほかなかった。 
 「G」出現によって激変した世界情勢。その潮流に押し流されないために下したのであろう主君の決断は、祖国の行く末をたった二人の少女に背負わせるにも等しい過酷なものであった。
 他の選択肢がなかったとはいえ、それは悪行に他ならない。
 そして、そんな彼女たちの存在に最も胸を痛めているのは、決断を下した当のアルベルト本人なのだと老執事は理解した。

「―――故に、故にだ。 今しばらくの間、あの二人の我が侭に付き合ってやってはくれぬか?」
Yes your Highness !(仰せのままに)

 老執事は立ち上がり頭を垂れた。

「さっすが殿下、話が分かる~」
「お髭が素敵ですぅ。 ほれほれ~」

 そんなさなか、二つの黄色い声が神妙な空気を打ち払った。
 眼前の光景に老執事は目をむいた。先ほどまで追い回していた2人の少女が、いつの間にかアルベルトの両肩の上に顔を乗せている。その2人の容姿は鏡を合わせたようにそっくりで、両脇からアルベルトの顔を挟み込んでいる。
 彼女たちはあろうことか首筋に腕を絡めたり、肩を叩いたり。挙句の果てには、頬を擦り寄せて、美髯公として名高いアルベルトの口髭をぽんぽんと揺さぶって弄んでいる。
 この時代においても絶対君主制を敷いているルインベルグ大公国にあってそれは、天に唾吐くにも等しい重大行為であった。

「き、きさまらぁー!?」

 当然ながら老執事は激昂した。

「キャー!!」
「ハートマークが怒ったー!」

 双子の少女たちは、すぐさま肩から飛び降りて廊下の向こうへと駆けていく。
 その少女たちをサーベル片手に、再び追いかける老執事。

「フッハハハハハハハ―――!!」

 もはや日常ともなったこの光景を、アルベルトは豪快に笑い飛ばしながら見つめるのであった。


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最終更新:2011年01月25日 00:19
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