12.CONFLICT

(投稿者:めぎつね)

 何故にこういう話に落ち着いたのか。
 軍施設から数キロほど離れたグレートウォールの荒野の只中で、今更ながらに、アルハは胸中で頭を抱えた。年も暮れた冬の半ば、荒涼とした大地は一層の肌寒さを感じさせないでもない。吐く息は白く、数分も外気に触れれば手は悴んでいく。メードというのは極端且つ都合のいい生き物だ。人間とは根底から違う域に在りながら、寒風一つで人間と同じように縮こまる。
 剣の柄に触れている左手は既に冷え切っていたが、それを離す気にはなれないまま、アルハは正面の相手に気のない視線を向けていた。十数メートルほどの距離を置いて、リーズが見るからに寒そうに両手を擦り合わせている。彼女の着ている公国基準拠の制服は生地は厚いが袖が肘までしかない。この時期には辛かろう。
 それは兎も角。

「念の為にもう一度だけ聞くけど、本気で相手していいの?」
「ええ。お願いします」

 それなりに決意の篭った瞳で見返されての即答に、アルハは僅かに肩を竦めた。指を触れさせるだけだった柄をそのまま逆手に握り、僅かに引く。
 その動きにリーズの目が向いた隙を見計らって、即座に右手で拳銃を抜き発砲した。曖昧な狙いで撃たれた銃弾はリーズの足元――といっても1メートル程はずれたか――を抉って、小さな土埃を立てる。一拍ほど置いて、リーズがびくりと身体を戦慄かせた。
 当てなかったのではなく、当らなかっただけだ。この距離で抜き撃ちを正確に命中させる技量は自分には無い。だがそれはおくびにも出さず余裕のある態度を演じて、アルハは告げた。

「私の本気っていうのは、こういうものよ? 大して面白くないと思うけど」

 銃弾が抉った辺りに幾許か視線を彷徨わせた後、リーズは剣を抜いて返答とした。
 彼女の得物もアルハと同じ支給品の軍刀だが、こちらのものよりも一回り細いものだ。彼女が剣よりも銃寄りの戦術を基本としているからだろう。実際、余程極端なエースが持つのでもなければ、銃は剣に勝る。メードの役割は知能の乏しい大群に対する鴨撃ちが主だ。加えて近付くというのは、それだけでも十全にリスクとなる。剣には最終手段としての意味しかない。
 勿論全ては、引き金を引けば弾が真っ直ぐに飛ぶ程度には銃の整備が行き届いている、という前提があっての話だ。しかし一応は軍の主力であるメードにそこまでの粗悪品が回ってくるということはまず有り得ない。当然ながら、自分のように戦場で調達したりする場合はその限りではない。
 それも兎も角。
 アルハは軽く嘆息すると、拳銃を適当に放り投げて抜剣した。銃を手放したのは挑発だが、同時に誘いでもある。銃撃を警戒されてはらちがあかない。手早く終わらせるには邪魔だ。

「死んでも恨み言は聞かないわよ」
「分かっています」

 やはり即答され、アルハは舌を巻いた。どうにも彼女の目的が読めない。そもそもこんな申し出は――そう言葉に出来るほど相手を知っているわけでもないが――彼女らしくはない。
 リーズが急に手合せを申し出てきたのは昨日のことだ。訓練なら自分の教官殿にでも付き合って貰えと突っ返したが頑なに聞き入れず、偶然居合わせたアリウスの横槍もあって、結局は引き受けてしまった自分の浅はかさには呆れ果てる他にない。
 だが先日には、彼女の同輩をその眼前で叩きのめしたばかりだ。タネが割れれば対処は容易な手であったが、ならば対策さえ立てれば自分にも相手が務まるなどと甘い考えを持つような女ではないと思っていたのだが。

(誰かに、余計な話でも吹き込まれたかしらね)

 幸い、後ろ暗い話には事欠かない。一つでも耳にすれば態度も変わろう。
 そしてその確証を得るには、打ち合ってみるより他にない。抜き身の剣を携え、アルハは自然体で構えた。幾らか顎を上げ、促す。

「……では」

 囁くような声。呼気を整え、リーズが地面を蹴る。
 剣は右手一本で握り、構えは下段。彼女は比較的長身であるが姿勢は低い。主に相手をしているだろうサーシェが、逆に低身長であるのが理由だろう。
 打ち込みそのものは正確だが突出したものはない。避けるのは容易だったが、油断はせずにアルハは後退した。剣では受けず、体捌きのみでリーズの刃を躱していく。十数は避けた辺りで、相手の剣に僅かな苛立ちが浮かんだ。すかさずそこを打ち払い、丸裸になったリーズの懐を膝で一撃してから蹴り飛ばす。吹き飛ばされた直後に剣を自分で手放した判断力は流石といったところか。刃物を抱えたまま地を転がって自分の身体を傷つけるというのは、割と珍しくもない事故だ。
 だいぶ地面に擦り付けられた所為か、リーズが顔を上げてくるまでにはそれなりに時間がかかった。搾り出した呻き声にも力がない。

「……ぜんっぜん本気じゃありませんね」
「それを決めるのは私。悔しいなら、本気で相対せざるを得ない程度には頑張りなさい」

 近くに転がっていた彼女の剣を、蹴り飛ばして寄越す。代わりにこちらは剣を収めた。これも挑発だが、やはり大抵の相手には効果がある。彼女はどうか。
 リーズは多少の間を置いてから無言で立ち上がると、軽く身体の土を払ってから剣を拾い構え直した。また軽く呼気を整えてから、地を蹴って向かってくる。剣筋に粗は無い。

(成る程、同輩の方よりは自制が利くらしい)

 だが彼女自身が口にしていたように、実力面でリーズは……アドーアとかいったか。彼女に一段以上劣る。技量で見るなら双方似たようなものだろうが、身体能力の部分でリーズは数歩及ばない。
 再度突貫してきた彼女の突きを身体を捻って躱し、そのまま懐に潜り込む為に踏み込む。だが今度は読まれていたのか、手の届く距離まで近づく寸前にリーズのほうが背後に跳んで位置を離していた。それで距離感を掴んだか、以降は際どい位置をうまく維持しながら切り込んでくる。こちらが徒手空拳であるのを鑑みれば、僅かに勝る剣の射程を活かすのは道理だ。状況への理解と判断が早い。必要なものは十分に持っているが、それを鍛える時間と余裕が得られる環境に無いのが惜しいか。
 無理はせず、アルハは相手に合わせ機を待った。剣はまだ抜いていないが、無手であることはそれだけで相手の神経を十分に刺激する。そして剣先に僅かでも歪みが生じれば、その機を利用して首を獲ればいい。
 不意に、リーズが左手に何かを握り込んだ。

(……?)

 ごくごく小さな動作だったが、それは妙に目に付いた。本当に何か仕込んだかすらも怪しく、リーズの斬撃が全て右手一本のみで繰り出されているのもあり確かめようがない。その手をこじ開けようとこちらから仕掛けてみるも、すぐに距離を取られてしまう。

(考えてはいるか。成る程ね)

 迂闊に懐に入れば、場合によっては窮地に立たされかねない。一度警戒してしまえば、それはどう足掻いたところで足に絡まり意識を引く。無い筈のものをあるように見せ、小さなものを誇大に錯覚させるのはアルハがよく用いる手段だ。同時に、意図が読めるだけに相手に使われるのは厄介極まりない代物でもある。その辺りをよく理解している。
 さて、そうなると無手でいるメリットは無くなったようなものだ。相手も仕掛けを見せてきた以上、挑発を続けるのはリスクが優先する。手早く剣を抜き、リーズが位置取りを修正する前にこちらから攻める。但し狙ったのはリーズの身体ではなく、携えた軍刀の先端だった。渾身の一撃で刃の先を打つ。片腕で防ぎきれるものではない。
 それを判らせた上で仕掛けた返す刀も、リーズは片腕で受けた。左手の仕掛けを手放すのに躊躇したのだろう。初撃と同じように力負けし大きな隙を晒すが、剣を手放させるまでには至らない。
 構わず、アルハは無防備になった相手の腹に蹴りを入れた。左手に握り込んでいた鋲を取り落としながら吹き飛ぶリーズの、長剣の動きに注視する。今度は手放していない。その余裕も無かった筈だ。不慮の事故で済むなら直接手を下すよりは幾分か面倒が少ない。
 とはいえ、事故などそう簡単に狙って起こせるものでもないのも分かっていた。リーズの長剣は身体を抉るより先に彼女の手を離れた。幾度か跳ねて、彼女のそれなりに近くの地面に突き立つ。
 リーズが起き上がってくるには、先程以上の時間を要した。これだけ一方的にやられれば、そう気力が保つものでもないが。がむしゃらに突っ込むだけならまだしも、ある程度の策と準備を整えた上で叩きのめされたなら尚更だ。
 それでも立ち上がってきたのは、誉めるべきであろう。そして同時に。

(まずい、か)

 焦燥に、アルハは僅かに唇を噛んだ。これ以上は危うい。
 慣れないことを、柄にないことをしている。身を滅ぼすには十分な理由だった。既に勝負をつける機を数度も逸している。彼女は覚えも早い。時間をかけ手管を晒すほどに、不利になるのはこちらだ。

(次で決めるべきね)

 己に言い聞かせ、片手で剣を構える。リーズは拾い直した自分の長剣を両手で真っ直ぐに構え、こちらに飛び掛る機を窺っているようだった。二度も蹴倒されている所為か、それとも決着の気配を感じ取ったか、息は僅かに粗い。
 その瞳に映る意思を見定めようと、アルハは目を凝らした。探したのは怯えだ。恐怖は人を容易に傀儡へと貶める。そして偽る手段もなく隠す術もない、最も信用すべき感情だった。相手の恐怖を捉え、適切な手を打てば、凡そ人は思い通りに動く。
 リーズの目に、それが無いわけではない。だが未だ意気の方が強い。屈服させるには至らない程度に。一番性質が悪い話だ。
 相手の意気を完全に削ぐか、首を刎ねるか。決着などというものは、結局はこの二つだけだ。前者が難しいなら後者を取るしかあるまい。
 仕掛けてきたリーズに対し、アルハは腰のホルスターからナイフを抜いた。但し二本。つい先日にホルスターごと新調して、皮の裏に三本は入る余裕を持たせた。二本目は一本目の陰に隠し、リーズが一本目の回避動作に入って漸く視界に入るよう投じる。以前の件で隠した投剣を一本と判断しているなら、予測の範疇に無い二本目まで避け切るのは彼女の能力では容易ではない。
 狙ったのは額だったが、流石にそれは避けてみせた。だが代わりに左肩を抉る。手傷を受けてリーズは即座に引いた。刺さったナイフを抜くと、溢れ出るほどではなかったがそれなりの量の血が彼女の左肩を濡らす。
 結果としては悪くない。死体を基にしているメードは痛みであれば状況次第で容易に無視するが、受けた傷そのものを無効化できるほど自由なものではない。片腕が幾らか不自由になるだけでも、手管は大幅に制限される。それ以前に、感覚が切断されるほどの傷でもないが。

「さて、まだやる?」

 それは最後通牒だったが、リーズは答えなかった。ポケットから取り出した包帯を――随分と用意のいいことだ――器用に片腕で左肩に縛り付けている。 

(仕方ない。殺すか)

 これ以上躊躇すれば、確実にこちらが敗れる。折れないならば砕くしかない。これ以上自分の立場が悪くなるのは余り得策ではないが、まぁ仕方あるまい。
 閃光で消し飛ばす。彼女の望み通り本気で相対するべく、アルハは意識を尖らせた。閃光は一撃必殺の力であり、その言葉の通り触れたものは全て破壊する。代わり、まともに狙いは定められない。アルハが操れるのは凡その距離と、威力の塊を幾つ出現させるかだけだ。大層な見た目とは裏腹に所詮はまともな制御の利かない能力であり、故にどう足掻いたところで確実な手段にはならない。
 それでも有用であり、また強力な力だ。使わざるを得ない。そして活用するならば、リスクは極限まで廃しなければ命を落とす。
 可能性を九割九分まで引き上げる状況を作り上げ、残り一分を天運に頼る。それが閃光という力の行き着いた場所だ。信用など出来ないが、今の所はどうにか上手くいっている。どの道その程度は割り切らなければ、この力は最終手段として成り立たない。確実に有効打を放つ為、視界だけでなく五感を総動員し周囲の把握に努める。が。
 異物が引っかかり、アルハは動きを止めた。
 致命的な失策は、そのまま眼前に凶器となって現れていた。リーズの軍刀。視界に収められたのはそれだけで、リーズ当人の姿を捉える余裕もない。こちらの注意が逸れていただけか、それとも今の一瞬を明確な隙と捉えて飛び掛ってきたか。どちらであっても、最高のタイミングには違いない。突き出された刃は肌を裂く程度で済ませたが、代わりに閃光を撃つ為の集中は途切れた。

(不味った!)

 胸中で毒づき、アルハは口端を引き攣らせた。自分の攻めは一度崩れれば弱い。立て直す余裕が必要だったが、距離を取ろうにもリーズが食らい付いてくる。これを最後の好機と見たか、意地でも距離を取らせようとしない。片手のみで繰り出される細かな斬撃に重さは無いが、代わりにこちらが斬り返す猶予も得られない。
 単純な身体能力で見れば、自分と彼女にそこまで大きな差はない。真正面からの殴り合いとなれば、余程でなければ技術の差というのもあって無いようなものだ。腕を磨くよりも感情に揺さぶりをかけるほうが、確実に大きな効果を得られる。焦燥に身悶えし、アルハは奥歯を噛んだ。徹底的に手数で押し、相手の焦りに引っ掛けて一つでも刺されば儲け物というある意味杜撰な攻撃だが、こちらに狙って剣を弾き飛ばす余裕もないこの状況では実に効果的だ。リーズの剣筋には癖もなければ迷いもない。実直に急所のみを狙い、一つ打ち漏らせばそのまま致命傷になり得る。肺腑を抉られる前に抜け出すには――

 不意に気付いて、アルハは動きを止めた。明確な隙だ。罠を警戒したか、リーズは仕掛けるのを一瞬だけ躊躇したようだった。だが好機を逃す余裕も今の彼女には無い。突き出された剣先の狙いを見据え、アルハは漸く理解した。

(こいつ、本気で殺しに来たか!)

 疑いようもなく首を刎ねに来ていた刃を弾き、アルハは閃光という手段を意識の外に放り投げた。そんな無粋な真似は面白くない。
 それが出来るメードは多くない。いや、理性の箍の外れた連中を除けば、数える程度しか残らない筈だ。そもそもが一般人を素体に使用しているのだ。多くはどこかしらにその地獄も知らぬお花畑な人格が反映されている。殺人などとは無縁の世界に生きてきた俗人のものが。その記憶が尾を引いていれば、人外の化物であるGを相手取るなら兎も角、人間と同様の形をしたメードを、或いは人間そのものの首を刎ねるのを躊躇うのは当然の帰結だ。誰にとっても踏み越えてはならぬ一線だ。
 勿論、何れはそういうメードが必要とされ、その為に教育されたメードも造られていくのだろう。だが今はいない。対G戦がある程度の収束を見せない限り、そんなものを用意する余裕はどの国にも無い。故に。

「いい太刀筋ね」

 正直な感想を告げると、リーズは面食らったように追撃の手を止めた。その隙にアルハは剣先を相手に向け、もう一つ口にする。自然と口元が緩む。僥倖だ。これは殺すに足る。

「いいわ。小細工は無しよ。きっちり殺してあげる」

 相手が僅かにだが、目を見開いたのは捉えた。何を思ったのかは判らないし、そもそもアルハの意識は既に他所に向いていた。一息に踏み込み、馬鹿正直な一太刀を見舞う。当然の如く敵は長剣で受けたが、その重さが予想を上回ったか単純に支えきれなかったか、身体が傾いだ。間髪入れず膝を踏み抜き転倒させ、今度は踵で首を狙う。
 相手は剣の柄で、その一撃を打ち返してきた。逆にバランスを崩したこちらの軸足を払い、崩れ落ちる合間に体勢を立て直そうとする。それを許すわけにはいかず、アルハは無理やりに伸ばした手で相手の肩を掴み、そのまま引き摺り倒した。
 起き上がったのはほぼ同時か。敵は距離を離し、こちらは飛び込む。先制を狙い勢いのまま刺突で首を穿つが、それは向こう迎撃に叩き落された。アルハの手から剣が零れ落ちる。それが余程意外だったのか、相手の動きが鈍った。
 躊躇なく、アルハはもう一歩踏み込んだ。残った左手の拳を固め、がら空きになった相手の脇腹を打ち据える。喘ぐ標的を更に叩きのめし足元に転がすと、その傍らに転がっていた自分の剣を蹴り上げる。逆手に掴み振り上げて――
 反転し、アルハは構えた剣をそのまま全力で投じた。
 正直、よく刺さったものだと思う。唸りを上げて数十メートルは先の岩塊に突き立った長剣に驚いてか、その後ろから頭を出してこちらを覗いていたアドーアが、隣のサーシェを巻き込んですっ転んだのは見えた。あの距離ではこちらの表情までは窺えない筈だが、えも言われぬものを感じ取ったか二人まとめて背を向けて逃げ出していく。
 その後姿に脱力し、アルハは大きく溜息をついた。

「全く。とんだ茶番だな」

 相手に聞こえるよう声に出して独りごち、アルハは倒れたままのリーズを見やった。気絶していないのは分かっていたが、起き上がる気配は無い。案外と、本当に起き上がれないのかもしれない。流石にやり過ぎたか。
 だが同時に、自分の右腕が流血しているのにも気がついた。布を捲ってみれば、それなりの深度で上腕が裂かれている。何処で傷を受けたのかは思い出せなかったが、剣を弾き落とされたのはこれが原因のようだ。
 腰のポーチから包帯を引っ張り出して腕に縛り付けながら、アルハはリーズを足蹴にして仰向けに転がした。打たれた脇腹を押さえながら苦しげに唸ってはいるが、一応気絶まではしていない。
 さて、殺し合いは終了。ここからは人間らしく対話の時間だ。

「質問に答えて頂戴。但し、正直に答えないと殺すわよ」

 これはただのハッタリだったが、一瞬前まで本気で殺しに来た相手の言葉だ。信じない筈がない。実際、叩きのめされて消耗している点を除いても、リーズの反応は明らかに警戒の色が強く滲み出ている。

「また、ご冗談を」
「さぁて、どうかしら」

 挑発気味に返して、アルハは一歩引いた。リーズの目線を注視しながら。彼女の瞳は最後まで自分の左胸に乗せられたアルハの足を見ていた。凡そ予想通り、といったところか。アルハは肩を竦めた。

「別にそう肩肘張らずとも。簡単な質問よ」
「……なんでしょう」
「今私は、本気であんたを殺しに掛かったけれど。それを鑑みて、私とサーシェ。この二人が本気で殺し合った場合、どちらが残ると思う?」

 言葉どころか呼吸まで詰まらせて、リーズは押し黙った。上擦った声音と中途半端に焦点を失った瞳から、彼女の動揺の具合もある程度は把握できる。

「どうして、そんなこと聞くんですか」
「第三者の意見を加えれば、自分の予測にも確証が持てるでしょう?」

 そして、これに答えを出せる第三者というのは恐らく彼女しかいまい。或いは教官殿か。だが彼に問う気にはなれず、そうなれば他に選択肢も無い。
 リーズは、だいぶ迷ったようだった。目を伏せ、眉間に皺を寄せ、唇を引き絞り、最後には頭まで抱えてから、恐る恐るといった調子で口を開く。

「多分、サーシェなんだと……思いますよ。私は」
「そう。そうね」

 想定通りの答えには一応満足して、アルハは一人小さく頷いた。あれは疑いようも無く化物だ。外見相応の精神年齢を逸すれば、それだけで主要国の最精鋭に肩を並べる。尤も、それが出来ないからあのレベルで燻っているわけだが。
 少しは手を貸してやるのも面白いか。これ以上の嫉妬は流石に見苦しい。そんなことを考えていると、不意にリーズに腕を掴まれた。いや、彼女の手が何かを探すようにふらふらと宙を彷徨っているのには気付いていた。服の裾でも掴もうとして、他に届く場所がなかったのだろう。

「……あの、怒りません?」
「いいえ? 却ってすっきりしたわ」

 癪ではあるが、他人からの保証も得た事実である。それが明確になったのであれば十分な僥倖だ。少なくとも慢心はせずに済む。なれば戦い方にも付き合い方にも選択肢は増えよう。

(……ええ。癪ではあるけど、ね)

 勝てないものには勝てない。それがアルハの信条だ。どう足掻こうが無理なものは無理だ。相手の油断がなければ。
 つまりは、その慢心を狙い打てば殺せる。どんな相手でもだ。それが出来る能力さえあればいい。メードは生まれた段階で十分その域に達している。後は自制と観察を怠らなければ、それで事足りる。
 サーシェがそれを学べば、もうアルハにどうこうできる相手ではなくなる。故に伏せてきたが、リーズが似たようなものを覚えてしまっているならば何れそこから気付くだろう。ならばこれ以上は無意味だ。
 まぁ諦めもつくと自分を納得させ、アルハは踵を返した。随分と遠くに投げてしまったが、剣を取りに行かなければいけない。
 が、足を動かそうと身体を傾けた辺りでアルハは動きを止めた。リーズが手を離さない。
 視線で促すと、彼女は幾らか躊躇ったように目線を逸らした。だが数秒ほどして、意を決したかのように口を開く。

「私からも……いいですか」
「手短にね」
「あなたは、何がしたいのですか?」
「随分と抽象的だな。はっきり言いなさい」
「だいぶ人間を殺したと聞きました」

 ほぼ予想通りの回答を得て、特に動じもせずアルハは先を促した。こういった話は一度踏み込めば止めようがない。リーズは語気も荒く、一気にまくし立ててきた。

「どうしてそんな人が、自分の命を磨り減らしてまで他の人間を助けようとするのか。私にはどれだけ考えても解りません」
「余程阿呆な連中だと思わなければやらないけれど。殺す方が私の本性だ」
「……どうして」
「さぁて、どうしてかしら。何故か出来てしまうのよ。頭がおかしいんでしょうね」

 気楽な調子で答え、指二本で軽く自分のこめかみの辺りを叩いてみせる。
 素体となった人間には、そんな抑圧された感情などなかった筈だ。つまりこれはメードである自分の、生まれ持った悪徳なのだろう。ただ必要と判断すれば、迷いなく誰であろうと手を下せる。暗殺者にでも仕立て上げられていたなら、さぞ国にとって有益な存在となった筈だ。そう上手くいかないのも世の中というものだが。
 それは恐ろしいことの筈だったが、寒気を覚えることもなく、ただ当たり前のようにいつも隣に存在していた。手を伸ばせば常に指先を掠める、そんな距離に。そこからどんな選択肢を掴み上げるにせよ、必ず頭の片隅で意識している。そんなものだった。
 だがそれを説明しきれる自信はなく、アルハは軽く手首を振って話を切り上げた。次へ進む。

「助ける方は、そうね。約束したのよ」
「誰と」
「さて、誰だったかしら。忘れたわ」

 最初から知らない、というほうが正しいが。そこは惚けてみせた。どちらであっても大差ない。

「こんな世界で誰がどうなろうが、私自身は興味無いけど。頼まれて、引き受けたから。それだけの話よ」

 それ以上話せることは何もなかったのだが、リーズが反駁の為か口を開いたのが見えた。気に留めるようなものではなかったが。

「それと」

 先手を打ち言葉を遮り、黙らせる。反射的に、何故かそうした。だがそれ以上語るべきものがあるわけでもない。幾許かの逡巡の後、アルハが口にしたのは追求を誤魔化す為に即席ででっちあげた与太話に過ぎなかったが。

「私は今言った通り、世の中がどう転ぼうがどうでもいいけど。私の助けた誰かがいつか、そういうものを賭けて大きなものと戦う時が来るのなら。それは中々、面白いことなんじゃないかしら」

 言葉にしてみれば、案外それは悪くないようにも感じられた。

 暫くは、リーズが自分からこちらの腕を離すのを待っていた。それから投げた剣の回収の為に踵を返す。リーズはそのまま残していった。どの道暫く動けそうにはない。
 まだサーシェやアドーアが何処かから様子を覗き込んでいるかとも思ったが、辺りを見回してみてもそれらしい影は見当たらなかった。姿を確認したのはあの二人だけだったが、もしかしたら他にも誰か居た可能性もある。そもそもこういう話になったあの場所に、アリウスが居合わせたのは偶然だったろうか。彼女に関しては、疑い出せばきりがない。推理の真似事はそこで終わらせ、アルハは自分の長剣に手を伸ばした。
 岩に見えていたものは実際には石灰か何かの塊だったようで、中ほどまで突き刺さった刀身も労せず引き抜けた。付着した粉を軽く掃い、何となしにその刀身を覗き込む。
 改めて観察してみれば、その剣は自分が思っていた以上に傷んでいた。全体にかぎ裂きが走り、刃も殆ど潰れている。注意して鞘に収めてみれば、僅かな引っかかりも感じられた。刀身自体が歪んでいるらしい。

(打ち直して貰うべき、かしらね……)

 同じものが倉庫に溢れているのを鑑みれば、期待は出来ないが。交換すればいいだけの話だが、自分の一生とほぼ同じだけの時間、使い続けた愛着というものもある。
 だが今まで、格別の愛着というのを意識したことはない。銃なら幾つも使い捨てた。腰に収めた拳銃も何度と換えている。投剣も数多く失くしてきたが、この長剣だけはどうしてか未だに自分の手の中に残っていた。
 大きな意味はない。ただの偶然だ。だとしても。

「……あんたは、最後まで私に付き合ってくれる?」

 反応がある筈もない。だが剣の柄に触れようと身体を傾けた際、剣帯の金具が擦れて小さな音を立てた。
 きっとそれが、満足すべき返答なのだろう。
最終更新:2013年02月07日 00:02
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