(迅鯨)
むせ返るような熱気。割れんばかりの歓声、怒声、悲鳴、咆哮、熱狂、絶叫。
肉のはぜる音、骨のきしる響き。ぶつかり、砕け、ねじれ、叩きつけられ、血と汚物を撒き散らす。
それらは渾然一体となって空間を震わし満たすいわばカリギュラ。
その只中に
レゲンダは居た。
高々と振り上げた彼女の拳はすでに潰れていた。しかしそれに構わず、最後の一撃を目指してひたすら骨肉を割り砕いていて
尚も進む。
その凄惨な闘争劇につめかけた群衆の熱狂はいよいよ昂まっていく。
観客席に並ぶ人間には白人もいれば、東洋人もいて人種は様々だ。そして飛び交う言語も楼蘭語、華国の諸言語、瑛語、ヴォ
ストラビア語と一様ではない。
レゲンダの相手はもはや虫の息で、意識があるかどうかすらも疑わしい。相手も彼女と同じMAIDでありそう簡単には死な
ない。つまりそれだけ苦痛が長続きすると言うことだが、それにもついに終わりが訪れようとしていた。
群集は両の手を振り上げ、親指で地を指し示し、雑多な言語で叫んだ。
言葉は違えどその意味するところは一つ。
『かの者を殺せ』
観客の望みに、レゲンダは相手の上に馬乗りになったまま、もの狂おしげな咆哮で応じた。
彼女の右手はとうに砕けていたが、それでも尚、打ち付けられ、拳からは骨が飛び出している。その骨を相手の顔面に突き立
て、突き立てるうちにまた砕け、それでも尚突き立てた。
意識を失ったか、あるいは既に絶命したか、相手は防御力場を張ることすらも出来ないでいる。そしてレゲンダの拳が、彼女
の頭蓋を間抜けなほどの快音を立てて粉砕した。
場内は一斉に奮えたち、もはや便所紙程の価値も無くなった賭博チケットが宙を舞った。
そしてリングの隅で控えていた司会者がレゲンダに駆け寄り、まだかろうじて形を保っている彼女の左手を取り上げ勝利を讃
えた。
快哉を叫ぶ者もいれば、怒号する者もいた。そうかと思えば萎み行くような嘆息を漏らす者もいた。だがその嘆きはいずれも
レゲンダによって虐殺されたMAIDの死にではなく、彼女に賭けられた金銭に向けられるものが殆どである。
野次や罵声とともにゴミくずが飛び交い、賞賛や狂気とともに万来の拍手が降り注ぐ。
文無しとなってヤケを起こした観客が喧騒に新たな調べとなって加わり、それも束の間ガラの悪そうな用心棒に殴り倒され、
何処かへ運ばれていく。
その猥雑極まる喧騒をレゲンダは胸を吹き抜けるような心地よさで浴びていた。
身をさいなんだ苦痛も、たぎりにたぎって胸奥に渦巻いた興奮も、暴力的な悦楽も、潮のように引いていき、死闘の余韻が次
第に清々しい爽快感へと昇華されていくようである。
戦場に身を置いていたときからずっとそうだった。今もそうだし、きっとこれからもそうだろう。
長きに渡って続いたGと人類の生存闘争。それは人類にしてみれば空前絶後の災厄であり、これにより世界人口の7割が死滅
したという。
だがそのアバドンにもついに終息は訪れた。しかしそれは人類側の、革新的な戦術や、究極的な新兵器によって成されたもの
ではない。疫病や大飢饉など、史上なんどなく人類を襲った災厄がそうであったように、G禍もまた、ある時期を境にしてひ
とりでに終息に向かっていったのだ。
地を圧して進んだワモンの群も、空を埋め尽くす雲霞の如き
フライの群も、もはやこの惑星上には存在しない。
かくして195X年。対G戦役を主導していた国際対G連合統合司令部は、Gの活動が世界的レベルで終息したことを正式に宣言し
解散。人類の存亡をかけた闘争に一応の終止符が打たれた。
人々の間には依然として何処かにまだGが潜んでいるのではないか、という不安はくすぶり続けていたが、それも次第に下火
となっていった。
だがそれは人々が安寧を享受したからというわけではない。それは既に去ってしまったGに怯えるよりも、その闘争によって
荒廃しつくした世界を生き延びるのに必死で、そんなことを心配してるどころでは無くなったからだ。
いまや人の生命を脅かすのは、飢えや渇きであり、荒廃した社会そのものであった。G禍の最中にあっても食料やその他の生
活物資が行き渡らず、人々の生活は窮乏を極めていたが、それでも人類の存亡という一大事にあっては結束して耐えることも
できた。
だがその終息によってこれまでの緊張が一気に途切れてしまったかのように、社会は混乱し各国政府はそのガバナンスを大き
く後退させた。
その混乱を助長したのは、皮肉にもGに抗うためになされた努力の一切である。ひたすら膨張し続けた軍備はいまやまった
くの無用の長物となったいたが、G禍によってその管理は杜撰を極め、各国が戦後の混乱に翻弄される中で、その手を離れ各
地へ散逸していった。
しかも散逸したのは兵器だけではない。それを扱う人間も流失した。
一向に進まない復員や、戦災によって帰る国を失った兵士達が、現地の紛争に巻き込まれ、日々の糧を得るためにやむなく傭
兵となるか、あるいは武装難民となって略奪を始めたのである。
そうして流出した暴力の中には、かつては人類にとってパンドラの箱に残されていた最後の希望であったはずのMAIDです
らも例外ではなかった。
「いやぁさすがレゲンダちゃん!大したもんだぁ」
サビの利いた濁声でそう言いながら、その男はレゲンダの控え室に遠慮会釈もなくズカズカと上がりこんできた。
年のころは三十半ば。四角い顎に髭を垂らし、全体的に平べったい造りの顔をしている。色白で血色がよく頬は常に赤い。そ
の福々しい相貌はこの国の神仙の一柱に並んでいても違和感はないだろう。
控え室では試合を終えたレゲンダは、かかり付けの医師から傷の手当てを受けていたが、その男の顔を見るや、彼女も「チー!」
と親しげな表情を浮かべる。
チーと呼ばれたその男の名は志峰台(チ・フォンタイ)。この華人の男は、たった今行われていた闘妹(トウメイ)と呼ばれ
る興行を執り行っていた元締の
一人である。
闘妹とはG禍後、にわかに流行りだしたもので、有体に言えばMAID同士を戦わせる見世物だ。
表向きには非合法とされている闘妹だが、そこは無法がまかり通るこのご時世である。特にこの華国南部沿岸にある宇都の街
では、それが盛んでありそれを一目見ようと国中から、階層の上も下も無く様々な人間が集まってくる。
当然お上への根回しには余念が無く、それどころか袖の下をねじこまれた官憲が会場の外を警備しているくらいだ。
そんな闘妹を取り仕切る志峰台は言うまでも無く、宇都の暗黒街の住人であり、彼の手元には莫大な収益金が転がり込んでくる。
そして今のレゲンダはその志峰台に一年ほど前から食客として飼われている。食客と言うのは華国や楼蘭などに古くからある
風習でその土地の有力者が、有能な人間を客として遇し、その代わりに客はその恩義に報いるというものだ。
楼蘭では今となっては渡世人のあいだぐらいでしか行われてないが、社会に未だ守旧的なところを残してる華国では立身の手
立てとしてまま見られる。
かつてはヴォ連軍の元で各地を転戦したレゲンダも今となっては一介の無頼だ。彼女とて、何もすき好んでこのような境涯に
身をやつしたわけではない。しかし社会になんら身の係留をもたないMAIDではたつきの道も限られる。
軍に居れば贅沢こそ出来ないが衣食住にはことかかない。だがその軍も今となっては世界各国で各々の身の丈にあった軍備へ
と整理縮小が進められている。それはMAIDとて例外ではなく余剰戦力とされたものは解体されるか、モスボールされる定
めとなった。それをかんがみればレゲンダはまだツイてるほうだ。
そうした政府の方針に大人しく従うか、でなくば騙されるかして受け入れたMAIDもいれば、それに反発して行方をくらま
したMAIDも少なからず居た。
MAIDに関わった人間達の中には人情として、そうした命令には服しかねるという者もいて、脱走の手引きをしたいうこと
もあったし、行政機関にコネを持つ者ならそれを使って特例を認めさせ、自分のとこに囲い込んだ者も居ると聞く。
G禍の終息宣言がなされたとき、世界は災厄のくびきから放たれた喜びも束の間、それと気づかぬ間に新たな混迷の時代へと
突入していて、その混乱は彼女らMAIDたちも容赦なく巻き込んでいた。レゲンダもそうした世情に翻弄され各地を転々と
してるうちに華国へ至り、今の宇都に流れ着いた。
「んで具合はどうさ?」
志峰台は聞いた。レゲンダの手当てをしていた女医が、彼女に代わってそれに答える。
「右手だけで第二指から第五指までの基根骨及び、中節骨。四本の第二中主骨の粉砕骨折。あとはレントゲンをとって見なけ
れば詳しくはわからないけど、多分そこから先の手根にいたるまで亀裂が走っているだろうね。それに比べれば左手はまだ軽
いわ。この他に体の各所に裂傷三十四箇所、打撲多数……」
「で、なおるの?」
「軽傷ね。ツバでもつけときゃ十分よ。全治一ヶ月ってとこかしら。一応念のため検査するから、私の診療所に明日来るように」
女医はそっけなく答えた。随分と無茶苦茶なことを言ってるようだが、生身の人間であったならカタワとなって一生後遺症を
引きずりながら生きて行かなければならないような重傷も、MAIDの回復力ならばこの程度の傷はおおむねそれくらいで完
治してしまうのだ。
「そうかい。そいつぁ結構。終わったらもう帰っていいよ。支払いはいつも通りでいいかい?」
「ええ」
志峰台とそんなやり取りをしてるうちに、女医は職業的な手際のよさで処置を済ませていく。
「レゲンダちゃんもご苦労さん。相手をブッ殺しちまったのはチョット勿体無かったけど……」と、志峰台はぼやきながら懐
をまさぐり「お客さんも喜んでたからまぁいいや。吸うかい?」レゲンダの顔の前にタバコを差し出した。
「ふがー」
右手はギブスで固められ、左も人差し指と中指が折れてしまってタバコをつまめないレゲンダは、差し出されたタバコを口で
受け取り、志峰台に火をつけてもらった。
ゆっくりと深く息を吸い、ニコチンが肺腑の隅々にまで行き渡るまでたっぷりと吸ってから、それからゆっくりと紫煙を吐き
出す。こめかみにきつく締められていたネジが徐々に緩んでいくような軽い酩酊を、レゲンダはじっくりと味わった。
「はいおしまい」
そうしてレゲンダが一服喫し終える頃には、女医はすっかり自分の仕事を終え帰り支度を始めていた。
根元まですっかり吸い尽くしたレゲンダはタバコをその場に掃き捨て、足で揉み消すと、ウーンと一度、伸びをし比較的自由
に動かせる左手で前髪をかき上げた。
するとレゲンダの髪の生え際がずるりと後退し、腰まであった長い赤毛髪はするりと頭の上から取り払われ、その下から短く
カットされた栗毛頭が出てきた。レゲンダは手近なデスクの上にカツラを放り出し、その下で押さえられてぺたんこになって
いた髪をワシャワシャと荒っぽく手櫛でほぐした。
彼女がカツラを被っていたのはその長い赤毛がよく目立つからである。いまや日陰の道に生きるレゲンダにしてみれば、その
ような人目を引くような派手な外見はかえって不都合なのだ。
こういう生活をするようになってからレゲンダは鮮やかな赤毛も地味なブラウンに染めて、腰まで届く長い髪もばっさり切り
落としてしまった。
そのようにしたのは志峰台の入れ知恵だったが、もとより長い髪は切るのが面倒で、ほうって置くうちにあそこまで伸びてし
まったものでカットするのにそれほど抵抗感は無かった。
もうひとつ彼女の外見を際立たせている右の頬を顎に向かって斜めに走る向こう傷にも、普段はバンドエイドを張って隠してある。
彼女の顔立ちはこの国の人間ではないためどうしても誤魔化すには限度があるが、ここでは外国人はそれほど珍しくもないし
言語障害も言葉が通じないフリをして黙っていればだいたいは誤魔化せる。
そんな風にしてレゲンダはレゲンダなりに今のこの状況に適応して暮らすようになっていた。
「その腕じゃしばらくは何かと不便だろう。あした小間使いを一人よこしてやるから役立ててくんな」
そう言って世話を焼いてくれる志峰台は悪党かもしれないが、レゲンダにとっては親切な恩人である。そこまで面倒を見てく
れる志峰台にしてみれば、自身の配下にMAIDを抱え込むことは、暴力がなにかとモノを言う裏社会では強力なカードを所
有することでもあるし、彼の力を示すステータスにもなる。
で、あれば志峰台もレゲンダを下には置いておかない。今日にしたって、レゲンダが闘妹で勝ったおかげで志峰台の懐には相
当の金が転がり込んできたはずだ。レゲンダは今日の試合を含めて、六連勝になる。
同業者にはさぞかしうらめしいことだろう。子飼いのMAIDを壊されたものにとっては尚更である。
帰り支度を済ませてレゲンダが選手控え室を出る頃には、時刻は夜の10時を過ぎていた。
闘技場の中では昼も夜もわからないのだ。闘技場は戦時中に作られた地下倉庫を利用したもので、深さ60メートルの地中にあ
り、爆撃にも耐えうる頑丈な鉄筋コンクリート製で、元々はお偉いさん用の非難シェルターとして使われることも考慮してい
たらしく、Gの侵入に備えて瘴気を外へ逃す空調設備まで整った優良物件だ。
ここでなら数千人の観客を収容し、なおかつ激しい騒音をたてても外に漏れることは無い。
秘め事を働くにはうってつけ……と思っているのはどうやら、この設備を購入したマフィアの幹部達だけのようで、この街の
住人で警官や憲兵も含めてこの場所を知らぬものは居ない。だからと言って行政にはたっぷりと山吹色のアレを包んでいるの
で手入れがあることもないし、あったとしても形だけ。警察は共犯者なのだ。それどころかポリ公供ときたらそれだけじゃ飽
き足らず、アブク銭で懐を膨らました帰りの客を、賭博罪とか適当な罪状でしょっ引いては金を巻き上げている始末で、まっ
たく上から下まで小遣い稼ぎには余念が無い。
だったらこんな所でやらずとも、適当な広い場所で公然とやってもよさそうなものだが、どうやらそれはできないらしい。
なぜ出来ないのかはレゲンダにはさっぱり理解しかねるが、人間社会にはとかくそういう不可解な決まり事というのが多い。
これはG禍が終わって彼女が社会に出てから知ったことで、ヴォ連軍に居たときは気づきもしなかったことだ。しかし今にし
て思えばヴォ連軍にも、そういう公然の秘密のような悪事が小さなものから大きなものまでまかり通っていたように思う。
レゲンダに限らず、物心付いたときから軍に囲われて生きてきたMAIDというのは得てして世間知らずである。むしろこう
いう渡世をしてるレゲンダは(彼女自身は自覚してないが)まだ世間知があるほうだ。
闘技場の出口へと続く階段を上るにつれ、次第にむわっとするような湿気のにおいが強まってきた。外はどうやら雨のようだ。
最終更新:2011年04月07日 21:41