(投稿者:Cet)
ある晴れた昼のこと。
「傘ほしい」
私室にて、ソファに座る
ファイルヘンは呟く。
書棚の前に立っていた
クナーベは、本を棚に戻しながらに振り返る。
「また突然だな」
「何故か、ふとそう思いました」
ファイルヘンは、無垢な瞳でクナーベを見つめながら言った。
内心たじろぎながらも、クナーベは思惟をするようなしぐさに移る。
「分析してみたいところだけど」
「傘について?」
「まあそれもそうだけど……何故ファイルヘンが傘を欲しがったのかについて」
「さあ……」
窓の外に視線を移しながらに彼女は生返事をした。
普段の機敏さのようなものは、今の彼女からは感じられない。
「傘ね」
「傘、です」
「今日は非番である」
重要な宣言さながらに青年は言う。
窓へと投げかけていた視線を引き戻して、ファイルヘンは微笑んだ。
◇
商店の並ぶ街道へと続く街並みを、二人は歩いていく。
「雨の中で傘を投げ捨てることって素敵じゃないですか?」
不意に投げかけられた問いに、クナーベはげんなりとした顔を作る。
「今日の君の思考は広すぎる」
「暖かくて、非番なので」
ぼんやりとした調子で応えが返ってくる。
「濡れちゃうぜ」
「後のことはさておき」
二人は歩きながらに会話を交わす。
「後のことが問題にならざるを得ないならば、やはりそのことを素敵とは言い難いな」
「そうですか?
ならば、問題にならない状況を想定すれば」
「たとえば、傘を投げた瞬間に、傘を投げた本人が消滅すればいいかもね」
少女は足を停める。
「それです!」
続けざまに興奮気味な声があがる。
びくり、とクナーベは体を震わせた。
「びっくりした」
「その発想こそが望ましいと思います」
身を乗り出すかのような少女の気勢は、関数的に下降していく。
「消滅するのが良いの?」
二人の歩行が再開するとほとんど同時に、怪訝そうな問いが繰り出された。
「いえ、傘だけが宙に残る様が良いんです」
「へえ」
クナーベは空を見上げる。
初夏の気候に晒された空は霞んでいて、建物によって限定された空の隅には積乱雲の欠片が見える。
なおも二人は歩く。
「傘は人の為に作られたのに、人がいなくなってしまえば傘の意味が無いじゃないか」
「そう思ってるのは人だけですよ」
「そうかな」
「そうです」
二人は石畳の上を歩いていく。
そして、ありふれた青い傘を一つ買う。
最終更新:2011年06月02日 23:42