(投稿者:怨是)
1945年9月18日。すっかり熱を失った風が、秋の訪れを予感させる。
シーアが帝国の病院からベーエルデーへ帰還する際に敢えて陸路を選んだのは、仲間に触れて回った「この場所を観光し、あわよくばファンの淑女と一夜を過ごしたい」という理由ではなく、帝国で遣り残した事が気掛かりだったからだ。新聞記事には、
プロミナは黒旗のMAID達と共謀して図書館を焼き尽くした末に行方をくらまし、生死は不明とされていた。
「さて、新聞と一緒に情報を仕入れたのはいいが……それは果たして真か偽か」
情報屋はこう云っていた。
『首謀者の名前は
シュヴェルテ。黒旗を騙り――情報に依れば正式な構成員ではないらしい――皇室親衛隊に攻撃を仕掛けたMAID。国境沿いの辺境の町バトロッホ市の教会に住まい、シスター・エミアと名乗っている』
……出所不明の情報を頼りにこの地を踏んだのは、“知る”という可能性を見逃したくないからだ。病室での黒旗MAID達との会話から、拭いきれない違和感が胸の内を占めていた。プロミナの仕業とされてきた連続放火事件は、如何様な思惑が動いていたのか。混迷に満ちた帝都の渦中にあったプロミナを亡命させたシュヴェルテは、何を企んでいるのか。その答えを探しに、此処へと赴いた。
「ほぅ……」
安い宿から数キロメートルの距離を歩き、日が昇って暫く経ったこの町の情景を、シーアは素直に美しいと思った。セントレーア教の由緒正しき教会の扉を開き、古びていながらも綺麗に掃除されている告解の間へと足を運んだ。この地域独特の風習なのか、ここの懺悔はよくある懺悔とは違い、小部屋で長机を挟み、顔を見せ合うものだった。シーアはふとこの間取りが取調室によく似ていると思ったが、逡巡は即座に吹き飛ぶ。
「漸くお目に掛かれて嬉しいよ。シスター・エミア。否、黒旗所属MAID、シュヴェルテか」
写真で見るよりも穏やかな表情は、修道女としての顔か。だが、俄かには信じがたいとはいえ、彼女がプロミナともう一人のMALEを連れ出し、図書館を襲撃させたのは間違いない事実だ。この場で下手を打てば、後で命が危うくなるかもしれない。
「これはこれは、赤の部隊の隊長さん。こんな有名人が懺悔に来るなんて。私、もうすぐ死ぬのかな?」
「殺しはしないよ。ただ、話がしたい。君がプロミナを国外へ亡命させたと、一部ではその話で持ちきりなのさ。帝国のMAID達の交戦記録が、
EARTH経由で何故かこっちにも来てね」
「じゃあ、やっぱり私は死ぬんじゃない。居場所がばれてしまえば、もうそこまで」
悪戯っぽく笑ってみせるシュヴェルテからは、死への恐怖が感じられない。釣られて、シーアも顔を緩めた。
「君が此処に居る事を知ったのは本当に、単なる偶然だよ。大丈夫だ。口外しない。寧ろ、重要参考人として守らせて欲しいくらいだ」
敢えて“守りたい”ではなく“守らせて欲しい”と云ったのは、シュヴェルテをそれなりの手練れであると評価した上で、あくまで敬意故に控えめな云い方を選ぼうと考えたからだ。が、それが却って彼女の癪に障ったらしい。シュヴェルテの眉間に、僅かながら皺が寄った。
「まどろっこしいな。本題に移って」
「今までプロミナが黒旗に利用されて遣ったとされている連続放火事件なんだが、本当に君達の仕業なのかい?」
本物の黒旗構成員であるガレッサは「違う」と云っていたどころか、シーアがプロミナに吹き込んだとまで云っていたが、この修道女はどう答えるのだろう。
「答えは否。皇帝派の連中が仕組んだ」
此処までは予想通り。問題は論拠だ。誰だって罪と罰を恐れる。責任の回避をすべく、敵となり得る他の誰かに罪を被せたがる。故に、この答えだけでは納得するつもりは無い。質問を続行する。
「黒旗に属する管理者クラスのMAID達も、自分達の仕業では無いと云っていたな。皇帝派の仕業というのは初耳だが、何か根拠になるものは無いか?」
「プロミナは以前から黒旗に目を付けられていた。ある日、プロミナは無名のプロトファスマと交戦した。クード・ラ・クーという、モスキート級のプロトファスマなんだけど」
「ベーエルデーにはそんな情報は届いていないな。名前すら知らない」
ジャン・E・リーベルト、正確には
カ・ガノ・ヴィヂがベーエルデー領アオバークに現れた辺りから、プロトファスマの目撃例が激増している事は知っていた。が、プロトファスマの大半は人間に擬態する能力を持っており、無用な混乱を避けるべく、民間人には知らされていない。いわゆる軍事機密となっている。シュヴェルテの言葉は出任せではないだろう。
「……だろうね。所詮はその程度。知ってる人の方が珍しいくらいの無名だね。小さな村を襲って、幻覚作用のある神経毒を用いて村人達を仲間にしたというくらいの被害だった。だから、プロミナがそれと戦ったというのも、最初は誰も信じなかった。ただ……ごく一部の上層部を除いては」
「皇帝派の、上層部か」
「ううん。正確には、皇帝派の何名かも含めた上層部。極秘裏に調査部隊を向かわせて、漸く解った事らしいけど。皇帝派の連中としては
アースラウグよりも先にプロトファスマを、単身で討伐されるという事実を認めたくはない。だから、その戦闘は只の火事という形にした」
「クード・ラ・クーとやらは闇に葬った上でか」
「勿論、それが奴らの狙い。ところがそうも行かなかった。私達黒旗も急増するプロトファスマへの対策を練っていたから。例え無名であろうと関係なかった。現場に居合わせた
エーアリヒが配下に命じて残骸を回収させ、照合の結果、コアや身体の破片からプロミナが倒した事を知っていた。皇帝派にとっては黒旗もまた、邪魔者だった」
「それを知られていては不都合があったと」
「その情報が漏れたら、プロミナを悪者には出来ないから。……だから、皇帝派の連中は黒旗とプロミナの両方を生け贄にする事にした。私が、ヴォストルージアのスパイであるとでっちあげたのと同じ様にね」
そう云ってシュヴェルテが広げたのは、古びた新聞の切れ端だった。後生大事に持ち歩いているのであろうそれは、所々に皺が寄り、年月の経過を思わせる変色も見られた。ただ、文字は霞んで居らず、しっかりと読める。
1943年10月28日
ジークフリート、ヴォ連スパイを断罪!
昨日未明、ヴォストルージアより派遣されしスパイMAIDが正義の下に断罪された。 |
反逆者の名はシュヴェルテ。 |
彼の者は我々エントリヒの民に混じり、あろう事か国家転覆の毒を撒いたのだ。 |
配備間も無くGを退けたシュヴェルテは我ら民衆を扇動。 |
その戦果に紛れて事実無根のデマを流していた。 |
この忌まわしきスパイに、遂に正義の鉄槌が下された! |
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事の詳細は以下の通り。 |
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先日の作戦にて、ジークフリートはシュヴェルテの不審な行動を目撃。 |
ジークフリートは即座に見抜き、一瞬且つ一刀にして叩き伏せたのである。 |
神がかりの速度で叩き伏せた姿に、その場の兵士が感服。 |
作戦終了後、盛大な拍手を以って賞賛を送った。 |
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この件を含め13人ものスパイを全て断罪した功績は大きく、今後のジークフリートの躍進への足掛かりとなるだろう。 |
この活躍を受け本日の午後、ジークフリートには金柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字勲章が |
エントリヒ皇帝陛下から直々に授与される事をご決定なされた。 |
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我々エントリヒ帝国国民は、卑劣なスパイに決して屈してはならない。 |
それをジークフリートが剣の一振りを以ってして伝えたのである。 |
我々国民は真実の眼と正義の剣を以って、スパイを断罪せねばならないのだ! |
其れこそが正統たるエントリヒの義務であり、またエントリヒの歴史より与えられし権利でもある。 |
ジークフリートに続くべし! |
「これは……」
プロミナの時と同じだ。愚かしい。こんな、馬鹿げた茶番が“事実”として大衆に広められてきたのか。それも、この頃からずっと。
「酷い三文記事でしょ。犠牲になったのは私だけじゃない。他にも何人も、都合の悪いMAIDは消されてきた。Gと戦う上でMAIDが減ったらどういう事になるか知らない筈が無いのにね」
「何故、そんな事を」
「御山の大将が力を誇示するには、何が一番効果的だと思う?」
「見せしめ、か」
「その通り。連中はジークフリートと肩を並べそうな、尚且つ皇帝派に属さないMAIDを次々と葬った。それを知った皇帝が怒り心頭で演説したのは、多分全世界のあらゆる人々が知ってると思う。黒旗が生まれたのもそれからすぐだったし。当時の黒旗は皇帝に見限られたと思い込んだ皇帝派が大半を占めていた。云うなれば、大掛かりな八つ当たりって奴」
シーアは思わず顔を歪めた。精神的にも成熟しているべき軍隊の大人達が、何を子供じみた真似を。黒旗発足の大義名分は立派ではあるが、下に付いた者達がその体たらくでは破綻するのも無理からぬ話だ。或いはこれは、プロパガンダを生業とする
ベーエルデー連邦に生まれた者としての、同族嫌悪か何かだろうか。胃が圧迫される。シュヴェルテは此方の感情に気付いたのか、覗き込む様な眼差しへと変えた。
「誰だって、上層部の云う事を善かれと信じて行なったのに、それを悪行と叱責されればいい気分じゃあないものだよ」
「行動に移すかどうかは当人達の分別次第ではないのか」
「殺しまでやってしまったら、引き下がれるものでもないよ。私も一度は殺されたしね」
息を呑む。不穏な単語が羅列されるのに反して、シュヴェルテの声音はひどく穏やかで、何かを懐かしむ風であった。シーアはそのちぐはぐな印象に身を縮めたくなる衝動を抑え、頷いて次の話を促す。
「暗殺を装って売春宿に売られた私は、ある日、親衛隊の下部組織である諜報組織に、親衛隊へと連れ戻される事になったの。無論、貴女も知る通り、私は黒旗へ寝返った。腐りきった親衛隊に復讐したかったから。私より何千倍も幸せな環境に居る筈なのに、それを生かし切れていないジークに、八つ当たりがしたかったから」
「ジークには、勝てたのかい?」
「駄目だった。思わぬ横槍が入っちゃって……心臓を撃たれて川に落ち、流された先のこの教会に保護された。それでも諦めきれなかった私は、それまでよりも穏便に、悪く云ってしまえば陰湿に復讐する事にした。親衛隊だけが大手を振ってMAIDを保有出来る環境や、帝政そのものを破壊して、親衛隊を消毒する為に。かつては怨んでいたジークにも、協力して貰おうと思った。私と彼女の目指す処は同じだから」
「ジークもまた、帝国の現状を良しとしていないのか」
「やっと偽りの王座から降りられると思ったら、妹分のアースラウグが同じ場所に据えられて、かつてと同じ事をされている。しかも、アースラウグはそれを受け入れている。自分が一生懸命“間違っている”と証明しようとした事が、無かった事にされようとしているんだから、面白い訳が無い」
ベーエルデー連邦の保有する空戦MAID部隊ルフトヴァッフェに於いても多少のプロパガンダが行なわれているが、シュヴェルテの語る内容よりはずっと健全だ。ベーエルデーは故意に犠牲者を増やす真似はしない。しない筈だ。喉元に突き付けられた正体不明の感情が、苦しい。この胸の痛みは何だ。
「だから私は情報を集めて、宰相派にリークし続けた。プロミナの他にも狙われているMAIDが居たら、手が伸びる前に直接介入もした。黒旗を名乗ってね。あと少しで、連続放火事件も化けの皮が剥がれる。私の協力者の一人に入手させた書類があるんだけどね、見る?」
「是非とも」
手渡された書類の束を丁寧にめくりながら読み通し、シーアはいよいよ絶句した。こんな馬鹿げた事が罷り通っていながら、表だって手出しが出来ず、例え介入できたとしても裏方からしか遣り様が無いとは。
内容としては、表向きにはプロミナと黒旗が共謀して無作為に家屋を焼くというもので、プロミナ本人には偽の任務で動かせ、親衛隊側から黒旗に扮した工作部隊を放ち、ニーベルンゲに在住する黒旗スパイの疑惑が上がっている人物の家に火を放つ。写真を撮って新聞に載せ、スキャンダルを演出した処でプロミナを捕縛、軍法会議に掛けた上で、アースラウグの手で処断されるという筋書きとなっていた。
「これは……」
更に読み進める。“改訂版計画書”と記されたページをめくると、
テオドリクスなるMALEの離反後を視野に入れた計画が書き連ねられていた。これに依れば、テオドリクスを首謀者の一人に仕立て上げ、プロミナには贖罪と称して尋問を行なわせたらしい。
「何が目的なんだ。皇帝派は」
「その先も読んでみて」
プロミナの開発に関わったMAID技師を処罰するついでに、庇い立てした軍人を次々と失脚させる。計画の最終段階では、アースラウグの演説で締め括られる。親衛隊内部から放火犯が現れる等、帝都の治安低下が叫ばれる今、帝国には真の団結が必要であると、その為には宰相派が抵抗を止め、皇帝派の傘下となるべきであると、そういった内容の、彼らの主張を正当化する為の演説だ。
寒気がする。こんな事の為に、プロミナは犠牲になったのか。たった一日見ただけで「守らねば」と心を突き動かした背景には、こんな馬鹿げた計画が横たわっていたのか。
「これが、連続放火事件の真相」
「道理で黒旗にしては主張の無い遣り方だと思っていたんだ。うちの国の議会の連中は揃って君達の所為にして、強行査察を決め込んでいるらしいが、私は君達が、いや――」
この場合はシュヴェルテ個人の話か。
「――少なくとも君がプロミナの亡命という大義名分の為にあんな乱暴な真似をする様な奴ではないと考えていた」
「それはどうも」
「私はずっと、真実を知りたかったんだ。君は嘘をつくには優しすぎる目をしているからね」
――嘘をついているのは寧ろ、私の方だ。
黒旗は憎い。そしてその名を借りるシュヴェルテも同様に憎い筈なのに、自らの抱く敵意を隠し、欺いている。
「真実ってそんなに優しいのかな。暖かいのかな。私はそうは思えない。あの陸戦最強の国に限らず、どんな国にでも問題という物はそこら中に転がっている」
物憂げに語るシュヴェルテからは、此方の感情の真意にまでは気付く様子は見られない。“情報収集”は今の所、順調だ。
「一度躓いて、転ばない方法を学んだあの子なら、もう同じ目には遭わないとは思うけど……でもね。もっと優しい遣り方があったかもしれないのを、私は敢えて無視したんだ。自分の目的を忠実にこなす為にさ。それって、すごく冷たい事じゃない?」
「そうして悩める事こそが、君の心にある温もりの何よりの証拠さ。君が本当に冷徹な人格の持ち主ならば、そもそも危険を冒してまでプロミナの処、かつての古巣まで赴いたりはしないよ」
「最初はね、遠回しな復讐をしようと思っていた。連中があまりにも普遍的に、悪い慣習を続けていたから、もう一度黒旗が生まれた時の様な痛みを味わって貰おうと思ったんだ。でも、地下牢でプロミナを見て、私は演技とかじゃなく、心の底からあの子を救わなきゃって考え始めた。黒旗があの子にした事を棚に上げてでも、遣らなきゃいけないと思った」
「私が初めてプロミナと出会った日、彼女は……」
彼女は、『私は何処へも行けないんです』と、確かに云っていた。その眼差しは果たして、王子様を待ち侘びて旅に出ようとする姫だったか? 断じて違う。火炙りの刑を待つ魔女だ。黒旗に追われ、頼りにすべき筈の親衛隊からも追われ、あの広い広いニトラスブルクの町を、翼も無しに奔走していた。
「彼女は、還る場所すら奪われていたな」
「そう。貴女も見たよね。あの子は、この世の全てに憎悪しつつも、それでも何処かに救いを求めていた。心は殆ど壊れかけだったけど、あの子は、心の奥底に残ったまともな部分が悲鳴を上げて、泣いていた。積み重ねてきた土台が少なかった分、恐らく私よりも悲痛な顔で泣いていたと思う」
「君よりも? どういう事だい?」
「私も、古巣に裏切られた腹いせに黒旗へ寝返ったから、解るんだよ。拠り所を無くした悲しみが、あの子に涙を流させた。だから私はまずあの子に力を与え、思う存分暴れさせた。勿論、入念な下準備をした上でね。ジークには他の奴らに手出しをさせない為に、一芝居打って貰った。望むところも一致していたから」
ジークに一芝居……何とも腑に落ちない。
「詳しく教えてくれ」
「プロミナの処遇を巡って、ちょっとした論争があった。国内に残留させて疑いを晴らしたいと思ってる人達と、私や貴女みたいにプロミナを亡命させる事で環境をリセットしたいと思ってる人達の間で。ジークには前者のフリをして貰った。最後の最後で主張を変えて、誰も逆らえない様にね」
「だが、ジークは云った。“守護女神は死んだ”と。表舞台を降り、アースラウグに主役の座を譲った以上、発言力は殆ど無いのでは?」
「――って思うでしょ? 現在の帝国が神と崇め奉ってるアースラウグは、ジークを姉として慕っている。彼女がジークの言動に疑問を挟む余地は無い」
「……」
アースラウグの人物像を、シーアは知らない。人伝てに聞く限りでは正義感と愛国心に溢れる、活発な少女らしい。彼女もまた、ジークに同じく孤独なのだろうか。
「可哀想な子だとは思うけどね。アースラウグも。だって、皇帝派の連中の操り人形にされているんだもの。頼りにすべきジークにまでも、疎まれて。でも、思想の揺りかごから振り落とされる痛みを知ればこそ、己の意志を持つ大切さが解ってくる」
「君はそれを身を以て知っているから、か。敢えてプロミナを仲間に引き入れないのも、彼女の能力だけでなく、君の信条に依る処も大きいのかな」
「そう。私みたいな存在はこれ以上増えちゃいけないんだ。だから私は、切っ掛けだけを与えて、後は全部自力で賄わせる事にした。今頃上手くやってくれるといいんだけど……」
「やれるさ。彼女なら」
「私があの子を救った理由は単なるエゴでしかない。それでも、私が救ったあの子を信じるの?」
「ああ」
全てのピースは繋がった。時には狂奔し、或いは消沈した激動した日々の答えは此処にあったのだ。もう疑念を持ちながら憎悪する必要が無いと知り、シーアは胸を撫で下ろした。
「何はともあれ、君は彼女を見つけ出し、救ってくれたんだ。ありがとう。シュヴェルテ」
「礼には及ばないよ。貴女がどのようにして彼女を救い損ねたかは知らないけれど、私は、私の為に剣を取っただけ。貴女の矜持のケツを持った訳じゃあ断じて無い」
「知っているさ。それでも嬉しいんだ。君のお陰で、プロミナが何処かで生きている。命だけじゃなく、心も。……これで漸く、皆が報われた気がする。それだけで、堪らなく嬉しいんだ」
何故だろう。涙が止まらない。思えば長い一ヶ月だった。慰安旅行で赴いたニーベルンゲから眺めたニトラスブルクが暗い事に気付き、現場へと駆け付けた先でプロミナを助け、黒旗の銃弾に倒れ、ニーベルンゲ中央病院で生死の境を彷徨い、その間に
キルシーは仇討の為に赤の部隊の隊員達を連れて黒旗の本部へと殴り込んだ。背中の翼が消えてからも、激動が止む事は無かったが、この場所で遂に結論を得た。自らが関る事が叶わなかった事が悔しかったのか、それとも、キルシー達が動くに至った自分の不始末が決して無駄では無かった事が嬉しかったのかは、判然としない。
ただ一つ云える事は、漸く決着が付いたのだ。犠牲が無いとは云えないが、悲劇的な結末は回避できた。
「だからって、泣くまでの事なの?」
「……私は泣いてるんじゃない。笑っているんだよ」
シーアは笑って見せた。シュヴェルテもまた、困った様な顔で微笑む。
「そう……確かに、見てて心は痛まない。不思議と、憎しみも湧いてこない。なら、きっと、貴女は笑っているのかな」
「すまなかったな。懺悔でも無い、こんな世間話に付き合わせてしまって」
「いいよ。でも、一つだけ交換条件。いい?」
「実行可能なものなら、何でも。無論、口外無用というのは互いの前提条件だね?」
シュヴェルテが頷く。
「まぁね。じゃあ今から質問に答えて欲しい。灰色の反対って何色だと思う?」
「……青空の色、かな。陽光を遮る雨雲はいつも灰色だ」
「面白いね、その答え。私の好きな人は、虹色って云っていた」
「虹の出る空が一番似合うのは、晴れ渡った青空だろう?」
真相への道程が開けた。慰安旅行の一番の手土産は、心の靄が晴れた事だ。
「……違いない」
「さて、こんなに清々しい気分は久しぶりだ。今日は何処かへ出かけてみるかな」
「ご達者でね。迷える子羊さん」
「戦場で出会わない事を祈るよ、シスター・エミア。どうか、君の主に取り計らっておいてくれ」
「私は修道女と云っても出来損ないだからなぁ。気まぐれな神様は聞き入れてくれないかも」
「そうか。じゃあ私は成就するまで祈り続けるまでさ」
欲望の為に誰かを生け贄に捧げる輩を、打ち倒せる様に。努力した全ての者達が馬鹿を見ない様に。これ以上、血の涙が流れ落ちない様に。祈ろう。
「そうして頂戴。神様は誰かに祈られるのが仕事だから」
「……違いない」
決意を胸に扉を開き、教会の庭へと出る。シーアは水遣りをする修道女達に挨拶を交わし、教会を後にした。未解決の案件を指折り数える。問題はまだまだ山積みだが、前へ進める原動力はこの胸中にある。シーアは炎の翼を形成し、青空へと羽ばたく。次は何処へ寄り道しようか。帰りを待つ乙女達をもう少し焦らしてやるのも悪くは無い。
こんなに清々しい気分は久しぶりだ。
最終更新:2011年09月11日 04:46