秘事

(投稿者:suzuki)



先代の隠斎様は、光様の事がお嫌いだったのでしょう。

元来森叢の一族は、大社に伝わる九神のうち、叢神(むらのかみ)の末裔とされております。
叢神様は梟の姿をした神であるとされ、また我々も梟人と呼ばれるフクロウの亜人一族で構成されていました。
先代も例に漏れず、美しい白い羽毛を生やしたお方でしたが、しかし彼の息子……今の、十六代森叢隠斎様のお父上に当たる方の代に、事件は起こったのです。

「チー」
「はい」

彼を誑かしたのは……いえ、実際に誑かされた、というべきなのかは存じません。
兎も角、お父上様が愛されたのは、古来より忌むべき者とされてきた烏天狗の一人娘だったそうです。
そして、ついにはその方と駆け落ちまでなさり……数年後、里に戻ってきた時には、既に隠斎様と光様をお連れになっていたそうな。
浪漫のある話でもあるかもしれませんが、しかし先代はそれをお許しにならなかった。
一族の血が途絶えかけていた事もあって、党首の座こそ今の隠斎様に引き継がれる事にはなりましたが、しかしお父上様は里を追われ、程なく病に倒れたといいます。

「脱げ」
「……はい」

しかし、先代は森叢の業を隠斎様にお教えすることを望まなかった。
彼には森叢に伝わる機密の管理だけをさせ、代わりに光様に忍びの術を教えるようになったといいます。
それが果たして修行と呼べるものであったかどうかは……私の口からは申し上げられません。
ただ、先代は少なくともお二人の黒い翼を憎んでいる事だけは確かなようでした。

「あやァ……チー、オメェもう我慢でぎねぐなったが?」
「は――ぁうっ!」

光様は、きっと私の事がお嫌いだったのでしょう。
先代は、光様には鬼のように振舞う半面で、私にはとてもよくして下さいました。
それは私が先代や本家の方々と同じ、梟の血を引いていたからなのかもしれません。
私などよりも光様に構ってやってくださいと何度もお願いしましたが、ついぞその願いが受け入れられることもなく、結局は私もその愛情を享受するようになっていました。
暮らしていけなくなるのが怖くてお二人の元を離れる事すらできませんでした。
あるいは単純に、光様の元を離れる事が出来なくなっていたのかもしれません。
いずれにせよ、私の罪は重い。

「なにもしねたってこンたぐなってェ……しょしぐねが? ぇエ?」
(何もしてないのにこんなになっちゃって……恥ずかしくないの?)
「はッ……あ――」

そう、はじめは罪滅ぼしのつもりだったのだと思います。
元々光様は私に対してよくして下さるという事は余りありませんでしたが、先に願い出たのは私からでした。
光様の思うとおりに、私を痛めつけてやってくださいと。
叩いてその気の晴れるようなら存分に叩いてください、と。
少しでも光様の痛みを分かち合いたいのだと。
きっとそうでなければ、私は愛情と罪悪感に押しつぶされていただろうから。
そうする事で、少しだけ光様にお近づきになれるかもしれないと思っていたから。
……そして私は、次第に痛みに慣れていった。より一層、悦びを以ってそれを受け入れるようになった。

「なあチー」
「ぅぁ……」

光様は、それでもお美しい方でした。
きっと、お父上様に見初められた烏天狗の娘も、人を惹きつけて仕方のない容姿の持ち主であったのでしょう。
それは老若男女を問う事すらなかった、魔性と呼んで相応しいものだったのでしょう。
現に私はあの方に惹かれ、またそれが災いして、当時かなりの老齢であった先代にもその身を預けられる事がありました。
初めての夜、光様は泣いておられました。
私は言いました、願わくばその痛みも私にお与え下さいと。
そうして私と光様の秘事も、より一層の深みへと落ちることになりました。

「アッツァあよォ、オラどご以磨川さ売るどよ」
(兄さんね、私を以磨川に売るそうよ)
「ひっ」

そう、こうして今、私は私の中を貫かれる感覚にすら身を捩じらせているのです。
ここに至っては、最早罪滅ぼしなどではなくなっていたのだと思います。
ただ純粋に。きっと捻じ曲がっていながらも純粋に、私は光様と繋がることを望んでいたのだと思います。
そう、私は嬉しかったのです。
思ったのです、これは愛なのだと。
あの方の歪みきった愛なのだと。

「迷ってらんた風に言ってらったども、オラさなよォぐ分がるんだ」
(迷ってる風に言ってたけど、私にはよく分かるわ)

光様は私に全てを吐き出してくださいます。
喜びも、悲しみも、恨みつらみ、血、唾、蜜。
ああ、私にはそれが堪らない。
それを私はこうして、痛みと快感と共に吸い込むことになるのです。

「あの目、あの顔はよォ、迷ってるんでネくて、ヒトどごおっかねがってる」
(あの目、あの顔はね、迷ってるんじゃなくて、人を恐れている)

誰にも見せることのないお顔を私に見せてくださいます。
光様の笑顔も、泣き顔も知っているのは私だけなのでしょう。

「……オラがこうなったのはアッツァがだのせいだってのによォ!」
(……私がこうなったのは兄さん達のせいだって言うのにさァ!)
「あぐっ!」

ああ、私は嬉しかった。
朦朧とした意識の中で、初めてあの方が笑うのを見た、あの瞬間が。
毎夜、楽しそうに鞭を振るうあの方を見たのが。
あの方と一緒に頂へと達した、あの瞬間が。

「チー、今日はハラワリぃしてよォ……もうすてっこ続ぐでェ?」
(千景、今日は機嫌が悪いからぁ……もうちょっと続くわよォ?)
「……ッは、はい……」
「うん、えがった」
(うん、よかった)

世の方は、光様を狂人と仰います。
ですが本当に狂っているのは、きっと私なのでしょう。
人に狂わされるのではなく、自ら狂い、狂った世界を嬌声で以って受け入れる。
真に光様を狂わしたのは私なのかもしれません。
私がいなければ、あの方は狂気など孕まず、ただのかわいそうな少女でいたのかもしれません。
でも、私はその狂気なくして生きられなくなってしまっていた。

きっと私はこれからも、光様なしでは生きていられないのでしょう。
光様が更なる狂気に犯されようとも。
たとえ大社の明日が昏くとも。
隠 斎 様 が お 亡 く な り に な ら れ て い て も 。

憎まれて構わない、私はいっそ共犯者でいたい。


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最終更新:2010年03月01日 02:13
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