Behind 6-1 : 不燃物

(投稿者:怨是)


 雨の降り注ぐ闇夜に、泥の中から指輪を探し当てる事は難しい。
 人は、決定的な瞬間を知覚する前に見逃してしまう。そして、後から決定的な、例えば隣人の人生の岐路となる出来事があった事を知るのだ。それも、多くの場合は手遅れになってしまった後に。
 世界中に自分の目があったなら。世界中の何処にでも、一秒で辿り着けたなら、そこに居合わせる事が出来たというのに。自分の身体は一つしかない。目は二つ。腕も二本。手の指もたったの十本しか、この身体には無い。

 二つの場所に、同時に存在する事など不可能だ。
 故に我々当事者達は、二つ以上の視野も持つ事は出来はしないのだ。
 この世界は映画ではない。幾度となく我々が非力である事を示唆してくる、現実という名の煉獄だ。

 望んだ巡り合いよりも、望まぬ邂逅の方が遥かに多い。

(獄中日記と思われる記述。筆者不明)



 ――1945年8月12日、夕刻。
 帝都ニーベルンゲ、ニトラスブルク区にて。

「どうして、こんな事に……!」

 プロミナは護送車のドアを蹴破って、路上へ転がった。
 己の不幸を幾ら呪っても呪い切れない。軍法会議の出席の為に車で護送されていた所を突如、運転手が何者からか狙撃を受け、乗組員は即死した。タイヤは全て撃ち抜かれて動かない。運転手が律儀に信号を守って停車したせいで事故も起きず、そしてまたこの時間帯は皆、仕事に打ち込んでいる為に誰も気付かない。残されたのは、プロミナのみだった。

「――!」

 狙撃手が潜んでいるであろうビルを背にして、プロミナは全力で路地裏へと走った。止まれば確実に殺される。足元の石畳を何度も、弾丸が抉った。死んでやるものか。終いには、半ば転ぶようにして路地裏へと滑り込んだ。
 もう、ここまで来れば大丈夫だ。

 それにしても、狙撃をしてきたのは誰だったのだろうか。プロミナは建物の壁にもたれながら逡巡する。
 例の火災の一件以来、プロミナはありとあらゆる仲間から信用を失った。敵が誰であっても可笑しくはない。宰相派であれば優秀な狙撃手を数多く揃えている。皇帝派なら、アースラウグに近付き過ぎたという動機もある。誰だ。誰が撃って来た? 候補が多すぎて混乱する思考を、プロミナは一度断ち切った。
 体力が回復したので、まずは走って路地の向こう側へと行かねば。いつまでも考え込んでいては、いずれ追い付かれるだろう。敵が誰であろうと、命を狙われている事には変わりはないのだ。

 角を曲がると、建物の隙間から差し込む西日に網膜が焼けそうになる。一週間も薄暗い場所で過ごしているせいで、強い光を受け入れられない身体になってしまっていた。
 ――もしかしたら、この奥にも敵が居るかもしれない。
 プロミナは注意深く、歩みを進めた。いざとなったら、両腕に宿る炎の力で切り抜けてやる。

 ふと、何者かの気配が逆光の中で目に留まった。路地裏に集積されたがらくたに紛れて最初は判らなかったが、目が慣れてきた為にようやく見抜けるようになったのだ。果たしてそれは、ゴミに座る一人の中年だった。

「畜生め、このライターもそろそろオシャカか……」

 赤いハットの、恰幅の良い中年が、髭に囲まれた口に煙草を咥え、ライターの火打石を何度も回している。この場所には決して似合わない、妙に派手な服装は、しみや汚れに(まみ)れてすっかりくたびれている。思わずまじまじと見つめてしまったプロミナに気付いたのか、中年は遠慮がちにこちらを一瞥し、またライターを着火する試みへと戻った。

「お嬢さん、こんな所にまで来てどうしたよ」

「……」

 突然、声を掛けられて、プロミナは返答を迷った。影の集まるこの場所に溶け込むかのように、この中年も同じく黄昏を体現する程の闇を、その面持ちから溢れさせている。それが、プロミナを躊躇わせた。

「こんな乞食まがいの男だが、聞かせちゃくれねぇか。お嬢さんからは、ワケ有りの香りがするぜ」

「やっぱり、判りますか」

「当たり前ェよ。俺も長く生きてる。それくらいは嗅ぎ取れるもんさ」

「実は、追っ手から逃げてる最中で……詳しくは云えないというか、私自身、何がどうなって、どうしてこうなってしまったのかも、よく解らないんです。こんな筈じゃなかったのに……」

 訓練を終えて数ヶ月、やっと戦闘にも慣れ、仲の良い友人も増えて来た矢先での軍法会議送りだ。しかもMAIDであって、軍人ではない。どのような処分が下るかも全く知らされていないのだ。このまま死んでしまうのだろうか。嫌な未来しか想像できない。黒旗にだけ疎まれているのならまだ良かった。が、現実はそれを超えていた。味方である筈の皇室親衛隊までもが、プロミナを疑って掛かってきた。
 思い返して、プロミナは俯いた。

「そうか……辛ぇよな。まだ若いってのに、こんな薄汚い道を通らなきゃいけないなんてよ」

 座り込むプロミナの頭を、中年は撫でてくれた。煤けた手だったが、悪い気分ではない。少しだけ心に余裕の生まれたプロミナは逆に、この中年がこうしてがらくたに腰掛けるに至ったいきさつを知りたくなった。

「……おじさまは?」

 中年は煙草の火を点ける事を諦め、ライターを後生大事に懐へと仕舞いながら、ゆっくりと口を開く。

「俺は、仕事を追われちまってな。挙句、俺が今まで用意してきたあらゆる機材を、何から何まで全部取られちまった。部下もどんどん離れて行って、女房にゃあ愛想尽かされて……どれもこれも、ストレイドッグス・カンパニーなんていう会社のせいだ……あいつらが俺の会社を買収さえしなけりゃ、今頃、俺だって……」

 そこまで語ると中年は、はっとした表情になり、それからすぐにばつの悪そうな苦笑を浮かべた。

「すまんな、お嬢さん。歳をとるとどうにも愚痴ばかり増えちまって駄目だ。ところで、火は、持ってないよな……見たところ、水商売をやってるように見えるがよ」

 派手な出で立ちは確かに、水商売をしている風に見えても仕方が無いだろう。敢えて反論はしない。誤魔化す事もまた、生きる上では必要だ。地面に落ちていた丁度良い大きさの小石を二つ拾い上げ、それを互いに打ち付けて着火する。

「火ならここにあります。どうぞ、使ってください」

 そう云ってプロミナは、中年の煙草に火を点けた。中年は煙を一度だけ吐き出し、満足げな笑みを浮かべる。

「素敵な手品だ。夢がある。手品師に転職しな。きっと一躍大スターだぜ」

 ――手品、か。
 内心、複雑だ。火力を調整すれば、この炎は何もかもを焼き尽くす地獄の業火と化す。煙草に火を点ける程度の火力に加減する事など、今まで一度とて無かった。今の感情を何と形容するべきなのだろうか。

「でも、これのせいで私は……この力さえ無ければ、こんな事には……」

「悲しい事を云うんじゃねぇよ。こうして、俺の煙草に火を点けてくれた。お嬢さんは、俺を助けてくれた。その事実は、俺とお嬢さんの間で決して消える事ァ無ぇ。最後にこんな幸せが舞い込んで来るとは夢にも思わなかった。あぁ、俺は幸せもんなんだな。結局のところは、きっと」

 たった一人とはいえ、守るべき国民の幸せに貢献出来た事実を喜ぶべきなのか。常日頃からこういった日常の場面でもっと発揮すれば良かったと悔やむべきなのか。

「……ありがとうよ、お嬢さん。何があったかは知らねぇが、達者でな」

 ただ一つ云える事は、この中年との会話はもうここで終えねばならないという事だ。中年は“最後に”と云っていたが、プロミナはその言葉の意味を考えないようにした。でなければ、もしかしたら中年の未練を消してしまったかもしれないなどという声が、もう一人の自分の声が、何度も囁いてくるような気がするからだ。あの中年は或いは、“最期に”と云っていたかもしれなかった。
 それは嫌だ。それだけは嫌だ。だから、プロミナはまた走った。

 車が一台、表通りに停まっている。フォルクスワーゲンと分類される、ただの一般的な乗用車だが、車の中から放たれる気配は殺気に溢れ返っていた。急に動き出した車から咄嗟に逃げ切れず、プロミナは呆気に取られたまま、車に行く手を阻まれた。窓から拳銃を向けられる。

「やっと見つけたぞ、怪物め。お縄に付きやがれ」

 運転手は、黒旗の制服を身に付けている。“つまりはそういう事か”と、訳も解らずプロミナは己の感情を強引に納得させる他に選択肢が見当たらなかった。

「黒旗……まだ諦めてなかったのね」

「ついさっき、お前は正式に削除される事が決まったのさ。お前の今までの一切の経歴は抹消され、この世に存在すらしなかった事になる。まぁ大人しくしょっぴかれてくれれば、能力を封印して、別のMAIDとして登録してもらえるらしいがね」

 馬鹿げている。こんな能力の為に、ご丁寧に狙撃までした挙句、街中をこうして追い掛け回すなど。怒りが込み上げ、止まらなかった。

「何故、どうして! そんな事をして何になる!」

「“制御しきれなくなった”と上が判断したんだ。G-GHQからの許可は得ている。それともこれから毎日、家を焼きでもするか?」

「あれは事故であって、本当は……!」

「プロトファスマを倒す為、ってか。口実にもならんね」

 身を屈め、先程拾った小石を地面に強く擦り付ける。火花が飛び散り、小石は炎に包まれた。これを車に叩き込めば、恐れをなして逃げてくれるだろうか。

「車ごと燃やすつもりか! その前に風穴を開けてやる!」

 ボンネットに押し付けようと振り被った所で、小石は銃弾に弾き飛ばされた。更に一発、腕を掠めた。続けて一発、二発と放たれた銃弾を、左右に避け、車に肉薄する。運転手の拳銃を掴んだと同時に、暴発した弾がプロミナの髪を数本、撃ち落した。一瞬、気が遠くなりかけたが、プロミナはどうにか意識を集束させ、拳銃をもう一度押さえる。
 拳銃を奪わせまいとして、運転手がアクセルを踏む。身体が何度も揺られ、くるぶしが地面に捻られる。……やらせてなるものか。

「この!」

 車のドアに両足を押し付け、運転手の拳銃をついに奪ったプロミナは、そのままありったけの銃弾を車内に叩き込んだ。五秒と経たずに拳銃は弾切れになった。

「ちくしょう、ちくしょう……」

 運転手は身体の至る所に銃弾を撃ち込まれ、息も絶え絶えになっている。返り血が生温い。恐怖の余り、プロミナはまだ硝煙の立ち上る拳銃を、車の中へと投げ入れた。

「銃なんて向けるからいけないんだ、私は、銃さえ向けられなければ殺すつもりは無かったのに……!」

「地獄で炎の化学式でも勉強しな……俺が、講師になってやらぁ……」

 黒旗姿の運転手が、何か怨み言めいた事をこちらに投げかけて来たのは聞こえた。が、それは殆ど頭に入って来なかった。

「嘘だ、こんなの……」

 殺すつもりは無かった。が、こうして致命傷を与えてしまった。もしも手元に蜻蛉があったなら、喉元に突き付けて両手を挙げさせる事も出来た。彼が炎を恐怖してくれる程度に臆病であったなら、或いは逃げてくれさえしたかもしれない。が、相手が悪すぎた。この男は間も無く事切れる。この男はプロトファスマでもGでもない。ただの、人間だ。
 ――私は、人を殺してしまったのか。

「居たぞ! あそこだ!」

「あのアマ、ラクスウェル少尉を殺りやがった!」

「奥さんも可哀相に。これで未亡人の仲間入りか」

 罪の意識に堪えかねて呆然と立ち尽くす暇も、黒旗は与えてはくれなかった。他の追っ手達が次々と曲がり角の向こうからやってくる。彼らは、消防士の様な――ただし消防士とは違い、頭から足先まで漆黒に彩られていた――出で立ちだった。恐らくはこちらの能力を警戒しての装備だろう。こちらが炎を放とうと構えても、物怖じせずに駆け寄って来る。
 プロミナは殆ど無意識に水道と直結した消火栓を沸騰、爆発させて周囲に膨大な量の蒸気を発生させ、別の路地へと逃げた。
 黒旗兵は蒸気の向こうで、口々に何かを喚いている。

「弔い合戦だ。ぶち殺せ!」

「背中にも気を付けろよ。いつ親衛隊連中の憲兵が遣ってくるか」

「それにしても、何処へ消えたんです?」

 振り向かずに走り続けた。が、幾ら息を切らせて走ろうと、距離が縮まらないのは何故だろうか。無造作に積み上げられたパイプに足を引っ掛けて転んだ頃には、既に追い付かれてしまっていた。

「此処か」

 声に怯えて顔を上げると、黒旗兵の一人と目が合った。憐憫や侮蔑をない交ぜにした様な、冷ややかな視線で彼は見つめてきた。

「あ……」

「こちら審判24号。標的は14番街道裏。繰り返す、標的は14番街道裏だ。路地の出入り口を全て塞げ」

 こちらに拳銃を向けながら、審判24号と名乗った兵士はあくまで冷徹に通信機で報告する。云い終える前に、プロミナは身体を起こして鉄パイプを持ち上げ、放り投げる。当たりはしなかったが、隙は作った。更にもう一本、握り締めながら逃げる。

「何処へ行くつもりだ」

 銃弾が、プロミナの青いヘッドドレスを撃ち落した。振り向けば、数十メートル後ろに審判24号、そして黒の防火服に身を包んだ黒旗兵が路地に連なっていた。

「投降しろ。今ならまだ間に合う。犠牲は出たが、国民は心を痛めんだろう。我々個人の感情はともかく、な……」

 既に何度も銃弾を浴びせて来た癖に、何を今更。それに黒旗の構成員の感情など、知った事か。あんな組織に加担する方が悪いのだ。プロミナは怒りに任せて壁を殴り、そのままマッチの要領で拳を擦って右腕に炎を灯した。

「……ここまで来たら、私は戦う他に道は無いでしょ?」

「やめろ、これ以上は誰からも赦されないぞ」

 知った事か。彼らに元から赦すつもりなど無いという事は、先程の運転手の口ぶりからよく知っている。それに、既に誰からも赦されない身分になってしまっているではないか。

「焼け死ね、黒旗!」

 右腕の炎を力一杯に放つ。自分を不幸に導いたこの力が憎く、またこの力が無くては戦えない自分が呪わしい。故に、己の力を仲間達に印象付ける為に叫んでいた技の名前も、今回は云わなかった。
 かくして、彼らは瞬く間に炎上した。

「お前の答えは……」

 審判24号が身体中を焦げさせながら声を振り絞ったが、最後まで云えずに炭化しきり、その場に崩れ落ちた。後ろからも声が聞こえる。

「耐火装備ごと焼き切った、だと……! 総員、後退だ! 奴の火炎の射程外から射殺するぞ!」

「了解!」

 折角、誰かを殺してまで生き長らえて来たのだから、ここで終わる訳には行かない。もしもこんな場所で死んでしまったら『自分が間違っている』と宣言してしまう気がしてならないのだ。殺戮に殺戮を重ねてどす黒く変色しつつある心を無視して、左手に握った鉄パイプを壁に当てて火花を散らしながら走る。

「撃たれる前に、こっちから――!」

 十字路に差し掛かった所で、行く手を阻む黒旗兵らに次々と炎を放った。倒れた黒旗兵を踏み越えて、路地を抜ける。討ち洩らした黒旗兵が何か叫んでいる。

「これじゃあ誰が誰だかも判らない! やられたのは時計隊と長靴隊か?!」

 彼の叫び声を無視して、公園らしき場所へと出た。
 街灯が辺りを照らしており、更には都合の悪い事に敵側にとって格好の隠れ場が多数存在する。歩道は明るいが、木々の裏は暗がりだ。取り囲まれている事を即座に察知したプロミナは、最大火力で周辺に火炎をばら撒く。闇と草むらに紛れた黒旗兵が次々と火達磨になって逃げ出す。植物に罪は無いが、躊躇えば死ぬ。

「危害範囲があまりに広すぎる。何処で鍛えた?」

 炎を免れた黒旗兵の一人が呟いた。よくよく目を凝らせば、防炎トーチカと呼ばれる壁が、焼け落ちた樹木の所々に設置されているのが見えた。いつの間にこんな大層な代物を設置したのか。ルージア大陸戦争の頃の骨董品でGには全く役に立たないと教わったが、よくも保管して置けたものだ。

ラセス、準備は出来ているな。奴の力も無尽蔵ではない筈だ。やれ」

「御意。状況、開始」

 トーチカの陰から、MAIDが躍り出る。以前出会った、エーアリヒと名乗るMAIDと同じ服装だ。画一主義を形にしたかの様な、無味乾燥じみた出で立ちを、プロミナはどうにも好かない。エーアリヒに散々な目に遭わされた所為なのか、見てくれが威圧的だからなのかは判然としないが、見ただけで背筋に冷や水を浴びせられた錯覚に陥る。
 ラセスと呼ばれたそのMAIDもまた、服装の雰囲気に違わず、目を合わせただけで縮み上がる様な、獰猛な形相で歩み寄って来る。装備は旧式の機関銃を改修したと思しき小銃と、機動隊が使っている盾に二本の杭を付けたものだけだ。それでも尚、全身より滲み出る殺気が、それで充分だと物語っている。

「総員、ラセスを援護しろ」

「了解!」

 銃声を皮切りに、雨の如く弾幕が押し寄せる。頼れる遮蔽物も、こちら側には存在しない。右に動けば足元に無数の穴が開き、左に動けばドレスの裾がぼろぼろに擦り切れた。何発か腕にも命中し、プロミナは激痛に顔を歪める。傷口が夜風に触れた。

「んぐ……ふッ、うぅ……!」

 意味を伴った言葉も発せない。出鱈目な方向に炎を飛ばして牽制するがトーチカに遮られ、さしたる効果も得られない。心臓の音だけが徐々に聴覚を圧迫し始める。プロミナは何度もトーチカの向こうへ突撃を試みるも、後ろのラセスが放った7.65ミリの小銃弾がそれを確実に邪魔して来る。
 飛来する手榴弾に銃弾が命中し、プロミナは吹き飛ばされた。任意のタイミングで爆発させたのだろうと即座に判断したプロミナは、スローモーションになった視界の中でこちらに向かう銃弾を捉えた。落下中を狙って撃ち殺すつもりならば。プロミナはその銃弾に炎を放ち、推進力を打ち消した。高温で融解した銃弾はただの液体と化し、地面へと落ちる。

「――がッ」

 受身を取り切れず、左肩を強打する形でプロミナは地に転げた。傷口に砂利が擦れ、焼ける様に痛い。目尻に涙が浮かぶ。嫌だ、死にたくない、寒い、誰か。思考が分解し始める。
 上から空気の圧迫される気配を感じ、プロミナは横たわったまま転がる。すぐ横で、ラセスが盾を地面に突き刺した。寸での所で回避されたラセスはもう一度、盾の先に付いている杭で突き刺そうとしてくる。正確には、二本の杭の間にプロミナの首を挟もうとしてくる。冗談ではない。あの勢いで盾の先端に挟まれようものなら、あっという間に首が胴体から切り離されてしまうではないか。
 精一杯の抵抗で、プロミナは足元から炎の柱を発生させるが、柱の上端から盾を押し付けられ、上手く柱を立てられなかった。それでも、その隙に体勢を立て直せたのは幸いと見るべきか。

「こんな所で、負ける訳には行かない……! 私は絶対に生き延びる、生き延びて無実を証明する!」

 片腕を押さえながらの渾身の叫びに、誰も応答しなかった。代わりに、再び弾幕の魔の手が伸びる。プロミナは炎の壁を所々に作りながらそれを回避した。炎の壁は本来、一直線に向かってくるGを食い止めるという用途に用いていたが、なるほど。こういう使い方も出来るのかと、プロミナは己の能力に我ながら感心した。この炎と、それを使う自分が禍根を招いたとはいえ、やはり、これが無くては生きて行けないものだ。

「あんた達の銃弾は封じた。力尽きる前に、立ち向かってやる!」

 灼熱の壁を、己に纏った熱量で強引に突破し、再度、炎の壁を前方に構築する。こうすれば、後ろから弾が来ない限りは銃弾を無効化出来る。勝利への道が漸く見えて来た。流血の止まらない片腕を押さえながら、確実に彼我の距離を詰めて行く。ラセスもこれでは手出し出来まい。
 一つ目のトーチカを乗り越えた。トーチカの裏に潜んでいた防火服姿の黒旗兵達を睨む。震える手で銃をこちらに向け、しきりに引き金を引いているが、響くのは空しい金属音だけだ。彼らは弾切れだった。しめた。プロミナは兵士の胸倉を掴み、トーチカに思い切り擦り付ける。バチンと弾けるような音と共に兵士は赤熱し、業炎に身を焼かれ、やがては動かなくなった。もう一人の兵士も炎の柱を足元から発生させ、そのまま炭にした。叫び声は敢えて無視した。
 もはや躊躇する理由などあるものか。所詮、解り合えない。彼らにとって、プロミナという存在が始末に終えない猛獣程度としか思われていないのならば、せいぜいこちらも猛獣らしく暴れてやろう。

「頼むから、少しだけ休ませてね……」

 これだけ一遍に力を使えば、枯渇するのも早い。必要な時に使えなくては意味が無い。プロミナはトーチカに隠れ、呼吸を整えた。数秒の静寂は、手榴弾によって破られる。手榴弾の爆発は焼けて脆くなった樹木に命中し、計算し尽くされた角度でこちらへ倒れ込んで来た。プロミナからすれば、彼らの狙いの正確さこそ化け物じみている。
 プロミナは舌打ちし、倒れる樹木の反対側へと走った。一人ずつ確実に潰して行くべきか。それとも、何処かへ誘き寄せて纏めて焼き払うべきか。樹木の裏側に隠れながら、プロミナは作戦を練った。正直、難しい事を考えるのは得意分野ではない。改めて、戦略、戦術を立案する者らがどれだけ貴重であるかを実感させられる。戦場は決して、たった独りでは成り立たないのだ。
 思い返せば彼ら黒旗は、話に聞いていた印象とは随分と異なるものだ。彼らは明らかに統率の取れた動き、そして狡猾とも云える立ち回りで執拗に追い回して来る。前以て防火服やトーチカを調達する程の用意周到さといい、突発的な衝動でMAIDを殺す様な集団とは程遠い。こちらを知り尽くしているのではないかとさえ思わせる。
 そこまで考えて、プロミナは急に身体の芯が冷え込んだ。まさか、この公園へ来る事も予め作戦の範疇に入っていたという事か。そうでなければあんなトーチカなど早々置けたものではない。自分一人だけが、上手く逃げおおせていると思っていただけではないか。よしんばここを突破したとて、次の障害が待ち構えているだろう。増して、元皇室親衛隊も黒旗にはまだ多数潜んでいるのだから、土地勘もある。製造からそれほど月日を経ていない自分とは違い、彼らはここの地形を熟知している筈だ。

「だとしたら……何処へ行けば助かるというの」

 考えれば考える程、絶望的な状況が浮き彫りになってくる。
 だから嫌なのだ。常日頃から、敢えて後ろ向きな感情を掻き消してきた。何故なら、後ろ向きになれば、その感情に押しつぶされてしまいそうになるからだ。仲間の誰かがそんな自分を『能天気だ』と評していたが、能天気になればこそ、今までの戦場は乗り切って来れた。相手がGであれば、余計な事を考える必要も無い。だがこの戦場は何もかもが違う。相手は人間だ。幾ら必死に正当化しようとも、その事実は覆し様が無い。

 足音が迫って来る。もう、時間が無い。プロミナは木々を縫う様にして、銃撃を潜り抜けた。少しずつ、少しずつ、コア・エネルギーの回復を待ちながら。時折、銃弾が木を貫通してプロミナの肉体を掠めた。そこに混じって、回転鋸の刃も飛んで来る。人間の力では凡そ考えられない衝撃を伴って、刃が樹木を両断した。恐らくラセスが投げているのだろう。

「まだ隠し持っていたなんて――!」

 あんな物に当たれば、それこそ掠り傷程度では済まされない。良くて裂傷、最悪の場合は後ろで倒れた樹木の様に、真っ二つにされる。炎の壁を最大出力で形成し、時間稼ぎをするも、斜め上から刃が向かって来た。馬鹿げている。彼女は木を伝って来たとでも云うのか。
 針のような殺気に驚いて振り向けば、数十メートルもしない距離にラセスは居た。(はや)い。相変わらず蛇を喰らう猛禽類の如く両目を見開き、こちらを見据えている。彼女は盾を構えながらも、その事による表面積の増大を物ともせずに走っていた。盾の裏から銀色に光る何かを取り出している。プロミナは咄嗟に炎の壁を作ったが、ラセスは盾の一振りでそれを完全に振り払った。そんな馬鹿な話があってたまるものか。冷水どころか分厚い氷塊すら一瞬で蒸発させる熱量を持った火炎をこうも簡単に掻き消されては、いよいよ立つ瀬が無くなってしまう。
 ふざけるな。やはり化け物は寧ろ彼らの方ではないか。

「――去ね」

 刃が空気を切り裂いて迫る。プロミナはコンマ数秒の感覚で、炎の柱を斜めに形成した。勢い良く吹き出る柱に推進力を削がれた刃は、赤熱しながら柱の直ぐ近くに落ち、そのまま地面に刺さりもしなかった。
 ラセスは表情ひとつ変えずに、次の刃を投擲して来る。今度は直線ではなく、緩やかなカーブを描いている。これはどう受け止めたものか。薄暗いせいで、軌道が予測出来ない。プロミナは前転してそれをやり過ごした。前転する途中で、苦し紛れに炎の柱を出そうとした瞬間、脇腹を銃弾が貫通した。

「あッ……――!」

 片膝も撃ち抜かれ、プロミナはうつ伏せに倒れた。身動きが取れない。視界の外で、足音が次々と鼓膜を脅かす。喉を逆流する血液が、口の端から垂れた。鼓動と耳鳴りとが、聴覚を支配する。体温が徐々に下がって行くのが、手足が痺れて行くのが、明確に感じ取れる。

 『もしも人を殺すような戦場でその能力を使うとしたらという事を考えろ! お前の意思など、戦場は汲もうとはしない! 殺さざるを得ない状況になれば、お前は迷わずそれを使う事になる! その意味がお前には――』

 エーアリヒの放った言葉だったか。まさか死ぬ間際になって一番最初に彼女の言葉が脳裏をよぎるとは思わなかった。“人を殺すような戦場”とは、この戦場を指していたのだろうか。なるほど、逃げたくても逃げられないし、望まざるとも戦場は勝手にあちらから遣って来た。死にたくないから、能力を使った。そうして沢山の敵を焼き殺した。
 結局、何故自分がこの力を使えるのかも解らず終いだ。そしてまた、普通の炎と具体的にはどの様に異なるかも。普通の炎より断然熱い、推力を持つ、燃焼範囲をある程度自由に操れる。それと、今日解った事で、不燃性物質もある程度無視出来る。それくらいか。

 アースラウグともっと話がしたかった。今頃、親衛隊ではプロミナが脱走したと騒ぎになっているのだろうか。彼女は無事を案じて駆け付けてくれるだろうか。それとも、一夜にして大量殺人鬼となった事を嘆き、憎んでしまうのだろうか。
 いずれにせよ、それを知る術は自分にはもう無い。もうじき、自分はここから居なくなる。間も無く、黒旗の誰かが額なり何なりを撃ち抜いて、そこで全てが終わる。

 何だか、眠い。瞼が重い。自分は精一杯頑張ったではないか。これだけ死体の山を築き上げ、公園の緑を焼いてしまえば、世間はきっと大騒ぎだ。自分が生きた証をこの様な形で残すのは不本意だが、黒旗が少しでも減らせたなら充分な社会的貢献になる。帝国でここまで黒焦げの焼死体を出せるのは、自分を置いて他に居るまい。誰か一人でもいい。惜しんでくれ。能天気で、無鉄砲で、ただ、ただ、前に進む事しか考えていない様に見えた、酷く騒がしかったMAIDを。

 ……その時だった。
 一陣の風が、髪を撫でた。周囲の殺気が、濃密な死の気配が、一気に消え失せた。

「寄って集ってレディを甚振(いたぶ)るのは感心しないな、黒旗の紳士諸君」

 背中が温かい。この声の主は誰だ。視界がぼやけてよく見えない。自分は助かったのだろうか。プロミナは己の置かれた状況を、懸命に探った。

「君は確か、ルフトヴァッフェの……。国境を無視して戦場に割って入る行為も、あまり行儀が良いとは云い難いが。そんな事をして大丈夫か?」

「元より不正規戦闘だろう? 大丈夫だ。問題ない」

 悠然とした表情の、小柄な金髪の少女に抱きかかえられている。少女の背中からは、轟々と燃え盛る翼が広がっている。

「あ、貴女は……?」

 プロミナは恐る恐る、少女に尋ねた。こちらの意識の回復に気付いたらしい少女は、表情を和らげる。その仕草からは、敵意は微塵も感じられなかった。プロミナは救世主の到来を確信した。あと少しで崩壊すると思っていたプロミナの世界を、彼女は救ってくれる。プロミナはやっと、孤独から解放されたのだ。

「ルフトヴァッフェ、赤の部隊隊長のシーアだ。君を導いてみせよう」


最終更新:2011年02月05日 11:51
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