北の海の精霊

(投稿者:店長 一部監修:エルス ※敬称略)



海。
群青の奥に数多の生命を宿す領域は、その境界に鋼の巨大な揺り篭を浮かべることを許していた。
巡洋艦と呼ばれる規模のこの船舶にはラエールヅィッヒという名前がつけられていた。
その甲板上の、対空砲──演習用の的以外だとフライ級Gしか攻撃する用途が現状存在しない──を視界に納めながら群青の波の押し寄せる様を眺める兵士ら。

「はぁ……潤いがねぇ」
「いきなりなんだよ。藪からに」
「やぁさ。ここってスッゲーむさくるしいからさ。男ばっかりで」
「ああ、女に飢えてるのか」
「ロマンもないストレートな表現を有難う。そしてくたばれっ」

誰がくたばるかよ。ともう一人の兵士は今まで体重を乗せていた手すりから離れ、廊下を目的地である食堂のほうに進ませる。
そして先ほど発言をした彼……オスカー・コーウェンもまた、深いため息一つはいてからそのあとに続いた。
ぼさぼさの頭髪は綺麗とはいえない金髪で、目の色もごく平凡な青。よれよれの水兵服は彼の雰囲気と合わさって非常にだらしなく映る。
事実彼は倦んでいる。この現状の流されていることで最低限の気力だけ消費して、残りは無駄に消費せずにいる。
軍人になったのも殊勝にもGと戦うためという目的じゃなく、食い扶持を求めてなったに過ぎない。
これが陸軍なら毎日人ならざる者達との苛烈な生存競争に明け暮れることで性格が変わってたかもしれないが、彼が海軍にいることが彼自身戦いとは──海にもGが存在するが、地上の前線に比べれば遭遇率が低く安全である故に──ほど遠い場所を求めている証になるだろう。

同僚の男についてくる形でやってきた食堂は、今日もまた兵士らでごった返していた。
どこもかしこも隣同士やその一帯で団欒の会話を弾ませているために、全体としてにぎやかな雰囲気に包まれていた。
食堂の食事は長いこと続く航海において数少ない兵士らの娯楽である。そのひと時をかき込まれるマッシュポテトといっしょにかみ締めながら、オスカーは先ほど脳裡に浮かんだ昔話を思い出していた。
それはある一人の失恋をした少女が水の精霊となって、男をその姿と歌とで虜にするというものだ。
その精霊の名前はローレライ
果たしてそれはどのような姿なのだろうか、と子供の頃から幾度も空想に思い浮かべて見たものだ。
水ないしは海を見たときには決まって、その精霊の名前が浮かぶのだ。

「はぁ、……」

自分でも数えるのが億劫になるほどのため息を吐きながら、面白みのない軍艦生活を振り返る。
毎日変化の乏しい海を眺め、水中を行く危険なGの存在に警戒する……ものの、この軍艦にGが襲い掛かったのは彼が見張り員として配属されてから皆無であった。
まあ、命が失われるよりはマシではあるのだが……と、オスカーは余暇によって押しつぶされて死にそうになるのだ。
己のすべてを賭して挑む何かを求めていたのかもしれない。それが美しくて、自分を虜にしてやまない、まさにローレライのような、女性を。
高望みだな、とオスカーは結論付けながら最後のマッシュポテトに添えられていた腸詰を口に放り込むと、食器を戻しにいった。

「いい出会い、ないかねぇ……」


海の機嫌を損ねた時、それは痛い代価が要求されるのだ。怒れる彼の身震いだけで容易く貴重な命と装備とを飲みこんでいく。
吹き荒れる雨と風の苛烈なアンプロンプチュは人類の英知の塊である軍艦を強かに打ち据え、揺さぶる。
まだ巡洋艦であるラエールヅィッヒは兎角、駆逐艦クラスの船舶はこちらが見てても冷や冷やするほどに大きく振り子運動しており、肝を冷やし続けている。
その嵐の中を飾り気のないレインコートを水兵服の上から羽織っただけのオスカーは、その暴風に負けないように罵声を上げていた。
本来であれば夜間の戦闘訓練──友軍の潜水艦を仮想の敵として、模擬弾等を用いたそこそこ本格的な──を行う予定だったところにやってきた嵐は、オスカーを始めとして幾人かを暴風雨の最中に見張りを強要させるという不運と、その他多くは訓練の延期というつかの間の幸運をもたらしたのであった。

「くっ、こんなときに見張り番なんて貧乏くじだな!!」

手すりに必死にしがみ付くようにして翻弄されそうになる体を押さえつけ、禄に視界が確保できない最中であっても命令を遂行しないといけないのは軍人の常である。
大荒れの海原は夜の闇と相まって、まったくといっていいほど何も映さない。
風によって煽られ、薄らと白く波立つのが僅かに伺えるだけだ。
この最中で訓練を行うには、オスカーを含めた多くのヒヨッ子な新兵にとって厳しいものがある。
中止を下した司令官はそれなりに話がわかるか、面倒が嫌いなのかのいずれかに違いない。

「これじゃ、何もみえ……うぉ、ぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」

そのとき、いくつかの悪い偶然が重なった。
まず第一に巡洋艦に波が打ち寄せ、大きく揺らしたこと。オスカーが漸く後退の時間が終わり、交代要員が来たことによる気の緩みで命綱を外したことが第二。
極めつけに雨粒によって滑りやすくなった手すりを掴みそこねたこと。
バランスを崩した彼はそのまま、まっさかさまに落下していく。
暗い、奈落の底へと繋がっていそうな、漆黒の海へと。


このとき彼女はたまたま、訓練として比較的近海の海で単独で行動していた。
それも水上の船舶の上ではなく、水中を20mほど潜ったあたりを遊泳していたのだ。
彼女は人間ではなくメードであったが、勿論大荒れの海の中を装備無しで行動することはできない。
彼女の膝から下からは、魚雷の後ろ半分を切り取ったものを人間の足にあわせて縮小し穿いたような、と表現できそうな装備を身につけている。
その先端に備わったスクリューは、流れのきつい水中であっても彼女が進むだけの推進力を与え、彼女に移動する力を与えている。
光の届かない海の漆黒を見渡すために、彼女の被った水の抵抗を考慮した形状のヘルメットにはライトが装備されており、それが今海中の彼女の行く手を照らし続けている。
首の根元から脚部の装備にいたるまでは、群青を中心とした薄いメッシュ状のがぴっちりとボディラインを浮き彫りにするように包み込んでいた。
そのため彼女の黄金率の肉体美が余すことなく反映されている。これはヘルメットと一緒に装備することで、装備者が水圧に潰されないようにするための実験途中の装備だ。すべてのメードが装備するためにはまだ解決しないといけない問題が多く、現状では彼女みたいな放出系に優れたメードしか適応できない。
と、ほぼ完全な装備を施されているものの肝心な空気の入ったタンクは背負っていない。
それは彼女が一呼吸で1時間近く潜ったまま呼吸せずに活動できるという、辛うじてレアスキルともいえない能力があるからだった。

その彼女の前方で、何かが落下していくのが映った気がした。
最初は見間違いだと彼女は考えていたのだが、海中に響く音が見間違いではなく、しかも人間であることを教えている。
彼女の記憶にはたまた、まこの海域には巡洋艦を中心とする演習目的の艦隊が航行していたことが記録されていた。
海の上の大荒れに翻弄され、船から投げ出されたのだろうか?
疑問は尽きないものの、彼女はその音のするほうに進んだ。


沈む。沈んでいく。
息苦しさを堪えるものの、意識が遠のく彼の口からこぼれてはいけない気泡が漏れていってしまった。
塩辛さや、目の痛みで目はもう開けていられない。極寒の海水が彼から体温と体力を容赦なく奪っていく。
ただ、暗闇が自分の周囲を包み込み、水圧で体は締め上げられていくのを受け入れているしかなかった。
不完全燃焼なこの人生の幕引きが誰にも見取られずに孤独に溺死ということにオスカーは無念の感情を抱くしかなかった。
どうせなら、誰か素敵な女性の、柔らかな体に身を包まれながら眠るように死にたかった。それがオスカーの正直な思いだった。
それが自分が愛してやまない、架空の存在である彼女であれば、なおいい……。
ふと、オスカーは瞼に光を感じた。夜の海中という光なきはずの世界に感じた光に、遠のきつつある意識を少し繋ぎとめることに成功した。
感じるのは、己の胸部に押し付けられる、滑らかな肌に包まれた、一対の肉の感触だった。それが女性の胸部であることに気づく前に、彼の体はその肉体の持ち主によって抱きしめられていた。
そして、唇に押し当てられる、……女の子の唇のふっくらとした感触だった。
唇同士押し当てられは、オスカーの口を割り裂いては息を吹き込まれる……それは、オスカーにとっては命の差し入れに他ならない。
体に酸素がめぐり、失いかけた意識と共に体力が蘇る……そのことを伝えるべく、彼もまた触れている暖かさを逃さぬように抱き返した。
改めて手のひらで、恐らくは彼女の背中にあたる部分を撫でる。表面は触れたことのない感触をもった、薄い膜らしいもので包まれていた。
一方の抱きしめられたほうはそのことで意識があるのを確認したのか、抱える力を少し強くしながら、ゆっくりとその進む速度を加速させていく。
水上へ……オスカーを、幻想(し)から現実(せい)に送り返すために。
ばしゃぁ、っと海中からの生還を果たしたのを耳と肌で感じ取ったオスカーは、海水の塩分に痛みを堪えつつ目を開けていく。
大海原を連想させる綺麗な群青の瞳が安心した様子でこちらを見つめ、深い蒼のヘッドギアの隙間から流れ出ている蜂蜜色の長髪が伸びているのが目に入った。
セレナイトのように透明感のある肌は顔以外を瞳と同じ色を基準とした全身スーツに覆われており、全体を含めた彼女の静かに訴える魅力は可愛いよりも麗しいと表現に値するだろう。

「もう、大丈夫」

彼女の桜色の唇から紡がれる言葉は救助された青年の耳から心に染み込んでいっては蕩かせていく。
これが緊急時でなかったならば、彼女に対して愛の言葉を紡ぎだしそうになるだろうとオスカーは感応する。
そしてもう一つ、何か心の奥でカチリと噛み合っては綺麗に収まる。
容姿と歌とで男性を虜にするという──そう、胸の奥にしまいこんだ、オスカーの想像上のローレライそのものではないか。
彼女の姿を忘れないように焼き付けようとするとき、ごとんと腰から何か硬くて大きな金属の感触に体が乗りあがった。目の前にいる精霊の化身がオスカーを運んだのだ。
彼女の温もりが離れていく。体も精神も漸く得られた安全に安堵したのか、遠くに聞こえる嵐の残滓と人の声とを聞きつつも意識を手放しはじめる。最後に彼女が海原へと姿を消す前に、その姿を納めながらオスカーは誓うのだ。
この麗しい俺だけのローレライに、もう一度会うのだ……と。


一方で不幸から一転して人生の転換の時を迎えたオスカーという人物がいる一方、不満そうに下された命令を消化しようとしている人物がいた。
エルンスト・バーナー少尉の乗艦するIIB型潜水艦U-12は本来の目的であった演習の的から、急遽海に投げ出された人員を救助するという任務を命じられたのだった。
考えても見ればおかしな話である。喫水の深い潜水艦は高い波がくれば波の中へ突っ込んでしまい、禄に救助すらできない。更に狭いので無駄な乗員は乗せられないのだ。
恐らく何にも知らない水上艦艇馬鹿が潜水艦が何であるかも知らずに命令してきたのだろうとバーナーはその時に思っていたが、命令無視は軍法会議ものなので、従わざる終えない。
全長50m足らずの小さな潜水艦であるIIB型潜水艦は、ただでさえ丸太舟とまで渾名されるというのに、今回は周囲を泳ぐ巡洋艦や駆逐艦の引き起こす波に翻弄され、さらに悪条件を呼ぶ嵐の最中の救助に辟易していた。
もっとも、ここで経験豊かで勝つ勇敢な艦長であれば率先して任務を遂行しようと躍起になるのであろうが、軍人の前に人間である彼にそのような感情を芽生えさせる余地はまだなかった。

「ったく、馬っ鹿馬鹿しい。忌々しい嵐だぁねぇ……クソったれめ」
「まあまあ艦長、人命救助ですよ。我らが同士の命を救う。名誉な事でしょう」
「分かってる。後で責任取れ何ぞ言ったら魚雷発射管から打ち出してやる……潜望鏡上げ」
「諒解、艦長」

ベルナー・バッハ上級曹長がそうやんわりと宥めに、不機嫌そうな顔をそのままに言い返すバーナーは潜望鏡から水面上を観察した。
敵船も何にも無いので限界まで潜望鏡を延ばしては見たが、それでも波を被ってしまい、視界良好とは程遠い。
海上は相変わらず大慌ての様子だった。
駆逐艦や潜水艦が浮上しては、浮き輪を海面に投げ込み、漂流中の人員を引っ張りあげていた。
オスカーを突き落とした揺れは、同じように他の船からも人を叩き落したようだ。
駆逐艦がサーチライトを点し、潜水艦は互いにぶつからないように発光信号を絶えず送り続け、波に打たれながら必死になって人員を救助していた。
ゆっくりと艦首が持ち上がり、潜望鏡につかまるバーナーは何度目かも分からない溜息をついた。バッハも他の乗員も、気にしてはいない。
深海の狼とまで恐れられていたUボートが、こんな嵐の中で人命救助とは、本当におかしな話だなとバーナーは改めて思った。
その時だった。聴音を担当していたレイ・ロジャース上級曹長が何時もの落ち着いた声を捨て、限界まで張り上げた大声が艦内に木霊したのは。

「方位094、距離500で高速スクリュー音!向かってきます!」

その悲鳴に似た叫びはバーナーはおろかU-12乗組員全員の心臓を鷲づかみにした。
よもや、このときを狙って奇襲をされると思っても見なかったからだ。
黒旗の船舶でも紛れ込んでたのかとバーナーは一瞬思ったが、
次に出てきた回避運動でその思考は消え去った。

「右舷前進一杯!左舷後進一杯!取り舵一杯!どっから出やがった畜生がっ!」
「右舷前進一杯!左舷後進一杯!取り舵一杯!防水隔壁閉鎖!」

回避運動を命令するも、バーナーの脳裏では避けられないと判断していた。
500mの近距離でほぼ真横から雷撃されれば、避ける方法は無い。
だからバッハも復唱した後に、防水隔壁の閉鎖を付け足したのだ。勝手な行為だったが、咎める余地は無い。
諦め、自分の短い人生を思い返そうとしていたバーナーの意識を引き寄せたのは、レイの間の抜けた緩い声だった。

「……高速スクリュー音、弱まる……。距離、分かりません……あ、消えた……?」
「なん……だと。おいレイ!どうなってる?……いや、どういうことだ?」

バーナーが言い直したのは、レイの発言のすぐあとに船体に何かがぶつかる軽い音が木霊したからだ。
魚雷がぶつかったのなら、まず無事ではないのは明白だ。そもそもこんな軽々しい音はしない。
槍のような魚雷が船体に突き刺さり、海水と爆発で海の藻屑と消えるのが普通なのだ。
バーナーは突然消えていったスクリュー音にイラつきつつ、胸を撫で下ろし、唖然としているレイを睨み付けた。
幾らアルトメリア出身だからといって差別している訳ではないが、本来ならば高速スクリュー音が消失するなど、まずありえないのだ。
その殺気立った視線に気付いたのか、レイは慌ててレシーバーに手を添えて状況を報告し始めた。

「推測ですが、何かが船体に乗り上げたようです……本艦の至近で高速スクリュー音再発生!方位距離不明!遠ざかる、方位157、距離100……200……300……Shit!駆逐艦と被った!探知不能!」
「気にするなレイ。海の幽霊(ゼーガイスト)だってか?ざけんな、んなもんいてたまるか……浮上するぞ。クソめ、夢に出てきたらどうしてくれんだ……」

不機嫌さに幾分か恐れ混じリに呟いたバーナーを他所に、U-12は嵐の真っ只中に浮上した。
第一哨戒当直班が垂直ラッタルからハッチを這い出し、甲板に乗り上がった正体を見た。
それを見た哨戒長のフランツと他の水兵二名は、狐につままれたような表情を浮かべざるを得なかった。
何せ、一人の人間が乗せられていたからだ。

「……おい、こいつぁどういうこった?マリア様が糞捻り出した訳じゃないだろ?」
「何言ってんですか!助けますよ哨戒長!ほら早く!」

 その様子を遅れてラッタルを昇ってきたバーナーは暴風雨のフィルター越しに見ていた。そして、ここまでの一連の流れを思い返していた。
まず高速スクリュー音が方位094距離500からU-12へ接近。回避行動を取るも、スクリュー音は消失。その後再度スクリュー音がしたが、駆逐艦と被さり探知不能。
そして最後に人が乗り上げられていた。分かっていることを纏めるとまさに複雑怪奇といえる。
ただ現実を見るに、高速スクリュー音の主が今甲板で救助されている彼―――オスカー・コーウェン―――をこの船体に乗せたという事実だけだった。

「…………ああ、もう……幽霊なんて、なぁ?いるのか?ったく……最悪だ」
「艦長、U-X01と名乗る友軍潜水艦から通信がはいりましたが……」
「U-X01?X番号なんて艦番にねぇぞ……それで、なんつったんだよ?」

海水を被りながらラッタルを上がって来た水兵の一人が告げてきた内容にバーナーは眉を顰めた。
潜水艦の番号に英数字のXを用いたUボートは無い筈だとバーナーは胡散臭さと警戒心を露にしながら続きを促した。
水兵は海水を飲み込んで噎せながらも、通信されたメッセージを言い切った。

「先ほどの推進音は秘匿兵器のものなり、詮索無用。とのことです」
「秘匿兵器……ちっ、分かったって言っとけ。詮索したら後が怖い……」
「了解……我が軍ながら、恐ろしいものを開発したものですね」
「何言ってやがる。詮索無用だ。今直ぐ忘れろ。でないと気になって仕方なくなっちまうぞ」
「それもそうですね……海の幽霊(ゼーガイスト)に祟られちゃ世話ないっスから」
「クラバルターマンに出てかれるよりはまだマシだ。クソったれめ……」

非現実的な存在、所謂幽霊などが苦手なバーナーが、水兵の言葉に舌打ちし、海水と雨でずぶ濡れになり、冷えた身体を震わせた。そこには冷たさ以外の要因があった。



オスカーはあの事件以来、潜水艦乗りを目指すようになった。
そのために必要な努力も惜しまず、文字通り寝食すら忘れて勉学に励む姿勢は、以前の彼を知っているものがみれば人が変わったように思えるだろう。しかし、これは埋もれていた本来彼が持ちえた性質だ。
無気力気味だった青年に芯が入ったために宿った意志力は、彼をすぐさま潜水艦乗りへと仕立て上げる。
演習用のIIB型潜水艦の壁を触れていれば、その向こうに彼女を感じるのだ。あの嵐の夜に出会ったあの女性の顔は、記憶に焦げ付いている。

漸く訓練機関が終わり、海上の船舶以上の過酷な条件をその身に刻み終えたオスカーが陸で出迎えたのは突然の異動だった。
同じ海軍とはいえ海中戦闘技術開発課という聞きなれない部署名に怪訝さを隠せないオスカーであったが、命令とならば従わざるを得ない。
エントリヒ帝国の持つ島のひとつであるエルトヒにひっそりと潜むように建造された本拠地は、物寂しさに加えて高い緯度に存在する場所もあってか肌寒く感じた。
本拠地の構造は小規模な軍港というべきもので、秘匿と防護を目的としているのであろう分厚いベトンに包まれたドックには潜水艦や駆逐艦と思しき影を内包している。
海軍本部から潜水艦による移動を経て、最初に出迎えたのは白衣に軍服というスタイルをした細い男性だ。技術将校なのだろうか、とオスカーは口には出さないものの推測をする。

「海戦技にようこそ。オスカー・コーエン少尉。私はへーメル・ギュンター技術少尉だ」

こちらを見下しているのでもなく、また媚びへつらう様でもなく右手を差し出す。
対等な立場の者に対する礼儀を持って対応する様子を見せた彼に心なしか好感を抱けそうだとオスカーは表情を柔らかくしてその握手に応じた。

「宜しく。ギュンター技術少尉」
「君の噂はかねがね聞いている。精霊を追いかけているそうだね?」
「……まいったな」
「いや、純粋な思いはいいことだ……意思を持って動く人間は、私は好意を持てる」

そこまで噂になってたか、とオスカーは苦笑するしかなかった。
この様子だと頭が少しお花畑になっていると付け加えられているに違いないと覚悟をしてたところに、へーメルの意外な言葉にほっとした彼。
軽く顎を動かしたへーメルに、ついてこいという意思を感じ取ったオスカーはすでに歩き出した彼の横に並ぶようについていく。

「ここでは新しい技術を開発する数ある部署でも、海中を主眼においている」
「つまり潜水艦を中心にしたものなのか?」
「潜水艦関連もそうだが……中心に据えているのは別のものさ」

案内された先にあったのは研究所と併設されたコンクリートの岸辺だった。

「──君の同僚となるメードを紹介しよう」

彼はそう告げると、水中から踊り出る影に予想以上に衝撃を受けたのは彼だった。
そう、……彼女は、あの嵐の夜に一度だけ、出会ったことがあったからだ。

 「──彼女は本計画の要である、ローレライだ」

彼女は紹介をうけると、最初は相手も驚いていたが、すぐさま親しみのある笑みを浮かべた。彼女もまた彼のことを覚えていた。
オスカーは口をあんぐりを開けたまま生ける銅像となるしかない。偶然とはいえ、彼女をローレライと見立ててたのが当たったのだから。

「初めまして。……ローレライです」
「あ、あぁ……」

ひと心地つくと途端に現金な心臓によって胸が高鳴る。
目の前に、もう一度会いたいと願っていた精霊に出会えたのだ。

「──本日から海中戦闘技術開発課に配属になった、オスカー・コーエン少尉だ。よろしくな、ローレライ」
「はい、存じていますわ……教官殿♪」
「……は?え?」

隣で必死に笑いを堪えるへーメルを他所に、オスカーは本日2回目となる硬直に見舞われたのであった。

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最終更新:2009年12月05日 14:00
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