(投稿者:suzuki)
喪服は思ったよりも暖かく、感じるものと言えば、唐傘に積もる雪の重さぐらいだ。
ふるさとの雪は厚く、この季節にもなればあたりもすっかり白くなる。
かろうじて分かるのは、自分の体と、この雪を被った新しい墓石。
この雪と寒さなら、やる花もなく、線香はたちまちに消え、供えの茶も凍るだろう。
ある種、気味のいいものを感じないこともない。
雪の日は嫌いだ。
視界が悪く、隠れるには絶好の天候だといいたいところだが、
何分この黒い頭と羽には相性が悪い。
そして何より、寒い。
寒い日の思い出といえば、凍えて死に掛けた事ぐらいなものだ。
囲炉裏の暖かさを知ったのもここ最近のことだろう。
それでも少しでも意識を傾けようものなら、外に放り出されたろうが。
……ああ、そうだ、ついこの間までそんな生活をしていたんだった。
憎らしい、忌々しい。
しかし、不思議と平静は保てているらしい。
本当ならこんな墓石切り飛ばしてやろうかと思うぐらいだ。
この森叢光、齢一六にして幾度死線を彷徨った事か。
全てこの墓石の下にいるであろう祖父、先代森叢隠斎の手によるものだ。
世間一般で言えば厳しい人、なのだろう。
だがごく近しい人にしてみればあんなもの、ただの狂人だ。
奴が修行といった者の中の一体どれだけが、修行としての用を果たしていだろうか。
あれはひとえに、心と情を涸らして人形へと仕立て上げる虐待に過ぎなかった。
体内に毒を溜め込み、慣らすだけの荒療治でもあったか。
忘れられるものか。
奴と共に過ごす中で飲み込んだ全ての味を、忘れられるはずがあろうか。
汗の味。
涙の味。
血の味。
毒の味。
蛆の味。
蜜の味。
苦々しい、憎たらしい。
あの梟頭のおかげで自分は歪んでしまったのだ。
でも、其れも終わったのだ。
あの白羽頭の蒼白い顔を見たときのあの気持ちが忘れられない。
踊りだしたいのを、笑い出したいのを必死に堪えていたろうよ。
ああ、どういう気持ちだったろうな。
傍から見ればただの病死さ。
だがあのじじいなら分かるだろう。分かった時には遅かったろう。
あるいははじめからこうなる筈だったのかもしれない。
まあ、細かい事はこの際どうでもいい。
兎も角、あの梟頭以外は誰も分からなかったろう。
奴を殺したのは病だが、その病の主が自分である事を。
あらゆる毒と病を操る森叢の秘伝であれば、あの程度造作もなかったろう。
本来こうあるべき技だったのだ。
教え子が修行の成果を見せてやったのだ、本来は喜ぶべきことだろう。
ほら、喜べよ。
供え物にもほんの少し、盛ってやったぞ。
つまみ食いに来た雀が泡吹いてやがる。
其れも一緒に供物にしてやろう。
ふ。
ふふ。
あははははは。
おっと。
どうやら声が漏れていたらしい。
チーが不安げな顔で自分を見ていた。
ああ、チーが眩しいな。
たかだか、傾ききったお家の更に分家筋の小姓だというのに。
その貧しいながらも普通の生活を送れる事が何よりも羨ましかった。
ああ、あの頭の中には何が詰まっているかな。
生活のことかな。
親兄弟の愚痴かな。
流行の服のことかな。
私のことかな。
それと少しの忍術の心得かな。
私の中には何もないというのに。
強いてあるなら、脳の容積一杯に詰まった森叢の秘伝と捻じ曲がった性根くらいだ。
そんな黒ずんだオブジェをあの娘は主人であるといい、慕ってくるのだ。
分かるものか。自分の腹から蛆のわく感触が。腐った血の味が。
ああ、どうしようもなく。
汚したい。
壊したい。
あの従順な、奴と同じ白梟の羽毛を濡らしてやりたくて仕方がない。
苦痛に歪んだ表情が何と心地の良かった事か。
歪んだ顔が惚けた顔になった時の、なんと気持ちの透いたことか。
自分の穢れをあれに少しでも分けてやろうというのだ。
慕うのだろう、好くのだろう、ならば本望ではないだろうか。
ああ、今日はなんだか愉快だ。
夜になったらほんの少しだけ遊んでやろう。
今までは苛立ちしか込められなかったが、今度はもう少し愛してやれるだろうか。
そうだな、少しだけ優しくしてやろう、すこしだけ。
「帰(け)るど、チー」
「あっ、はい……あの、光様」
「なした?」
「……お疲れ様でした」
「おべだふりこぐでねえぞ、チー」
「す、すみません」
「……ありがとうな」
「えっ……」
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最終更新:2010年02月21日 00:31