( 投稿者:ushi )
拝啓、総領息子様。
覚えておいででしょうか。私がニキシー管時計をお作りさせていただいた折り、その出来映えがことのほかお気に召したのでしょう。総領息子様が続けざま、電気ギターの製作をご依頼なされたときの話です。
幸い電気楽器というもの、それ自体は、すでにアルトメリア諸国において製品化がなされておりましたので、ほどなく資料が手に入り、完成に漕ぎ着けることが叶ったのですけれど、ええ、今回、私が問題にしておりますのは、その後のことなのでございます。製品化がなされていたとはいえ、電気ギターはその当時、音楽産業において産声を上げたばかりの小さな幼子でした。多くのミュージシャンたちにとって、その音色はラジオやショーケースの向こう側にしかない、高価で馴染みのない代物だったのです。
結論を申し上げますと、楽器はあっても、演奏されるべき音楽がなかったのですね。
宮廷お抱えの音楽家諸氏に件のギターをお持ちになっていただきましても、彼らはそのボーリング玉を詰めたような重さや音量のけたたましさに不平不満を述べるばかりで、総領息子様の思うような成果は得られなかったことと思います。
さて、その後のことです。総領息子様は、頬を膨らませた不満顔で工房においでになると、私にこう仰いましたね。
次は音楽を作れ、と。
恐縮ですが私、音楽というものに携わったことなど、生涯一度もございませんでした。木や糸や皮で作られた楽器が流麗たる音色を奏でる様は、私にとっては、まさしく魔法や奇跡の親戚のように思えていたのです。
山ほどの作曲教本と音楽雑誌の束を渡され、私、途方に暮れました。
それでも、総領息子様のお望みであるならばと、ギターの基本奏法を独学で学び、作曲教本やR&Bを持てはやす時の音楽雑誌を熟読し、半年間に渡る創作活動に励んだのです。
曲名を覚えておいででしょうか。
──芥虫と愛の唄、です。
私の数少ない隣人であるところの、芥虫のガーンズバック、──総領息子様がお持ちになられた無線雑誌「ラジヲクラフト」の編集者からお名前を拝借いたしました──、彼に着想を得て作詞作曲をさせていただいたものです。ちなみに件のガーンズバック卿ですが、先頃十代目が襲名をいたしたところでございます。先代は窮鼠剤の捕食にチャレンジをしたところ敢えなくお亡くなりに。背姿の光沢眩しい彼はオイルが大の好物でしたので、工房のオイル缶に詰めて供養をいたしました。今も工房の片隅で仰向けに油に浸かっております。希望の最期は死にあらず、彼も本望だったことでしょう。
さておき、総領息子様。
お笑いになりましたよね。それも盛大に。聞けば顎を外されたそうではないですか。
半年もの期間を費やした末に、ようやく完成させた曲でしたのに。
そのときの私が、どんなに恥ずかしい思いをしたか、自身の屈折した芸術的センスを、どれだけ呪ったか、ご想像なされたことは? あるいはそのような経験が、総領息子様にもおありだったのでは? 書斎の机にお隠しになられたポエムですとか、そのような類のものを、生涯お持ちになったことがないと?
仕方ないではありませんか。他に着想元が見当たらなかったのです。
……失礼、話が長くなってしまいました。
ともあれ、よもやあのときのような辱めを、こうして二度も頂戴することになろうとは。
「よく似合っているぞ。ヴェロニカ」
「……恐縮でございます。ですが、そのお気持ちがもし真実であるのならば、そのように笑いを堪えるのはおやめください」
「いや、いや。別に君の格好が面白いわけではなくてだな」
油にまみれたツナギ姿で宮廷内を歩き回るわけにもいかず、総領息子様に着替えをお持ちいただいたとき、何となくですけれど、すでに嫌な予感はしておりました。
恥ずかしながら、私、給仕服というものに浅からぬ憧れを抱いていたのです。清潔なエプロン、柔らかな
ドレス、革靴の踵がスタッカートを奏でれば、たおやかなスカートの生地が慎ましく広がり、石鹸の香りがふわりと漂う。──何とも瀟洒ではありませんか。祖国に身命を賭した私が、そうしたものにわずかばかりの憧れを抱いていたとしても、死後、審判の神がお顔を曇らせることはないでしょう。
ですが総領息子様、私が今、憧れ、と申しましたそれは、できることならば自室の鏡の前でひっそりと堪能したい類のものなのでございますよ。その場でくるりと一回転、スカートの裾が翻る様を目にできれば、それで満足なのです。
清潔なエプロン。肩のフリルが可愛らしいです。
柔らかなドレス。トラッドな黒の生地が素敵です。給仕服といえば黒です。
おろし立ての革靴。黒革の上品な光沢が眩しい。新品だけあって良い音がいたします。
たおやかなスカート。今すぐこの場で一回転させていただけないでしょうか。
石鹸の香り。これは、残念ながら、あまりいたしませんね。
……さて、何が問題か、お分かりいただけますでしょうか。総領息子様。私がなぜこんなにも不機嫌なのか。率直に申し上げますならば、
「その、君の顔が、なんというか。こんな仏頂面のメイドは初めて見たぞ」
──それをご覧頂いているのが総領息子様だからです。ええ。
「……そのように珍獣でも御覧じるかのようなお顔で出迎えられますと、仏頂面にもなりますわ。ひとつ、ご容赦を頂戴いたします」
「いや、すまない。だが似合っているというのは本当だぞ」
「それはそれは。恐縮ですこと」
「待て。ちゃんと聞け。ヴェロニカ」
私がそっぽを向いておりますと、総領息子様はおもむろに私の肩を引き寄せ──、ああ、こういった格好もさすがに二度目となりますと、これといって感慨もないもので。
「君にはやはり黒が似合うな。ツナギ姿もよく似合っていたが」
「左様でございますか。では、ご要望にお応えして着替えます」
「そうはいかんな。まだリボンが残っているだろう」
そう言って総領息子様が差し出されたのは、青紫色をした刺繍入りのリボンでした。
「ヴェロニカの花から摂った染料を使っているんだ。君のためにあつらえさせたんだぞ。ほら、後ろを向いてくれ」
仰るとおりにすると、ちょうど背後にあった姿見に、私の全身が映っておりました。程なくして灰色の後ろ髪が一束に結わえられ、鏡の中には、黒いドレスと白いエプロンに痩躯を包み、カチューシャとリボンで慎ましく飾られた、なるほど見目だけは瀟洒な女が立っているではありませんか。
馬子にも衣装、とは、極東の地で言う諺にもあるそうですが、これは、確かに、いえ、なかなかどうして──。
「どうだ。似合っているだろう」
ここで屁理屈を申しましては、自身の美的感覚に嘘をつくことになりかねませんので、
「ええ、まあ、確かに。素敵なエプロンドレスです。リボンがよく映えております」
「そうじゃないだろう。魅力的なのは君だと言ってるんだ」
「化粧と衣装で女は化ける、と申しますもの」
「……頬が赤いのも化粧なのか?」
「──っ」
はっと頬に手を這わせたときには、手遅れでした。赤くなってなどいなかったのでしょうけど、言われた瞬間に紅潮してしまっては、申し開きのしようがございません。
にわかに赤くなった仏頂面を鏡越しに向けますと、総領息子様は得意気なお顔。
「はは。いいな。その顔。それが見たかったぞ」
もしも今、例の電気ギターが手元にあったとしたら、私、己の中の獣性を抑えておける自信がございません。工房の隅で埃を被せておくよりか、王の頭蓋を砕き割った鈍器として博物館にでも飾っていただいた方が、作った甲斐もあるというものではありませんか。
──今からでも遅すぎるということはないかもしれませんね。
「……おっと、遊びが過ぎたか?」
私の眼差しがいよいよ鋭くなったのをお察しになられたのか、総領息子様は苦笑とともに浅く肩をすくめました。溜息の一つでもお返ししたい心境でしたが、専用のリボンまであつらえていただいたことを思えば、無碍にするというのは良心が咎めます。
「いえ。ご厚意には、感謝しております。私にはすこし過ぎた代物ですが……、総領息子様のお気に召したのであれば、やぶさかでは」
「そうか。ならいいが、本当に着替えられたら立つ瀬がなかったぞ」
「ツナギ姿もお気に召していただいたのでは?」
「それは否定しないが──、新品の工具や無線雑誌の方が君の好みだったか?」
「最近ネジが不足しておりますのと、ラジヲクラフトの最新号は気になるところでございます。特集もさることながら、連載中の小説を愛読しておりますもので」
と、そこまでを申し上げたところで、総領息子様は痛く興味を持たれたご様子。
「……ほう。読んでいたのか」
「いけませんか?」
「いや、てっきり君は、あくまで教材としてだけパルプ・マガジンを読んでいるのだとばかり。空想科学にも興味があったとはな」
「最初は余興のつもりで読んでいたのですが、ええ、これがなかなか」
「何なら、次からはアメージングも調達しておくか?」
「いえ、叶いますならば、──ワンダー・サイエンスの方を」
言うと、総領息子様は、何やらひどく驚かれたようでした。
……私の趣味が悪い、ということなのでしょうか。
ここでひとつ弁解をさせていただきますならば、アメージングは、数年前に出版社が倒産し、編集者が代わってしまったのです。と、ここで申しました編集者というのが、私の敬愛するガーンズバック様なのですが、ワンダー・サイエンスは、彼が新会社を設立した折り、創刊したアメージングのライバル誌なのでございます。とはいえ、このワンダー・サイエンスも、実はすでに権利が売却されておりまして、私の専らの愛読誌は、やはりラジヲクラフトなのですが。
ああ、もしや総領息子様は、アメージングを愛読しておられたのでしょうか。それとも後発のアスタウンディング・ストーリーズを? あるいはまさか、科学的性教育雑誌のセクソロジストですか? それは何と申しますか、その、マニアックな……。
──というようなことを私が思案しておりますと、総領息子様は目を丸くされたまま、
「もしやと思うが、君は……、ガーンズバックのファンか?」
「ええ。件の連載というのも、ガーンズバック様が過去にお書きになった作品の再録だそうでして」
「──無線の塔、か?」
今度は、私が驚く番でした。何しろ総領息子様が口にされたそれは、まさしく私が心待ちにしている連載小説のタイトルだったものですから。
「ええ、そうですけれど。何か?」
「いや、まあ……、面白いのか?」
「ええ。素敵です」
「そうか」
ご自分からお訊きになったことというのに、思いのほか気のないお返事でした。
何か、考え事に耽るような態でいらしたかと思えば、唐突に、「支度をしてくる」と、一言。畳んだ上着を小脇に抱え、感慨深げに頷きながら、ドアノブを回し、
「そうかそうか。無線の塔か。……いい趣味をしているな」
「それは言葉通りの意味、でしょうか」
私がお訊ねしますと、総領息子様は部屋を出る間際、上機嫌そうにこう仰いました。
「もちろん。君とは趣味が合いそうだ」
ああ……。
やはり、セクソロジスト、なのですね。総領息子様。
最終更新:2011年07月13日 12:47