ラサドキン大佐がカラバフから、ヴォ連の首都クラスヌイ・オクチャブルスクに帰還して数ヶ月ほど経たある
日、スタフカ(赤軍最高司令部)から新たな辞令が届いた。
内容を要約すれば、とある研究施設にて進めらている新兵器の開発に、用兵側の代表として参加せよとある。
書面では機密保持の観点から具体的な内容は伏せられているが、わかる人間が見ればすぐに察しが付く。
だがしかし一々秘密主義を取るヴォ連ではその研究施設とやらの所在も資料には記載されてない。
高級将校のラサドキンですら、どこに行かされるかは当日になってみないとわからないのだ。
そして出発の日。ラサドキンは住まいにしている官営のアパートで、妻の淹れたコーヒーを飲みながら新聞を
広げていた。荷造りは昨日の内に済ましており、今現在特段することもない。
時刻は午前七時。送迎の車は八時に来ることになっているので、まだ一時間ほど余裕がある。
窓の外では番のコマドリが戯れ、さわやかの朝の調べをさえずっている。それにまじって妻の振るう包丁がま
な板の上で子気味よい音を立てていた。
コーヒーをすすりつつ新聞を広げそれに耳を傾けることが、結婚以来なんとなく定まってしまった彼の日課だ。
今日から単身赴任でまたしばらく家を留守にするのだが、特別何かをするでもなく彼は何時もどおりの朝を過
ごしている。だがそれは毎度のことである。かと言って別に夫婦仲が冷め切っているというわけでもない。
妻が調理に取り掛かると、夫はさりげなくラジオのスイッチを入れ音楽を流してるチャンネルにチューニング
する。コーヒーを飲み干したラサドキンはカップを食卓に置き、すっと前に寄せる。
すると妻は黙ってそれにお代わりを注ぐといった具合に、ラサドキン夫妻の間では沈黙のうちにコミュニケー
ションが成立するのだ。
旦那は能弁なのだが妻が寡黙で、会話をしてもあまり長く続かない。だがお互いに聡い性分のため、黙って意
思疎通するようになったのである。
そうなるのにそれほど時間はかからなかったが、しかしその以心伝心ぶりは他人から見ればテレパス夫婦である。
そうこうする内に下の駐車場から車のエンジン音が聞こえてきた。送迎の車が到着したのである。ラサドキン大
佐が椅子から立ち上がると、妻は黙って壁に掛けてあった旦那の外套を取り玄関まで見送ると、互いに軽く抱擁
して口付けを交わした。
「じゃあ、いってくる」
「いってらっしゃい」
単身赴任でまたしばらく会えなくなるというにも関わらず、この日の会話らしい会話はこれぐらいだった。
それから三十分後には指定された郊外の空軍基地に到着した。そこにはすでにラサドキンの案内を務める件の
研究所の関係者と名乗る男が待ち構えていた。ラサドキンは身分証明書を彼に見せ、それを確認すると男はこ
れから搭乗する輸送機までラサドキンを案内した。
彼の案内されたエプロンで機体は既に暖機運転を済ませており、いつでも離陸できるようになっている。
これで行くのかと思うとラサドキンは辟易した。別に飛行機が苦手というわけではない。
それは機体は窓が潰されており、客席から外が見れないようにされているからだ。無論これも機密保持のため
で、目的地の所在を秘匿するための措置であるが、それにしても随分と念の入用である。
これから数時間、退屈しのぎに外を眺めることも許されず、窓無しの圧迫感に耐えねばならない。
そんな中で味わう離陸時の浮遊感、着陸の衝撃というのも不快なものだし、ちょっとした気流の乱れに
よって不意に機体が揺さぶられるのもたまらない。しかし、だからと言って乗らないわけにもいかった。
飛行中、薄暗い機内で彼は暇に飽かして、なんとはなしに今朝の出来事を思い出していた。
「きゃっ!」
短い悲鳴が台所から響いた。家内にしては珍しいことだ。私は椅子からやおら立ち上がり、台所の様子を窺う。
「どうした?」
私がそういうと家内は、口元を押さえながら台所に面した窓を指差した。
「いえ、鳥がぶつかったので」
「ああ、鳥」
とは言ったが、私の耳にはぶつかった時の音は聞こえなかった。それは新聞に集中してたことと、朝食の目玉焼
きを焼く音にかき消されたからだ。それと窓ガラスは防寒のために二重になっており、外側のガラスはとり
わけ厚くなっているので音が伝わりにくいというのもあるだろう。見たところガラスにはひび割れ一つ入ってい
ない。
私は椅子にかけなおし、読みかけの新聞に再び目を落とした。
出立する時刻になって、官舎を出ると駐車場にコマドリの屍骸が横たわっていた。ラサドキンはマンションを
仰ぎ見た。丁度この真上が自宅の台所に当たるわけだから、この雌のコマドリが今朝窓にぶつかった鳥に相違
ない。首はは窓ガラスに衝突したときか、でなくば落下時に骨折したようで不自然に折れ曲がっている。
そしてその雌のコマドリの周りを、つがいの片割れと思しき雄のコマドリが跳ね回っている。雌を気遣ってい
るのだろうと、ラサドキンには見えたがそれは違った。
「あっ」とラサドキンは小さく声を挙げた。
雄は二度、三度、雌の屍骸を嘴でつつくと次の瞬間、翼を広げてメスに覆いかぶさったのだ。雄は嘴で雌の首を
はさんで、自信の体を押し付けると、それから尾羽を小刻みに打ち振るわせ始めた。
死体相手に交尾を始めたのだ。
そういうこともあるのか。とラサドキンは、どういう感慨が湧いたのかその奇怪な営みに見入いっていた。
ラサドキンの視線をコマドリの雄は気にする風でもなく、尚もメスに乗っかったまま、忙しなく尾羽を震わせ
交合を続けた。雌の体は嬲られるにまかせて無造作に揺すぶられている。
「大佐。如何なされました?」
迎えに来た運転手の声にラサドキンは我に返ると「……いや、なんでもない。さて、いこうか」といつもの鷹揚な調子で答えた。
そんな胡乱な様子に運転手は怪訝な表情をつくが、上官がなんでもないと言ったからにはこれ以上の質問は許されない。
運転手は釈然とはしなかったが詮索を打ち切り、黙って飛行場まで車を走らせた。
*
彼らは彼女の名前すら知らない。
彼女とはカラバフから連れ帰ったゲリラの少女のことである。名も知らぬのだから彼女としか呼びようがない
が、でなくば収容されてる監房の番号から取って「207号」の固有名詞で呼ぶかだ。
彼女の素性を知ろうにも、戸籍すらも十分に整備されてない田舎のことであり、住民票は当てにならない。彼
女の知人や親族の消息も不明。無論ゲリラに認識票などない。
また一緒に捕らえられた仲間のゲリラの中にも、彼女の名前を知るものは誰一人としていなかったのである。
当の本人に問いだそうにも、口を硬く閉ざしており尋問にも全く答えない。それは彼女が信条的理由から、黙
秘しているわけではない。失語症にかかっているのだ。
失語症は、脳の言語野が損傷することにより引き起こされる障碍である。心理的要因によって発声ができなく
なる症状は失声症という。
失声症は心理カウンセリング等で精神面からケアしていけば、完治することは可能である。だが失語症は脳の
機能障害であるため、リハビリによりある程度回復が見込めるものの完全に機能を回復することはない。
彼女の左側頭部には小さいが深い傷跡がある。今はもうふさがっているが、その傷は脳にまで達しているのだ
。レントゲンで撮影してみたところ、頭蓋骨の内部に小さな金属の破片と見られる陰が写っていた。位置的は
前頭葉下部のブローカー領野である。ここは言語活動を担う神経機構があり、これが失語症の原因と見てほぼ
間違いない。
失語症にも程度があるが、彼女の運動性失語症と呼ばれるもので比較的軽度の部類だ。発話には障碍があるも
のの、話を聞いて内容を理解することは出来る。教えれば読み書きも出来るようになるだろう。重度のもので
あったならば、読み書きはおろか、聞くことも話すことも出来なくなる。
もっとも、ラサドキン達にとってはこれぐらいの障碍は問題ではないらしい。上から課されたノルマを達成す
るために、コアとの適正を見出されればインプラント手術を施すことになっている。
ヴォ連において規定の方針というのは絶対だ。それをたがえる事は今の時世にあって、国家に対する反逆とも
受け取られかねない。
なんとも融通の利かない理不尽な制度であるが、これはこれで便利なこともある。
それは一々生命倫理上の是非を考慮する必要がないということだ。重要なのは上の示したノルマを満たすことで
ある。この国では世界の創造主ですら、天地を創造するに当たっては必要書類をまとめた上で役所に提出し、裁
可を得なければならないのである。人道主義や道徳にたいして、極めてお役所的な規則と原則論が勝るのである。
なんと言いつくろってみたところで道義上の是非を問えば悪いに決まっているなら、もはや一々言い訳がまし
いことを並べ立てる必要はない。実利のみを追求すればいいのだと、この国の為政者は考えたのであろう。
大義をかざせば欺瞞に堕する。道義を語れば詭弁に堕する。そうしたものは全て結果によってのみ保証される。
ニヒルな実利主義者達は、道義上の問題に直面したとき開き直って実を取るのである。
ラサドキンもまたそんなことを気にする類の人間ではなかった。
しかし彼女は事前に行った診断でコアとの高い親和性を示したにも関わらず、インプラント手術が数ヶ月ほど見
送られてきた。
これでは納品期日を超過してしまうが、彼女を後回しにして他の候補者の手術を優先して行うことによって帳尻
を合わせた。
このような措置を取ったのには理由がある。それは彼女はここにつれてこられる以前は、食うや食わずの極限的な
生活をしていたために栄養失調に陥っていることが一つ。
それともう一つは妊娠しているためである。施設に連れてこられた時点ですでに六ヶ月目に入っており堕胎は母体
にかかる負担が大きく、また衰弱した彼女の体力を考えれば危険であると判断された。
そのため手術は分娩を済まし、彼女の体力の回復をまってから行うこととなった。
実はマリューシャが身篭るのはこれで二度目である。一度目は二年前。彼女の属する部隊は、軍に追われて
いたため満足な医療設備も無いまま、出産は森の中で行われた。
父親は自分を犯した男達の誰かだが、彼らの誰一人として子供の面倒をみたりはしなかった。もっともその男
たちは戦い日々の中で、死んだのか隊から脱走したのか、何時となく一人二人と減っていき、いつの間にやら居なくなっていた。
子供はもっぱら彼女が
一人で世話をしたがlそんなは我が子を、マリューシャいとおしいと思ったことはなかった。
母乳の乏しい乳房に必死にしゃぶりつく我が子は、子宮に流し込まれた鉛の落とし子。
憎悪であり、汚物であり、憎悪であり、汚辱であり、卑しい肉の塊であり。
結局、は、極限状態の中で口減らしのために始末することを余儀なくされた。
しかもそれは貴重な蛋白源を確保することも兼ねていた。
「前の穴からひりだした糞を喰らうのはスカトロプレイだ」
などとガンザー症候群に罹患した者たちが言いがちな悪趣味な冗談を言って彼女らはひとしきり笑い転げた。
彼女が軍に保護され安全な環境に移ってから一月ほどか経ち、ようやく人心地がつくと、自分を冷静に見つめる精神的な余裕が出てきた。
だがそうなるにつれ、かつて兵士として、いや兵士ですらない無制限の暴虐装置「永久に乾かざる血」と名づけられたモノが振るった嵐。
それは恐怖といってもいい。死ぬことを畏れた自分への恐怖。その畏れた死を振るった自分自身への恐怖だ。
彼女自身こそ恐怖。断罪される恐怖。
その罪を一つ残さずつまびらかにして並べ立てていく自我の独白。自責が彼女を苛み、心を蝕んでいく。
いつしか彼女は自分のトラウマについて、ガランドウな体内に蛇が蟠居しているイメージを抱くようになった。
その蛇は恐怖という毒牙で、臓腑を食い荒らしながら体中を這いずり回っていた。
*
最終更新:2009年09月15日 00:15