Chapter 5-1 : 彼女は返り咲いた

(投稿者:怨是)


 1945年7月7日、軍事正常化委員会ルージア本部の営舎にて。
 エーアリヒは鏡と睨み合いながら、おそるおそる鋏を前髪に当て、切り落とす。鏡の横には箒と塵取りが立て掛けられていた。
 軍事正常化委員会の財政はアルトメリア支部の支援こそあれども依然として危うい状況に置かれており、自力で散髪する他無かった。鋏も同僚らと使いまわさざるを得ない。少しでも削減できる部分は削減しろという指令が出ているのだ。

 扉の先、外の廊下から、苛立たしげな足音が聞こえて来る。ツカツカツカという、金属交じりのブーツが急かすように鳴らすその歩調は、紛れも無くフィルトルのものである。
 ノックされる前に手を止め、ドアを開いた。

「何か御用でしょうか」

「入団希望者の面接です。面接官補佐として同伴しなさい」



 フィルトルは、エーアリヒを面接室として宛がわれた倉庫部屋へと案内した。
 面接室では鴉のような仮面を被った黒装束――楼蘭では“ヤマブシ”と呼ばれる服装らしいと兵士の誰かが云っていた――がソファでくつろいでおり、柄の悪い傭兵といった風情の男らがその後ろに立っていた。グレートウォール戦線にて目撃情報があるとフィルトルは報告を受けている。その中の黒装束が仮面を取ったのをエーアリヒが見て、彼女は眼を丸くした。
 対するフィルトルは驚かなかった。正確には、驚愕よりも先に嫌悪感と怒りが湧いて来たのだ。

「本当に……柳鶴なのですか」

「何? 私が亡霊にでも見えるかしら?」

「亡霊と云うより修行僧に見えますが。宗旨替えですか?」

 フィルトルの問いに対して、柳鶴は実にあっけらかんとした態度で居る。

「そうだとしたら?」

 かつて軍事正常化委員会の構成員として正式に所属していた頃と全く変わらぬその返答に、フィルトルとエーアリヒは顔を見合わせた。

「似合いませんね」

「修行僧などより乞食が似合いかと。そのまま刀も捨て去ってしまいなさい。貴女に力を振るう資格はありません」

「……嘘だと思うでしょうけどね、私は自分の暴力について無責任だった事は一度も無いわよ」

 フィルトルはいつものように眉間に皺を寄せ、「詭弁にもなりません」と断じると、傭兵達が声を殺して笑い始めた。その彼らの不誠実な態度に、フィルトルは振り上げそうになる拳を必死に堪えた。

「やっぱり信じてくれないかしら?」

「味方殺しを繰り返しておいて、何を今更」

「でも結果的に後ろ指を差されるのは私。背中を狙われるのもまた、私。いいじゃない、殺される事で責任を全うできるなら。復讐心を一手に引き受けるという果たし方も、世の中にはあるわ」

 フィルトルはこれ以上の言及を避け、後ろで嘲笑する男達を一瞥した。

「で? 彼らは?」

「友達よ。戦争が大好きなの。彼らも入れてくれないかしら?」

「その理由を」

「私もね、戦いのやり方について、この半年間ずっと勉強してきたつもりよ。彼らは信用に値するわ。戦力的に見てもね」

 元々、柳鶴は単独での戦闘を好む性格だった筈だ。彼女が集団戦へと方法を変えたのは、ひとえに組織を抜けた為に戦いづらくなった事によるものだろう。戦闘とは独りで成り立つものではなく、何らかのサポートを必ず必要とする。彼女はそれを既に知っていたのか、或いは組織を抜けた後に学んだに違いない。
 フィルトルがテーブルに視線を落として思案していると、突如としてテーブルを強く叩く音がフィルトルの鼓膜に刺さった。
 叩いたのは、エーアリヒだった。そのエーアリヒが、鋭い声音で吼える。

「納得行きませんね。このような連中に好き勝手やらせたら、またいつかの二の舞ですよ!」

 気持ちは解る。例え能力があったとしても、柳鶴は所詮はみ出し者である事には変わりは無く、ましてや何処の馬の骨とも判らぬ傭兵集団を組織に引き入れては、軍事正常化委員会の旗を汚しかねない。かつては難しかった組織的純潔を保つ為にも、彼らは追い出さねばならないのだ。が、しかし……

「エーアリヒ。後は人事部が判断します。素性や個人の感情如何に関わらず、私達が口を出すべき問題ではありません」

 フィルトルの一存で彼らを拒否する事は不可能だ。人事権を持つとは云えど、あくまでそれはMAID間限定であり、人間の兵士にまでは適用できない。部隊単位での引き入れに関する裁量となれば尚更である。

「貴女も成長したわね。理解が早いというのは良い事よ」

 満足気に柳鶴が微笑むのを、フィルトルはテーブルを飛び越え、彼女の眉間に拳を叩き込んでやめさせた。人間ならば即座に気絶しているであろうその一撃を、柳鶴は仰け反って威力を減衰させた。ソファが倒れる。
 拳を突き出したまま、フィルトルは柳鶴を睨む。

「……痛いじゃない」

「勘違いしないで下さい。私自身が貴女を認めた訳ではない。今まで勝手に行方を眩ませておいて今更のこのこと、どの面下げて戻ってきた。戦争中毒者が」

「いつもの面を下げて戻ってきたわ。髪は焼けて短くなっちゃったけど、散髪の手間が省けていいと思わない?」

 エーアリヒがテーブルを持ち上げ、ソファごと寝そべる柳鶴へと叩き付けようとする。フィルトルはそれを両手で引っ手繰り、元の場所に落として阻止した。殆ど爆発音に近い轟音を響かせ、部屋中が揺れる。階下の者には悪いが、こうでもしないと壁を修理する事態にもなりかねなかった。

「――エーアリヒ、下がりなさい。後は私が責任を負います」

「私にも殴らせて下さい。こんな奴らが居るから組織を腐敗に追い込むのです! フィルトル最高管理者も、こいつらが気に入らないのでしょう? 拳などでは足りませんよ!」

「反抗は許可しません。下がりなさい、エーアリヒ」

「……MAID同士の殴り合い等、どうせ上層部は関知しませんよ」

「マナーが変わったのです。組織の結束力を脅かす事は禁じられている」

「では何故フィルトル最高管理者は!」

 殴ったのか、と訊きたいのだろう。グスタフ・グライヒヴィッツ総統一人からの厳重注意で済むからだ。これを他のMAIDが行えば、MAID処分会議に連れ出される事も充分に有り得る。今回はたまたま相手がMAIDであって人間ではないからそこまでに発展する危険性は低いものの、なるべくならば身内に手出しさせたくは無いというのがフィルトルの考えだった。
 フィルトルはエーアリヒの肩に手を置き、ゆっくりと頷く。

「責任を取るのは私だけでいい。退室なさい」

「でも!」

「反論は許可しません」

「……」

 右手でドアを指し、退室を促すと、エーアリヒは憮然とした表情で面接室から身を引いた。組織に所属する他のMAIDらが何名かドアの隙間から様子を窺っていたが、フィルトルが払い除けるような仕草をすると一斉に気配を消した。
 柳鶴がソファを元に戻しながら、後ろの男達へと顔を向ける。

「貴方達も下がっていいわよ。ツェゲショフ、貴方が仕切ってなさい」

「あいよ」

 ツェゲショフと呼ばれたスキンヘッドの男が代表して、ぞろぞろと面接室から出て行く。彼の名前と顔を、フィルトルは決して見逃さなかった。ツェゲショフと云えば、かつてこの組織と提携関係――実情は金を渡して汚れ仕事をさせていたに過ぎないが――にあったエメリンスキー旅団の一人だった筈だ。遂に軍を追われ、野良犬に身を(やつ)したか。

「どこかで見たと思ったら、あのスキンヘッド。エメリンスキー旅団の……」

「旅団が消えた今、彼の罪は清算されたわ。いいじゃない、これからは心を入れ替えて真面目に働くんだから」

「どうだか……」

「試してみないと判らないでしょう? それとも可能性を見捨てるのかしら?」

 ここからは一対一の戦いだ。柳鶴は可能性を主張するが、フィルトルにとって“可能性”という言葉は単なる好き勝手な道楽の口実でしかない。舌戦に於いてはいつも柳鶴の後塵を拝していたフィルトルだが、こちらとて譲れぬものは譲れぬのだ。分が悪いからと云って道を譲る等と云う道理があってたまるか。

「どう転ぶかも判らぬ“可能性”とやらよりもリスクの回避を優先するのが、軍事正常化委員会の思想です」

「戦力が足りない頃はなりふり構わずやってたというのにね」

「時代と共にルールも変わります」

「人間程長生きしてないくせに、語ってくれるものね。まぁいいわ。実は野良で活動してた時に前以て上層部と話を付けさせて貰ったの。プロトファスマ共の暗殺を条件に、ね」

 愕然とした。それではわざわざここに出向いたのも完全に取り越し苦労ではないか。思わずソファから立ち上がったフィルトルは顔をしかめて俯き、黙りこくった。握り締めた拳の爪が、掌を突き刺す。数秒間の後、フィルトルはテーブルから柳鶴へと再び顔を戻した。

「では、この面接は……」

「無意味なんかじゃないわ。組織の体面からすれば表向きでも審査をしなきゃいけないし、それがMAIDなら尚更ね。あと、間接的であっても人事権を持つ貴女が面接に関わってるなら、エーアリヒはともかく、周りは納得できるんじゃない?」

 柳鶴もフィルトルの真似をしてソファから立ち上がり、フィルトルとは真逆の表情である笑みを向けて来た。それがフィルトルの癇癪玉に火を点けるが、フィルトルは苦虫を噛み潰してその爆炎を呑み込む。
 上層部が既に採用を決めているのなら、嫌が応にも『採用』の調印をせざるを得ない。しかも最高管理者が判を押したとなれば、それはMAID側が柳鶴の参加を全面的に認めたと取られる事になる。つまるところ、フィルトルは完全にダシに使われたという事だ。
 今にも噴火しそうなフィルトルとは対照的に、柳鶴は至って涼しげだ。

「……それに、貴女はいつでも私を射殺できる。殺しきれるかは別として」

「この……!」

 怒りに任せて柳鶴を蹴り倒すが、彼女は倒れる間際にフィルトルの腰に付けていた軍刀を引き抜き、アキレス腱の部分に押し当てて来た。MAIDの腕力を以ってすれば、フィルトルら管理者クラスのMAIDが付けている金属製ブーツなどいとも簡単に貫ける。
 勝利を確信したのか、柳鶴は倒れて仰向けになったまま哄笑した。

「安心して。私は有意義な殺生しかしないわよ」


最終更新:2010年08月24日 15:16
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