(投稿者:めぎつね)
戦況が芳しくないのは見るまでもなく、それでも戦線を維持せよと宣う司令部はこちらから見れば愚かとしか言い表せない。硝煙の臭いに紛れて流れてくる悪臭はGの体液か人間の贓物か、それとも全く別のものか。視界を抜けていくのが緑色の液体を撒き散らした甲殻類の死骸ばかりであれば判断も付け易いものの、現実にはそれと同量、或いはそれ以上に砂漠は赤黒い肉塊や煤に塗れた屑鉄で多い尽くされている。
「嫌になるわね。酷い有様だ」
「全くだぜ畜生めが。これを惨敗と言わずして何て言うんだ」
吐き捨てるような同乗者の口調には、苦悶の呻きとも戦友達への哀悼ともとれる虚しさが滲んでいる。応対一つで激昂にも落涙にも傾く、そんな声だ。
アルハはあえてそこには触らず、必要なことだけを訊いた。
「本当に戦闘は続いているの?」
「そう願うしかないだろう。十五分、保たなかったとは思いたくないね」
ハンドルから片手を離して肩を竦める同乗者に返せる言葉もなく、アルハは無言でフロントガラスの向こうに顔を向けた。砂埃を巻き上げてジープは疾駆するが、その風景は先程から殆ど変わらない。死屍累々、といった有様は地平線の彼方まで続いているように見える。本当に続いていたとすれば、その意味は部隊の全滅に摩り替わる。
「大丈夫だ。メードの生き残りもいる。そう簡単に終わるものか」
「そうね。そう願いたいものね」
これまで通り過ぎてきた死体の山の片隅に、記憶にある服装の塊(既に人型ではなかった)を見つけていたことは黙ったまま、アルハは肯定だけを口にした。実際、信じてやるしかない。救援要請を寄越してきた部隊の生存。例え現実がどうであったとしても。
「いたぞ!」
それまでの様子から、彼は歓声を上げると思っていた――だが実際に聞いたのは、程よい緊張に張り詰めた兵士のそれだった。
アルハもまた、声を聞いた頃には目標を捉えていた。助手席から身を乗り出し、ストックを脇に挟み込んで小銃を構える。こう揺れが酷くてはスコープも使えない。
まだ遠い上にGの影に隠れ、味方部隊の正確な人数は把握できない。だが多く見ても一個小隊に足りるかどうか。あれで全てだとしたら、全滅と大差ない。加えてその小部隊に群がる化物どもの数が十数ではきかない量となれば、このまま回れ右しても罰は当たるまい。
「会敵しましたら、すぐに負傷者を連れて撤退を。処理は私が」
「いいのか? お前だって負傷者だろう」
「近くに味方がいると、私の十八番が出せませんので」
「使うのか? だがあれは禁止されているんだろう?」
「あと一回までは許されてますよ」
「そうだろうな。いつもそう言っている」
「そうでしたっけ?」
空惚けるアルハに、彼は苦笑いを返した。そのままの顔で、続けてくる。
「お前の要望通りにしようとは思うが、そのお前はどうやって退くつもりだ?」
「歩いて帰りますよ。それとも、何処かで待っていてくれます?」
そこで時間切れだった。増援の気配を感知したワモン級が数匹反転しこちらに向かってくるのを確認し、即座にアルハは銃爪を引いた。初弾は不発、二発目は接近する個体は外したものの、運良くその背後にいたウォーリア級の腕を吹き飛ばした。三発目の結果は確認しないまま小銃を後部座席に放り、今度は剣の柄に指を当てる。
目配せだけで通じたことには素直に驚いた。急カーブをかけたジープの遠心力に振り落とされる形で、アルハは車上から身体を投げ出した。勢いのまま抜剣し、手近な場所――既にそこまで接近されていた――
ワモン級の背に刃を突き立てる。
短い悲鳴が、耳元で吹き荒れる豪風の中でもよく聞こえた。そのまま剣を支点にワモン級の頭を力一杯に踏みつけて地面に叩きつける。時速数十キロレベルの勢いで地面に押し付けられ、ワモン級の体はみるみる内に磨り減っていった。タイヤ跡の代わりに体液と贓物と肉塊を道なりに残し、本格的に足場が失くなる前にアルハは甲殻を蹴った。殺しきれていない勢いは受け身でどうにかカバーし、起き上がると同時に振り抜いた一閃がワモン級の頭部を横に断つ。
いつ飛びかかられたかは判らない。一応予測ぐらいはしていたが、ある程度は運も頼りにしなければこんな化け物どもとは戦っていられない。運が尽きればそこで終わる。
頭を壊しても体はそのまま飛んでくる。身を屈めてそれをやり過ごし、アルハは既に目と鼻の先にある化け物どもの群れへと切り込んだ。半数の注意はこちらに向いているが、残り半数は残存部隊との戦闘中でアルハの側に背を向けている。
それを狙わない手立ては無い。この手合いは本脳で危機を察知したりもするが、だとしても隙に向けて斬り込むのは道理である。順に襲いかかってくる数匹をあしらって、群れの中でも最も長大なウォーリア級へと肉薄する。それが振り返り切る前に左の足を三本纏めて切り飛ばし、動きを封じてしまえばとりあえずはそれでいい。藻掻く巨体が周囲の雑魚どもを勝手に跳ね飛ばしてくれるなら、尚更いい。
その勢いのまま二、三匹にも手傷だけ負わせて、立ち位置を変えながら周囲の状況を把握していく。Gは当初の予想よりかなり数が多い。二十は下らないだろう。その黒い壁に阻まれて殆ど確認できないが、味方部隊はどうやら最早メード一人だけで支えているような状況らしい。あまり長くは保つまい。剣だけでこの数を処理するのは少々骨が折れるし、爆薬の類も手元には手榴弾程度しかなく威力不足だ。
(味方には当たってくれるなよ……?)
請い願う祈りを裏切るのが神の仕事だ、などと誰が言ったのか。だとしても祈るより他に無いのであれば、人はそれに祈る。メードもそれは変わらない。実在するかは関係ない。
力を開放する。
プロセスはほぼ全て頭の中だけで完了する。特別な動作もいらない。あまりにも何も無い為につい剣を振る癖がついているが、今回はそれもしなかった。ただ自分なりの合図のつもりで、胸の辺りで指を擦った。
味方を巻き込むわけにはいかない為、範囲はかなり絞ってある。閃光と称される光の剣閃が破壊する範囲は、最大でもおよそ十メートル前後。前触れ無く出現し、そのエリアにいた相手を押し潰すように粉砕する。力の加減にもよるが、それが同時に複数炸裂する。但し起点や方向をアルハ自身では制御出来ず、命中するかどうかの成否はどう足掻いても最終的には運否天賦の神頼みになる。
敵陣の只中で放てば、確実とまではいかないもののその破壊力を有用に活用できる。攻撃位置がランダムであっても、その一の大半が敵で埋まっているのなら十二分に効果は望める。
現れた光条は四本。右に一つと、左に三つ。それぞれが全く別の位置、何の関連性もない場所で暴虐の限りを振るう。……一本は何も無い場所で全く無意味な破壊を繰り広げただけだったが他の三本が十分な戦果を挙げた。仲間が突然得体の知れない光に粉砕されて、化物どもの動きが僅かに鈍る。特に味方部隊と戦闘していた連中はそれが顕著だった。
その機を逃さずに前に出る。閃光の破壊跡と、粉砕され原型を失くした残骸を踏み抜いて、ついでに大型個体も一匹斬りつけながら、アルハは黒垣を抜けて反転した。敵の群れを一望に捉え、改めて片手で剣を構える。
残ったのはおよそ二十から三十匹。なんとか半分近くは仕留めたか。ワモン級とウォーリア級がおよそ三対二。最初に狙撃した時に片腕を吹き飛ばしたウォーリア級も残っている。
(案外、残ったか)
自然と引き締められた頬の歪みを手で覆い隠し、考えるような素振りで誤魔化す。先の一撃の効果としては十分納得の範囲内だったが、それでもこの数は少々難しい。その落胆は少なくなかったが、それを表に出すべきではなかった。増援が早々にそんな顔をするべきではあるまい。
「……援、軍、なの?」
「あら。やはり一人だけでは心持たない?」
背後は向かず、小さく肩を竦めながらアルハは答えた。尤も振り向かなかったのは、まだ増援らしい余裕の笑みなど返せそうになかったからだというだけの理由だったが。
しかし振り向かずとも、話している相手の方からこちらの視界に入ってきた。年頃は20前後、アルハと同程度か、少し若いか。だが背がこちらより少し低いからか顔立ちが幼いからなのか、その素体は目測よりももう少し年下にも思える。或いは憔悴しきって脂汗を流しているような相手の外見で年齢を推し量るというのが野暮なのかもしれないが。
彼女の消耗が相当のものだというのは、簡単に見て取れた。その身には少々持て余しそうな軍刀は付着したGの体液の量から見て主力の武器なのだろうが、今は杖のように地面に突き立てられて、ただの支えになってしまっている。
「まだ動ける?」
「ええ。まぁ……もう少しは、やれるかな、と」
意気は十分だったが、それが強がりだというのもすぐ見て取れた。なにせ、右腕を完全にやられている。動かせなくはないようだが、肩の傷からの出血量は指に引っかかるだけの短機関銃を赤く染め上げるだけのものだ。もう感覚はあるまい。他にも全身に裂傷だの痣だのつくっているが、とりあえず致命的なのは肩のものだけのようだ。
「他の娘は?」
「後ろの車両に二人。どちらも動けるものではありませんが。他は……もう」
「そう」
ちらと背後を見やると、ライフルを構えたメードらしき女がトラックの荷台の上でライフルを構えているのが見えた。尤も頭から流血し今にも崩れ落ちそうなその様を鑑みれば、こちらもまともな援護は期待できそうもない。もう一人は見つけられなかったが、つまりはそういうことだろう。
同時に人間の兵士たちの状況も観察したが、一見しただけで芳しくないと知れる。十数人はいるが消耗していない者はいないし、負傷していない者もいない。走れるぐらいに体力の残っていそうなのはその半分ぐらいだが、重傷の仲間に肩を貸したりしていて実際には三分の一もいない。
まぁ、当初の予定と何ら変わる所はなさそうだ。丁度いいタイミングで、アルハを連れてきた兵士のジープが最後方から姿を見せる。Gとの接触を避けるのに相当迂回してきたのだろう。あれなら詰め込めば兵の半分は乗れる。トラックに余裕があるなら、残りはそちらに回せばいいか。
一人軽く頷いて、アルハは隣のメードに目を向けた。こちらの言葉が他の兵らにも聞こえるよう、声を大きくする。
「ここは私が引き受ける。貴方は負傷者と一緒に撤退、可能なら貴方がその護衛。できる?」
「一人は無茶です。それなら私も――」
「残り二人があのザマじゃあ、何かあった時に戦力としては期待できない。残っているのは私と貴方で、貴方じゃあここの連中はもう捌き切れない。選手交代だ」
「ですが――!」
なおも食って掛かる相手の頭に手を置いて、そのまま軽く後ろへ押しやる。その程度のことで既に足元が覚束無いのが丸見えでは居られる方が却って邪魔だ。
とはいえ、そんな胸中をここでぶちまけたところでなんの解決にもならなければ、こちらとて別に彼女を貶めたいわけでもない。多少の逡巡を経て思いついたのは、それなりに不敵な表情で笑いかける程度のものだった。
「それに、そういう時の為の私だ。全部吹っ飛ばすから、一人のほうがいいのよ」
それが説得と呼べるものかは我ながら疑問符しか浮かばないが、口論を決着させるには十分だったらしい。彼女は踵を返し、車の方へと向かっていった。既にジープの運転手が大声で撤退を促しながら、兵員らを車両の後部に押し込んでいる。
去り際に、彼女は何かを言い残したようだったが。殆ど同時にGの群れが動き出した為にアルハの頭には残らなかった。正面から襲ってきた一匹を問答無用に叩き伏せ、横を通り抜けようとしたワモン級の頭を腰の拳銃を抜いて一撃する。
仕留めたかどうかには拘らず、アルハは目についたGに片端から一発ずつ弾丸をお見舞いしていった。殲滅は最終的な要素であって、今はこの害虫共の目を負傷者らではなくこちらに向けさせるのが先決だ。そして攻撃対象がこちらに向いたのであれば、銃器の役目も一旦終わる。弾倉が空になった拳銃を元の位置に押し込め、今度は剣の柄を握る手に力を込める。弾丸だけでは仕留めきれなかった一匹が、既に間近まで迫ってきている。
自身の身長の倍以上の体躯に対し、正攻法で剣を振るっても効果は薄い。機宜を合わせ、アルハは突進してきた化物の頭だけを剣先で縦に裂いた。そのまま巨体の下を潜り、今度は近場にいた一匹の左脚を全て落とす。
やはり数が多い。突き立てた剣を蟲の体から引き抜く時間も惜しく、アルハは一刀で相手を無効化させるのに注力した。頭部を叩き割るのが理想ではあるが、全てのGに対しそれを狙う余裕はない。自然と標的は両断するのに苦の少ないひょろ長の脚へ絞られ、余裕を見ては腹を裂き頭を叩き割っていく。脚を切り捨てたところでこの連中は這って移動することも可能だろうが、それは考慮に入れないことにした。あちらの敵意がこちらに向くなら、それで十分だ。
撤退を促す以上は、兎に角敵の目をこちらに引き付けなければならない。だが最初に誘導をかけたとはいえ、三十前後、ともすればそれ以上の残党が管を巻いている現状は、幾ら剣を振ったところで寄せ付けられる数にも限界がある。戦車に向かいかけた一匹の腹部を背後から割って動きを止めるが、その間に別の二匹がすぐ脇を通り抜けていく。
「ちぃ――」
それを追いかければ、今度はアルハを狙っているGの幾つかがそちらに向かいかねない。かといって放置も出来ず、そうなれば取れる手段は自ずと限られてくる。
(もう少し、距離を開けてから仕掛けたかったのだけど)
本音としてはこれを使うのも一度だけに留めたかったが、やはりそう上手くいくものではない。理想を手放し現状に妥協する形で、アルハは構えを取った。分別のないじゃじゃ馬を解放するのであれば、それ相応の警戒は必要になる。躾けられないのであれば、時と場所を限定し最も効率的な位置と状況で暴走させるしかない。自分の力とは、そういったものだ。
意識を鋭く尖らせ、大凡味方を巻き込まない範囲に合わせ出力を絞る。開放するのに合わせ剣を振ったことに意味は余りないが、いつの間にかそう動くようになっていた。
放たれた光は二本。自分の前と後ろに、およそ平行の関係で現れた。自分の身長の数倍もある無音の閃光が姿を見せた次の瞬間には、今度は轟音が迫ってくる。地面を揺らすほどの振動はないが、気を抜けばこちらも吹き飛ばされかねない。
薄緑色の光はそのまま、衝撃波の塊でもある。触れた相手を一切の分別なく容赦なしに粉砕するその威力は相当であり、少なくとも今日までアルハが見てきた限りでは原型を留めていたものは無い。
そんな悪魔のような威力と引き換えなのだろう。指向の殆ど定まらない跳ねっ返りであることと。
その反動が、体力を多少持っていかれるような程度の話では済まないことは。
(チィ――)
起点の位置が無差別である故にターゲットをまともに絞れないが、効果範囲でなんとかそれを補っている。目的の二匹は直撃を受けて跡形もなく吹き飛んだ。これはいい。背後で炸裂した閃光も何匹かを屠ったようだ――頭上から化物どもの緑色の体液と無数の肉塊を頭から被った為に理解したことだが。これも有難い。問題は――
(腕の感覚が失せたか。厳しいな)
幸い、腕はまだ動く。但し指先は痺れてしまって、細かい動作は出来そうもない。最初は体力を持っていかれる以外、幾ら撃とうが平気だったが、一年程経った頃か。あまり無理をすると、閃光を放った直後に身体に変調が出るようになったのは。それから一年弱、今ではその不調は決定的なものまで変容している。
剣は足元に転がっていた。それを取り落としたのが何時なのかは判らなかったし、拾ったところで握れそうもない。振り返れば化物どもはその数をそこそこに減じていたものの、まだ二十匹弱は残っている。
「さて、正念場かな」
軽く自分を鼓舞するような気持ちで、それだけは声に出した。閃光の破壊力を見せつけられて、害虫共の動きには幾らかの躊躇が見られる。その間に腕が回復すればしめたものだが、それが絶望的な願望だと分かっていたのは経験則というやつか。
(来るな、これは)
悪い予感には従う。アルハは即座に、足元の剣の柄を蹴った。群れの奥から飛び出した一匹を銀色の刃で串刺しにし、次に備える。
停滞した波が一度でも揺れ出せば、後は怒涛の如く押し寄せてくる。ワモン級二匹は体を入れ替えてやり過ごし、次に続いたウォーリア級の剛腕は身を低くしてなんとか避けた。そのまま股下を潜り抜け、眼前に見えたワモン級の頭部に踵を落としてから一気に踏み越える。
正面に敵の姿が失せたところで反転し、腿の投剣に指先を引っ掛ける。握れる状態ではないが、これは柄先が円形になっていて指を引っ掛けられる。それでも手首のスナップなど効かせられない為、両腕を大きく振り回してその遠心力で投擲した。当然ながら精度は甘い、命中したのはワモン級の背中とウォーリア級の腕先。悲鳴を上げさせる程度の効果は果たしたが、撃退するまでには届かない。そうしている間に横手に回り込んできたウォーリア級の一撃をすんでの距離で避け、今度は腰のポーチに腕を突っ込む。引っ張り出した手榴弾を投剣と同じ要領で放り、飛びかかりかけていたワモン級を牽制してから再び立ち位置を変えた。
当然のことながら、囲まれ始めている。全方位から来る急襲を更に数度捌いた頃には、アルハは完全に逃げ場を失っていた。数メートルほどの距離を置いて、完全に包囲される。
「まったく、速いな。カサコソと。誘導も何もあったもんじゃない」
それでも状況が幾つか想定していた中での理想形になったのには、一応満足すべきなのだろう。腕の感覚はまだ失せたままだが、多少は指先も動くようになってきた。幾らかその動きを確かめてから、アルハは左腕を持ち上げた。化物が距離を詰めてくる。構わない。幾らでも寄ってくればいい。
全て吹き飛ばす。
「それでは害虫。悪いがここで、さようならだ」
指を弾いた快音は、数十の閃光の轟音に紛れて消えた。
「あーあー、まったく。これはまた怒られるんでしょうねぇ」
一時間ほどは指一本も動かせず、身体が起こせるようになるまでには更に三十分ばかりの時間を要した。そこから帰路に着く為の一歩を踏み出すのに三十分。およそ二時間ほど腐ってから、死骸と粉塵の山から剣や投剣を発掘するのにまた一時間。すっかり日も傾いて、辺りは夕暮れに染まっている。波状に広がった雲とその隙間から覗く橙色の光を美しいと思うだけの余裕は、アルハには無かったが。
「いい加減、殴られても文句は言えないな。こうも我を通されてばかりじゃあ、流石にそろそろ心穏やかではいられないだろうし。ブチ切れるのも時間の問題かぁ」
乾燥してぱりぱりになった血液だの体液だのはあらかた払い落としたが、肌にこびりついたものや衣服に染み込んだものはどうしようもない。体液の類はとうに乾いているし、悪臭はそもそも鼻がとうの昔に馬鹿になっている。自分では気にならないが、帰り着いた際にどんな顔をされるものか。それとも案外、毎度のことと気にも留められないのか。
「私だって、嫌がらせでこうしているわけではないのだけれど。まぁ何事も、そう上手くはいかないものよね」
メードであれど、傷だらけの身体を引き摺って歩くその速度は人間の歩速とさして変わらない。駐屯地までは何時間かかるかも判然とせず、途中で力尽きれば半日あっても足りるまい。通信機は車の中に忘れてきてしまっていたし、誰かが戻ってくるようなアテも無い。道中目に入った四輪も、全て大破していて使い物にはならなかった。
結局、歩くしかない。鞘が壊れてしまったので、剣は抜身のまま持ち歩いている。がりがりと剣先が地面を引っ掻いていたりするが、もとより切れ味は大分悪くなっている。
「まったく。英雄も楽じゃないわねぇ」
日が落ちる。
吹き抜けた冷たい風に、アルハは小さく身体を震えさせた。
「まったく。こんな私の、どこが英雄だっていうんだろうね」
独り言を聞く相手は、地平線の果てまで探しても誰もいない。
最終更新:2010年11月15日 03:42