Op.6 Don't get wise with me!

(投稿者:エルス)


 ※グロ注意






  訳が分からず、俺は反射的にエルの細首を右手で掴みあげ、多分、恐らくは、エルへの問いかけであろう言葉を怒鳴り散らしていた。
  それが瑛語なのか、はたまた母国語である江語なのかすら分からず、俺は怒鳴り、エルの体を揺さ振り、細首に手をかけ、力を込めて……そこで、やっと正気に戻った。

 「……ごめんなさい」

  謝らないでくれと言いたかった。お前が謝ることなんかないのだと、お前は全部気付いていたからこそ、ああいう選択をしたんだろうと、そう言いたかった。
  しかし言葉が出てこなかった。血が足りず、頭の中が空っぽになったかのような錯覚すら感じていた。不思議と嗚咽はこみあがっては来なかったが、その分、衝撃が大きかった。
  どうして俺は、ここまで来てエルを絞め殺そうとしているんだ? 答えの返ってこない自問自答が数百数千と続いたところで、俺は右手を下し、自分の顔を思いっ切り殴った。
  瞼の裏で火花が散り、口の中に錆び鉄の味が広がったが、そんなものはまだ耐えられる。目を覚ませと自分に言い聞かせ、深呼吸をして、口の中に溜まった血を吐き出した。

 「……怒らないんですか?」
 「お前が正しかった。お前は正しかったんだ。すまん、こんな時に……ああっ、くそったれ!」
 「シリル……ボクは大丈夫です。それより、ボクはシリルの方が心配です。何かおかしいですよ」

  荒くなった呼吸を必死で隠そうとする俺を、わなわなと落ち着きがない様子のエルが見詰めていた。今まで俺は、こんなエルを見た事は無かった。それはつまり、今までに無いくらいに心配されているということなのだろう。
  肩に掛けたトレンチガンの重みが急に増し、足に掛かる体重が五倍近くに増大したような気がしたが、そんな内情まで吐露する必要はない。俺はただ、エルを守りたいだけなのだ。愛し続けたいだけなのだ。それだけなのだ。
  心の中にある決意に虫が巣食い出したのだろうか、俺の身体に何が入り込んだのだろうか。突然の不安に襲われ、俺は早口でエルに謝ると、その唇を奪った。彼女の温もりを感じ、彼女の存在を感じ、彼女の感触を感じ、そして安堵する。

 「……すまん」
 「突然でビックリしましたけど、別に構いませんよ? ボクはとことん尽くすタイプですから♪」

  この場には似合わない、とびっきりの笑顔に支えられ、俺は笑みを浮かべた。
  騒々しいエレベーターの駆動音を聞き流しながら、俺はもう一度エルの唇を奪い、心の平静を保つことに努めた。
  言葉も体も、すべてエルに捧げてやる。腕一本なんか、切り落とされたって構うものか。彼女は俺の全てなのだ。俺は彼女を守り、彼女を傷つける奴は全員打ちのめしてやる。
  俺は決して引き下がらない。俺は決して諦めない。俺は決して彼女を裏切らない。どうしようもないくらいに好きだから、俺は彼女の傍に居続ける。それを実現するために、俺は戦うのだ。
  ガチャンという音がして、エレベーターが止まった。トラップの類は無いらしく、俺はフェンスを開け、ヒヤリと薄ら寒い空間に足を踏み入れた。





 「君たちがここに来たという事は、多くの職員が死んだということだな。最後まで私に尽くしてくれた者たちだった。非常に惜しいことをした」

  黒い戦闘服に身を包み、ブローニグ・ハイパワーを持ったオーベル・シュターレンは、感情を感じさせない声でそう言うと、スライドを引き、初弾を装填した。
  なにもない地下室の壁と天井で音が反射し、それに乗じたかのようにコツコツという靴音も反響する。音は大きいが、反響した音が多すぎて、逆に位置が分かりづらい。
  考えたもんだと思いながら、血を吸って尚もグリップ力を失わないグローブに感謝する。素手だったら血のぬめりで取り落としそうなトレンチガンをしっかりと握れているのは、単にグローブのお蔭だ。

 「我々の敵はテロリストでなく、君たちでもない。我々の敵は国家なのだ。君らなど、ただの障害に過ぎない。除去されるべき時に除去されれば良かったのだ」

  ふつふつとどす黒い感情が湧き上がってくるのを感じながら、俺は自制に努めた。隙があるようでいて、隙がない。無闇に突っ込めば死ぬというのは、誰だって分かることだ。
  事前にフォアエンドを引き、ショットシェルを薬室に装填したトレンチガンは、引金さえ引けば散弾を撃ち出せたが、そこまでの隙を奴がくれるのだろうか。かと言って、マッチ・モデルを抜く気にもなれない。
  そんな準備不足の俺に反して、エルは既にナイフを抜いており、その表情は真剣そのもので、心なしか呼吸も何時もより早かった。今度は俺が、大丈夫かと問いかけたかったが、そんなことをすれば頭を撃ち抜かれるだろう。

 「だが、君らは我々の前に立ちはだかり、私を殺そうとしてここまでやって来た。障害と言い切るには、些か大きすぎる障害だ。喜ぶと良い、君らは私の敵となった。よって……ここで消えてもらおう」

  極自然に向けられた銃口に悪寒を感じ、トレンチガンの銃口を向け、俺は引金を引いた。発砲音は一つだけだった。ブラフだったのかと気付いた時には、目の前にブローニグ・ハイパワーの銃床が広がっていた。
  撃つと見せかけて拳銃を思い切り投擲したのかと分析する傍ら、ガツンと言う音とが頭蓋の中に響き渡り、真っ白い光が視界を覆ったが、不思議と追撃は受けなかった。
  そのまま頭をしたたか床に打ち付け、すぐに顔を上げたが、視界がグラグラと揺れていてよく見えなかった。
  頭を何度か振ると、少しはマシになり、耳に残る金属音の正体がなんなのか分かった。エルとシュターレンが近接戦闘を繰り広げているのだ。
  対人戦の近接戦闘において、メードのアドバンテージはそのパワーにある。パワーを持って人間には不可能な動作を行い、レパートリーが制限される人間を圧倒する。
  だがエルは、そこまでパワーはない。どちらかと言えば、パワー不足を達人並みの技術と幾多の実戦経験で補っている完全な技巧派であり、対人戦の近接戦闘におけるアドバンテージがあるように思える。
  しかし、実際は違った。シュターレンという男は、軍隊格闘術の権威であり、また同時に優れた軍人であったのだ。
  隙だらけに見える脱力した構えは、隙がない。その独特な構えでナイフを避け切り、即攻撃に転ずるシュターレンの手を、間一髪でエルが避ける。
  バックステップで再び距離を取ったが、シュターレンは尚も接近する。エルであれなのかと驚く傍ら、俺は自分が満足に立ち上がる事すら出来ないのに気付き、絶望した。
  さっきの一撃が相当効いたのか、それとも、床に頭をぶつけたのが悪かったのか、どうやら脳震盪を起こしたらしいと、生まれたばかりの小鹿のようにふらつきながら推測する。
  足が上手く動かせず、ふらりと壁に激突して、そのまま床にずり落ち、再び襲い掛かってきた不安と絶望感から逃げ惑う。
  自分は役立たずではないと心中で絶叫し、俺が守ってやると言ったんだと決意を盾にして、自分を奮い立たせ、マッチ・モデルを取出し、なんとか援護だけでもしようとしたが、
  激しくポジションが入れ替わる戦いの中、どちらかに狙いを付けて撃ち殺すというのは、いくらなんでも無理があった。

 「しっ!」

  近接戦闘では分が悪いと察したのか、エルが距離を取り、袖の中から棒状の投げナイフを出現させ、合計六本のそれをシュターレンに投げつけた。
  銃弾とそれほど変わらない速度で空気を引き裂いたそれを、シュターレンは難なく避けて、床を蹴って接近する。
  人間とは思えないその戦闘能力に、俺は化け物かと口中で吐き捨てた。それと同時に、今まで感じたことのないほどの焦りと、どす黒い暴力衝動が心を侵食し始める。
  止めろ、エルに危害を加えるなと、泣き叫びたい気持ちだった。まだ足はふらつくし、立ち上がれないのが、もどかしい。
  そんな俺の気持ちを置き去りに、部屋の壁や床に、エルの投擲したナイフが突き刺さる。突き刺さるべき相手を間違えたナイフは、二度と使えない。
  そしてそれをあざ笑うかのように、シュターレンがエルとの距離を詰めていく。焦燥感が胸を焦し、暴力衝動が体の中を煮え滾らせる。止めろ、止めろと、何時の間にかぶつぶつと呟いていた。
  未だに治らない足を見限り、俺は脳震盪で馬鹿になった頭をマッチ・モデルの銃床でぶっ叩いた。
  そして無理矢理立ち上がった俺は、その所為で頭が割れたことに最初は気付かなかったが、銃床に血がついているのを見た瞬間、思わず苦笑した。そこまで強く頭を叩いた覚えはなかったのだ。

 「―――くっ、ぁ!!」

  押し殺した悲鳴が聞こえたのは、その時だった。目の前にエルが飛んできた。
  壁に叩きつけられ、痛みに顔を歪ませて、叩きだされた空気を求めて口を開け、壁からずり落ち、上半身が床目掛けて崩れ落ちる。乳白色の滑らかな肌に、血と傷がつき、痣が出来ていた。
  抱き留めたのは無意識だった。痛みに震える華奢な身体を片手で支え、理性が飛ぶ前にゆっくりと床に下してやると、エルはうっすらと開いた瞳をこちらに向け、その小さな唇を動かし、逃げて、と言った。
  微笑んで首を横に振ると、ショックを受けたような、嬉しいような、複雑な表情をした。
  物理的な意味で逃げることは可能だろう。奴は俺よりもエルのことを脅威と思っているだろうから。でもそれは、エルを見捨てるということだ。
  愛人を見捨てる馬鹿がどこにいる。命を懸けて守ろうとした愛人なら、なおさら見捨てる訳ないだろうが。

 「お前……殴ったな」
 「ああ、殴った。顔ではなく、腹部だったが、それがどうした?」

  シュターレンの含み笑いを聞き流し、俺は溜息をついた。落ち着いて、冷静に物事を考え、状況を分析し、そして勝利を目指すという基本的な考え方を、無視したいと思った。
  なんとしても、一刻も早く、この男を殺さなければならないと、そう思った。
  そして同時に、心の中で何か大事なものが音を立てて崩れていく音が聞こえた。道徳、優しさ、忍耐と言った大事なものが、崩れていく音だった。
  今まで冷静になれと押しつぶして、我慢してきたものが、一気に溢れ出していく。
  鼓動が高鳴り、左手からの出血が更に悪化した。口の中に鉄錆びの味が広がった。
  恐怖心も焦燥感も消え失せ、身体の筋肉が弛緩した後、一気に収縮し、アドレナリンが過剰分泌される。眼は血走り、呼吸は荒くなった。
  再び血溜まりが広がっていく。もう半分以上の血が抜けたのではないかと言う恐怖は、全く感じなかった。むしろ、血が抜けたことで軽くなったと思えた。
  どうしてそう思えたのかは、まったく分からなかったし、根拠もなかった。

 「その女は駒だった。私に使える忠実な駒だ。しかし、その駒は与えられた任務を放棄した……。つまりは、裏切ったのだ」

  その言葉に、俺は怒りを感じた。エルは確かに裏切った。でもそれがどうしたというんだ。あいつは自分を裏切り続けて、やっと自分として生きられる道に踏み出せたんだ。
  長い雨の中から、やっと抜け出す事が出来たんだ。それなのに、お前は裏切りと切り捨てるのか。
  俺を見下し、エルを見下し、アイツを見下し、多くの人間を見下し、見下ろしてきた男の視線を真っ向から受け止め、俺は深く息を吐き出し、全てを終わらせるその瞬間を待った。
  シュターレンが近づいてくるのが、赤く染まった視界に見えた。お前だけは、殺さなければならない。
  もう残された血液も、体力も、気力もない。身体は既にボロボロで、誰がどう見ても匙を投げるか冷や汗を流すかのどちらかだった。
  最終的に、こういう終わり方になるんだなと思いながら、俺は心の中で、エルに謝った。もうこの戦いで、生きて返れるとは、思っていなかった。
  そして謝った後、思いつくだけの弱音を一気に吐き出した。俺はお前と一緒に生きたかった。俺はお前を愛していたかった。
  お前が傍に居てくれれば、それだけで嬉しかった。それ以外の事は、もっともっと嬉しくて……楽しくて、幸せだった。もっともっと、そういう時間が欲しかったのだと。

 (……結局、馬鹿なんだ。俺は)

  遣り切れない思いを無視することもできず、心中そう呟いた。こうなってしまったからには、刺し違えてでもシュターレンを殺さなければならない。奴は生かしておけない。
  奴だけは、この世に生かしてはおけない。たとえ俺が死んだとしても、奴だけは殺さなければならない。
  殺意が胸の中で、大切な感情を押しつぶしていく。
  後悔も、未来へと馳せた幸せの夢物語も、優しい微笑みも、生き残ることの大切さも、死への恐怖も……シュターレンへの殺意で押し潰され、消えてゆく。
  エルだけは……幸せになってもらわないとな、と思いながら、俺は床を蹴った。
  至近距離で発砲したマッチ・モデルの銃身が打撃により弾き上げられる。大口径の弾丸が天井に穴を開けると、視界が高速で反転し、強い衝撃と何かが折れる音が体の中で反響した。
  首の骨が折られたのだろうかと冷静に考えていると、どうやら折れたのは首の骨ではなく、左肩の関節らしかった。ブラブラと動いたから、首の代わりに折れたのだ。

 「裏切り者は死ぬべきだ。駒に感情は要らない」

  予想外の事態に驚くでもなく、シュターレンは俺の首を折ろうと考えたのか、俺の首に手を伸ばした。やっと隙が見えた。
  俺は声を上げて笑い出しそうだった。事実、感情が顔に出て、口元を大きく吊り上げ、血走った目と血まみれの顔で破顔していた。俺は背中の筋肉を使い、思い切り頭突きするような形で、シュターレンの首に喰らい付き、そのまま喰い破った。
  鉄錆び臭い血液が食い千切られた個所から、噴水のように噴出し、口の中にぬめりとした血と肉片が入り込んできた。早くも大量出血と激痛に青くなり始めた男の顔を見ながら、俺は力なく笑った。
  男の手が首に回り、気道と血管を潰し、首の骨を折ろうとしていた。最期に何か言い残そうかと思ったが、言いたいことがあり過ぎて決まらなかった。結局、こういう終わり方になるんだと、そう思った。
  そして骨がぎりぎりと音を立てて、視界が暗くなっていく。大人の腕力と言うのは、中々に馬鹿に出来ないものだと、冷静に考える。
  しかしエルは、これで幸せになれただろうなと思った瞬間、不意に急に光が戻り、血生臭い酸素が気管に入り込んできた。貪るように空気を吸い、首の骨が折れていないことを触って確かめた後、俺は床に倒れ伏した男に視線を向けた。
  出血多量で脳に酸素が行き渡らなくなったのか、シュターレンはもう死んでいた。何だか呆気ないなと思ったが、殺したという事実に変わりはない。
  あとは……完全に殺しつくしてしまうだけだろう。袖からナイフを取出し、胸骨に思い切り刃を突き立て、そのまま骨盤めがけてナイフを下ろす。
  血が溢れ出すこともない、比較的綺麗な切断面から右手を突っ込み、被膜を突き破り、掻き出し、心臓を握り潰し、肺を床に投げ捨てる。
  肋骨を押し広げ、背骨にナイフを数十回振り下ろし、十二か所を切断し、そして最後に立ち上がって、頭を踏み潰す。グシャリと奴の頭が潰れた瞬間、本当の達成感が胸を満たした。
  これでシュターレンは、メードとして蘇ることもない。これで俺は……俺とエルは、やっと自由に生きていく事が出来る。幸福で、自由で、希望に満ち溢れた未来を―――。

 「………ぁ」

  そこで、達成感に打ち震え、笑顔で死体の頭を踏み潰した血塗れの俺は、エルを見た。驚いたような、初めて見たものを見るような、そんな目をしていた。





関連項目
シリルエルフィファーレ
オーベル・シュターレン

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最終更新:2011年07月12日 17:29
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