彼と彼女のために鐘は鳴る

(投稿者:エルス)


 愛と言うものなどはそれほどロマンチックなものではない。なぜなら愛とはなんらかの障害がなければなりたたないものだからだ。
 真に愛なるものは、その障害をものともせずに女を愛し、自らを犠牲にすることのできる男と、障害を飛び越えて男を受け入れ、自らを犠牲にできる女に生まれる。





 「たとえ、予言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。
  全財産を貧しい人人のために使い尽くそうとも、愛がなければ、わたしには何の益もない。
  愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。 礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
  不義を喜ばず、真実を喜ぶ。 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。
  愛は決して滅びない。予言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、わたしたちの知識は一部分、予言も一部分だから。
  完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。
  わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。
  だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。
  それゆえ、信仰と、希望と、愛、この3つはいつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」

  そんな言葉を聞きながら、俺は窮屈な礼装軍服に身を包んだ俺は、どこがどうアクロバットしてこうなったのか、誰かに説明をしてもらいたい気分だった。
  俺はあの時、確かに本気で結婚しようと思ったが、何もセントレーアの大聖堂で結婚式を挙げるとは思ってもいなかったのだ。
  唯一の救いは関係者以外にこの事が知らされていないことだったが、それすら掠れて消えてしまうほど、この大聖堂のインパクトは大きい。
  何せ、想像を絶するほどでかいのだ。数百年前にこんな馬鹿でかいものをよく作る気になったもんだと思うほどだ。
  作った奴はきっと頭のネジが三十ダースくらい抜け落ちていたのだと思っているうちに、式は進んでいく。
  髪の毛の真っ白い、小さな丸メガネをかけた司祭が式辞を述べているが、緊張して段々といらいらしてきた俺には本当にどうでも良い事だったので、ごく一部を除いて聞き流した。

 「――そこで、出席の皆さんのうち、この結婚に正当な理由で異議のある方は、今ここで、それを申し出てください。今、申し出がなければ、後日、異議を申し立て、二人の平和を破ってはなりません。
 次に、あなたがた二人に申し上げます。人の心を探り知られる神の御前に、静かに省み、この結婚が神の律法にかなわないことを思い起こすなら、今ここで言い表してください。神のことばに背いた結婚は、神が合わせられるものではないからです」

  一瞬、一度死んだ身のメードの中でも優秀でもなんでもない俺なんかが結婚していいのだろうかという考えと、俺なんかがエルと一緒になって良いのだろうかという不安も浮かんできた。
  今更何を言い出すんだ、この野郎と、自分自身を罵りたくなった俺は、深呼吸することでそれを押しとどめた。
  儀礼や式典と言う儀式めいた事が嫌いな俺は、早くもこの宗教色の強いことに飽き飽きしており、となりにエルがいなければ声を荒げて門を蹴破り、
  この大聖堂の外へ駆け出していたかもしれない。エルがいるからこそ、俺はここに留まっていられるのだ。俺を繋ぎとめているものは、エルだけなのだから。
  そして気付けば、

 「シリル、あなたは今、この女子を妻としようとしています。あなたは、真心からこの女子を妻とすることを願いますか」
 「願います」
 「エルフィファーレ、あなたは、今、この男子を夫としようとしています。あなたは、真心からこの男子を夫とすることを願いますか」
 「願います♪」

  嬉しさに弾んだ声で、エルがそう言った。その声を聞き、俺は自分がほっとするのを感じ、そして胸が幸福感で満たされているのを感じた。
  唯一呪うべきことがあるならば、メードが長くは生きられないものらしいということだけだが、それはそれで、誰かが素晴らしい発明をしてくれることに期待するしかない。
  つまりは神頼みということだ、我らが主よ。俺は今まであんたのことを一度たりとも信じたり、その存在を認めたりしたことはなかったが、ここにきて少し考え直したんだ。
  都合のいい考え直しだなと笑うがいいさ。しかし主よ、あんたもなかなか意地が悪い奴なんだろう。だから残り少ない余生だけで良いから、せめて幸福に生きられるようにしてくれないか?

 「あなた方二人は、この結婚が神の御旨によることを確信しますか」
 「「確信します」」
 「シリル、あなたは、神の教えに従い、きよい家庭をつくり、夫としての分を果たし、常にあなたの妻を愛し、敬い、慰め、助け、
  死が二人を分かつまで健やかなときも、病むときも、順境にも、逆境にも、常に真実で、愛情に満ち、あなたの妻に対して堅く節操を守ることを誓約しますか」
 「神と証人の前に謹んで、誓約いたします」
 「エルフィファーレ、あなたは、神の教えに従い、きよい家庭をつくり、妻としての分を果たし、常にあなたの夫を愛し、敬い、慰め、助け、
  死が二人を分かつまで健やかなときも、病むときも、順境にも、逆境にも、常に真実で、愛情に満ち、あなたの夫に対して堅く節操を守ることを誓約しますか」
 「神と証人の前に謹んで誓約いたします」
 「よろしい。それでは、誓いのキスを」

  そういうわけで、俺はエルの顔を覆っていた白いヴェールをあげて、その額にキスをした。



 「しっかし、意外と簡単に終わっちまうんだなぁ……もっとロマンチックなもんかと思ってたぜ」
 「宗教に期待なんかするんじゃねえよ。というか、今回の式は秘密裏にやらなきゃいけなかったんだろう? なら、この呆気無さにも納得だ」

  お互いにスーツ姿で空を見上げながら喋くって、顔を見合わせもしなかったと言うのに、何故か同時に溜息を吐き出す。
  真似すんじゃねえよとスピアーズに俺が言うと、スピアーズはてめえの方こそ真似すんじゃねえよと返してきた。どちらもそんなことはどうでも良いと言うのは、分かっていた。

 「あーあ、俺の恋がここまで完膚なきまでに粉砕されるとはなぁ……行けると思ったのになぁ……惜しかったなぁ……」
 「お前には絶対にやらないからな」
 「誰も花嫁をくれなんて言ってないだろうが。……ま、色々頑張ってきたから、諦めつかねえのは事実だけどよ。俺の顔の広さは、ぜーんぶエルフィファーレに告白するための前準備だったってのによー」
 「だから、そんなにぐちぐち言われても、俺はエルを手放す気なんか無いぞ?」
 「んなことくらい知ってらあ。っつか、なんなら一緒にセックスするかとか抜かしやがったら今度こそ本気でぶっ殺そうかと思ってたとこだぞ、俺は」
 「馬鹿かお前は……。もうエルは俺以外の男に抱かれるなんてことはない。まぁ……多分、な……」

  火を点けずに咥えっぱなしの煙草を上下に弄び、断言できない自分の御人好しな性格と気配りしすぎる性分に対して舌打ちをする。俺なんかがエルを束縛していいのだろうかという疑問が、心の中に巣食っている。
  対するスピアーズは、そんな俺に呆れているのか、それとも羨ましがっているのか、どっちなのか分からない目で、青々と澄んだ空を見上げていた。
  昔の俺のような真っ直ぐな瞳に懐かしさと、今の自分になるために手放してしまった感情が見え、後悔の念が湧き上がってきた。
  俺は俺でいる事ができる。俺はエルと一緒に過ごす事ができる。でも俺は、変わってしまったのだと、弱気な自分がひょいっと顔を出し、心の城壁の響きやすい部分を容赦なく叩きまくっていた。

 「……でもまあ、良いじゃねえか。お前は女を勝ち取って、俺は涙を堪え、この経験を胸に刻んで、他の女を探すことにする。
  んで、お前らがマンネリ化してるころに、俺は幸せになってるって寸法だ。どうだ、良い話だろ?」
 「ああ、そうだな。ヒデェ話だ」
 「ははは! そうそう、最高にクールな話だ。……ところで、あそこにいる通信隊の女曹長、どう思う?」
 「うん? ……ああ、あの子か。良いんじゃないか? 控えめで、暴走列車並みのテンションのお前とは釣り合うだろう」
 「だろうだろうそうだろう? よし、んじゃ早速アタックしてみるわ。んじゃ、花嫁を幸福にしろよ!」
 「そんなの当たり前だろうが」

  呆れ気味にそう言った俺の言葉が届いたのか届いてないのか、スピアーズは早速通信隊の女曹長に話しかけに行った。
  俺はそれをぼんやりと眺め、女曹長を見事に笑わせることに成功したスピアーズは、少年そのものの笑顔になった。それを俺は、素直に羨ましいと思った。
  大事なものは失くしてから気づくもので、今の俺にはもう、あんな純粋で真っ直ぐな笑顔は作れないだろう。
  俺は女一人を守るために、色んなものを手放して、その空いたスペースにエルが入ってくれたというだけで、その実、こうなってしまった俺は根本的に以前の俺よりも弱く、不安定だ。
  だからこれから、エルには迷惑をかけることになるだろう。
  もちろんその分、俺はエルが望むことを出来る限り叶えてやるつもりだし、もう二度と偽りの笑顔を浮かべなくて済むように、幸せにしてやるつもりだ。絶対と言い切れないところが、俺らしくて泣けてくるのだが……。
  そんなことを考えていると、右から誰かが近づいてくる気配がしたので、俺は煙草をポケットにしまいこみ、グリーデル人らしいその男と向き合った。
  初対面なので、何時もの口調じゃやばいだろうなと思う反面、誰の関係者だろうかという考えが進行していく。

 「初めまして。……新郎の方ですかな?」 
 「ええ、そうですよ。貴方は?」
 「おっと、これは失礼。ジェームズ海軍中佐です。いや、当たっていて良かった。良い奥さんを持ってさぞお幸せでしょうね、シリル君」
 「もちろんですよ、中佐。それで、要件はそれだけでしょうか?」
 「いえ、他にもありますよ。とても大事な要件がね。……ここでは話しづらいので、人目につかないところに行きましょうか」
 「……何をする気だ?」

  紳士的な対応と、海軍中佐と言いながら正装ではなく、自前のスーツを着込んでいると言うどこかちぐはぐな点と、話しづらい要件というワードだけで、男が普通の人間ではないと言うのを知った俺は、体勢を変えずに身構えた。
  普通なら分からないその対応にも、男は気付いたらしく、そんなつもりはないよと笑い、続けて言った。

 「何ならここで話すとしようか。今回の騒動の真実というものを……ね」
 「真実……だと?」
 「もし君が私の話を聞いてくれると言うのなら、すべてが納得できるだろうね」

  それで、どうするんだい? と聞かれ、俺は返す言葉に詰まった。もしかしたら、こいつは第七課の生き残りか何かじゃないのかという妄想がどんどん肥大化していき、本能的な防衛反応として、身体が飛び掛かる準備をし始める。
  それにすら気づいている筈なのに、男は涼しい顔でわいわいと騒ぐ独立混成連隊の連中を眺め、キザというレベルを超えて色男そのものとう顔を緩ませ、優しげに微笑んだ。それが演技なのか、本当の反応なのか分からず、俺は更に混乱した。
  冷や汗が頬を伝い落ちる感覚に鳥肌をたてながらしばらく仁王立ちしていると、誰かが俺の右腕をつまんで、つんつんと引っ張った。
  誰だろうと思い、顔を向けてみると、ウェディングドレス姿のエルだった。驚いたのは、そのエルが罪悪感で張り詰めた顔をしていたことだ。

 「話を聞いてきてください、シリル」
 「しかし……そうなるとお前が……」
 「ボクを信用してくださいよ」
 「――――――ッ」

  ……そんな笑顔をしないでくれと、泣き叫びたかった。何故ならその時、エルが俺に見せた笑顔は、その瞳が、ガラス細工のように無機質な光を放っていたのだから。





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最終更新:2011年09月12日 00:40
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