ジークフリートの手記(一部抜粋)

(投稿者:怨是)




 私の内向的な性格が災いし、このような形でしか感情を吐露することが出来ない事を、しばしば酷く怨めしく感じる。
 それと同時に、この日記を書くことに際して許可を下さったシュナイダー教官に、最大限の感謝をせねば。
 教官の計らいにより、この日記の閲覧は私自身のみに留められ、他者の検閲を受けない。
 客観的に見れば、危険思想を野放しにする事のリスクについて疑問はある。
 正直、こんな日記がエントリヒ帝国皇室親衛隊に知れれば、粛清などの処罰は免れられない。

 ……教官は、何を思ってこの日記帳を?





 Oct.15/1951

 再び日記帳に書き込む機会を、ようやく手にすることが出来た。
 思うままに書き記そうと思う。


 窓を一つ開けようものなら、寒々しい風が吹き込んできた。
 もう秋なのだと、この身体でも感じ取ることが出来る。
 Gの駆逐が終わった世界において、もはや誰も空の安寧を、そして流れ込む風の安寧を疑おうとはしない。
 何種類ものGの知識も、絶滅させた今ではおぼろげなものとなっていた。
 私は処分を免れ、ここにいる。



 この後は、何から書き記すべきか。
 ……何でも良いのか、どうなのだろうか。
 まずは、MAIDと人間の明らかな違いを説明すべきだろうか……



 “エターナルコア”。これが、私たちMAIDの脳であり、心臓でもある。
 先の大戦が終結した直後、大規模なMAID粛清が行われた。
 私の戦友たちも、何人か殺されてしまった。まだ昨日の出来事のようにすら感じられる。
 残ったエターナルコアは、アルトメリアの戦争遺産研究機構に搬送されるそうだ。
 彼女らの中には、その方が幸せだと主張する者も少なからずいた。

 ――それもそうだ。

 何故、自らの身体を盗品と知りながら、笑顔でいられようか?
 何故、自らの身体を盗品と知りながら、自らを肯定できようか?

 人間の身体というものは、死んでもその人間の所有物である。
 それを、同意も無いままに、ましてや冒涜行為に等しい真似をしようとは。
 云わば二重の大罪なのは自明である。


 いつの間にか、日記の中でこそ饒舌なれど、この文体から老いを感じるように思えた。
 老いの自覚とは何とも寂しいものだが、そもエターナルコアの思考回路というものは、人間の脳に換算すれば数ヶ月で何年分も成長するのである。
 情報蓄積量が増えるにしたがって、思考が若さを失って行くのを誰も留められまい。


 幼稚でいることと、老いることは至極簡単である。
 何をせずとも、人生を送っていけば(MAIDも元は人間であるため、“人生”という言葉を使うとする)思考は固まって行くし、
 何も学ぼうとしないのなら、その思考にはいつまでも幼さが残る。
 受け入れることを、妥協して我慢することを常に心がけるのは、どんな生物であろうとそれは容易ではない。


 私もまた、それを怠ってしまったが故にこのような結果となってしまったのだ。
 今更だれかに許しを請うなど、それがどれほど浅ましいことか……



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最終更新:2008年11月04日 01:27
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