名無しに意味を与えるならば

(投稿者:ニーベル)


  彼女がいなくなってから、一ヶ月という時間があっさりと過ぎ去ってしまっていた。
その間は、特にすることもなかった。いつも通りの日々を過ごし、書物を買い漁り、のんびりとした一日を過ごすだけの生活。
 壊された家具などの修理も終わった。しばらくはこの平穏な生活が続くのだと思うと、安心する反面、どこか残念な気持ちもある。
ひどく暴力的な扱いや理不尽な要求ばかりを聞かされたが、なんだかんだで一番楽しんでいたのは、自分だったのだろう。
骨を折られたり、腹に穴を開けられかけたりしたのは楽しくなかった。まったくもって理不尽な事や、料理ばかり作らされて、自分の口に合わなければまた暴力。
 怒ったりしているようにはとても見えない。その上、笑顔だというのに拳を振るってくるのがまた恐ろしい。
他人が聞けば、最悪の女性ではないかと言われてしまうだろう。自分には、最悪ではないと否定できる要素は何一つとしてない。

 それでも、自分は彼女が嫌いではなかった。むしろ、好んでいるということを、彼女が去っていった一ヶ月の間、余計に身に沁みてきた気がする。
あの大変な面倒さが嫌いではなかった。何もかもが理解できず、共感する事すら難しい彼女。理不尽という言葉そのものが彼女を表していると言っても過言ではない。
そんな彼女だが、自分にはそれらの面とは違うものを見ていた。純真なもの、というべきだろうか。彼女のどこにそれを見たのか、感じたのかと言われれば分からない。
 自分でもはっきりしないのだ。はっきりしないのに、どこかで彼女を理不尽な存在なだけではないと、確信していた。
誰に行っても信じてはくれないだろうが、構わない。自分の心の中だけに秘めておけばいいことだ。彼女の良い所が分かる、たった一人だけの男。
自分という男は、それだけで存在価値があるのだ。それだけでいい。それだけで充分なのだ。自分という存在を賭けるに十分値する。

 面倒事は嫌いだし、縛られたくない。自分の好きなことだけをやり、のんびりと生を謳歌したいという願いがある。
願いは、叶えた。今、自分の手元にある生活は間違いなく、自分が望んだ物だ。理想通りの生活がここにあり、夢のような暮らしをしている。
 文句があるはずもなかった。自分が夢見た生活を手に入れたのだから、文句の出しようもなかった。

――だというのに。

 心は、次第に満たされなくなっていた。充実感が失われていった。自分にとって最も望むべき物が手に入ったというのに、心を埋めていくのは空虚な気持ちのみだった。
自分という存在に対して、意義を見出せなくなった。戦場に出ていたときの方が、遥かに充実していた。目の前の蟲を斬り伏せる。前へと進む。それに続く兵士達。
 斬り倒すたびに上がる歓声。屍を増やしては、踏み潰し、ただ前へと前進する快感。生きている。生という物を、屍と死臭、鉄と血、悲鳴と咆哮が入り混じる戦場は確かに与えてくれていた。
何者にも縛られず、自分の自由に戦場を駆け続けられたら、自分は死ぬまであそこにいただろう。それほどの強烈な快感と、自分の存在意義というものを確かに感じられていたのだから。
 戦場に出るな。その言葉を言われた時に、自分の中で全てが黒に塗りつぶされた。理由など分からなかった。自分がいた場所では、確かに気ままに戦場を駆け回っていたが、仲間に迷惑をかけたつもりなど無い。
理由は、と聞いても答えてくれるはずもなかった。鬱々とした気分を抱いたまま、日常が過ぎていった。自分の二刀も、部屋に置かれるだけの飾り物になってしまった。
 身体は鍛え続けた。戦場へと戻った時に、身体が鈍っていたら意味が無い。飾り物になってしまった剣とて、コアエネルギーを流しておかなければ、切れ味が鈍る。
二刀を構えて、無心に剣を振るった。斬れる筈のない物をいつか斬れる気がして、その日が来る事を信じて、剣を振るった。

 信じた結果は、今の自分が無様なほどに証明している。何故自分が処分の対象となったのかは分からない。兵達には、嫌われてなどいなかった。命令違反もしていなかった。
戦場を奔放に駆け回っていたが、軍規は守っていたし、上官の命令に反抗したつもりもない。何が原因か分からぬままに自分は処分の対象となり、何もかもが理解できず、馬鹿らしく、復帰を信じていた自分の愚かさを自覚して――軍から抜けた。

 軍を抜けた後は、追っ手を躱して、時には斬り捨て、人々の生活から離れたここに来た。良い生活を手に入れたと思っていた。軍からキチンと正式に抜けた時は、こういう生活をしたいと思っていた生活を。
それなのに、今の満たされぬ状態が続いていたわけだが、彼女――レヴェナの来訪によって世界が変わった。
 いきなりやってきて、襲い掛かられた時は追っ手かと思い、剣を抜いた。衰えているつもりもなく、剣気も充分に満たされていた。自分にとって最高の状態だったのだ。
目を合わせただけで、彼女がどれほど強大な存在である事は分かっていた。というよりか、彼女の身体を駆け巡るエネルギーが何かおかしいのを感じていた。自分とは、また違う乱れ方。
 勝てないとは思わなかったが、勝てるとも思わなかった。彼女の存在自体が曖昧なもののように感じて、はっきりと認識できなかったのだ。斬れぬ物を斬るような感覚が身体に広がっていくような、言葉に出来ない物。
剣を振るっても振るっても、彼女を斬ることは叶わなかった。いや、斬れてはいたのだが、斬り落とす事が出来なかった。足に力を入れ、全力で踏み込み、首を断つ。その気迫を込めた一撃が確かに当たったにも関わらず、彼女は立っていた。不思議な笑顔を浮かべたままで、彼女は立っていたのだ。
 自分の太刀を受け流すこともせず、平然と笑みを浮かべて進んでくる彼女に対して、恐怖は覚えなかった。圧倒的存在というものは、恐怖も与えないのだろうか。いきなり動いた彼女の身体は、数多の戦場を駆けてきた、自分の眼でも見切れなかった。
腕が動こうとした瞬間には、肩を抑えられていた。そして、力を込められて、鈍い音が響いた。肩がへこまされて、骨が悲鳴をあげた。
ようやく勝てないと悟らされた。同時に、自分の命もここで終わるのだと、はっきりと認識した。大人しく、眼を閉じる。最期の時を待った。彼女が口を開く。

 「ねぇ、貴方。御飯作って」

 彼女が笑顔で出した言葉に、自分は顔を上げた。



 そうやって、彼女との関係が始まったのだ。ある意味とても刺激的で、おっかない事だらけで、命も危ない危険な生活。
危険な事だらけではあったが、最も充実していた事には変わりがない。生きているという実感があった日々でもあった。満たされていたのだ。
今は、穏やかな日々があるが、満たされてはいない。しかし、それに対して諦念のようなものは、もう無い。彼女はまた来ると行っていた。その日を待てばいい。

 「そういうことだね」

 笑みを浮かべるが、それを隠すようなこともしない。彼女が自分の支えである事は、事実だとこの一ヶ月で自覚した事だからだ。
料理は、さらに上手くなろうとしていた。剣の腕も鈍らせるような事はないように振るってはいたが、最近は家事の腕の方を磨いてた気がする。
ふと、窓の方へと視線を移す。雨風が酷くなっていた。よく見れば、雲も黒いものが山の向こう側から上がってきた。これはそろそろ、不味い気がした。

 洗濯物はもうしまってあるし、もう大丈夫だとは思ったが、窓を見たときに何かが引っ掛かったので外へと出てみた。帯刀は、してある。
雨が地面へと、勢い良く落下してくる。ばしゃばしゃという音が鳴り響き、風は木々を揺らしている。それも気になったが、もう一つ気になったもの。雲の下に浮いている人型の物。
 何かの見間違えではないかと思ったが、やはり、あれは人型にしか見えなかった。自分には思い当たる節がある。空戦メード。その言葉が脳内を過ぎる。
空戦メードといえども、この雨風は辛いはずだ。何より、黒い雲が見えてきている以上、さらに豪雨になるのは分かりきっている。走った。目の前にあった木々を足場にしようと、飛び跳ねる。木が軋む音と木を揺らす風の音。
両方が響き渡る嵐の中を突き進み、より高い木へと登る。そうやって高い所へと移動し、目に飛び込んだのは、灰色の十六翼を持つ女性。

 「これじゃあ言葉は、通じないか」

 この雨と風の音では、自分の声などかき消される。ならばと、木へと視線を移す。太い木々。判断は素早くするべきだった。刀を抜き、気を鎮める。眼を開いた次の瞬間には、剣を鞘に戻した。
断末魔を上げるように木々が倒れる。続いて、ずしんと大地に響き渡る音。彼女が下を向いた。手を振る。驚いた顔をしながら彼女が下りてくるのが分かった。しかし、こちらに下りてもらっても困る。
 自分の動きが見える程度の所まで来たところで、手を自宅の方へと指す。彼女にもそれが伝わったらしく、そちらへと降り始めた。雨風が酷い中を、また駆け抜ける。
自分が木々の合間を飛びながら、地面へと戻ってきた時、彼女は既にそこにいた。

 「……驚かせちゃったかな?」

 先程の自分の行動は、明らかにメールですと宣言するようなものだったが、彼女はさほど驚いてはいないようだった。

 「そんなことはないけど、こんな所に一人でいるのかい?」

 「まぁ、訳ありでね」

 頭を掻きながら、誤魔化そうとする。幸い、彼女はそういう知り合いでもいたのか。そういうこともあるよねと流してくれた。

 「呼び止めたのは」

 「あの雲のせいかな」

 黒い雲の方を指差し、彼女は言った。今はまだ玄関の入口にまでは雨は降り注がないが、あの黒い雲がきたら、豪雨になってくるのは間違いないことだ。

 「そうだね。その中を飛ぶのはいくら空戦メードって言ったって」

 「辛いね」

 「だからさ、あれだよ。うん」

 「あの黒い雲が過ぎるまで、ここにいさせてくれるのかな」

 「迷惑だったかな」

 「いや、すごく嬉しいよ。……正直あのまま飛ぶのは辛かったしね」

 「でしょ。それに濡れてるし……着替えはあるから、入るといい。ああいや、昔の連れというか、今は一人だけど、たまに帰ってくるのがいてね」

 彼女が、なんとなく納得したような顔で頷いた。正直、レヴェナの事を説明するのは非常に難しい。
レヴェナがいない今、彼女を預かることぐらいなら問題はない。いたら、さぞかし面倒なことになっていただろうが、こればかりは幸いだったというべきか。

 「ああ、それと」

 「ん?」

 「そらちの、女の子もね」

 自分の事を言われて気がついたのか、いつのまにか灰色の翼を持つ彼女の背後にずっといたであろう女性が、顔を真赤にした。






 「へぇ、ディートっていうか。よろしくね」

 「うん。宜しく頼むよ。……でも良いのかい?」

 「大丈夫、突然の来訪者には慣れてるからさ。そっちの――スタトナも寛いでていいよ」

 そう言われたスタトナは申し訳なさそうに顔を赤くしながら、コタツへと潜り込んだ。桜蘭の知り合いから教えてもらったものだが、良いものだと思う。
彼女たちには、既に着替えてもらっておいた。女性用の服を買っておいて良かったと思える一時だ。買いに行く自分はとてつもなく恥ずかしかったが、もう最近は慣れた。
店の人も、自分がそういう趣味ではないということを分かってもらえていたし、一度だけレヴェナを連れていったのが功を奏したのか、変な誤解も消え去っている。
 彼女達は、良い人達だった。自分が料理をする時も手伝おうかと、声を駆けてくれたし、洗い物を持ってきてもくれた。どこぞの我儘な女性。はっきり言ってしまえばレヴェナとは大違いだと思わざるを得ない。
ただ、料理などに関しては、客人をもてなすのが自分の勤めでもあるので、さすがに断った。自分が強引に引き止めたようなものでもあるし、彼女たちがそれに感謝しているとはいえ、そればかりは自分がやるべき事だ。

 「……よし出来た」

 鍋を掴み、ゆっくりと温まったシチューを皿に盛りつけていく。それに温めたばかりのパンをもうひとつの皿にのせてコタツの方へと運ぶ。
ディートとスタトナが目を輝かせてくれた。それだけでも嬉しいものだと思う。料理を作る人間にとっては、そういう顔が見れるのが何よりの幸せの一つだ。
少し残念なことは、スタトナは幽霊であるが故に食べられない、ということだろうか。自分が幽霊であるはずスタトナの姿を分かり、しかも、しっかりと触れるということにディートは驚いていたが、自分は特に何も思わなかった。
世の中には不思議な事など多くあるが、そのどれもが自分たちにとって理解出来ないから、というだけで不思議がられているだけのものだ。
ソレが、実際に存在している以上は認めざるを得ない。

 「いいのかい、ボクらを泊めたりして」

 「基本的には、一人だからね。旅の人を泊めたりすることもあるから気にすることはないよ」

 笑いかけると、ディートとスタトナも笑みを返した。

 「でも、こんなところで一人でなんて大丈夫なのかい」

 「山を降りれば、町があるからね。生活には困らないよ」

 本音だった。自分は、人混みはあまり好きではないので、そちらの方が良い。

 「ほら、可愛いお姫様の為に頑張っちゃったよ。年甲斐もなく」

 本当の自分の年齢など忘れているし、そもそも名前すらも覚えていないのだが、冗談交じりに言葉に出す。
目を輝かせていたディートが、こちらを見て、はっとしたような表情を浮かべる。何かまずいことでも言っただろうか。変なことをいった覚えはないのだが。

 「……お姫様?」

 「うん」

 「冗談は止めて欲しいかな、ボクがお姫様なんて」

 「冗談じゃないよ」

 その言葉に、ディートが怪訝そうにこちらを見る。ディートの傍に座ると、その顔を眺めた。強い視線だ。どこまでも真っ直ぐで、こちらを射貫いてくるようで、同時に高貴さを感じさせる瞳。
好ましいとすら思える。彼女は、そういう高貴さを保っていられる。それだけでも素晴らしいと思えた。

 「どちらかと言えば、ディートは王子様とか言われるかもしれないけど、初対面の僕から見れば立派なお姫様だよ」

 「……それが冗談だと」

 「違うね」

 「根拠は、あるのかい」 

 「ないなぁ」

 はっきりと言ってしまった自分に、鋭い視線が刺さった。これぐらいの視線は慣れたものだ。ディートの視線を受け流しつつ、頭を手に伸ばす。ディートがそれを防ごうとする前に頭を撫でた。
ディートの顔が、真っ赤に染まる。別に変なことはしていないつもりなのだが、それを見ていたスタトナも、顔を真赤にしていた。
 とりあえず、構わず頭を撫でておく。髪の毛は驚くほど柔らかかった。

 「ないけどさ。ディート、君は女の子なんだろう?」

 あうあうと、口をパクパクさせているディートの頭から手を離す。そこまでおかしいことをしたのだろうかと思ったが、言葉には出さない。

 「どんなに隠していても、女の子らしさっていうのは目に見えてくるし、君は充分、女らしいよ」

 率直に思った言葉を喋っているだけなのに、ディートは顔を真赤にしたまま俯いた。自分から視線を逸らすようにしてシチューを食べ始める。スタトナの方を見ると、自分の方を直視していた。
思わず、手を伸ばした。そのまま、ディートにしたように頭を撫でてやると、スタトナが顔を赤くしながらも、気持ちよさそうに眼を細めた。
 顔を赤くするようなことだろうか。自分にとっては、いつも通りの事なのだがと思っていたが、それはどうやら違うらしい。自分は頭を撫でているだけである。
わりと普通にすることなのだ。特別なことではないはずだと思っていた。

 「もっと、こう、なんだろう。女の子らしい格好をするとかしてみれば良いんじゃないかな。僕には分からないけど」

 「それは、その」

 「……とりあえず、帰ってからだね」

 笑みを向けてみる。またディートが視線を逸らして、シチューを食べる方へと集中した。
自分の分は、もう先に食べておいた。後の分は、いつ来るか分からない彼女のためのものだ。今日はもう来ないだろうが、念のためという事もある。
 酒も、しまっておかなければならない。多少減っているのは、自分がさっき飲んだせいかもしれないのだが、飲んだ覚えが無かったが、多分この間にでも飲んでいたのだろう。

 「そんなに顔を赤らめること、かな」

 「いや、ずっと、その女の子扱いされたことが、なかったから」

 「そうなんだ。……君は普通に立派な女性だと思うけど」

 首を傾げる。本気で、そう思っていた。

 「確かに、君は他の女性に比べれば凛々しいとか、女性というより中性的に見られるかもしれないけど」

 ディートの瞳が、自分を見つめたままになる。

 「僕が、感じていることだけど……内面は、誰より女性らしい。というか、お姫様らしさを感じさせる」

 「言い切るね」

 「僕の勘だからね」

 ディートが訝しげにこちらを見る。

 「でも、少なくとも、こうやって、頭を撫でられて顔を赤らめていた君は、本当に初心な女性にしか見えなかったよ」

 微笑む。ディートが、またあうあうと口を開いたり閉じたりしていた。  

 「先にお風呂に入ってていいよ。僕にはまだやることがあるし」

 二人とも顔を相変わらず赤らめながら頷く。どうしてなのだろうか、と思いながらも布団を敷きにいった。


 三人分の布団を敷いて、自分はベッドに寝る。それで大丈夫だろうと思えた。
まさかレヴェナがこんな夜中に来るわけでもないが、それでも準備だけは常にしておかなければならないだろう。極めて気まぐれな彼女との付き合いで、慎重になり過ぎるということはない。
この生活を始めてから、家事に関する腕前だけは異常に上がった気がする。剣の腕も上がってはいるかもしれないが、家事ほどではない。
 洗濯物を畳む速さも風呂洗いも、料理をする時でさえ常に頭が冴え渡り、何を次にするべきかが頭に浮かんでくる。
結局、これも彼女の為に鍛えてしまった結果なのだろうか。そう思うと、自分はどうしてそこまで彼女のためにやっているのか分からなくなるが、別に良い。
理由がなくとも、良いのだ。自分がやりたいから、勝手にやっているだけなのだから。

 もうすっかり辺りは暗闇になってしまっている。時折、窓を真っ白な光が染めた後、雷音が響き渡り豪雨の音を掻き消していた。
予想したとおりの荒れ模様だった。こんな雷雨の中では、空戦メードとはいえ、厳しいものがあっただろう。
 彼女たちは今は湯船に浸かっているはずだ。自分は、やるべき事は終えた。後は彼女たちが上がった後に自分一人でゆっくり入ればいい。
風呂に入った後に、一人で酒でも飲もうかと考えを巡らせていると、玄関の方で音が鳴った。みしり、という音。足が勝手に動いた。玄関が危ない。即座に鍵を開けてドアを開ける。目の前には、よく知った女性。

 「ご飯、出来てる?」

 あの時と同じような言葉を、彼女は雨が降っている中で笑顔で言ってきた。
嬉しさと、またかという想いが身体を巡る。そして、自分は嬉しいような困ったような笑顔を向けて、彼女に言うのだ。

 「出来てるよ、レヴェナ」




 そうやって、いつも通りに上がりこんで来た彼女にご飯を食べさせている間に、考え事をする。
ディートやスタトナの命の方を考えてしまうのだ。彼女たちも強いだろうが、レヴェナに勝る者がいるなど考えられなかった。自分が考えても仕方のないことだが、客人が暴力的な目に遭うのは避けたかった。
自分はいつもの事だから慣れているが、彼女たちは骨を折られたり、腹に穴を空けられたりすることには慣れていないはずだ。そもそも、そんなことに慣れている自分がおかしいのだが。
 今日はいつものレヴェナではない気もする。というか、なんとなくではあるが自分に対してひっついてくる割合が多い。珍しく骨も折られていない。

 「うん、いつもどおりに美味しい」

 御満悦な表情を浮かべながら、レヴェナが食事をしている。穏やかな時間を過ごしていられると、逆に落ち着かない。
いつも通りに骨を何本かたたき折ってくれた方が、まだ落ち着く。何も暴力をしないレヴェナなど、レヴェナではないとまでは言わないが、何かおかしいとしか思えない。
これでは普通の家庭のようなものになってしまっている。平和だというのに、なぜか満たされないのような気分に陥る。実際は、相当嬉しいのだが、どこか不安になるような気分。

 「それはよかった」

 「ご馳走様でした」

 「綺麗に食べたね。それじゃあ僕は――」

 ――皿を片付けるよ。と言おうとしたところで襟首を掴まれた。そのまま引き摺られていく。
抵抗しても無駄なので、半分諦めているのだがどこへ行くのだろうかと思ったが、明らかに進んでいく方向がおかしいことに気づく。レヴェナが歩きながら、衣服を脱いでる。自分も、服を脱がされていく。
明らかに不味い事になろうとしているのが、良く分かった。どうにか逃げる手立てはないかと頭を回転させるが、駄目だった。力の差が有り過ぎるのは分かりきっている。
レヴェナは、彼女自身の脱いだ服と、脱がした自分の服を纏めつつ、とある場所についた。逃げることも抵抗することも出来ない自分は、覚悟した。何が起ころうとも仕方ない。

 「はい、失礼しまーす」

 そのまま風呂場のドアを勢い良くあけると、案の定、小さめではあったが声が響いた。
目の前に見えたのは身体を洗っているディートと湯に浸かっているスタトナの姿。これほど情けない姿を見られることになるとは、思ってもいなかった。
そのままレヴェナが風呂場へと飛び込む。勿論、自分も掴まれているのだから、一緒に湯へと飛び込む嵌めになった。スタトナが顔を真赤にしているのが見える。

 「あ、あの、すいません」

 「んー、相変わらず良いお風呂だね」

 謝っている自分の事など、いないかのように風呂を楽しんでいるレヴェナを少し、恨みがましく見つめてはみるが、意味が無いのは知っていた。
ディートが、恥ずかしそうに湯へと入ってくる。スタトナは目線を逸らしたままだ。自分の思考が追いつかなくなってる。

 「快適快適、うん。素晴らしい」

 レヴェナが抱きしめてきた。骨は、折られない。柔らかいものが腕に当たっている。ディートやスタトナがそれを直視している。
猛烈な恥ずかしさが、自分を襲っていた。酷く誤解されそうな状態だ。ある意味では間違ってはいないのだが、この場でやられるのは、困る。
彼女が何故、骨を折ってこないのか。どうして暴力的振る舞いを行わないのかなど、疑問はかなり残っているが、今はこの状況をどうするかに限る。しかし、ここで無理に振り解くわけにもいかない。
 振りほどけたところで、彼女にどんな仕返しをされることになるのかという事もある。結局、風呂に入っているしかない。

 「……あー、その、うん」

 出来ることは、ディートやスタトナの方を見ないようにするだけしかなかった。二人の方を見ないようにすると、どうしてもレヴェナの方を向くことになってしまうが、仕方が無い。
相変わらず、眩いばかりの笑みを浮かべながら彼女は自分にひっついている。二つの大きい丘が、自分の胸板に当たる。男としては、色々と辛い。
 レヴェナの指も動いていた。何がとは言うことは出来ないが、彼女の腕が下へと伸びてくる。歯を食いしばった。自分が生活してきた中で、自分の生涯の中で、この時が一番の修羅場ではないのだろうか。

 「レ、レヴェナ」

 「うーん、鍛えられてるね。ホント」

 どっちを指しているのだと言おうとしたが、言葉を噤む。ディートが近寄ってきていた。
助けるつもりならば、断らなければならない。レヴェナなら、それを言われた瞬間、笑顔で何をするか分からないところがあるからだ。
 自分の腹や腕が折れたり消えたりするだけならばいいが、客人に迷惑を掛けるわけにはいかなかった。手を伸ばして、断る形を見せておく。
その手を、ディートが掴んだ。どうするつもりなのだ。言葉にだそうとする前に、いきなり引っ付かれた。思考が、一瞬、脳の外へと押し出された。

 「こ、こういうのが女らしさ……なのかな」

 上目遣いで見られる。絶対に違うと言いたかったが、その目で見られては言えるものも言えなくなる。レヴェナとは、また違う胸の柔らかさが当たった。
女性らしさというのは、ディートは元々持っているのだ。それをこんな風に発揮されたら、自分はどうしようもなくなる。
 というか、微妙に酒臭い。食事しているときに、微妙にだが自分の酒が減っていたのは、まさか。

 「い、いや、ディート。それは確かに女らしさかもしれないけど、どぉ!?」

 ごきりと、音が聞こえた。視線をレヴェナの方へと、続いて自分の指の方へと移す。二本ほど、明らかに曲がってはいけない方向に曲がってしまっている。
コアエネルギーが、指の方へと流れていくのが伝わる。恐る恐るレヴェナの顔を見てみた。相変わらず、可愛い笑顔を向けているが、折り方が容赦がない。
 まさか、嫉妬でもしたのだろうかと考える。それはないはずだ。彼女はそういうのとは一番無縁な女性であるはずだ。何度も頭に反復させる。
二人に抱きつかれては、どうすることも出来ない。スタトナの方へと視線を流してみるが、彼女は顔を赤くしたまま湯へと沈んでいた。こちらを見ているのは変りないが、助けてはくれそうにない。
どうすればいいのだろうか。考えても答えは回ってはこなかった。風呂でゆっくりとお酒でも飲もうかという、夢のような考えは、既に消え去っている。

 「ふ、二人とも……ああ、いや、ディートとスタトナ。布団はもう引いてあるから!」

 どうしようかと頭が必死に稼動する前に、身体が動いていた。レヴェナを抱えて、風呂から上がる。惜しそうなディートの表情が目に入ったが、それどころではない。
自分でもここまで早かったか、と思わざるを得ないような速度で、レヴェナの身体と自分の身体を拭くと、素早く衣服を着せて、自分も服を着こみ、そのまま布団やベッドを敷いたところへと連れて行く。
 自分はベッドで寝て、レヴェナは布団の方へと寝かせようとするが、離れない。

 「あったかい布団がいいなぁ」

 「暖かい布団なら、あるじゃないか」

 「こういうもふもふ感がたまらないのよね」

 「だから、そっちで寝れば良いと思うんだけど」

 ぼき、という音がする。指が、三本目が、折られた。もう口答えする気も失せた。大人しくレヴェナと一緒の布団に入る。
その姿を見ると、ようやく満足そうな笑みを浮かべてレヴェナが抱きついてくる。力は込められていない。
 嫉妬、していたのだろうか。彼女とは最も無縁であると疑わなかった言葉。それを彼女が持っていた。

 「やれやれ」

 手を伸ばしてみる。普段ならこんなことは出来もしないし、やりもしなかったが、伸ばしていた。レヴェナの頭を撫でる。最初は、はっとしていたレヴェナだったが、特にどうするということもなく、目を閉じていた。
互いに黙ったままだった。自分は彼女の頭を撫で続けて、彼女は目を閉じたまま。しばらくすると、微かな寝息が聞こえてきた。寝顔は、安らかなものだ。
 黙って、その表情を眺めている。嫉妬する彼女。今、自分に穏やかな表情を見せている彼女。悪いものではない。

 「ずっと、こうならね」

 思わず、笑みを浮かべる。自分も寝ようと思い、目を閉じる。その直後に、ドアが開けられる音がした。ディートと、スタトナだろう。
二人分の布団は、もう敷いてある。そちらで寝てくれれば、大丈夫なはずだ。レヴェナと自分が一つの布団で寝る嵌めになって、狭くなってしまったが、問題はない。
ベッドもあるのだから、そっちで寝てもいい。自分の対応に問題が無いことを確認して、今度こそ、眠ろうとした。

――したのだが。

 何故か、布団がもぞもぞとした。誰かが、潜り込んでいる。レヴェナやディートとは違う、豊かな膨らみが左手に当たった。続いて、誰かが自分の上に寝てきた。
目は、開けられなかった。どういう状況なのかを確認するだけでも、まずい気がした。頭では理解しているからこそ、余計に確認したくなかった。
どうして自分が、こんな事になっているのだろうか。彼女達が、何故自分の傍にいる。ディートと、スタトナが、何故自分にひっつく。
 ディートにいたっては覆い被さるような態勢になっているのが、身体の感触から分かる。肌に、彼女の吐息が掛かる。熱さが伝わる。理性が飛びかけるのを抑える。目が、開いていく。
ディートの薄着が、目に入った。彼女が声を上げようとするのを、唇で塞いだ。視線が、入れ違う。ゆっくりと唇を離した。

 「……何をするのか分かってるのかい?」

 「お酒、飲んでるとは言っても……自分がしていることは、分かってる」

 足が、絡みついてくる。女の匂いが漂う。

 「一夜限りの男になるかもしれないよ、僕は。……レヴェナが、そういう事を気にするとは思えないけど、君は良いのかい?」

 「それは……君の隣にいる、スタトナも含めて承知してる」

 そういうことか、と納得させられる。全て知った上で、良いといっているのか。
ちょっとだけ、自分の立場を考える。多分、途中でレヴェナが起きてくるのは間違いない。暴力はないだろうが、自分の体力の方を心配した方がいいのかもしれない。
 その前に、身体がディートを抱き寄せた。スタトナが、より身体をくっつけてくる。全てが、真っ白になる。
明日が、どうなるかは知らなかった。どうでもよかった。明日は、明日だ。






 次の日の朝は、身体が疲れきっていた。ここまで疲れきったのは久々だった。バラバラになった布団や、衣服を整える。
三人とも、心地良さそうな寝顔で寝ていた。起こさないようにして、ゆっくりと布団から抜けだしていく。どうせ明日も暇なのだから、気にすることはない。
 窓を開ければ、空は気持ちが良いぐらい晴れていた。

 「快晴、快晴」

 自分がしたことには、後悔はしていない。後悔なんてする暇はない。
これから先が余計に忙しくなるのだから、している暇などない。

 「ま、良いけどさ」

 だんだんと、自分から面倒事をもらっていっているような気がしたが、別に嫌なことではなかった。最初は、あれほど嫌っていた面倒事を、今は好ましくすら思える。
料理は、また作らなければならない。三人とも、まだ家にいるのだから、きちっと面倒は見なければならないのだ。
 三人の寝顔を、またちらっと見る。どこまでも幸せそうな寝顔が、瞳に入る。気がつけば、また自分は頬を緩ませて、微笑んでいた。



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最終更新:2010年11月23日 00:29
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