(投稿者:エルス)
エルの案内で屋敷の奥へ奥へと進んでいき、更にその奥にある地下への階段を下った。文字通り地底から漂うその陰湿な空気が肺を満たし、生理的な拒絶感が危険信号を出し始める。
ここは人間の来るところではないと、人間を喰らう化け物の住むところだと、本能がそう叫んでいる。だがそれでも、俺はエルの小さな背中を追いかけて、前に進んだ。何時の間にか浮かんでいた冷汗を拭い去り、苛立ちが募るのを感じた。
「この奥ですよ」
エルが静かにそう言った。地下への階段を降りた先に、明らかに光量の不足している電灯を照明にしている通路があった。
床は硬い何かで出来ており、どんなにゆっくりと歩いても、乾いた音が廊下に鳴り響いた。 恐らくは、侵入者を察知するための工夫の一つなのだろう。
もっとも、上で派手に銃撃戦をしたのだから侵入者も死体もあったものではない。足音は気にせず、トラップと不意打ちにだけ警戒して進むと、一つの扉が闇から浮かび上がるように視界に入った。
俺が目で「ここか?」と問うと、エルは頷いた。手早くハンドサインを使い、扉の向こう側、つまり左側に俺が立つ事になった。トラップの有無を確認した後、素早く扉の左側に移動し、右側にエル、そしてその後ろに
ルルアがいるのを見た後、何カウントで突入するか、突入方法はどうするかを考えた。
さっさと突入するべきだったなと、いきなり開いた扉をボウと見ながら、俺はそんなことを思った。セミショートの金髪に、フリルの多い白い
ドレスを着た少女の腕は、手首の辺りから剣になっていた。
反射で身体を屈め、敵の攻撃に備えたが、敵の凶器は既に腰の回転と腕の筋力により、十二分に加速していた。皮膚と肉が斬り裂かれる感覚は無かったが、傷口から血が溢れ出るのが分かった。右脇腹が血に濡れ、体温が体外に漏れ出していく、嫌な感覚だ。
右腕で敵の左腕を挟み込み、動きを封じた。その時、頭のどこかでプツリと何かが切れた音がした気がした。理性の糸が切れたわけではない。ただ、今まで押さえ込んできた感情を、抑えきれなくなっただけなのだ。
「甘いんだよ、阿婆擦れ」
「…………!?」
もう片方の腕の剣を突き刺そうとしていた敵の左手をトレンチガンで血煙に変え、そのまま敵の顎に銃口を突き上げた。細長い銃剣が滑らかで白い肌を貫通し、舌を串刺しにした後、上あごに突き刺さる感触を手に感じ、唇が引き吊った。
「い、あぁっ……!?」
何かを喋ろうとしても喋れず、逆にその行為によって傷が広がるという悲惨な状況に置かれた敵の怯える目を見ながら、俺は引金を握る手を離して、フォアエンドを操作した。カシャッ、ジャキッという音が廊下に響き渡り、敵の目が恐怖で見開かれる。
敵が左脇腹を蹴りつけてきたが、それほど痛みは感じなかった。恐怖で満ちた目を見つめ返しながら、俺はもごもごと真っ赤に染まった口を動かし続ける少女に告げた。
「喚くな、黙れ、死ね」
目を閉じて引金を引いた。砂と水を混ぜたバケツの中身を顔面に喰らったような感触を味わった後、俺は血塗れの顔をコートで拭い、頭の無くなった死体を蹴飛ばした。
血と脳漿と、脳味噌そのものとホンの少しの骨と皮膚を顔面にぶちまけられた形になった俺は、気持ち悪いとか、そういった感情が湧いてこないことに驚きながら、血で濡れた前髪を掻き上げた。
茶髪は濡れると黒髪に見えるから、今の俺はきっと黒髪に見えるのだろうと、どうでも良い考えが頭を過ぎった。黒髪だろうと茶髪だろうと、俺は俺なのだ。ああ、そうだ、俺は俺だ。他の誰かじゃない、俺なんだ。
エルの方を見ると、ルルアに何やら話しかけていた。きっとアイツの事だから、頭の吹き飛ばされたメードを見て気分でも悪くなったんだろう。
何せ、天井に頭がべっちょりと付着するような有様だ。そうなるのが普通なのかもしれない。
「エル、突入も何もない。俺が最初に入るから、お前は付いて来い。良いな?」
「良いも何も、駄目って言っても行くんでしょう? ボクは地獄だろうと墓穴だろうと、
シリルに付いて行きますよ」
「シリル、私も……」
「無茶はするなって、お前が言った事だろ。なら無茶はするな。少し休んでていいから」
「でも……私は……」
「でもも何も無しだ。休んでろよ、俺たちが終わらせっから」
青白くなった顔を俯けたルルアから視線を外し、俺はエルと頷き合い、扉を潜った。潜った瞬間蜂の巣にされるんじゃないかと思ったが、それは無かった。ただ代わりに、甘ったるい香水の匂いが鼻を突いた。何かの花の香水なのだろうが、ここまで濃いと逆に吐き気がしてくる。
湯水のように香水をばら撒いた悪趣味な奴はどこにいるんだと思いながら、部屋の中を見回す。それほど広くも無い筈の部屋だったが、家具の類が一切無い為、それ以上に広く見えた。 とりあえず奥に続く扉があるのが見えたが、足を踏み出す前にその扉から新たに数人のメードが飛び出してきた。
纏めて殺してやろうと思ってトレンチガンを一発そいつらに向けて撃ったが、なにか障壁のようなもので散弾が防がれ、一人も殺せずに終わってしまった。舌打ちをしながら次弾を装填すると、俺の背後でエルが呟くのが聞こえた。
「……ちょっと不味いかもしれませんねぇ」
「なにが不味いんだ?」
「量が多いことと、能力持ちが一人いる事です」
「ああ、なるほど、さっきの盾か」
さて、どいつが『盾持ち』なんだろうかと、六人のメードをそれぞれ眺めようかと思ったが、そんな暇をくれる相手なら苦労はしない。
レイピア片手に突っ込んできた黒のロングヘアの女を蹴り飛ばす。すると続けて金髪で髪が短い10歳前半くらいのガキがダガーナイフで斬りかかっきたので、斬撃を避けて顔面に左フックを打ちこんだ。
吹っ飛ばされて床に転がった金髪にトレンチガンを向けると、赤毛のチビのツインテールが一気に距離を詰めてきて、両手に持ったデリンジャーの銃口を俺に向けた。
対処可能な範疇を超えた飽和攻撃に、俺は回避行動も取れなかった。
左肩を殴られたような感覚を味わい、目の裏に火花が散るような錯覚を抱きながらも、俺はトレンチガンをチビに向け、引金を引いた。純鉛製の散弾がその幼い柔肌に当たり、散弾が皮膚を撃ち抜き、その内側にある血管や細胞をズタズタにした。
一瞬でボロボロになったチビがそのまま後ろ向きにぶっ倒れるのを観察する暇も無く、黒髪の女が懲りずにレイピアで俺を串刺しにしようと肉薄してきた。
胴の中心を狙った確実性の高い突きを連続で繰り出してくる。トレンチガンで狙いを逸らしているからなんとか持ってはいるものの、何時まで持つかは分からない。
苛立ちで沸騰しそうな頭を冷静に保とうとしながら、俺は一か罰かでトレンチガンのストックでレイピアを受け止め、唖然とした女の顔を力任せに殴りつけた。鼻の骨でも折れたのか、指に血が付いていた。
チラリとエルの方を見ると、丁度強烈な回し蹴りで癖毛の金髪の女の顔面を不細工なそれに作り変えたところだった。吹っ飛ばされて壁に叩きつけられた女の顔面は、信じられない事にめり込んでいた。
「そっちは大丈夫か?」
「喋ってる暇があるなら、手伝ってくださいよ!」
まったくもうと言いたげに頬を膨らませたえるは、振り向け様にトマホークを投げようとしていた褐色肌の女の脳天に投げナイフを命中させた。
即死しただろうメードは糸の切れた人形のように事切れ、それきり動かなくなった。
一瞬の出来事に目を丸くした俺を見て、エルは笑った。俺のように恐怖で顔が引き攣って笑っているように見えるのではなく、本心から、楽しげに笑ったのだ。レベルが違うのだと、俺は改めて思い知った。プロとアマチュアじゃ、雲泥の差があるのだと。
「ボクだって苦戦するんですよ?」
「あと二人殺したら手伝ってやるよ」
「その頃には片付いてますよーだ」
殺し合いの最中でなければ舌を出して「あっかんべー」でもしそうなエルの嬉々とした声で、萎え始めていた気力が立て直った。
金髪のガキが五本のナイフを俺の胸目掛けて投げてきたが、そんなものどうってことないのだ。腰の後ろにあるククリ・ナイフのグリップを掴み、ナイフ目掛けてトレンチガンを発砲する。
三本が散弾で吹き飛ばされ、直進した二本をククリで弾き飛ばし、ナイフを両手に突っ込んできたガキの胸元にククリを放り投げた。とうぜんククリは火花を散らして弾き飛ばされたが、次弾を装填するには十分過ぎる時間を、ガキは無駄にした。
トレンチガンを構えて、ガキに狙いをつける。フリルが大量に付いた黒いドレスを着て、カチューシャを付けているガキが、ニヤリと笑うのが見えた。悪寒が背筋を駆け昇り、脊髄反射で左に一歩分、身体を傾けた。
瞬間、ガキの持っていたナイフの刀身部分が柄から飛び出し、頭を掠った。生温かい液体が右側頭部を濡らしていくのを感じながら、俺は照準を修正し、引金を引いた。ガキの身体が着弾の衝撃で宙に舞い、床に崩れ落ちる。
後一人は何処に行ったんだと次弾を装填したトレンチガンの銃口を巡らせると、ゆらりと黒髪の女が立ち上がった。緩慢なその動きに合わせる気にもなれず引金を引くと、銃声が鼓膜を震わせ、反動が肩を叩いた。
硝煙の臭いが鼻を突き、今更になって漂い出した錆びた鉄の臭いがそれに混じる。そんな状況下で、黒髪の女は『見えぬ壁』で散弾全てを受け止めた。とてつもなく硬い標的に命中した散弾は、それぞれ変形し、床に転がっていた。
「よりによって、俺の方に盾持ちがいるとはな」
溜息を吐きたい衝動を堪えながら、どうすれば奴を殺せるかを考える。様々な案が頭の中で組み上げられ、駄目だと判明しら即切り捨て、最善の方法を模索する。
その間にも女はレイピアで俺を串刺しにしようと突きを繰り出してきている。右に避け、左に避けと繰り返すと、女が脇腹に蹴りを入れてきた。爪先が左の肋骨にめり込む嫌な感覚と、鋭い痛みが脳髄をピリっと焼いた。
たったワンステップで距離を取った女のブーツの爪先には、銀色の刃が光っていた。生温かい液体が左脇腹に広がっていくのを感じながら、俺はトレンチガンを捨て、あの骨董品を抜いた。
血が抜けすぎているのか、はたまたアンフェタミンの効果かは分からなかったが、俺は至近距離で45口径のフルオートを噛ませば、女を倒せると確信していた。根拠は無かったが、今はそうする他ないと思った。
「来いよ、クソったれ」
「…………」
女の眉がピクリと動いたような気がしたが、薄暗い部屋なので本当にそう動いたのかは分からなかった。真正面からレイピアを構えて突っ込んでくる女に拳銃を向け、グリップを両手で保持し、反動に備えた。
無表情の仮面でも被っているんじゃないかと思えるほど感情と言うものが希薄な女の顔が、段々とハッキリ見えるようになっていく。それと同時にレイピアの切っ先が俺の胸目掛けて距離を縮めている。血が沸騰し、鼓動が早鐘を打ち、額に汗が噴き出た。
冷静な自分と熱くなった自分が命令し合い、パニックを起こして痙攣していた右手の人差指が、引金を少し引く。スローモーションに見える女の動きに迷いが無い事と、回避不可能という文字が頭に浮かぶと同時に、俺は引金を引き切った。
7発の45口径弾が並みの短機関銃を超える発射速度で撃ち出され、強烈な反動が発生したが、それを両手でなんとか押さえつける。あっという間に全弾を吐きだし終えた骨董品が、スライドを後退させたまま銃口と排出孔から硝煙を棚引かせる。
7発の弾丸を受けた女は、レイピアを吹き飛ばされ、半回転しながら俺に突っ込んだ。抱きとめる気にもなれず、突き飛ばすようにして女を離すと、左腕になにか細いものが巻きついているのに気づいた。突き飛ばす時に女の黒髪が付いたのだろう。
「……じゃない」
「まだ生きてたのか。喋れるんだな、お前ら」
よたよたとした足取りで俺から遠ざかる女を見ながら、俺は骨董品をホルスターに収め、マッチ・モデルを抜き、女に照準を合わせた。
散弾が防御されたのは、もしかしたら拡散しきらずに纏まっていた散弾が一部分に集中していたからだろうと思い、素早く両手両足を撃つつもりだった。
生まれたばかりの子馬のように、なんとか二本脚で立っている女は、まだぶつぶつと喋っていた。耳を澄ますと、何を言っているのか分かった。
「わたしはクソったれなんかじゃない」
「だからなんだって言うんだ? 俺から見たら、お前らなんか売女か塵屑だ。もう喋るな、どっちにしろ、お前は俺に殺されるんだ」
「黙れ。わたしがお前を殺すんだ」
ギリッと、女が何かを握りしめたのが見えた。舌打ちしながら咄嗟に引金を引くと、何故か俺の左腕が血を噴いた。激痛が神経を駆け巡ったが、悶え苦しんだところで何も変わらないのは目に見えている。
薄ら笑う女の顔目掛けてマッチ・モデルを撃った。だがそれでも、見えない壁に阻まれて、女を殺すには至らない。痛みに耐えきれず、生まれてから一度も発した事の無い絶叫を上げ、既に真っ赤に染まった左腕をだらりと下げる。
そして右手に持ったマッチ・モデルを左腕に向け、歯を食い縛り、それなりに覚悟した後、引金を引いた。火薬の炸裂音と同時に、ハンマーで殴られたような痛みが左腕にプラスされ、このまま気絶してしまいたい衝動が湧き出てきた。
あの時、女は7発の弾を1発も喰らってはいなかったのだ。そして突き飛ばされる瞬間、俺の左腕にワイヤーかなにかを撒きつけたのだろう。今考えれば簡単な事だった。痛みに耐えるだけで精一杯で、俺は顔を俯けた。もう足元は血で赤く染まっている。
「骨まで……いってるな……これは」
「安心しろ、今楽にしてやる。大人しくしていればの話だけど」
「誰が大人しくしてやるか。殺されるのはお前だ。お前を殺すのは俺だ」
強がってそう言ってみるが、出血が止まらないと言うのも事実だった。手首と肘の間辺りをワイヤーで中途半端に切断され、左手の指が一本も動かせない。骨を除く全ての回路がそこで切断されているようだった。
まったく、どうしろって言うんだ。左腕は動かないし、出血は止まらない、おまけに相手は能力持ちだ。勝てる確立は限り無く零に近い。馬鹿馬鹿しくて笑えてくる。守ると言っといて、薬まで使って、それでこの結果か。
ああ、そうだ大馬鹿だ。俺は馬鹿だ。なんでこんな簡単に諦めようって考えるんだ。ふざけるな、お前が決めた事だろうが。何もかもぶっ壊してでも女一人を守ってやるって、自分でそう考えてきたんだろうが。
それでなんだ。今更諦めようとか、無理だったとか、そんなありきたりの理由で死ぬって言うのか。死ぬなら死ねば良い、死にたければ死ねば良い、でもその時、お前の背中を必死で守ってる女は、どうなるってんだ?
「シリル!!」
今一番聞きたかった声が聞こえると同時に、白刃が銀の尾を引いて黒髪の女の足元に突き刺さった。ああ、そうだ。俺は守ろうとしていたんだ。こいつと一緒に幸せになってやるって、こいつだけでも幸せにしてやるんだって、そう思って来たんだ。
諦めるにはまだ早かったんだ。まだ血はある。まだ二本足で立てる。まだ右手が動く。そして何より、俺はまだ、生きている。この鼓動が止まらない限り、俺は一つの望んだ未来に向けて突っ走れば良い。
たとえ四肢をもぎ取られても、たとえ内臓を抉り出されても、喉元に噛みついて、芋虫のように這いまわって、俺は奴を殺すんだ。そうさ、奴を殺して、全部終わりにしてやるんだから……。
「大丈夫ですか、シリル?」
「ああ、大丈夫だよ。それより、あと一人はどうした?」
「ボクがショックを受けたと思い込んで仕掛けてきたので、さくっと片づけちゃいました」
「そうか。良くやったな、上出来だ。それじゃあ、ちょっと手伝ってくれ。こいつを殺すのに、腕が一本足りないんだ」
「シリルの為なら、ボクはなんだって差し上げますよ」
真剣な顔でそう言ったエルは、太股のナイフシースから棒状の投げナイフを取り出して、黒髪の女と睨み合った。俺はと言うと、マッチ・モデルのマガジンを交換し、自分の血で出来た血溜まりに足を踏み下ろした。
水の跳ねるような音がした。それは俺の命が俺によって踏みつけられた音だった。だがそんなの、俺にはどうでも良い。今はとりあえず、この黒髪の女を殺して殺して、殺してやる事が最重要課題だ。
血が足りなくなっているのか、戦闘のストレスで精神がイカれかけているのか、少しくらくらした。それでも、戦闘には支障は無い。気持ち悪さも、傷の痛みも、全て無視すれば良いのだ。それだけの価値がある事を、俺はするのだから。
「行くぞ、エル」
「何時でもどうぞ」
「それじゃあ、勝手にやらせてもらう」
女が隠し武器を満載していることは分かっているが、それを取り出す際には必ず一定のタイムラグが存在する。それは物理的に誤魔化す事の出来ないものであり、つまりは決定事項である。そこを突く事が出来れば、恐らくは勝てる。
そう考えながら、何時千切れるかも分からない左手をだらんとぶら下げながら、俺は女に向けて駆け出し、マッチ・モデルを撃った。45口径のマイルドな反動が体中に拡散し、無意味に痛覚を反応させるが、そんなもの無視すれば良いのだ。
弾の切れたマッチ・モデルを持ったまま女の顔目掛けてハイキックを繰り出し、避けられたのを確認せずに続けて胴を蹴りつける。足が受け止められて女が笑みを浮かべたが、エルが背後からナイフを投げ付け、続けてダガーナイフ二刀流で斬りかかる。
女が俺の足を離して防戦に入ったのを見て俺は女に蹴りを繰り出し、エルはその間を縫うようにしてダガーナイフで攻撃した。見えない盾を使わないのは、それ自体にタイムラグがあるからなのか、それとも至近距離では作動させる事が出来ないのか。
どちらでも良かった。盾が無いのなら、やるべきことは決まっているのだ。マッチ・モデルを捨てて連続で蹴りを繰り出しながらエルに目配せし、女を蹴り続け、さっと手を伸ばした。その手が凹凸のある物体に触れるのを感じ、それを掴んだまま、女の口目掛けて右ストレート。
意表を突かれたのか、女の口に俺の拳がめり込んだ。ワイヤーを使おうとする女の肩に、エルがナイフを突き立て、更に足の腱を切り裂いた。俺はそれを吐きだせないような所まで拳を突き入れ、女の口から手を引き抜くと同時に女を蹴り飛ばし、すぐに女から全力で離れた。
部屋の出口までは間に合いそうになかったので、俺は横を走るエルの手を取ってそのまま引っ張り、抱きしめた。直後、女の口に入れたミルズ型手榴弾が起爆し、無数の鉄片が部屋中にばら撒かれた。頭蓋骨と言う障害物があった為、鉄片の威力は通常より遥かに下だったが、俺の身体に突き刺さるくらいのエネルギーはまだ残っていたらしい。
数十個の破片が身体に食い込むのを感じながら、俺はエルを見た。エルも俺を見ていた。耳鳴りの所為で聴覚が一時的に麻痺していたが、数秒もするとそれも治り、あとは血と硝煙の臭いが鼻を突く、がらんとした部屋だけが残された。
「手榴弾の破片を受け止めるなんて、無茶しますね」
エルが苦笑しながらそう言ったのに気づいて、俺は腕の力を緩めながら苦笑を返す。
「お前の身体に傷がつくのは嫌だからな」
「ボクはシリルの身体がボロボロになるのが嫌です」
「適材適所だよ。そういうことで良いだろ?」
「んー……今は見逃してあげます。それより左腕の止血をしませんと」
言うが早いか、死体になった娼婦兼対人メードたちの服をナイフで引き裂いて持ってきたエルは、俺を軽く小突いた。その衝撃だけであっさりと尻もちをついた俺の左の肘の下辺りが、思いっきり縛りあげられる。
痛かったのかもしれないが、痛くなかったのかもしれない。どちらとも言えない不思議な感覚の中で、俺はぼんやりとし始めた意識を保とうと集中力を高め、感覚を外部に向けて開き、敵の存在を探索した。
その時、敵ではなく味方が部屋の入り口から掛けてくるのが分かり、俺は理由も無く気分が落ち着くのを感じ、溜息を吐きだした。
「シリル!
エルフィファーレ!」
「ああ、ルルア。丁度良い所に来てくれてありがとです。そこにある椅子の脚を切ってくれませんか? 止血に必要なものなので」
「えっと……はい、これですか? 長さはどれくらいにすれば……って、止血って、どういう事ですか?」
勢いよく部屋に入って来て数秒後にはあたふたとし始めたルルアにイライラしながらも、俺は意識と集中力を保つために呼吸を落ち着かせ、冷静になる事に努めた。
ルルアが椅子の脚をカタナで適当な大きさに切って、エルがそれをナイフで大雑把に削った後、縛り付けた布か何かを緩めて棒になったそれを差し入れ、時計回りにくるくると回し、十分締めあげる事が出来たのを確認すると、少し大きめのポケットからハンカチを取り出して棒ときつく縛った布を固定した。
何時の間にか伏せていた顔を上げると、いきなりビンタを喰らった。左頬がじんじんと痛んでいるような気がしたし、熱を持っているかもしれなかった。
「……すまないな、本当に。こんな俺だから、心配ばっかかけて」
「私は何があっても死んではいけないと、貴方に言った筈です。三年前のあの日、貴方はそんなの当たり前だって言ったのに……」
「変わったんだよ、俺。守りたいものを守り通すって決めたんだ。ずっと一緒に居たいって思える人を見つけたんだ。だからさ、泣くなよ、ルルア」
「泣いてません、泣いてませんよ。私だって守り通すと決めたものがあります。私が悲しんでほしくないと思う人たち全てです。だから、もっと私を頼ってください。私が守ってあげますから」
泣いているのに泣いてないと言いながら、ルルアは涙を拭ってそう言った。なるほど、俺のこういう馬鹿な部分はこいつの影響を受けたのか。道理で冷静な判断の基準がおかしい訳だ。
苦笑した俺に微笑みかけ、ルルアはカタナに手を掛けた。癖なのだろうか、よくそうやっていたなと思いながら、エルに助けてもらいながら立ち上がる。その所為で白いシャツにべっとりと血が付いてしまい、なんだか申し訳ない気持ちに襲われた。
「シリル、本当に大丈夫ですか? 血が……」
「大丈夫だ。俺は血の気が多いから、少し血を抜いた方が良いんだよ。そうだろ、エル」
「そうかもしれませんけど、抜き過ぎも駄目なんですよー?」
「そういえばそうだな……気を付けるよ」
込み上げてくる吐き気と寒気に耐えながら、俺はマッチ・モデルとトレンチガンを拾い、それぞれの動作確認をした後、マッチ・モデルをホルスターに戻し、トレンチガンを持った。
片手でこいつを扱える自信は無かったが、散弾の制圧力は捨て難い。もっと軽いショットガンがあれば良かったのになと思いながら、エルとルルアの所に戻ると、どちらも臨戦態勢で四方に目を光らせていた。
どうしたんだと、俺がクエスチョンマークを浮かばせると、エルがいきなり俺を押し倒した。視界が一瞬真っ白になったが、これはきっと激痛があらゆる神経に影響を及ぼしているからなのだろう。
そして俺とエルの前に立ったルルアが鞘からカタナを抜き放ち、何もない宙を斬った……ように見えた。だが実際には、火花が散り、鋭い金属音がした。何が起きているのか分からず、俺はエルを押しのけようとしたが、力が入らないように組み倒されているらしく、ピクリとも動いてくれなかった。
「……来ましたね」
ルルアがただ一点を見つめ、そう呟いた。俺を拘束していたエルが素早く移動して、俺の襟首を掴んで部屋の隅まで移動させる過程で、俺はその方向を凝視した。
そこには暗闇が広がっていた。
最終更新:2011年06月29日 23:49