(投稿者:ニーベル)
「お前か」
暗がりの、それも人気のない山奥、古びた寺の中に、その男は立っていた。
闇の中に、ぼうっと光る蝋燭の炎が揺らめく度に、その姿も朧気に揺れているように見える。
かたかたと、襖が音を鳴らす。同時に影が、下駄で歩く音だけを響かせて近づいてくる。
かたかた、かたかたと響きあい、それが本堂の中央で立ち止まると共に、音は鳴り止んだ。
蝋燭から離れてしまった影の姿は、明瞭とせず、闇と同化していて、かすかにその輪郭が見えるだけである。
――輪郭だけを見るなら巨大な鴉だな。
私は、いつの間にかこの中に入ってきた男に対して、警戒心や恐怖心を出す前にそんなことを考えてしまっていた。
自分の身に関しては、既に執着など無かった。一度死んだ身である。二度死んだところで何の変わりがあろうか。所詮は死人が動いているだけなのである。もう一度死ぬと言うことは、死者が元の場所へと帰るということでしかない。
元より死んだ人間が、もう一度動いているという事自体が、おかしいのだ。この世の理に反している事である。そんな方法が溢れかえれば、世は乱れるだけだ。
だが、この考えを他人に押しつけるつもりなど毛頭なかった。自分一人だけで考えたことだ。
何故なのだ。何故自分だけ記憶を引き継いだのだろうか。他の皆は忘れているであろう記憶を、自分だけは忘却などせずに、そのまま生まれてしまった。
耐え難いほどの苦痛であった。皆が忘れている中、自分は人間としての記憶を完全に引き継いでいた。この事は、当時の科学者達や軍人達にとっても驚きでもあったらしく、私は希少な存在として扱われた。
記憶を引き継いだまま、生まれるメヱドというものは今まで存在していなかったらしい。それだけでも珍しかったのだろうが、私はメヱド――厳密にいえば男なので、メヱル――として、異能持ちとして誕生した。
異能持ちなどと言えば、凄まじい力を持っているように聞こえるかもしれない。しかし、私はそのような大それた能力は持っていなかった。ほんのちょっと、他のメヱドとは違う能力を得ていただけである。私自身は、そう認識していたのだ。
力など、どうでもいいのだ。幾ら一人が凄まじい力を持とうが戦局をそれだけで変えられるわけがない。蟲と人間の関係が、それを証明しているではないか。
メヱドなどという――それも自然の摂理に反している外法で――死人を蘇らせ、作られた英雄を祭り上げ、人間と同じ姿をしている化物を創りだす。これを外法と言わず、何だというのか。
英雄と崇められている人形の化物を、蟲の化物の海に投入する事で、制そうとしている。毒をもって毒を制すと同じことだ。根本的な解決にはならない。
仮に蟲の化物を絶滅させる事ができたとしても、次なる標的には自分達――人形の化物が排除の対象となるのは目に見えている。確実なことだ。
偽善者達は言うかもしれぬ。
無垢な化物も言うかもしれぬ。
人は決してそんなことはしないと言うかもしれぬ。
そんなことが起こらないことがありえないのだ。現状の脅威が消えれば、また新たな脅威を見つける。それが人だ。
冷静に考えれば、我々の方が脅威なのだ。容易く鉄を砕き、武器を取れば悪鬼羅刹が如く蟲共を殺戮していく。殺していく蟲の化物共より恐ろしい化物。
何より恐ろしいのは、その姿が人だからだ。人とメヱド。姿だけならば見分けがつかないのだから、此程恐ろしいことはあるまい。隣にいる少女が、蟲の化物を素手で殺す化物かもしれないのだ。
蟲が全滅し、人々が確認するのはその事実。次に行う事は明白だった。分りやすい結末だ。都合の良い時だけ我々を頼り、いざ物事が解決すれば、新たな脅威となりうる我等を捨てるという判断。
人とはそういうものだ。常に何か共通の敵を見出さなければ、落ち着いてはいられぬ。自分たちとは違うものを真っ先に排除したがるのだ。
無論、私達を滅ぼしたところで、争いが終わるはずが無い。今度は彼等自身が争うことになる。そういう生き物だ。
メヱルとしても、僧としても生きてきたが、その考えは変わらなかった。変わらないどころか、より確信を抱くようになっていた。人とはそういう存在だと。
考えれば考えるほど、私は人間の為になど働きたくなどなかった。
勝手に蘇らせ、化物同士の殺し合いをさせて、決着がついたならば用無しと言わんばかりに排除するであろう連中を護るためになど論外である。
蟲共などと手を取り合って生きていくなどという狂った考え方を持つつもりもないが、人を助けるために戦うなどという考えも無い。いつ頃からか、私は軍部から離れることだけを考えるようになっていた。
そして、その機会は幸いにして訪れた。私が待機していた海岸沿いの基地が海生型のGと飛行型のG、
フライに襲われたのだ。幸運は重なるものなのか、襲撃が夜だった上に、最初に攻撃を食らったのが指揮官達がいる辺りだった。
指揮するべき士官が真っ先に死亡したのだから、その時の混乱は酷かった。兵士達の怒号や悲鳴、もがれた手足や臓物、首だけを喰われた屍体が至る所に見え、阿鼻叫喚の地獄絵図が見事に視界に描かれていた。
助ける気などはなかったが、死者ならば別である。死者には何の罪も無い。どうせならと、まだ原形があるうちに弔っておいた。もちろん、こちらは逃走しようとしているのだから、簡単な祈りだけで済ませたが。
生きている者を見捨てる事に関しては、痛みなどなかった。どうせ私の他にも数人メヱドはいたはずだ。後の始末はゆるりと、彼らに任せておけばいい。
この混乱と、指揮官達の部屋の近くにいたという事実は、私にとっては好都合だった。ここまで酷い混乱の中では一緒に戦死したとも考えられるし、生きているというのが判明したとしても、混乱の収拾が終わった後だろう。
躊躇いなどなかった。燃え盛る炎と、屍骸から流れ出る赤い道を、ゆっくりと歩き始める。赤い地平から黒の中へと入っていく。
ふと、振り返って見た風景は、とても赤く、紅く、美しかった。
その後は、時々騒がしかったが、私はのんびりと流れて暮らしていた。私が逃走したという事は判明したらしいが、追手として回せるメヱドは少なかったらしく、日々を穏やかに過ごす事が出来た。
何度かは追手と接触したが、その度に少しばかり交戦して振り切ることは出来た。死ぬ覚悟はあるが、それは突然の死である。相手に奪われて死ぬなどという死は避けることが出来るのだから、避けずに死ぬなどと言うことは御免である。幸運な事に、私の能力はそこまで戦闘的なものではないが、逃げの一手に徹すれば十分相手を撒けるものだったのだ。
そういう日々が繰り返され過ぎていく内に、私には関わらずと決めたのか、追手も来なくなった。願っていた、解放された平穏な日々である。ようやく私は望んでいた事を手にいれたのだ。
――それが、どうだろうか。
確かに安穏とした日々を送れるようになった。山奥で、廃寺にしては綺麗で整っている建物で、生活にも対して困らなくなった。
置いていかれたのだろうか、書もあり、いざとなれば小さな村には買出しにもいけた。充実は、しているはずだ。
――本当に?
――自分は今、自分の生に意義を見出せているのか?
――これが望んだ生なのか?
――これこそが、自分の求めていた事なのか?
安穏とした日々を手に入れてから、私の心はいつの間にか平和に対して倦んでいた。
長く望んでいた、殆んど人と隔絶され、自分一人の穏やかな時間を手に入れたというのに、いざ手に入れてみれば、驚くほど魅力的な物ではなくなっていた。
戦場からも離れて、平和で、一人だけの時。欲しかったものは手に入れた途端に、疎ましくなってしまった。
気がつけば、私は再び己の身体を鍛えていた。戦場にはもう戻らぬと決めたはずなのに、自分の能力の事を理解しようとした。
私自身、その時何を為すべきか、まったく考えていなかった。ただ、静かに書を読むことのみでは、自分と言う存在を保てないと感じ始めていた。だから、ひたすら己を鍛え上げた。明確な敵などいないというのに、ひたすらに自身の肉体を痛めつけては、鍛え上げた。
緩んでいた肉体は再び引き締まり、かつての肉体以上の屈強さになり、自身の能力の特異さについても認識し、どうすれば上手く利用できるかについても考えぬいた。その力を生かす場など、どこにもないというのに、ひたすらに私は強くあろうとした。
がむしゃらに突き進んでいたと言っても良かっただろう。先が見えないということに恐怖していたのだろう。いつか、この力を生かせるかもしれないと信じていたのだろう。
――そして、今がその時なのだろうか。
目の前にいる、大鴉が何の為にここに来たのかは分かってはいない。
全身に力を込めて、神経を尖らせておく。相手が来た理由が分からない以上は、警戒だけはしておいた方がいい。私の短い経験上は、そういうものだった。
大鴉が、首を振った。明かりの中へと進むように人間が出てくる。
黒に統一された和服。胸には星が描かれている。はっきりとは、見えない。
鋭く、こちらを射抜くような目は鷹すらも連想させる。
――この男。
本当に人間であるのか。寺に紛れ込んだ怪生ではないのか。
「そんなに、怖がるな」
男の顔が歪んだ。いや、笑ったのか。
「私は、貴様を拾いに来たのだよ。軍部――実際は人に愛想を尽かして世を捨てた、風変わりなメヱルがいると聞いてな」
男が、こちらを見据えた。私は、その視線を真正面から受け止めた。
「面白いのだよ。メヱドというものは、基本的には人類に従属しているものだ。確かに、少々の反感は持つかもしれぬ。反抗的になり、裏切るかもしれん。
だがな、裏切ったとしても、結局は人の元に戻るものだ。どうであれ――メヱドというものは人から離れられぬ。元々が、人から出来ているのだから」
「それが、私と何の関係がある」
「焦るな」
男は、言葉を続ける。
「その点、貴様は実に興味深いのだよ。記憶を引き継ぎ、己が、元は人間と知っているメヱルだという上で――人を見捨てた」
「記憶を引き継げば、人間共の語る理想など、上辺を繕った醜いものにしか見えん」
「その通りだ」
ケタケタと、暗闇の中に笑い声が響く。
「あの馬鹿共は、自分達が何をしているか理解出来ていないのだ。人形の化物を作り、化物と化物をぶつけ合い、それで解決しようとしているに過ぎぬ。
残った化物をどうするかも深く考えずに――せっせと作っているのだ。可笑しいとは思わんか? 残った化物など後で処理をすれば良いとしか考えてない。
メヱドというものは、そこまで莫迦ではないということすら分かってはいないのだ――人形の化物と人間の争いになるかもしれぬというのに」
「それが、人間だ」
「そうだ。どちらにしろ、人間は滅ぶ。蟲を滅ぼし、人形の化物を滅ぼす事が出来たとて――今度は身内同士で争うことになる。家族、村、街、都市、ついには、国で」
この男の、言うとおりだろう。人はそういうものだ。反論するつもりはないし、私自身がそう認識していたのだから、この男はその認識を代弁してくれたようにすら感じる。
手助けしたところで、延命にしかならない。蟲に滅ぼされるか、人形の化物に滅ぼされるか、自滅するのか。滅ぶ時期が違うのにしか過ぎないのだ。滅ぶのには変わりが無いのだから、無駄なのだ。
私は、いつの間にかこの男に共感を抱いていた。自分の上手く言葉に出来ぬ事を、述べてくれたのだ。親しみすら抱くような感じさえした。
男が、歩み寄ってくる。かつかつと音が鳴る。
「貴様は、その辺りの事を理解しているように見えた。だからこそ、私は貴様に会ってみたくなったのだ」
男が、目の前で立ち止まる。
「どうだ、貴様――私の許に来ぬか」
私は、差し出された手を、吸い寄せられるようにつかんだ。
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最終更新:2010年03月16日 22:58