(投稿者:店長様)
5
「……だいじょーぶー?」
見事に顎をかち上げられた彼に心配そうに尋ねる。
M.A.I.D.の頭蓋は相当に頑丈で、その上重装甲の部類の旧式であるアイゼネの頭突きは中々に強烈だ。
おそらくは大丈夫でないくらいの悶絶振りだが、大丈夫ということにしておこう、これが初めてというわけでもないのだから。
「クロッカ様、ごめんなさい」
「くろっかさんー?」
アイゼネがしゃべった言葉から、悶絶中のその人物の名前を知る。
「やぼーる」
ベルゼリアの問いかけに、答えられない主に代わって
アイゼナが答える
「私の、ご主人様」
相変わらず転げまわっている主人は放置である。まぁ、仕様がないといえばそうなのだ。
若かりし頃の栄養不足がたたり、いまだ彼は軍属とは思えないほどに虚弱なのだから。
「……帝国陸軍司令部主計科、クロッカ・ランサメント大尉だ、改めてよろしくなチビッコ」
顎をさすりながら、ようやくリカバリーする。ちなみに主従の関係しだいで反撃の一つもありそうなものだが、クロッカはもうアイゼナを責めるようなことはしなかった。なにせ、殴れば痛いのは自分である。
元気よく右手をずびっとあげて返事する。
左手にはしっかりと植木鉢を握って、落とさないようにしながらの返事だ。
その仕草は愛くるしさを振りまくが、あまりにも純粋すぎる。人を疑うということを全く知らないといった様子で元気に自分の名前を告げる様子をみたクロッカは、
「アイゼネ……なんというか危ういんじゃないか、この娘? 変な連中に目をつけられてもおかしくないぞ」
「?」
思わず同意を求めるが、もとより純朴かつ頭の回転がゆるい彼女にその手の話題は通じない。結果として、妙に自分が薄汚れているような気になってしまった。
「いや、いい。僕の気の迷いだ忘れろ」
「くろっかさん、へんなひとー?」
「冤罪だ、僕じゃない! っと、取り乱すな、この手の連中はペースを乱されたら負けだ」
「うきゅ?なにか、わるいことした?」
名前を言ったとたんに見せた挙動不審に疑問符を浮かべる。そういった様子の変化にどうやらちびっ子……ベルゼリアは敏感な様子だ。
「……いや、そういうわけじゃないんだけど」
その赤い汚れのない目がまぶしい。純真な者というのは時として酷くたちが悪いものだ。
「とにかく、日も暮れる。料理番がへそを曲げないうちに家に行こうか」
「うん! あいぜねといっしょー」
片手に植木鉢、片手にアイゼネの手を持つベルゼリア。
「……なんだ、その、まるで姉妹か親子だな」
「やー」
むしろ並んでいる姿が家族連れじみている。おっとりした姉に生意気な弟、甘えたい盛りの妹といった構図か。
「ただい…」
「おっせーんですよー、どこまで行ってたんですかー。アイゼ姉さんさっさと見つけてくれないと心配で仕事が手につかないっていったじゃないですかー!」
肉と骨のひしゃげる音がして、クロッカの体が玄関からはじき出された。ひしゃげる、という表現から分かるとおり、とてつもないダメージがクロッカに文字通りドアによって叩き込まれる。綺麗に緩やかな放物線を描いて今まで進んできた進路を逆に宙を舞って遡っていく。
「デリカ、ただいま」
「あー、アイゼ姉さん心配しましたよ怪我ないですかお腹すいてないですか寂しくなかったですか」
「大丈夫」
「……うー?」
一方はじき出されたクロッカさんを目線のみで追うベルゼリア。ズサーッと地面に滑って大の字になって止まったクロッカ。
だが、先ほど盛大なダメージを受けてても平気との様子なのでこれ以上の目線の追跡は終え、そして改めて再び眼前の人物と目線を合わせる。どうやら彼女は相手の目を見つめるというのが習慣になっているのだろう。
そしてデリカと呼ばれたメイド服の女性とベルゼリアの目がぴたっと合わさる。
次の瞬間、デリカは──爆発した。
6
「うわ、うっわ可愛い、なんですかなんですか。この可愛い娘!? あ~、ちょっとやばいですよこの髪さらさらでふぉーお目目きらきらですかぁ!!」
「ベルゼリア、私の友達」
「ベルちゃんって言うんですか、アイゼ姉さんの友達なら私とも友達ですね親愛の証にハグさせてくださやわらかくってプニプにですよ~~!」
ひたすらハイテンションなこのメイド、正真正銘人間の使用人で、この家の料理番。本名デリカ・リックスである。
「むふー、でりかー」
むぎゅーッと抱きつかれたので、条件反射でむぎゅーっと抱き返し、同時にアイゼナにしたようにほっぺた同士をすりすり擦る。
滑らかな幼子特有の柔らかい肌と、若々しい女性の肌同士がふれあい、互いに気持ち良い感触となって反映される。
彼女が本日覚えたコミュニケーションの成果の一つなのだろうか。その愛くるしいスキンシップは、対象の心を鷲づかみにする。
「あぁ! あぁ! やばいですよアイゼ姉さん私もう戻ってこれないかもしれません!」
こういう時、素直な人間は得ということか。もはや何の遠慮もなく、デリカはベルゼリアをかまい倒す勢いだ。
「それはよかった。二度とお前の顔を見なくてすむ」
「おや、坊ちゃん帰ってらしたんですか。あー、ダメじゃないですかそんなに薄汚れて歳考えてくださいよー。ちゃっちゃと体洗って服着替えてくださいねでないと食卓につかせられないですよー」
「誰がやったと……」
無意識で繰り出した攻撃でグロッキーになってたクロッカが漸く復旧して、デリカに愚痴を漏らす。
何度目かになるこのやり取りの間、ベルゼリアはデリカから漂ってくる匂いを感じる。
「んふー、でりかー、ごはんつくってるの?」
くんくんと匂いをかぐ。
デリカから料理の匂いを嗅ぎ取ったのか、聞いてくる。もしそうならなかなかに敏感な嗅覚を持っているようだ。
なおも不機嫌そうに詰め寄ってくるクロッカにハイキック一閃。あろうことか雇い主を蹴倒してベルゼリアに向き直る。
「クロッカ様、大丈夫?」
「なにもいうな……」
「そうですよ~、いいお鼻ですね~。待っててください、今、腕によりをかけてお迎えの料理を作りますから! いや~、こんなに腕が鳴るのは久しぶりですね~坊ちゃんの任官の時だってこれほどじゃなかったですよ」
そうして嵐は去る。そう、何の比喩でもなしに、あれは台風だろう。でなければ、去った後にこれほどの静寂を残したりはしない。
「でりかーって、なんだかすごいね」
「あれは凄いんじゃない、酷いんだ……」
「……わくわく」
素朴な質問の返答を聞くものの、今一違いが分からない回答にとりあえず納得するしかないベルゼリアは、輝いている目を一層きらきらとさせながら料理を待つことにした。
だが、何かを忘れているような気がしてならない。それがクロッカもアイゼネも、喉元まで来ているのだが……。
「なんだろう。すごく基本的なことを忘れている気がする……」
「やー」
しばし落ちる沈黙。先に思いあったのはアイゼネだ。
「あ、林檎。お菓子にする」
「あぁ、そうか。デリカの奴に頼まないとな。……でも何か違う気がするんだよなぁ」
「うー、ごはんごはん」
目の前には初めての他人の夕食という獲物を今か今かとまっている今日出会って間もない少女がたたずんでいる。
──考えろ、クロッカ。落ち着いて最初から考えるんだ。何を見落としているか。最初アイゼネと一緒にいてた……そこはいい。その前は? いや、待て……。
暫しの沈黙の間、やっと見落としてたことに思い当たったクロッカは、その事実に恐る恐る口を開いた。
誰にか? 無論ベルゼリアと最初にであったアイゼネにだ。
「……」
「……」
「ところで、あれはどこの娘だ?」
「──わからない」
瞬間、子気味いい音が屋敷に響く。ベルゼリアが不思議そうに振り返ると、アイゼネは後頭部を、クロッカは思わず平手をくれた右腕を擦っていた。
「ど、どうするんだよ。傍から見たら営利誘拐だぞ!」
「うー?えーりゆーかい?」
きょとん、とした様子で言葉を反芻するベルゼリアはその言葉の意味を考え──。
「……それっておいしいの?」
たものの、見事に言葉を理解していないベルゼリアが結局二人に尋ねる。
「今時は、治安がいいから、おいしくない」
「そういう問題でもない。あと、誤解を植えつけそうなことを言うな」
天然というよりいささか狙いすぎな返答はたしなめられるべきであろう。
しかし、おいしい状況とはいえないのも確かだ。
M.A.I.D.の誘拐など笑い話にもならないが、もし万が一そんな騒ぎが起こったらどうなるか。
帝国に住む人間ならば子供でも思いつく。
あのメイド狂いの皇帝が、そんなイベントを放っておくわけがない。
7
「うーん、くりすーもいたらいーのにー……」
一方食事を食べさせてもらうほうは今いない誰かの名前をつぶやきながら出来上がるであろうご飯を待っている。
「とりあえず慌てても仕方がない、冷静になれクロッカ・ランサメント。こういうときはどうするべきか、常識にのっとって考えよう」
しかし落ち着こうとすれば帰って平静を失うのが人の常である。はっきり言っててんぱっていた。
「クロッカ様、わからないこと、きくのが一番」
「……なるほど」
珍しいアイゼナの的を得た発言に天啓を得たクロッカは隣でランサメント宅の夕食を待っている赤毛の客人に尋ねてみる。
「なぁチビッコ、お前はどこのうちのM.A.I.D.なんだ? 主人の名前か何か、わかるか?」
「うーん……くりすーのこと?」
アイゼネにとってのクロッカさんのよー名存在に思い当たるものを考えて、答える。彼女にとって常にそばにいてくれるのは彼女だからだ
「く、くりすー?」
語尾が伸びているので、少々違和感を覚えたのだろうか。一瞬首を傾げるが、すぐにおそらくはそれが目的の名前だとあたりをつけた。
「そのくりすーのこと、詳しく教えてくれるか?」
「んとー、同じ色の髪でーおねーちゃんでー……偉い人?」
いつもは隣で何かを食べているだけなので、詳しいことは分からない上に、長い
クリスの本名が中々出てこないのだ。それに普段彼女の本名を聞く機会もない故に、ベルゼリアの頭の中の記憶の廃墟に埋もれているのだ。
「赤毛で、偉くて、クリス」
「うんうん」
「偉いってどのくらいだ?」
考え込むが、なかなかでてこない。常識がフィルターをかけている上、一軍人である彼には、そもそも世間的に偉いといわれる人種との
つながりなどほとんどないのだ。
「うーん……」
そして記憶を一生懸命にあさって、あることを思い出した。
「……ざいむだいじんっていってたよーな」
それは静かに確実に、この家を吹き飛ばしかねない発言であった。
そりゃもう、密室で核弾頭をうおりゃーって自分で自爆させるぐらいのオーバーキルっぷりだ。
「ざ、財務……大臣」
一瞬で、汗が引いた。冷や汗すら出ないほどに、魂から冷え切ったのだ。
さもありなん。
──この国の財務大臣職にある、またはあった人物で、赤毛のクリスといえば一人しかいない。
現職の財務卿、クリスティーヌ・シャルシテ・ロウエル・テラモユス。紛れもない貴種、帝族の一員である。
「うきゅ?」
一方事の次第を知らないベルゼリアはうろたえる彼を不思議そうに見ている。
だが、クロッカの反応は当たり前といえば当たり前だ。彼女の機嫌一つで一介の騎士程度即座に着ぐるみ剥いで帝國から蹴りだすことぐらい容易いからだ。
「お、終わった」
さすがに、貴人のM.A.I.D.をかどわかして「夕食にご招待しました」では通用しないだろう。断りの電報でも打つ気でいたが、ことは彼の想像を大きく上回っていた。
「うー…、くろっかーさん病気?」
「いや……多分、これから体を悪くするんだろ」
「クロッカ様、がんばる」
もはや乾いた笑いしかでないが、これは誰の責任でもない。他ならぬ自分が負うべきものである。
なんにせよ、夕餉に招いたからにはその発言の責任くらいは取ってしかるべきだろう。
「デリカー、多少蓄えのことは無視していいから、できるだけのおもてなしをしてあげてくれ」
「言われなくってもそうしてますよー」
「はは、そうか。そういう奴だよな、お前は……」
「うーん……?」
なんでだろう?と今一自分の立場というのを理解していないのであったが、
次第に漂ってくる美味しげな匂いに期待の眼差しで台所方面を向くベルゼリア。
「はーい、お待ちかねデリカさんのスペシャルディナーの出来上がりですよー」
抱えられた大鍋の中身は、どうやらシチューの類らしい。
それも、ミルクではなくトマトなどで味付けがなされた濃厚なものだ。
比較的温暖な帝国では少々なじみが薄い料理である。
「他にも根菜の酢漬けとソーセージの盛り合わせ、あと肉詰めのパンも焼いてありますので~、坊ちゃん、配膳お願いします」
「僕かよ」
「アイゼ姉さんに任せたら食べもの粗末になっちゃいますよ~」
正論であった。アイゼネは食器を握りつぶしてしまうぐらいに力加減の出来ない方の不器用なのだ。
その上どこか抜けているために幾多もの食器撃破数をマークしているエースとなっていた。 無論不名誉の。
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「おー……おいしそう」
一方ベルゼリアは眼前に現れた未知の料理に爛々と輝かせる。
漂うシチューの匂いとトマトの色が色濃く出てるシチューの見た目が興味を注がれていく。
他にも用意された様々な庶民料理に期待を膨らませていく。どれもが普段ベルゼリアが食べたことのないジャンルの食事である。
「実際おいしいですよ~、デザートも作ってあるので楽しみにしててくださいね~」
言うが早いかデリカはベルゼリアを後ろから抱きかかえていた。
「はぁ、やっぱりプニプニ……」
「お前はいいな、悩みなんてなさそうで」
「んふー♪」
抱っこされるのがいたく気に入ったのか、うれしげに声を上げる。
同時に出された食事を食べ始める。
ナイフとフォークを使ってもっきゅもっきゅと一生懸命に食べる様子は一種の桃源郷といって差し支えない。
少なくともデリカにとっては確実にそれである。
「はぁ、いいですよねぇ女の子って。アイゼ姉さんとはまた違った癒しがありますよ。坊ちゃんなんで男に生まれてきたんです?」
「言うに事欠いてそれか不良メイド。さっさと席に着け、僕らも始めよう」
「はいはい、短気ですよね~」
「最後の、晩餐」
「アイゼネ、不吉なことを呟くな」
言葉はとげとげしいが、語気は柔らかい。これが普段となんら変わらぬランサメント家の夕餉のあり方なのだ。
「ベルゼリア、これも食べる」
アイゼナが肉詰めのパンを薦めれば、
「肉ばかり薦めるなよ。食事はバランスよくとるもんだ」
すかさずクロッカが酢漬けを盛り付ける。
「そんなこと言ってるから坊ちゃんは肉がつかないんですよ~、ベルちゃ~んソーセージもどうぞ~」
まさに家族のコンビネーションであった。
「はむっ、はむっ」
──しかしよく食べる子だ。
その小さな体の何処に入るのだろうか?
そう思わせるほどの食べっぷりを見せ付けていく最中、一本の電話がかかる。
「おや、珍しいですね~夕食時に。ちょっと失礼します」「いや、僕が行こう。どうせこんな非常識な時間にかけてくるのは筋肉バカの軍人どもだからな」
デリカを制して電話に出る。和気藹々とした空気が、危機感を鈍らせていたのだろうか。
「はい、ランサメントです」
「──こんばんは」
なんだかいやな予感? いやこれは想定済みの電話だ。多分きっと。
出てきた声は聞いたことのない若い女性の声だった。だが、その威圧感は電話越しでもビリビリと感じる。
「さて、用件は分かっているだろうな?──帝国陸軍司令部主計科クロッカ・ランサメント大尉」
──完全に身元が割られてらっしゃる。
どっと出でる冷や汗がクロッカの肌を制圧していく。
「……一応聞いてはおきますが、どちらさまでしょうか財務大臣殿下」
生来の自尊心が精一杯の抵抗を示すものの、すでに気分は十三階段を上りきって坊主の口上を聞くそれだ。これまでの人生を思い返し、少しばかり泣けてきた。
「ほう、なんだ知ってたのか……その通り、君たちの給料の配給を担っている素敵な財務大臣様だ……と、冗談はこの辺にしよう」
ふっと、一気に電話越しに感じるプレッシャーのようなものが消える。次に感じたのは子持ちの親か、面倒のかかるが可愛い年下を持つ年上のもつ柔らかい気配だ。
「そこにベルゼリアがいるな? 少し替わってくれるとありがたい」
「──かしこまりました」
いずれにせよ所詮一軍人に対抗しきれる相手ではない、しみじみ感じながら振り返った。
「チビッコ、お前の主人から電話だ。いったん食事はやめてこっちへこい」
「うみゅ、くりすーから?」
食事を中断してからとてとてとと掲げられた受話器を受け取る。
「くりすー? うん、うん、げんきー。うん? うん。ご飯たべさせてもらってるー えへへ、凄く親切だよー? あいぜねからはお花もらったしー うん? うん。わかったー」
なにやらいろいろと聞かれた様子だったが、ベルゼリアは素直にこの家での手厚い歓迎と優しさを伝えた。
「くろっかさん、かわってだって」
最期に受話器をもう一度クロッカへと渡しなおす
「……かわりましたよ、殿下」
電話の間に緊張のあまり胃痛がしてきたらしい。声がかすれている。
「どうした、声色がかわっているぞ? あまり愉快な美声ではないのでやめろと、私は言いたいな」
「失礼ながら今は財務大臣殿下の声が判事の声に聞こえてしまうもので、声についてはご容赦ください」
なんだかんだといいつつ、ふてぶてしさは消えないのが彼の性質らしい。
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「ふむ。まあ気持ちは分からんわけではないがな。……だが、喜べ。お前が心配しているようなことはない」
「……はい?」
「その齢で難聴か? よもや吝嗇家がこの私に二度手間を取らせて時間を浪費するということはあるまいな」
「いえ、耳に不自由はしておりませんが。でも気のせいかお咎めはなしと仰っているように聞こえましたよ?」
「簡単な話だ。一部始終監視させてもらってたからな──まあ、気づくはずはないだろうがな。なぜならお前の後ろにいるのに気づいていないのがその証拠だ」
え…、そういいかけると同時にとん、と右肩に手の感触がくる。
身長さから言えばベルゼリアは除外。アイゼネなら自分が潰れているし、そもそも手がでかすぎるからモロばれ、さらに最後の一人のデリカはそのアイゼネといっしょにベルゼリアと戯れている。他に家族はこの場にはいない。
──その手は一体誰のだ?
まるでさびの浮いた歯車のように、首をきしませ振り返る。──ぷに、とお約束のように向けた頬に伸ばした指が軽く刺さる。
視界を更に動かせば……なにやら、人間とは思えない特徴を持った女性が笑顔のまま立っていた。
そりゃそうだろう、人間には猫の耳や尻尾は生えてないのだから。
「……どちらさま?」
「うきゅ? あ、しゅばいつぇだ」
クロッカの疑問に、ベルゼリアが答える。振り返った先に認めるのは黒猫のように猫の耳と尻尾を生やしたメイドだ。
「はい、はじめまして……ベルゼリア様にご紹介を預かりましたシュヴァイツェと申します。──特技は少々の暗殺術に隠密行動にございます」
トテモ心臓に宜しくない発言をさらっと告げやがった黒髪の猫メイドは目の前で風景に解けるように消える。
しばらく見失ったと思ったら、次に瞬間にはベルゼリアとデリカの真横に立っている。恐らく、光学迷彩等を駆使したのだろう。
そして、その手の技術を使ってベルゼリアを常に監視してたに違いない。
なんとも性格の悪い。ついでにいえば身分が上の所有するM.A.I.D.に不法侵入だと告げる勇気も気力ないのであるが。
「……ふむ、丁度本人に会ったようだな?まあそういうわけだ。驚かせてすまなかったな大尉」
と、今度は電話越しの謝罪の言葉を投げかける。その様子におや?と疑問符を浮かべるクロッカ。
上に立つものは大概性格が歪んでいるのだが、相手は自分の非を詫びることを知っている人物のようだ。
「いえ、こちらも配慮に欠ける面があったことは否めません。謝罪いたします」
それでも流石に貴人を相手に謝罪させておくなどできるはずもない。帝国騎士としての常識である。すぐさま謝罪をかえした。
それにしても、振り向きざま頬に刺さった指の感覚が残っている。物騒なM.A.I.D.だが、案外お茶目な面でもあるのだろうか。
「やーん、ベルゼリア様をひとりじめにしてはいけませーん!」
デリカと負けじとベルゼリアにむぎゅーっと抱きつく。シュヴァイツェといったメイドの尻尾が右に左と振られている様子がなんとも可愛いというか。
先ほどの認識だが、──訂正、思いっきりお茶目だった。
受話器を持ったまま呆れているクロッカを尻目に、丁度二人からハグされてベルゼリアも思わずむぅーっと唸っている。だが嫌そうではないのは見受けれた。
「ふむ、まあそういうことなんでな……後で礼金を送金する」
電話越しにクリスから苦笑が漏れる。腹を割って話してみれば実はすごく良い人なのかもしれない。だが、
「あー……そうですか。いや、いえ、礼金のほうは謹んで辞退申し上げます。これはうちのM.A.I.D.が受けた友誼への返礼としてのご招待。もとより謝礼を求めてのものではありませんので」
分を越えた申し出には断りを入れておく。公正な人物であるらしいからこそ、またこちらも正しく身を処さねば無礼というものだから。
「ふむ、そうか……生活が貧窮してそうだったようだが、いらぬ詮索であったか。このたびベルゼリアが世話になったことを礼をいう。ありがとう」
ベルゼリアの様子はシュヴァイツェからの報告を受けていたのか、今回のおもてなしにいたく感心し、感謝している旨を伝えてきた。
「いえ、こちらこそ。うちのM.A.I.D.にとっては、得がたい友誼を得ることになりました。どうか、また彼女と遊んでやってください」
クロッカもまた、感謝を示す。なかなか他人と触れ合えない彼女には、今回のことは本当に素晴らしい体験だったに違いないのだ。
「ふむ……ならそうさせてもらう。それでは良い晩を」
そして受話器からは声が消える。
一方ベルゼリアを中心に二体のM.AI.D.と一人の女性がわいわいがやがやと賑わいを見せている。
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「はぁ、なんだろうな。ひたすらに疲れた……」
「坊ちゃ~ん、黄昏てないで見てくださいよ~ベルちゃんプリチ~!!」
「なかなか趣味がよろしいようですね。しかし、こうするとさらに可愛らしいのですよ!」
「「きゃぁぁぁぁ~~~~!!!」」
「ベルゼリア、かわいい」
もはやなにも言うまい。キャラメルのような諦念を味わいながら、クロッカは黙々と夕食を再開した。
──こうして度々赤毛の女の子がこの家に通うことになる。
後日、クリスの屋敷の一角に、植木鉢が一つ置かれており、毎朝如雨露で水を与えることがベルゼリアの新しい日課となった。その花は二人の友情の証だから。
そして今日もまた、花はその可憐な花弁をお日様に向けて広げる。
新しいご主人様とおなじ、赤い花を。
──fin
最終更新:2008年08月25日 23:38