5:急襲

(投稿者:LINE)                 登録タグ一覧 【 LINE ルインベルグ



 世界有数の対G戦線を擁するグレートウォール山脈。
 岩肌に囲まれた無毛の大地は、まるで一切の生命を拒むかのような静寂に包まれている。
 吹き荒ぶ埃っぽい風が、乾燥しきった枯れ木の枝を揺らしていく。
 その静謐さの裏側で。
 広大なグレートウォール戦線一帯には、此度の対G戦争で築かれたGの屍の山と、それを遙かに上回るおびただしい量の血と、兵士の無念とが、幾重にも重なり合いながら染み込んでいた。
 長引く人類とGとの戦争によって荒廃し続けていく大地。
 幾年の歳月が過ぎようとも洗い流しようのない凄惨な死の痕跡は、確実に大地を蝕みつつあった。

 岩山の頂に人影が一つある。
 果てしない怨嗟が渦巻いている大地を眼下に臨みながら、物乞いが纏うボロ切れのように、擦り切れた黒衣を風になびかせて、岩山に立ち尽くしている男。
 その男の周りだけは時間が停滞しているような、あるいは捻じ曲がった、ひどく歪な空間が形成されているような。
 そんな違和感が男を中心にして振り撒かれている。

 此の世にありながらにして此の世にあらざる者。
 生ありながらにして生なき者。
 史実にありながらにして歴史の暗がりに葬り去られようとしている亡者。
 塗り潰された記録。
 歴史の暗部より滲み出た、黒い蜃気楼。

 男の頭上には、どんよりと澱んだ灰色の雲が、空を覆い尽くすように広がっている。
 男の目は光を失って久しかった。
 しかし男は今、視界が闇に閉ざされているにもかかわらず、光を得ていた頃よりもなお正確に、周囲の事象を知覚していた。
 男の眼下―――無機質に広がるグレートウォールの渓谷は今、異形のモノたちによって埋め尽くされている。
 大地を覆い尽くさんばかりに蠢く異形の種。
 虫に酷似していながら人間を大きく上回る巨躯を有し、甲殻の節々から滲み出ている黒い霧は、大地を腐らせ大気を毒に染めていく瘴気。
 はたしてそれらは黒い大河と見紛うほどの、おぞましい数の群れを成した“G”だった。

 “G”とは―――

 曰く、彼方よりもたらされた災厄。
 曰く、人を喰らい、血肉を啜る、死と恐怖の顕現。
 曰く、人類種の天敵。

 その異形の群勢は、大河を遡上する魚のごとく。
 海辺に押し寄せる津波のように。
 一つの巨大なうねりとなって。
 北へ、北へと伸びていく。
 北へと、北へと。
 地平の彼方から伸びてくる、異形種たちの百鬼夜行。
 彼らが行き着く先。
 遙か北の地にあるのは、今まさにファイヤーウォール作戦始動に伴う、撤退作業が進められている前線基地であった……。



 最初にその異変を察知したのは、基地から飛び立った哨戒機だった。
 ここ最近はG側に特に目立った動きも無かったのだが、パイロット達は気を緩めることなく、来るべき作戦の時に向けて、地表の瑣細な変異も見逃すまいと懸命に目を凝らしていた。
 そして哨戒の飛行ルートも半ばに入り、基地への進路を取ろうとしたまさにそのとき、彼らは見つけてしまった。
 目を逸らしたくなるような光景を、夢と見紛うかのような錯覚とともに。
 視界に捉えた特異点。
 もっと早くに気が付くべきだった。
 空の太陽を覆い隠しているのは灰色の雲ではなく―――大地から立ち昇っている瘴気の霧!
 そして、その下で蠢く死と恐怖の顕現。

「Gだ! なんてこった……! 基地に報告する! 大量のGが」

 侵攻する無数のGの群勢を発見した彼は、しかし最後まで無線報告を送ることができなかった。
 彼が無線通話装置を手にした直後に感じたのは、激しい機体の揺れと金属板を引き裂く破砕音。
 叩き付けるような垂直の衝撃で、ベルトに固定されていた身体がシートから浮き、手から無線通話装置のマイクを取り落とす。 
 機首が傾き、きりもみしながら落下を始める機体。
 吹き付ける暴風に煽られながら、彼は身体を硬直させた。
 砕け散ったキャノピーと、そして―――機体にしがみつく巨大な蝿の姿が目に映る。
 馬鹿げた、としか言いようがないほどに巨大なその異容。
 腐肉にたかる、あの蝿に酷似した姿を有する醜悪なG。フライであった。
 口から伸びたおぞましい管状の舌が、前席に座った同僚パイロットの身体を刺し貫き、一心に血と贓物の混合物を啜っているではないか。

「くそ……ったれがぁぁぁぁぁぁッー!」

 血のように赤いフライの複眼がはっきりと彼を見据える。
 ほんの数秒先の未来に。
 確たる死が訪れることを約束されている今この瞬間も、座して死を待つことをよしとしなかった彼は雄叫びを上げ、ソレに抗おうと座席の横に納められた拳銃の銃把に手を延ばす、が。
 フライの放射状に生え揃った無数の牙が視界一杯に広がって―――

“ザシュ、ズシュ、ズリュ、ジュルルルルルゥ……”

 彼の世界は閉じられた。



 Gによる突然の大規模攻勢。
 こうした事態は想定されていなかったわけではない。
 最悪の場合ありうる……とはされていたが、その可能性は極めて低いものとして扱われてきたのである。
 そしてそれは、事態の楽観視でも希望的観測でもなんでもなかった。
 これまでに蓄積されたGの出現傾向などの観測結果から割り出された、精度の高い予測に基づいた判断だったのだ。
 しかし、

“南方向より当基地に向けてGの大群が侵攻中! 繰り返す―――”

 基地中にけたたましい警報が鳴り響くさなか、シーマ・ノア・ネッサン卿は絶句し、暫しの間立ち尽くしていた。
 ファイヤーウォール作戦はいまや最終段階に入っている。
 あとは兵士たちを残らず撤収させて、基地の地下から噴き出させた天然ガスに着火し、巨大な炎の壁を作りあげて、Gの侵攻を阻む関所と化す……それなのに。
 基地の戦力と防衛網がもっとも低下した今、この瞬間を見計らったかのように起きた、Gの群勢による電光石火の侵攻劇。
 これまでは“Gに知性はない”というのが世界の常識だった。
 しかしながら、このタイミングでの大規模な攻勢は、意図して仕掛けてきたとしか考えられない。偶然と片付けるには、状況があまりにも出来すぎている。
 Gの出現頻度はここ最近、低下する傾向にあった。
 しかしそれが、今回の攻勢に向けた下準備だったのだとしたら……このGの群勢を自分たちに“けしかけた”何者かが存在する可能性を示唆している。
 これまで天災と同義に扱われてきた異形種“G”による災禍に、人為的な悪意が介在していたなどと、世界中の誰が考えただろうか。

 この侵攻を仕掛けた黒幕は二重の罠を張っていたのだ。
 哨戒機からの報告が断たれたポイントに急行した基地の飛行部隊が目にしたのは、我が物顔で空を旋回しているフライと、地上を侵攻するワモン等の混成群であった。
 しかしながら敵の数は“それほど多くなかった”ため、僅かな数ながらも空戦MAIDを帯同していた飛行部隊は戦闘を決意。
 現場一帯に留まるGの掃討を開始したのだ。
 先立って先週、アルトメリア義勇軍が基地から撤収し終えてしまっていたこともあって、ファイヤーウォール作戦成功の確実性を担保するためにも、不安要素は出来うる限り事前に取り除いておく。
 そういった指令部の方針もあって開始されたこの戦闘は、飛行部隊の優位で進んでいるが、今もって終結を迎えていない。
 さらに悪いことに地形のせいか、はたまた渦巻く瘴気のせいなのかは、ようとして知れないが、現在、通信障害の発生によって飛行部隊との連絡は完全に途絶えてしまっていた。
 最初の報告にあったGの数から判断するに、全滅したということはないと思われるのだが。

 ―――この時は誰も知るよしがなかった。
 急行した基地の飛行部隊が交戦しているGの群れは、“最初に哨戒機が発見したGの群勢”とは、まったく比べものにならないくらい数を減じていたということを……。 

 そして、一時的に戦力不在となった前線基地の直近に出現した、さらに大量のG。
 そう、飛行部隊はおびき出されてしまったのだ。
 本来、撤退する兵士たちの衛護を担うはずだった彼らはいま、通信の電波も届かない場所に出向いてGの群れと戦闘を継続しているのである。
 黒幕の存在が事実であるとするならば、飛行部隊はおそらく何らかの要因で長期戦を余儀なくされている―――もしくは最悪の場合、全滅の憂き目にあっているかもしれない。
 構図としては単純な陽動作戦だが、それは明らかに知性が伴ったうえでの戦術的行動であった。

まんまと嵌められた……

 Gが戦術的行動を取るはずがないという固定概念を、いつの間にか自分たちは抱いていたのだ。
 敵はそこを突いてきた。
 不甲斐ない自分たちに、シーマはどうしようもないくらい腹を立てた。

Gには明らかに“知性”がある。

 もしくは知性を持った統率者を得た可能性が大きい。
 そこまで思い至った上で、シーマ・ノア・ネッサンは大きく頭を振った。
 ここで仮説を組み立てることに意味はない。そんなことは後からいくらでもできる。
 いま最優先すべきは、Gの黒幕の正体を看破することではなく、侵攻してくるGへの対処策を講じることなのだから。



「撤退を中止させましょう。 直ちにGの迎撃を行わなければ!」

 司令室に詰めていた将校の一人が言った。
 兵士たちを乗せた車両や輸送機は今や出発も間近の状態である。
 しかしながら、このまま侵攻してくるGを食い止めることなく放置すれば、兵士達を満載した輸送機などは離陸することすら適わずに、Gの群れの中に飲み込まれることになるだろう。
 では将校の言うとおり、撤収を中断してGの迎撃に転じた場合はどうか?
 その選択も無理難題極まりなかった。
 殆どの兵士は既に撤収準備を終えており、各種の装備・兵装についてもそれは同様。
 重火器の類は既に、持ち出せない固定砲台等を除いて殆どが積み込みを完了しており、今すぐには使用できない状態にある。
 仮に今すぐに動かせる歩兵と少数の携行火器だけで防衛戦を張り、徹底抗戦を試みようというのなら、それは自殺行為に他ならないだろう。
 Gと呼ばれる異形の怪物たちは最大の特性として、瘴気と呼ばれるエアロゾルをその身から放出している。
 人が呼吸するのと同じように、Gにとってはごく当たり前の生体活動として行われる瘴気の放出。
 しかしそれは、人類にとって致命的な毒気を孕んでいる。
 重火器類による遠距離砲撃中心の戦闘ではなく、接近戦という選択がなされた場合、戦場は瘴気に侵されて、瞬く間にGの餌場と化すだろう。
 Gに接近を許した時点で人は、瘴気によって悪しき熱病に浮かされたかのように無力化されてしまう。
 Gと人との決定的な隔たりは、なにも圧倒的な膂力の差ばかりに限定されはしないのだ。

「―――このまま撤収作業を続けるべきでしょう」

 司令室に漂う焦燥感と、それに相反する手詰まり感を打ち払うように、凛然と声をあげたのは、ルインベルグ軍を指揮するシーマ・ノア・ネッサン卿だった。
 その場を漂っていた各国軍将校の視線が幾つも彼女に絡んだが、彼女はそれらに気後れすることなく、一切合切を受け止めたうえで語り出す。

「基地の地下に埋蔵された天然ガスを燃やし、今後十数年に渡ってGの侵攻を妨げる炎の障壁を作り上げることこそが本作戦の要諦です。 想定外のGの侵攻があったからといって、この目的を放棄するわけにはいかない。 我々の後ろに広がる国土と無辜の民を、Gの驚異にさらすことなどできはしない」
「……では君はここに残る兵達ごと、今すぐにでも火を着けるべきだと?」

 訝しむ老指揮官の声とともに、小国の女性士官に視線が集中する。

「負うべき責は私たち司令部にこそあります」

 シーマはあえて、兵士と司令部を切り離してものを言った。

「私たちの見通しは甘かった。 敵の動きを読み違えたツケは支払わなければいけない」

 いまや司令室は、誰かが唾を飲み下す音も聞こえるほどに静まりかえっていた。
 そっと目を伏せたのは一瞬、シーマは屹然と顔を上げる。

「Gの足止めは我が隊が行います。 各国の皆様方におかれましては、その間に速やかな撤退の完了を」

 堂々としたシーマの宣言に、我に返った各国軍の将校たちからは次々と無茶だという声があがる。

「しかし、貴国の部隊だけでは到底押さえ込める数ではないぞ! やはり全軍を結集して対処すべきではないか!」
「それでは遅すぎます。 反撃の準備もままならないでしょう。 兵達の命を無駄に散らす必要はありません。 それに―――」

 シーマは一瞬だけ司令棟の外に目をやり、再び室内に視線を戻した。

「我が隊は既に展開を開始しています」

 窓の外には、基地内を慌ただしく駆け回る兵士たちの間を、何台ものジープやトラック、それに軽戦車までもが走り抜けていく様子が見えた。
 車体にマーキングされた国旗や、乗り込んでいる兵士たちの軍服は、紛れもなくルインベルグ軍のもの。
 シーマ・ノア・ネッサン卿率いる軍の精鋭部隊である。 
 彼らは作戦が最終段階に入る以前から、臨戦体制のまま待機を続けてきたため、この有事に際してもシーマの号令一つで、いち早く展開しているのである。

「しかし、やはり無茶だぞ。 いくらなんでも戦力差がありすぎる」
「死にに行かせるようなものだ……」

 部隊の立ち上がりの俊敏さには感心を示しながらも、各国軍の将校たちは口々に苦言を呈した。
 彼らとて、今日まで最前線で主力を張ってきた精鋭たちの長である。 
 臆病風に吹かれることなどあろう筈もないが、彼らの経験からすれば、シーマが語ったプランはどう考えてみても無謀としか思えない。
 如何にルージア大陸戦争で勇名を馳せた部隊とはいえ、それは対人間に限っての話。
 自前のMAIDすら保有していない国の部隊が、Gを相手にしてどこまで対抗できるのかは甚だ疑問に思えてしまうのだ。

「私とて兵たちの命を無駄に散らせるつもりはありません。 それが貴重な我が軍の戦力であるのならなおさらのこと。 ……遅滞戦闘。 時間稼ぎが精一杯です。 限界と判断すれば、我らもまた退きます」

 他の将校たちが浮かべる悲観とは裏腹に、シーマの目には揺るがない決意がみなぎっていた。

「しかし“その時”がきたときには、迷わずあのレバーを下げて頂きたい。 たとえ、その決断がどれだけの犠牲を伴うものだとしても―――それが我らの責任の取り方です」

 将校たちは司令部に置かれたレバーに目を向けた。
 それは天然ガスの噴出弁の開放と、着火を行う装置を起動するためのものだ。
 シーマが言う“その時”とは、つまりGが最終防衛ラインを突破した時のことである。
 その場合は撤収し遅れた兵士たちもろとも、基地を燃やす決断を下さなければいけない。
 いざという時は自らの手で味方の兵士たちの退路を断ち、その命をも奪う重責を担わなければならないと、シーマは告げたのだ。
 自軍の兵士たちの命を自らの手で奪う。
 いかに自軍の損害を最小限に抑えて勝利へと導くか、ということを至上命題としている指揮官たちにとって、これほど耐え難い決断もないだろう。
 しかしそれこそが、この時点で考えうる最も現実的な選択肢である以上、一同は押し黙るほかなかった。 
 ほどなくしてシーマの提案は了承された。

「先遣の飛行隊へ連絡続けろ。 戻り次第、援護にあたらせる!」
「いいからMAIDだけでも編成しろ! 前線に随伴する者と、撤収部隊の護衛にあたる者に分けるんだ!」
「準備ができたトラックからどんどん出していけ! 後続は待たんでいい!」
「全周波数で近隣の基地及び部隊に救援要請を!」

 命令が飛び交う司令室に背を向けて立ち去ろうとしたシーマの背中に、各国の部隊を統括しているエントリヒ軍の司令官が声をかけた。

「すまないな、苦労をかける……」

 歳こそ離れているものの彼とシーマは、この基地での合同任務に就く以前からの顔見知りだった。
 続く彼の言葉の端々には本来ならば自分たちこそが、まっ先に自国を守る責務を負わなければいけないのに、という自責の念が滲み出ている。
 しかしエントリヒ軍は半年以上前に行われたある作戦によって、対G戦力の中核と期待されていたMAIDを多数喪失したために、各地の前線で慢性的な戦力不足に陥っていた。
 各国からの支援部隊を積極的に受け入れて共同戦線を張っているのには、そうした理由もあるのだ。

「我が隊だけでは心許ないというのは重々承知しています。 ですが、どうかお任せ願いたい」

 立ち止まって司令官に振り返ったシーマが告げた。

「もとより殿(しんがり)こそが我々に下された任務なのですから」


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最終更新:2011年08月07日 20:56
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