もう人間じゃない

(投稿者:迅鯨)




 近頃のベルジージュはどういうわけか物憂げだ。

 何故かと言えばそれはある秘密を知ったからである。その秘密とはズバリMAIDは人間から生成されてるということ。
 それに気付いたとき、彼女は世界の恐るべき秘密を知った思いがして戦慄し、それと同時に一人でその秘密を独占する
優越感に浸った。ところがそれも束の間、これはどうやら公然の秘密であるらしく、自分の周りではとうに周知のことな
のであった。
 これはこれで衝撃的なことではあったが、それにしてもレゲンダですらそのことには感づいているようで、その程度の
ことにのぼせ上がった自分が途端に馬鹿らしく思えた。

 そもさん今現在の技術水準で人工的に生物を作り出すなどということは、到底不可能というのは素人でも察しが付く。
 その方面の専門的知識がない一般大衆でそう言われて、はいそうですかと鵜呑みに出来るほどの想像力を働かせて肯定
できるくらいには進歩してはいない。仮に出来たとしても大衆はそれを真実として容易には受け入れまい。
 で、あれば自然疑り深く詮索好きな大衆は実はMAIDは人間から作られているのだろうという推測に帰結する。
 まっとうな想像力の持ち主であれば、それくらいのことは容易に察しがつく。
 その程度の秘密なのだ。人に似た姿をしていて人でないわけがない。たとえそうでないにしても人に似ていればそれだ
けで擬人化されうる。

 無論その事実を各国政府は認めていないし、それを客観的に裏付ける資料も今のところ出てきてはいない。いかに実し
やかに囁かれようと今のところはあくまで憶測でしかない。

 多くの人々はその是非を確かめる術をもたないが、しかしそんなことは関係ない。検証はしてないが、オカミは何時だ
って何かしら国民に対し隠し事をしているもの。
 いつの時代でも大衆が時の権力に抱く習慣的な不信感は、彼らを納得させる程度に合理性を備えた説がでれば、それだ
けで瞬く間に巷に蔓延ってしまうのだ。各国政府は下手なことを言って余計な憶測を招くことを恐れ、示し合わせたよう
に沈黙しその噂を肯定も否定もしないでいる。

 そんな空気の中にあってMAIDはその噂を信じるにしろ信じないにしろ、人々が口々にささめきあう話や雰囲気が嫌
でも自分はかつて人間であったかも知れないと意識させられる。それはベルも例外ではなかった。
 と言ってもまだ生後八ヶ月ほどしかないベルジージュには、それだからといって自分のアイディンティティーが揺らぐ
ということはなかった。それはそもそも彼女のアイデンティティー事態が未発達だからで、彼女にはその秘密がどういう
意味をもつのか、驚愕すべきツボがどこなのかがイマイチよく理解出来ないでいるのだ。
 そんなことよりも自分がかつて、自分ではない何者かであったかもしれないという発想は、まださほどの過去をもたず
追憶にふける習慣のない彼女にとって、それを埋め合わせる面白い想像であった。

 例えば、自分はピオネールの一員で、ハイキングに行った先でGに襲われ、目の前で親しかった友人たちを殺され復讐
のためにMAIDになることに志願した。とか。
 あるいは、重病に苦しむ兄弟を救うために高額の医療費と引き換えにMAIDとなった等々。

 それらのどこかありがちな空想は、配役や舞台設定などの細かいところは違えど、そのボキャブラリーはおそらく彼女
が今まで見聞きした映画や物語に由来するものであろう。
 何れにしても、その人間だったころの空想上の自分は、崇高なる自己犠牲の精神を持ち、時代の荒波に翻弄されながら
も、自らの意思によってMAIDとなることを選んだ悲劇の(嗚呼、耽美なるかな!)ヒロインなのである。

 随分とご都合主義な空想だが、外見相応の子供らしい願望でもある。言ってみれば想像の中で一人ママゴトをしている
ようなものだ。
 こうした願望はもしベルジージュに遊び相手となる同じ年頃の友人がいたのであれば、ごっご遊びなどを通して擬似的
に満たされる類のもので、成長するにつれていつしか心の片隅へとしまわれてしまうものである。
 しかし彼女が蓄えた時はまだ少なく、そんな空想に付き合ってくれる同年代の友人もいない。純真なレゲンダなら
そんな児戯に真面目に付き合ってくれるかもしれないが、子供扱いされることにコンプレックスを感じる彼女には、その
ことを誰であれ他人に打ち明けるのはどうにもプライドや羞恥心といったものが許さないらしい。

 近頃のベルジージュはいくらか内向的になって、ハケ口のない願望交じりの空想にひたることに楽しみを見出していた。

 そんなあるとき彼女の所属する独立第五MAID支隊が、移動の途上とある地方都市に数日ほど立ち寄ることがあった。
 部隊を移送するための列車が手違いで彼らが到着する前に、先行していた他の部隊を間違って乗せていってしまい思わ
ぬ足止めを喰らったのである。
 MAID部隊といってもMAIDだけで編成されてるわけでもなく、それを支援する駆虫歩兵や、指揮通信システム、後
方業務を行う各種支援部隊等が付随し小規模ながら諸兵科連合部隊を構成するため、それらの人員や資材が加り結構な大所
帯になる。ベルの所属する第五MAID支隊であれば総員八五〇名と大隊規模である。

 主要な交通インフラは戦時体制下では常に大量の人員や軍需物資を輸送するために緻密な運行計画が組まれており、これ
ほどの部隊を運ぶとなると簡単にダイヤを変更することは出来ないのだ。
 背嚢一つ背負って気軽に乗りこんで移動というわけには行かない。
 緊急を要するものであればその地区を管轄する兵站司令部に掛け合って、調整させることも出来るがしかし今回はそれほ
ど急ぐものでも無いらしく結局三日ほど足止めを喰らうこととなった。

 その初日、ベルジージュは現地の兵站司令部と移送計画の打ち合わせを終え、昼食を済ませると午後から許されていた自
由時間を利用してどういうわけか市役所へと足を運んだ。それも公務じゃなく私用でである。
 昼下がりの庁舎は人もまばらで職員達は同僚と雑談を交わしながら粛々と事務をこなしていた。そこへ唐突に軍服を着た
少女が現れた。
 彼女は窓口に立つとヤブから棒に住民台帳の閲覧を要求した。窓口で事務についていた職員の青年は一瞬あっけにとられ
、そして直に子供の悪戯だろうと判断し適当にあしらおうとしたが、それを察するやベルはおもむろに懐をまさぐり手帳の
ようなものを取りだし、職員の眼前に付けつけた。

 「特務権限を行使するわ。住民台帳を見せなさい」

 それは内務人民委員会に属する政治委員(コミッサール)であることを示す身分証であった。
 それでも青年には冗談のように思え、身分証をためつすがめつしたが、いくら仔細に見てもそれに一切の瑕疵も見当たら
ない。
 正真正銘の身分証のようである。それでも青年は釈然とせず訝り眉をひそめ「とりあえず確認をとらせてもらいますので…」
と言って席を立とうとしたが、ベルジージュはそれを制しさらに語意を強めた。

 「詮索は一切無用よ。黙って台帳を見せるように」

 嘘である。ベルは公務で来てるわけでも無いから、何故彼女が来ているのかと上に問い合わされれば裏が取れるはずもな
い。そもそも正式な公務であれば、見習いも同然のベルを一人で行かせたりはしない。

 だがこうも居丈高にそう言われると職員はいささか困惑した。役人というのは権威に弱い。
 身分証に不審な点はないのだから閲覧を許可してしまってもいいのだろうか?
 ベルを応対してる職員は、デスクの奥に座る自分の上司にお伺いを立てるような視線を送った。
 彼の視線の先の中年男は嘆息して肩を落としつつ「かまわん許可してやれ」というようなジェスチャーを無言で送り返した。
 上司は奇妙な要求をするチェキストなど来なかったことにするつもりらしい。
 かくしてちんまいチェキストはいぶかしむ職員達の視線を尻目に、二本のお下げ髪を揺らしながら資料室に向かいそこで
時間の許す限り住民台帳を見て過ごすのであった。

 ベルは黙々と台帳のペエジをめくっていく。ときおり彼女の細い指がとまることがあれば。
「この女の人……ナタリー・Б・マリーナフカ…目が私にちょっとにている。もしかしたらこの人が私のお母さんかもしれ
ない。このおじさんは私とおなじブロンドだからこの人がお父さんかも――」

 空想癖が嵩じるにつれ、彼女はかつての人間だったころの自分だけでなくその家族までも思い描くようになっていたのだ。
 その空想をもっと、よりリアルな想像にするために彼女はわざわざ役所にまで赴き住民票を閲覧するのである。
 ペエジをめくるたびに現れる沢山の人たちの写真と個人情報が、その公文調の表記が、味も素っ気無い文字の羅列一つ一
つが彼女のイマジネーションを刺激する。
 ただの空想をアカの他人に仮託するだけで、様々な物語が次々と紡がれベルの胸いっぱいに膨らんでいく。彼女にはそれ
がまるで、知る由もない過去と、ありえたかもしれない現在を映してみせる魔法のように思えた。
 無論、なんの根拠もない憶測であることは彼女も十分に理解しているし、これはあくまで遊びだと判っているつもり。だが真剣だ。
 遊びで役所に乗り込み、職権を濫用してまで個人情報を閲覧するというのはいささか度が過ぎているが、物事に熱中する
と衝動が理性に先んじて回りが見えなくなるのだ。
 飽かず住民票を眺めて過ごしているうちに日は傾き、庁舎の屋上に設置された鐘楼から五時を報せる鐘の音が韻々と響き
渡り閉館の時刻であることを伝える。

 もっと見ていたかったが流石のベルも門限があるためこれ以上ここに留まることは出来ない。明日もまた来ることに決め
ようやく住民台帳から目を離した。
 市役所の門をくぐると、喧騒がベルの頬を振るわせた。役所の前は市のメインストリートで、今日は月に一度の市が立つ
日で大変な活況に湧いていた。
 戦時配給制が布かれ店の棚からは商品が消えて久しい。生活物資は全て国の統制下に置かれていたがそんな中でこの街で
は特例として月に一度だけ市を開くことを許可されているのだ。戦争を忘れる数少ない一時に人々は集い憩うている。

 ふと夕風がそよぎベルジージュの頬を撫でる。

 市の賑わいが彼女にまた新たなイメージを彷彿させる。
 あの雑踏に溶け込んで、空想上の親に手を引かれ、あるいは今だ見ぬ弟の手を引いて買い物をする自分の姿を。
 お菓子をねだる弟をなだめて、お母さんには内緒だよと言って、あの瓶に詰められたカラフルな飴玉を二、三個買い与え
て面倒見のいい姉を演じる自分を。

 そのとき喧騒に新たに一つ怒声が加味された。

「コラッ!!待ちなさい!!」

 ベルの空想は不意に、市場の喧騒からひときわ高く上がった声によって打ち切られた。
 すると突然ベルの目の前に雑踏の合間から二つの影が飛び出した。その影はベルと同じぐらいの年頃の子供だった。酷く
みすぼらしい格好をしている。その身なりからきっと浮浪児であるに違いないとすベルは理解した。彼らの腕には盗んだと
思しき缶詰類やパンをつめた袋が抱えられている。
 その浮浪児を追ってよく肥えた中年の女が「誰か捕まえて!」と金切り声を上げながら人垣を押しのけて出てきた。
 それを見るや、二人組みの浮浪児はお互いの顔を一瞬だけ見合わせるとその間に以心伝心の内に逃走経路を決めたと見え
、すぐさま駆け出し巧みに人の間を縫って盗品を二つ三つとこぼしながらも脱兎の如く駆けていく。

 中年の女は必死で追いかけるが見る見るうちに距離が離されていくのを見取ると、とても自分の足では追いつけないと諦
めてゆるゆると足並みを落としやがて歩みを止め、もともと赤い顔をさらに赤らめぜいぜいと息をつきながらぶつぶつと悪
態をついた。

 その一部始終を見ていたベルは「おばさん私に任せて!」と叫ぶや駆け出した。

 しかしその間にも浮浪児たちはすで随分遠くにまで逃げており、しかも眼前にはごった返す人ごみが障害物として立ちは
だかっている。
 これは空戦のセオリーであるが、追う側は逃げる側の1.5倍の速度で追跡しなければ捕捉出来ないとされている。これで
は追いつくのは難しいだろう。

 しかしそれは常人の足であればの話である。そしてベルの身体能力は言うまでもなくその域をはるかに上回っている。

 だが眼前の人垣をMAIDの力で押しのけたのであれば、勢い余って人を怪我させてしまうやもしれない。ベルはその場
に混乱を巻き起こすのは憚って足を止めるがそれも数秒ほどのことだった。

 次の瞬間、雑踏から一斉に驚嘆の声が上がった。

 彼女は通りの端へと横ッ飛びに飛びすさるとその先の四階建てアパートの隅に置かれた木箱を踏み台にして飛び上がり、
アパートの壁に絡み付いている排水管へと飛びついた。
 そして、排水管から窓のへりへ、そのヘリからまた上の階のへりへと次々に飛び移りベルは一気に屋上まで駆け上がったのだ。
 ここからなら見通しもきくし、建物の屋根から屋根へと飛び移っていけば人ごみに邪魔されることもなくすぐに追いつけるだろう。

 年端もいかない少女が突然見せた人間離れした軽業に、どよめき目を丸くする人々の視線を尻目に、ベルは駆ける。
 距離はあっという間に縮まった。路地裏に逃げ込んだ二人組みの浮浪児は追跡を振り切り、すでに盗みは九割九分成功し
たものと確信してすっかり油断していた。

 そのとき突然二人の襟首が強い力で引っ張られた。振り向くとそこには軍服を着たお下げ髪の少女が立っていた。彼らは
一瞬我が目を疑ったがしかし彼女の両腕は間違いなく二人の襟首へと伸びている。
 「放せっ!」と二人は同時に声を挙げてベルの手を払おうと腕を払ったが、しかし彼らと彼女の腕と腕がぶつかってもそ
の両腕は小揺るぎもしなかった。
 今度は思いっきり身をよじって振りほどこうとしたがやはりびくともしなかった。

 少女の細腕とは思えない程の力が襟を掴む手にこもっているのを悟ると二人には不気味な戦慄がこみ上げてきた。それは
彼女の腕が人間の腕でありながら鉄か鉛か、何か別の密度の高い物質で出来ているような感じがして、その中に化け物染み
た膂力が充溢しているように思えたからだ。

 「放せ!放せってば!」
 「放せぇっ!」

 二人は手足を振り回してわめき散らしたがベルは小揺るぎもしない。

 「盗みは犯罪よ!でるとこに出てもらうわ」
 「お前はポリ公の手先か!」
 「そうよ!」

 そう言ってベルは自分の着ているコートの裾を摘み上げた。その下に穿いていたのはカーキ色ではなく紺色の軍袴。
 それはヴォ連の治安機関を統括するNKVDの所属であることを示している。
 冗談だろ!?と二人は思った。冷静に考えれば人外の膂力を持つからといって、それがNKVD所属の根拠になるわけでも
ないにも関わらず、ベルの両腕にこもる馬鹿力ならぬ化け力は、冗談のような状況でも有無を言わさずそれを飲み込ませる
ような威圧感があった。

 次第に二人は涙声になって「盗ったもんは返すから放してくれ!」と哀願するようになったがベルには取りつく島もなかった。




 ベルは盗品を取り返し彼らを民警(ミリツィア)に突き出したが、それにしてもその時の激しい抵抗は凄まじかった。
 無論MAIDであるベルには難なく押さえ込めるのだが、それでも死に物狂いで暴れる彼らの目には鬼気迫るものがあった。
 それは必死の人間が表す激しい感情に当てられた経験のない彼女には圧倒的に優位に立っているにも拘らず、不覚にもた
じろいでしまうほどだった。

 「ありがとうお嬢ちゃん」

 リンゴのように丸く赤い顔を弾ませて商店の女主人は謝辞を繰り返すが、それがベルには少しくすぐったく思えた。だが
悪い気はしない。
 「いえ当然のことをしたまでです」とベルはすげなく言って鷹揚ぶってみるがその言葉とは裏腹に、得意気になる心は抑
えがたく、すまし顔を繕ってみても直に綻びはにかんでしまう。その仕草がいかにもいじらしく女主人の母性をくすぐりる
ようで、いっそう強く感謝の言葉を重ねて、反対に表面的には謙遜の態度を取ってその場から去ろうとするベルを引きとめ
ようとする。

 「それほど感謝されことなんてしてないですよ」
 「そんなことないわ!回りの人たちは殆ど見てるだけだったでしょ?」
 「え、ええ……それにしても餓えてるからって人の物を取るなんて許せないわ」そう言って照れくささを誤魔化そうとベ
ルは話を浮浪児たちに戻し、しばし彼らを悪口雑言に罵った。それは自然に口をついて出てきたモノでなく照れ隠しに言っ
てるのだから、力むあまり芝居っ気を出しすぎて表現過剰気味であった。
 そのせいか女は彼らが悪し様に罵られるのを聞いてるうちに、憐れみの情が湧き、ベルが過酷な処罰を下すべき云々と過
激なことを言い始めるに及んで俄かに辟易する思いがしてきた。そしてつい彼らの肩を持つようなことを言ってしまった。

 「――でもねお嬢ちゃんあの子達だって好きでこんなことしてるわけじゃないのよ。こんなご時世だから親を失ってあの子達も必死なのよ」
 「……でもいけないことはいけないことよ」
 「ええ勿論そうだけども……」

ベルジージュがムッとして反発するとやんわり嗜めようと試みた。だが一言二言交わすうちにますますベルの機嫌
を損ねてしまうように見えて、折角いい気分になってる所にに水を差すのも悪いだろうと思い直し話題を変えた。

 「でも近頃は浮浪児も減っているわ」
 「それはどうしてかしら?」
 「市が孤児の保護を積極的に進めてるのよ。それで前に比べれば随分とよくなってるのわ」
 「するとあの子達も施設か何かに送られるのかしら?」
 「ええ多分そうね」

 結構なことじゃないか。とベルはうなずいた。

 「施設なら食事にも寝る所にも困らないだろうに……私なら自分から行くわ」
 「そうね……まぁ施設があることも知らないかもしれないし、そこが怖いところだとおもっているのかもしれない」
 と、言ったところで女主人はふと何かに思い当たったらしい顔をした。一体何を悟ったのであろうか。

 「?」
 「いえ…」

 女は言葉を濁す。瑣末なことにも思えたが随分と不自然に感じベルは違和感を覚えた。

 「なんでもないわ」

 女は笑顔でいるものの、先ほどと違ってそこにはどこか陰鬱の色が浮かんでおり、表情を取り繕っているように見える。
 彼女がベルに送る眼差しも先ほどの親密な態度とは打って変わって急に余所余所しくなった。
 その視線は気まずげであり、嫌悪してるようでもあり、憐憫をたたえてる様でもあった。

 「あの子達がどうしたって言うんですか?」
 「あらいけないお客さんをまたせてるわ」

 女は今気付いたというような反応を見せるが、しかし客はさっきから女主人がベルと話している間にも商品を物色してい
て、女もそれにチラチラと視線を送っていたのだから気付いてないわけではあるまい。先ほどまでベルを引きとめようとし
ていた女の態度は豹変し、今は逆に早く立ち去ってもらいたいと言わんばかりに対応である。

 不自然だ。ベルは釈然としなかった。
 いぶかるベルの様子を見て女は「でもお陰で助かったわ。私たちだって生活していかなきゃならないからね」と言い商品
を並べた台の上から適当に2、3の包みを取り出して「これはお礼よ」とベルに押しやった。それやるからさっさとどっか
いけと言わんばかりである。
 客もまばらであるにも関わらず、女主人はもうベルに構う暇などないとアピールするかのように必要以上にせかせか動い
てみせている。取り付く島もなさそうだ。

 「……ありがとうオバサン」

 渡された包みを抱えてベルは礼をのべてきびすを返した。女主人はばつが悪そうに、どこか弁解がましい眼差しでベルを
見送った。袋の中身は焼き菓子とアップルパイだった。

 一体あの態度はなんだったのだろうか。そのことがずっとベルの頭から離れず支隊駐屯地に戻る帰路、そのことについて
思いをめぐらした。
 あのオバサンは話し振りから考えて孤児を収容する施設についてふと何かに思い当たったようだ。それはいったいなんだ
ったのかしら?
 そしてそれから急にオバサンの態度が変わった。突然何か別の嫌うような属性が私に生まれたとでもいうのであろうか。
 私はMAIDであの子達は浮浪児。そこに一体なんの関連があるのだろうか?

 そのとき一台のおんぼろトラックがガタガタと騒々しい音を立てながらベルのそばを横切った。荷台には幌を被せてあり、
後ろには鉄格子が嵌められている。いや荷台そのものがケージになっているようだ。ケージは二重に仕切られており、手前
には監視員と思しき男が一人、煙草をくわえて背を壁に持たせかけていた。
 そしてその奥には二つの小さな影。目を凝らして見るとそれはベルが先ほど捕らえた浮浪児だった。膝を抱えた姿勢で荷
台の床をじっとみつめていた。



                                                fin.

最終更新:2010年03月16日 20:57
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