(投稿者:エルス)
二月に入りかけの
ベーエルデー連邦首都のベオングラドは家も森も、雲すらも白く染まっていた。
ジャンパーを着ても外気に晒される耳や顔が冷えて、雪に埋もれた街路を頼りに歩く足はもう感覚が無い。
僕は正直帰りたかったけど、隣で息を切らして肩で息をしている坂井を置いて
一人で帰るのは気が引けた。
何で僕がこんなとこに居るのか簡潔に言うと「カラヤって人が僕を欲しがってる」からなんだそうだ。
ボンヤリと聞いていたからそれ位しか分からないけど、もう少し優しい言葉を使ってたような気がする。
例えば……なんだろう、分からない。優しい言葉と言うのは僕の頭の中には入ってこないらしい。
「畜生……迎えの車が事故るってのは、誰かさんが仕組んだことじゃないのか?」
「僕に言わないでよ、それより早く歩かないと足が冷え切って凍傷になるよ」
「分かってるよ」
煙草の吸いすぎじゃないのかと僕は思うけど、僕だって相当量吸ってる筈で坂井には何にも言えない。
そんな事やらがあって、カラヤ・U・ペーシュの屋敷に到着したのは予定時刻を三時間も過ぎたとこだった。
屋敷に入って直ぐにびしょ濡れのジャンパーを脱いで、使用人みたいな人に渡した。
ジャンパーの下は楼蘭海軍の真っ白い制服だったけど、ズボンが濡れていたので結局部屋を借りて普段の服に着替えた。
僕は何時ものシャツとズボンで坂井が本当に地味な格好だった。持ってきてた煙草は禁煙だからって取られた。煙草を吸うのを禁止しても特に意味無いのにと僕は思った。
その後、カラヤと言う人と鳳凰院篤妃と言う人と少し事務的な話をした。事務的って言うのは、聞いてると眠くなってくる話って事。
内容を簡潔に言うと「ルフトヴァッフェに来ないか?」とかだった。色々と言葉に装飾がされたみたいだけど、結局内容はそんなとこ。
勿論丁重に断った。ホントは顔を真っ赤にして怒鳴っても良かったけど、それは野蛮で愚かだって思って、僕は僕の感情を上手くコントロール出来た。
少し残念そうにしたカラヤだったけど、直ぐに笑って
「まぁ、お前が良ければワシは構わないんだけどねぇ」
と言った。
僕は少し笑って見せた。見せ掛けだけの親切さって意味の社交辞令ってヤツ。
そうやればやるほど、僕の居場所って言うのが少なくなってくのに、僕って奴は意外と律儀なんだ。
ちなみに僕の中の考えでは、社交辞令って言うのは、人と人とがくっ付き過ぎて傷つかないようにするための緩和剤とも言う。
それから今度は篤妃が温和な笑顔で言った。
「そういえば今日は
シーアが戻ってきているんだ、良かったら話し相手をしてくれないかな。何処かに居る筈だからね」
そこで僕は肯定のような言葉を発して、坂井を残して部屋を出た。坂井は二人と話があるらしい。
僕は使用人みたいな人にシーアが何処にいるのか聞いて、分からないと言うから隠し持っていた煙草を吸おうかと思って、
それじゃ裏庭は何処かと聞いたら、寒いからコートを着ていってくださいと言われた。
寒いのは嫌だったから、僕はコートを着て裏庭に向かった。本当は最初に持っていた銀鶏って言う楼蘭製の煙草を吸いたかったけど、取られたから吸えない。
今持ってるのはアーリアって言うグリーデル製の煙草。僕は舌打ちを一回する。
裏庭に着くと、金髪の少女が黒い墓標の前で懐かしそうな眼をしていた。
予想外で偶然だから、僕は少し驚いて全ての動作を一瞬忘れた。
僕にはそれがシーアだと分かった。前に何度かグレートウォールで会った事があるからだ。
シーアは僕に気付いたらしく、視線を此方に向け、右目を瞑って右手を額に当てた。
「茜君じゃないか、いや、失敬。レディの接近に気づかないと言うのは紳士失格だな」
「久し振りだから気付かないんじゃないかな…………それって、誰の墓?」
僕は気になっていたことを聞く。誰の墓標なのだろうか、この墓標たちは。
それは僕には関係ないことだったけど、僕の中のイメージしたシーアは墓の前に立つようなキャラじゃなかった気がする。
まぁ、僕自身墓の前に立つようなキャラじゃないから、言えたことじゃないんだけど。
それに、こういう質問は非常に無礼だなって心の片隅でちょっと思ってる。悪い奴なんなだな、僕って。
シーアが苦笑しながら答える。
「あぁ、これはルフトヴァッフェが設立する前の戦友達だよ」
「そうなんだ。骨は入ってる?」
直線的に僕が聞く。
ほら、僕はこういう所が悪いんだ。
「入っているよ、彼女達はここで眠っている」
「へぇ………死は存在しない、生きる世界が変わるだけだ」
誰の言葉だったか分からないけど、僕は言ってみる。
シーアはまた微笑んで
「そうか・・・・・・なら、彼女達は、幸せに笑っているんだろうね」
そう短く言った。声を聞くに、過去に縛られてるわけじゃなさそうだ。
良かったなと思ったけど、なんでそれが僕にとって良かったのかさっぱり分からなかった。
僕が僕の考える事を分からないのはおかしいとも思った。
僕はおかしいのか? クレイジー? それも分からない。
僕が僕自身の事を知らないってのもおかしいと思う。
まぁ、これも何時もの事で、僕は何時もおかしいから、どうって事無いんだけど。
「さぁ? 僕は知らないし、シーアにも分からない事さ」
「フッ、相変わらずザクリとくる事を言うんだね、茜君は・・・・・・ところでこの後一緒に紅茶でも―――」
「残念、僕は紅茶嫌いなんだ」
「それは失礼、紅茶が嫌いなら暖かいココアを―――」
「ココアも嫌い」
「なら、コーヒーはどうだろう?」
「うん、それなら良いよ」
僕はシーアを見て、口元だけの笑いを見せて、軽くウィンクした。
今度誘うなら最初からコーヒーって言ってくれって意味だけど、伝わったのかは分からない。
伝わってないかもしれないけど、僕はどうでもよかった。
部屋に案内すると言って歩き出したシーアに僕は付いていく。
途中僕は「煙草を吸える場所はないか?」と言ったけど、笑顔でこう返された。
「茜君、レディが煙草を吸うのはいけないよ」
その後、世間一般ではどうなんだろう、何でいけないんだろうと、僕はコーヒーを飲みながら少し考えてみた。
シーアと飲んだコーヒーはとても美味しいし、少し懐かしい感じがした。
こんなとこには一度も来た事が無いのになと不思議に思ったが、どうでも良くなった。
僕が良ければ、それで良い。
ついででシーアが楽しいと感じて貰えれば、もっと良いなと思った。
ただ、
「シーア」
「なにかな?」
「どうすれば音を立てずに椅子ごと移動できるの?」
「何、それは私が紳士だからさ」
「とりあえず、変な事しないでね」
「ああ、私は紳士だからね」
人が気付かない時に徐々に近づいてくるのは止めて欲しい。
何でか分からないけど、危険が迫ってるような感じがして、少し怖いし、咄嗟に拳銃を抜くかもしれないから。
僕は溜息を吐いて、熱いコーヒーを飲んだ。煙草が吸えなくて、酒も駄目ときたら、僕にはこれしか残ってない。
「ところでシーア」
「なんだい?」
「普通のコーヒーが飲めるんだから、アイリッシュ・コーヒーも飲めるんじゃないかな?」
「ふむ、あれか……。いや、別に構わないがその場合身体が火照ってしまって―――」
「茜、話は終わった。帰るぞ」
ノックもしないで入り込んできた坂井に少しだけ感謝して、僕は残りのコーヒーを飲んだ。
シーアの方はノリに乗ろうとしたところで脱線したけど、すぐ回復したらしく貴族っぽく笑ってる。
「了解。それじゃ、シーア、またね」
「ああ、また会おう、茜君」
次は多分、グレートウォールの上空で。
僕はそう言おうと思ったけど、止めておいた。
もしかしたらで、つまんなくて退屈な街中で合うかもしれない。
その時は煙草もあるし、酒も飲めるから、僕の機嫌も良いかもしれない。
僕は坂井の後ろを歩きながら、少し笑った。こんなことを思いついたのだ。
そしたらシーア、僕の話をしてあげるよ。
僕の身の上話なんて、不幸と幸運が入り混じった下らない話だっていうのに。
僕がその台詞を言った後のシーアは、想像の中だけど、どうしてか、柔らかい笑顔で僕の話を聞くんだ。
屋敷の外へ出た。雪が止んでいたけれど、身を裂くような寒さは変わらなかった。
「ねえ、坂井。帰りはどうするのさ?」
僕は歩くのが嫌だったから、とりあえず坂井にそう聞いた。
恐らく幸運って奴は僕が嫌いだろうから、多分歩くんだろうと思って、諦めてたけど。
坂井は隠し持ってた煙草を咥えて火を点けた。僕も一本貰って、思い切り吸って、紫煙を吐いた。
「輸送機で送ってくれるそうだ。滑走路までは車で行く。少し待つぞ」
なら屋敷に入ってれば良かったのにと思ったけど、坂井にとってはこの上なく嫌な事なのだろう。
あのカラヤって人、坂井が苦手そうなタイプの喋り方だったし、屋敷内は禁煙だったから。
僕は穏やかに降り続ける雪を見ながら、息を吐いた。紫煙と白煙が空気中に吐き出された。
関連項目
最終更新:2010年09月17日 02:50