いってきます、と言って家を出ると、彼女は住宅街を小走りで行く。学校は程近い、川の向こう側、橋を渡ったところにある。
ランドセルの重さが少しだけ染みる。でも大したことはない、小走りで学校に向かうにはそれほどの障害にはならない。
住宅街の道は少しずつ傾斜を伴いながら、河川のこちらとあちらを繋ぐ橋へと近づいていく。走る。まだ早朝といえる時刻。少女はどこかしら物足りなさを感じるけれど、それは少女にとって大した問題ではない。こんなに朝早くでは友達は起きていないし、それでもってこんなに学校から近くては、班行動をする必要が無いと学校から言われているというだけ。しかし住宅街のあちらこちらには既に住民らの影がある。自己主張的ではない紫色の服をきたおばあさん、部活の為に自転車を駆る少年、それから仕事に行くサラリーマン。種類を挙げていけばキリがない。
女学生、女学生の姿がある。女学生のセーラー服はどことなく大人びて見える。自分の知らないことをたくさん知っているのだ、ということをどこかしら暗示しているように見える。それでいて、彼女らは二、三人のグループを組んで談笑をしながら、学校へと向かっているようであった。彼女らの向かう学校には面白いものでもあるのだろうか、などと考えながら、少女はほとんど橋の目前にさしかかった道を歩いていく。
そこで少女は一人の女学生を目にする。
一人で登校する女学生。
先程見かけた女学生と同じ制服を着ていた。進行方向は、自分と同じく橋の方向。少しだけ俯き加減で元気が無いように見えるのは、今日一緒に登校する予定だったはずの友達が待ち合わせをすっぽかした所為であろうか。
少女はそんな風に考えながら、小走りに女学生を追い越していく。
追い越しながら、女学生の表情を振り返ってそっと眺めてみる。彼女の表情は別段曇ってなどいなかった。予定をすっぽかされることには慣れているのかもしれない。
目が合った。
瞬間女学生は息を呑んで後ずさった。
少女も少女で、駆けていた足を停める。
女学生は静止している。
二人は見つめ合う。
暫くの沈黙があった。
何かを言うべきなのかもしれない、と少女は思っていたが、しかし何かを言うには余りにも二人の接点が不足していたし、それに女学生の行動はあまりにも突飛に過ぎた。だから少女は暫く何も言わなかった。
でも、結局口を開いたのは少女だった。
「どうしたの?」
女学生は、少女の言葉にびくりと肩を震わせると、まるで逃げ場を探すかのように、あるいはなにか保証のようなものを探すように、自分の左右を覗ってみせた。しかし、彼女に何かを保証するものは見つからなかったらしく、結局、視線を少女の元へと戻した。
口をわなわなとさせて、何かを言おうとしている。
少女にはその仕草がとても不自然に見えたので、首を傾げてみせた。
「あのっ」
ようやくそこで、女学生が声を出すことに成功する。
しかし、その先が出てこない。少女は待った。まるで自分は待つことには慣れているのだ、と言わんばかりに。
そしてついに、女学生は二言目を紡いだ。
「貴方は……誰?」
「
シーア」
初対面においては、それほど妙な返答ではないな、などと思いながら少女が言うと、そ、そうですか、とかなんとか女学生はもごもごと言った。
「あなたは?」
会話の流れとしては当然の質問に、女学生は「え」と戸惑いの声を上げたまま何も答えようとしなかった。どうやらひどく混乱しているらしい。
しかし少女はその混乱が収まるのを辛抱強く待った。
そして、長い逡巡の末に女学生はようやく返答にこぎつける。
「ト、
トリア」
「そう、トリア、なんで貴方はそんなに怯えているの?」
少女の質問に、再びトリアは混乱を始めた。そもそも自分が怯えているという自覚が無いらしい。少女とトリアとの間に余程の確執でも無い限りは、このような事態になったりしないのにな、などという意味のことを少女は考えている。
「あ、の、えーと……私たち、って、どこかで会ってませんっけ……? 例えば学校とかで」
学校とか。
そもそも、二人の通っている学校は別のものだった。登校路は御覧の通り多少一致しているから、ひょっとしたら顔を合わせたことがあるのかもしれないけれど、少なくともそれは印象的な邂逅ではないはずだった。
「会ってないと思うけど」
「た、たとえば『学園』の第三教棟の四階とかで!」
学園という言葉に、少女は何かを得る。
「『学園』に通ってるの? ひょっとして、貴方ってメード?」
「そ、そうです!」
ようやくある程度の意志の疎通が達成されたのを見て、女学生は外聞も無く喜びを露わにした。
「でも、私は貴方のことを知ってたりしないし、多分貴方と話したこともないんじゃないかな」
「そ、そうですか……」
戸惑いが再びトリアを包み始めるのが、少女には手に取るように分かった。
「とりあえず、その話のことを詳しく聞かせてくれるといいんだけど」
「は、はい!」
助けの船を得たとでも言わんばかりに、トリアは頷いた。