(投稿者:Cet)
どこからか歩いてきた
そのことも、今は覚えていない
ドン、と腹に響く衝撃を受けた。
吹き飛ばされた彼の身体は、鋭い角度で放物線を描きながら暗い穴の中に落ちようとする。
しかし、彼は間髪入れずに空中で態勢を立て直すと、脚からの着地に成功した。
直後にぎちぎちと耳障りな音を響かせながら、
シザースが塹壕の内側を覗き込んでくる。彼は銃を構えると瞬時にその顔面へと狙いを付け、轟音と共に吹き飛ばした。
その巨躯がぐらりと傾いで、それはそのまま塹壕の中へと落ちてくる。彼はそれを見るにつけ、慌てて回避を図った。
ずしーん、と割とシャレにならない重低音がこだまする。
「あぶねー……」
そして茫然とした表情でおもわず呟いている。
彼は確かにシザーズと呼ばれるGの打撃を真っ正面から受けて、その上で塹壕の中へと落下していた。
それにも関わらず、彼に目立った外傷は無いどころか、自らの安否を気遣った上、そののダメージの少なさに安堵したりする余裕まで伺わせている。
「いけね、こんなことしてる場合じゃ」
そう言うや否や、彼は慌てて塹壕を駆け上る。
そして彼の周囲に再び戦場の風景が現出した。
瞬く砲火、響く砲声、そして列を成して銃を撃ち続ける人の群れ、支援砲火の巻き上げる塵芥、そしてそれよりも何よりも、それらの必死の攻撃を受けてなお、戦列を乱さずに攻撃を仕掛けてくるそいつらが、そこが戦場である必然性を誰の目にも明らかにさせていた。
言うまでもない、Gである。
人類と彼らとの間に本格的な戦闘が始まって、十年以上が経つというのに、依然正体が分からないという、正真正銘の人類の天敵であった。
彼は走り出す。彼にできることはただ一つ、できるだけの敵を倒すこと。
戦列が今崩壊しかかっている状態で、他に何ができるというのか、彼は自問を加えながらに走り出す。眼前で塹壕への突進を敢行するシザーズの側面を捉え、加速する。
「うおお」
強力な感知能力によって頭を巡らせたシザースの頸椎を、ライフルストックの一撃が粉砕した。
ぐらりとたたらを踏む巨躯に、続けて彼は態勢を立て直しながら膝蹴りを放つ。一トン以上ある巨体の上半身が大きく仰け反った。
とどめの前蹴りで、不安定な状態でくっついていた頭部が、胴体からもげ落ちる。彼はそれを確認すると、続けて後続のシザースにライフルを発砲する。その胸部の外殻が弾け飛んだ。
しかしそれだけではシザースの動きは停まらない。それだけでは。
彼は続けて発砲を加える。ばちん、という音とともに弾帯がライフルフレームから弾け飛ぶ頃に、シザースは前のめりになって崩れ落ちた。
ワモン。ワモンが襲ってくる。土を這って、こちらへとなだれ込む。
ストンピングだ、頭部を踏み潰してやれ、彼は自らに命じるがまま、その群に突っ込んでいく。
新たな弾帯を装着しつつ、きしゃぁ、と彼に向って牙を突きたてようとするその蟲けらの頭部を、口腔ごと前蹴りで粉砕する。
体液が彼の顔面に降りかかる、しかしそれをものともせず、前進する。
くるりと上半身を左に回し、丁度そこにいたウォーリアにライフルで三点射を加える。直後、その肢体は力なく地面に突っ伏した。
倒せ、倒せ、彼は命じられるがまま、自らに命じるままに攻撃を続けた。
倒しているのだ。脳を砕き、脊髄を折り、生命活動を停止させる。
殺傷? いや、破壊だ。
全てを破壊していく。それこそがメードのはたらきに相応しい。
それは一つの真理だろう。
彼はそんなことを思い浮かべることはなく、ひたすらに自らの意志に忠実にあっていた。
日が昇る。夜が白む。
ここは
ベーエルデー連邦。
ルフトバッフェ。
一人の少女が寝所にて目覚め、薄暗い闇の中、鳴り始める前の時計を停める。
「……よし、今日も頑張ろう」
薄暗がりの中で、彼女は何かを確かめるように呟いた。
彼女の無遅刻勤続日数が今日も上乗せされる。
砲撃の痕が未だ生々しい煙を放つ荒野に立つ、一人の盲人が、目を剥いている。
「あちゃー、派手にやられたなあ」
「カ・ガノ、撤退だ! もたもたしてるんじゃねぇ」
へいへい、と、甲高い女の叫び声になされるがまま、男は踵を返して去っていく。
その横顔には何やら獰猛な笑みを浮かべて。
一人の青年が、塹壕の中で身を横たえて、そして目をつぶっていた。
と、そこに塹壕を滑り降りて、別の青年が姿を現す。
彼は騒々しい音を立てて、元からそこにいた青年の隣へと着地する。
座っていた青年が目をあけた。
それから訝しげに問いかける。
「……貴方は?」
「よう、俺は昨晩一個小隊を指揮していた准尉だ。
名前はアンリ。
アンリ・ジュナール。
性能の割に良い働きをするメードがいるってんで労いに来た訳だが、邪魔だったかな?」
そう語る士官は、左目に生々しくも血の滲んだ包帯を巻いていた。
それを見つめるメードに気付くと、彼は破顔した。
「まあこれぐらいの怪我でもしないと、部下に舐められちまうってものさ。お前、名前は?」
「
ブラウです。ただのブラウ」
「青? ただの青、ね、悪くない、詩的じゃないか」
そんなことを言いながら、士官は再度彼に向って笑いかけた後、空を見上げた。
釣られてブラウも顔を上げる。
「青いねぇ」
「……そうですね」
ブラウは士官の真意が未だに読めないまま、釈然としない面持ちで呟いてみせた。
薄雲の棚引く、透き通った朝の空だった。
最終更新:2009年11月17日 22:43