塵函の人形劇場 前幕

(投稿者:レナス)



「永遠の眠りとは、この世で最も健やかなる安息の時間である」


「G」との戦いが始まって以来、世界に安眠という行為は無きに等しいモノとなった。
前線を防衛する各国の軍隊が駐留し続けているが決して鉄壁ではない。
過去に幾度も戦線を掻い潜り、守るべき民の営みが破壊されては町の文明が失われている。

「G」が何時如何なる時に我々の傍らに現れるのかは分からない。
海で漁をしている最中かもしれない。丑三つ時の皆が夢を見ている時かもしれない。子供が森で遊んでいる場所であるかもしれない。
我々の生涯から「G」という存在が消え去る事はない。在るとすれば―――、

それは死を迎えた時だけである。



「キョウコ様。そろそろお休みになられてはどうですか?」

机に置いている機器を弄くり回す主人に対し、嘆息交じりに声を掛ける。

「ちょーっと待ってな。これを片付けてから考えるから」

ピンセットを両の手に持ち、複雑に絡み合う小さな部品を一つ一つ組み合わせていく。
10mmにも満たない歯車同士を噛み合わせ、バネを伸ばして二点を引き合わせる。それを新たな部品と組み合わせてはまた組み合わす作業。
傍らに女性が半分閉じた眼で、呆れた眼差しを向けているとも知らずにキョウコと呼ばれたこの白衣の女性は手元の作業に没頭していた。

「本格的にお休みにならなけれ本当にお体に差し障りますよ。仮眠時間を覗いては既に150時間は起き続けてますので」

因みにこの作業を始めて既に10時間は経過しており、最後に仮眠(15分程)を取ったのは20時間以上前である事を補足する。

「まだまだ大丈夫さ。気が付いたら半月起き続けた事もあるんだから、平気平気」

一度部品を摘まんだままのピンセットで手を振るも、この女性は止める素振を見せない。

「ですが本日は"あの"約束の時間が迫っていますので、一度お休みになられた方が宜しいですよ?」

此処に着て漸く、彼女の手が完全に止まった。そして虚空を仰いで「あー、うー、えー…」と唸り声を上げる。

「・・・・もう来月に入ってたんだっけ?」

「"今月"は一週間前に過ぎております」


「・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・」


沈黙。

そして笑顔。

ぼさぼさの頭と目の下の隈が女性の笑顔として大事な物を大いに欠落させていた。
そして何事もなかったかの様に再び手者と作業に戻る。

「あー、そうかそうか。そうだったか」

「研究ばかりに熱を入れているからそうなるんです」

三百眼とは言わないがその気だるく眠たそうな眼がデフォな女性が断言。
彼女もそれが分かっているからこそ笑って誤魔化す。

「あいよ。本当にちょっとだけ待ってくれよ。もう少しで上手く噛み合って出来上がりそうなんだよ、・・・・・・・・と。ほい、出来上がり」

蓋を閉じ、出来上がった物を自分の目の前に軽く持ち上げた。

「これで上手く動く筈だ。動かないはずがあろうか、いや無い。反語」

冗談を口にしつつ、突起部分の摘みを捻るときりきりと音を立てて回転する。


カチカチカチカチ


懐中時計の秒針が息を吹き返した。

「うん、上手くいったな。あちこち破損していた上にパーツが四散して補う部品を推測して作り上げるのに苦労した甲斐があったというものだ」

「此処では時計など必要無かったのではないのですか?
以前に『時計? そんなもんに私の研究の邪魔をされたくないね』と仰っていたはずですが」

「それはそれ、これはこれ。時間なんてモノに振り回されるつもりはないけど、だからとこいつを直さない理由にはならないのさ。
時計はね、人類が生み出した最高の科学技術なのさ。一秒という時間を秒針が刻み、時刻を刻む長針と短針が各々異なる速度で一周する。
これだけを生み出す為に用いる歯車とバネの絶妙な噛み合わせに精密なる計算によって導き出された歯車の歯数。
時を刻む毎に異なる回転を刻み続ける歯車の動き。ほんの小さなバネの捻りが生み出す24時間という時の流れ。最高じゃないか!」

「少なくともキョウコ様が起き続けた代償にテンションのネジが吹っ飛んでいる事は理解出来ました」

「連れないな、クロエ。私の助手なのだからこの喜びを共感してくれても良いではないかな?」

「お休みになる前にお風呂にはきちんと入って下さい。軽くお腹を満たす物を用意しますので、お早めにお入りくださいませ」

ぺこりとお辞儀をしてキョウコの言葉をスルー。クロエはそそくさとこのラボから出ようと背を向ける。

「あー、待った待った。クロエにこの時計をあげるよ。私が持っていても意味を成さないしね、クロエが使った方が有益だと思うんだ」

「別段必要と思われないのですが。此処では朝と夜さえ分かるのならばそれ以上必要ではありませんし」

天井に吊るされたキョウコ改良型の真空管電球により照らされる密室空間のラボ。
朝だろうが夜だろうが、外で「G」と戦闘を繰り広げていようが此処では知り様がない。
況してや此処の主が不衛生な生活を送っているともなれば最早時の流れから隔絶されるのは必至。

そうであると言えるのが、キョウコ・アマハラという女性技師だとクロエというメードは断言する。

「確かにそうなんだがな、無いよりはマシというものさ。クロエの場合はあいつとのデートの際には必要だろう?」

「彼とはそのような関係ではないのはキョウコ様が一番御存じの筈ですが」

「例えばの話さ、例えばの。何にしても調整に出る時には有った方が便利だから持っておきな」

「・・・そういう理由でしたらば、頂戴しておきます」

クロエは多少、不服そうではあったものの時計を受け取った。
時計のカバーガラスに亀裂が生じているがこればかりは鋳造の必要もあり、此処では無理なのでそのままだ。

「んじゃ、私は風呂に入って来るからクロエは飯を頼んだよ」

キョウコは一人でさっさとラボを後にする。
先程まで渋っていた割には積極的に休もうとしているが、寝る時は寝るという頭の切り替えによるもの。
それが一つの理由であり、もう一つが―――




「――――――」


一人ラボに残されたクロエはそっと、時計を耳に当てた。
発条(ぜんまい)仕掛けの機械が生み出す時の音色に、クロエは瞳を伏せる。


チクタク、チクタク、チクタク、チクタク。


規則的に時を刻む針の音。

歯車の噛み合う廻る音。


クロエは心穏やかに耳を傾け続けるのであった。




「全く。素直じゃないな、クロエの奴は」

微温湯に浸かりながら、正直ではない助手に苦笑する。元々あの時計はがらくた拾いの際にクロエが見つけて来たものだ。
確かに時計という物は素晴らしい機械ではあるが、キョウコの専門外だったので興味は無かった。

にも関わらずクロエはそれを大事そうに持ち帰り、時を刻まない時計を見ては溜め息を吐く日々。
幾ら自分の研究に没頭するキョウコも隣でぼけーっとしている助手を放って置くほど神経は図太く無かった。
当人は直す必要は無いと主張してはいたが、気にしているのは端から分かり切っていた事。

「今頃は時を刻む音にでも心ときめかせているかもね~」

水に漬けたタオルを目頭に乗せて仰向けに沈み込む。目に沁み込む冷たさに自然と声が抜ける。

「あ゛ー・・・ちょっと今回は頑張り過ぎたかも~」

時計のパーツの設計から始まってパーツの製作、組み込みに頭と時間と身体を使い過ぎた様だった。
専門外である事と時計という完成された素晴らしい機械である事が良い具合にキョウコ・アマハラという人物を消耗させた。

「まぁ、あの娘があんなに喜んでくれたんだから頑張ったかいがあったってもんか」

本当の所、今日があの日である事をこのキョウコという人物は知っていた。
伊達に単身で捨てられていたメードであるクロエを生き返らせるという所業を成した頭をしてはない。
偏に可愛い助手の為。普段からそれ程活発に喋るキャラではないクロエだが、先程など饒舌に語っていたのは完成を楽しみにしていた証拠だ。

「――さっさと寝て今日に備えよ~~」

今にも寝てしまいそうに覇気の無い声色。
このまま風呂で溺死しても不思議ではない勢いで命の洗濯を続けるのであった。



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最終更新:2008年09月18日 09:00
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