Chapter 12 : 人生最悪の誕生日

(投稿者:怨是)



 Oct.29/1943


 勲章授与式のあと、皇帝陛下との晩餐のお誘いを受けた。
 勲章の理由は13人のスパイを暴いた事。
 私は、スパイなんて知らない。

 式典で赤い柱を斬らされた。
 皇帝陛下は「見事だ」とお喜びだったが、私の気分は晴れない。

 みんなが私を「エントリヒの守護女神」と称えるけど、そんなたいそうな肩書きなんて要らない。
 何が帝国最強なの?
 私にそんなものを求めて、何になるの?
 他のMAIDより、硬い敵を倒すのに向いてるというだけで、どうしてここまで持て囃されるの?
 それにいくら鉄壁でも、味方を守れないなら意味が無い。
 悲しまないとでも思っているのだろうか。
 私だって心があるのに。

 ……シュヴェルテはいなくなってしまった。
 もう戻ってくることは無い。

 なんで?
 私は殺してなんかいない。
 私は殺してなんかいないのに。
 そんな事望んでなんていないのに。

 ただ、羨ましいと思っただけなのに。
 仲良くなる秘訣も聞きたかったのに。
 なんで?


 シュナイダー教官は式典を欠席した。
 近くの係官に聞いたら、体調不良だそうだ。
 何も教えてくれない。
 きっとこれからも、教官は何も教えてくれない。
 他の士官から、教官が国際対G連合統合司令部に移籍すると聞かされた。
 前触れも無く私から居なくなるつもりなんだ。
 最後まで私に何も語らないまま。

 ……シュナイダー教官。私が何をしたの?
 私はただ、恩返しの為に力になりたかっただけ。


 きっとこれからも、私のことを誰も解ってくれはしない。
 きっと、そうだ。
 きっと、そうなんだ……

 こんな事になるなら、生まれてくるんじゃなかった。







 光に透けた、自分の銀髪。
 目を覚ましたゼクスフォルトの視界を横切ったのはそれだった。
 格子付きの窓から、日差しがマス目状に床を照らす。
 独房の空気はひどく重たい。朝霧と一緒に吸い込んだ瘴気をそのまま持ち込んでしまったかのようだった。
 金属のこすれる音からほどなくして、外界を隔てる金属扉の格子から見知った顔が覗く。
 ……ヴォルケン中将だった。

「反省独房での誕生日はどんな気分かね」

 今日は10月30日。ゼクスフォルトの誕生日。
 ヴォルケンが祝いに来たのか。
 本人は温和な笑みを浮かべているつもりなのだろう。
 が、この精神状態では、彼の微笑みも嫌味にしかならない。

「笑いに来たんですか」

「いや、残念な誕生日プレゼントを渡しに来た」

 ブリーフケースから取り出される、簡素な封筒。
 安物の紙を使っている為か、その手触りはゴワゴワしていた。
 ゼクスフォルトは恐る恐る封筒を手に取る。

「……これは?」

「除隊通知だ。つい先ほど渡されてな。上層部の見解で、君は矯正の余地無しとして国外追放だそうだ」

「はンッ、MAIDがスパイならその担当官はどうしようもない不良ってか。最高の誕生日だよな! ヴォルフの野郎もさぞかし愉快だろうよ!」

 馬鹿馬鹿しい話だ。近くに置いてあった食器を蹴飛ばす。
 殆ど喉も通らずに放置されていた食事は、小さな水音を立てて床に散らばって行った。

「そこの23歳、癇癪やめ。せっかく死刑を免れたんだ。傷心旅行と洒落込もうじゃないか」

「エミアの居ないこの世界に何の意味があるんだ! 何度も自殺を考えた。旅行になったら、いつあの野郎を殺しに行くか」

 割れた食器を更に壁に叩き付け、鉄格子に頭を打ちつけながら、呪詛でも放つような面持ちで呟く。
 ヴォルケンは慌てて格子越しに腕を掴んだ。

「だから癇癪やめ! ヴォルフ・フォン・シュナイダー少佐……いや、大佐の嫌疑は晴れたよ。彼奴は白だった。悔しいがな」

「なん……だ、って……?」

 暴発しそうな拳が、急激に熱を失う。
 この世の全てに敗北してしまったとさえ感じ、血液が振動する。

 怒りで震える視界でも、逆光に照らされて眩しくても、確かな表情が伺える。
 ああ、悔しさだ。痛ましさだ。
 遣る瀬無い場面に出くわした人間が、いちばんよくする表情だ。
 沈痛な面持ちで、ヴォルケンは首をゆっくりと横に振る。

「真っ先に洗ったがね。あの男は上官の命令通りに動いていただけだったし、彼の行動履歴から、シュヴェルテの暗殺に繋がるものは一切無かった。
 どうやらシュヴェルテをジークフリートが切り殺したという報道も真っ赤な嘘で、真相はどこぞの別働隊とやら、らしい」



「……の連中か、“エメリンスキー旅団”か、もしくは“皇帝派”の連中が直々に手を下したとも云われているんだが、どうなってるのやら、だ」

 次々と、剣呑な名前が連ねられる。
 最後に挙がった“皇帝派”はまだわかるが、他が腑に落ちない。

「こんな事して何か得するんですか?」

 エメリンスキー旅団はただの外人部隊の寄せ集めで、少しでも“火遊び”をすればすぐに首を切られるのは明白だ。
 ただでさえ素行不良の著しい連中が、そこまで目立つものだろうか。

「金だよ」

「またそういう在り来たりな……」

「在り来たりだが事実は事実だ。どうにも、ジークフリートを持て囃すと得をする軍需産業とかが絡んでるんじゃないかという説が濃くなって来てね。
 まず、出る杭を叩きたがる奴“A”が、下部組織の“B”を金で釣って動かすだろう。
 そうして何らかの成果が出たら軍需産業から“A”にお小遣いが出る。で、軍需産業はお小遣い以上の額のオヒネリをどこからか貰える」

 実際、“そういう仕組み”はあるかもしれない。
 皇帝派に属する過激な人間の自尊心を満たす為に、他のMAIDが“出る杭”となると、それを叩くのである。
 利害も行動目的も一致しているのなら協力し合わない手は無い、という事か。

 喉が塞がりそうになりながら、ゆっくりと言葉を捻り出す。

「……何だか、より一層、きな臭くなってきましたね」

 一言、そう発するだけで限界だった。他に言葉が見当たらない。
 何も無いし、これ以上何も云いたくもない。
 が、続いてしまった会話である以上、続けなくてはならなかった。
 ヴォルケンが大きな手をゼクスフォルトの両肩に置く。

「頼むからこれ以上きな臭くして欲しくないものだよな、アシュレイ君」

「ホント、そう願いたいものですよ」

 両肩の熱源を振り払う。
 何故いつもこの男の両手は汗ばんでいるのか。ビールの飲みすぎではないのか。
 馬鹿なのか。死ぬのか。

「という訳で、このきな臭いエントリヒから離れ、ゆっくり身体を癒して来い。今、君に必要なのは癒しだ。マイナスイオンとアルファ波だ」

 癒せるはずも無い。癒しになるわけがない。
 髪留めを失ってばらけた銀髪の頭を、指を絡ませるようにして抱える。

「そんなものが、エミアの代わりになんて……」

「100%には戻せなくても、結果的に50%以上には戻せる事もある。人生など、得てしてそういうものだ」

 あくまで目を合わせずに話を聞く。
 この男は物事を簡単にまとめすぎるきらいがある、とゼクスフォルトは常日頃から考えていた。

「……単純化しすぎです」


「まぁよく考えたまえ。明後日には自由になれる。アシュレイ君の件に関しては間に合わなかったが、例の“きな臭い”連中を辿って行けば、もしかしたら悲劇は繰り返さなくて済むかもしれん。
 今日は一人で寂しさと抱き合っておけ」

 ヴォルケンが云い終える前に、エンジン音が外から響く。
 シュナイダーは昨日、国際対G連合統合司令部への転属手続きを済ませたという。
 独房の外から聞こえる話し声で知っただけだが、おそらくは事実だ。
 その証拠かどうかはゼクスフォルトにはまだ解らないが、ヴォルケンが彼を「大佐」と云い直していた。

 彼は今、出発したのだろう。エンジン音があまりに少ないから、出撃ではない事はすぐに判る。
 ヴォルケンは時計に目をやり、外を眺めるような仕草をする。
 ゼクスフォルトもしばらく、外に意識を向けた。
 もしシュナイダーが無実だったとしたら、昨日殴ってしまったのは完全にこちらの早とちりだったのではないか。
 謝罪の機会も、有罪だった場合での糾弾の機会も、もう永遠に失われたようなものだ。
 一生顔向け出来ないとなると、生きる気力もいっそう萎えてくる。

「そのうち死神と一夜を過ごしそうですよ」

「死神ちゃんとのオネンネは、今に始まった事でもあるまい。では、またな」

「……そうですね。それでは、また」

 投げやり気味に、本日で最後になる上司を見送る。
 孤独の砂漠へと放り投げられて生きる意味が、どこにあるのか。
 この行き場の無い、暗い熱をどこにやれば良かったのだろうか。
 遠のく足音に耳を澄ませ、完全に無音に溶け込んだのを確認すると、ゼクスフォルトは左の拳を握り締めた。

「……くそったれ」

 精一杯、自らの頬を殴る。指輪のついた拳は、脳裏に火花を発生させるには充分すぎる硬度だった。
 1発、2発、3発。

 口内に鉄の味が広がった所で拳を下ろし、頬を痛めつけて生暖かくなった指輪をゆっくり撫でる。





















「ねぇ、アシュレイ?」


 確か、ある、雪の日だったか。
 エミア・クラネルトがこちらに微笑みかける。
 何かを云いづらそうにモジモジとする様子に、ゼクスフォルトは静かにうなずいた。


「何でもいい。云ってみてくれ」


 とにかく、その先が聞きたくてしょうがない。
 心臓は過熱を超えて、肋骨を割りそうな勢いへと変わって行く。
 それに比例するように、追従するように、エミアの耳の赤さが寒さによるものでない事を自覚させられた。







「この世界からGが居なくなったらさ……」


 どうしてこんな大事な時に限って、思考はいつもまとまらないのか。
 花束もロクに用意していない。
 唐突にプロポーズされても、エンゲージリングなんて出す自信が無い。
 シャツの裏にペンダントと一緒に留めたエンゲージリングを、咄嗟に取り出せる機転など、今の自分には無かった。
 相手も同じ事を考えていたのか、バツが悪そうに撤回する。


「ううん、なんでもない」


 急いで抱き寄せる。
 耳が沸騰し、どう動いていいか判らない。

 「っ」の発音が、ただ、ただ、断続的に喉に詰まるだけだ。
 もはや、不器用なゼクスフォルトにとっては言葉など無用の長物となっていた。
 暖かい心臓の音がより強固に喉を塞ぐ。

 エミア、好きだ。


 お前の事が好きだ。

















「愛している。これからも、ずっと……」

 嗚咽を押しのけて、やっと言葉が出た。




「……ありがとう」

 エミアは、笑顔のまま静かに眼を閉じて行く。

 更なる嗚咽が喉を塞いで、その後は言葉など出るはずもなかった。
 凶弾に抉られたエミアの傷痕を、片方の手でゆっくり撫でる。
 雪の降り積もった頭を、もう片方の手で抱える。




 ――この世界からGが居なくなったら、結婚しよう。


 馬鹿な事を約束してしまった。
 してしまったばかりに、凶弾に倒れた彼女を抱き抱える事しかできない。


 魂とともに体温がエミアの身体から抜け落ちて行く。
 ある一点を超えてしまえば、冷えるまでの何と呆気ないことか。





 涙の凍った頬が痛い。

 なにより、冷えた恋人が、心に痛い。


 凍ってしまう前に、ゼクスフォルトは恋人にそっと唇を重ねる。
 錆びた鉄のような味が、口の中に広がるだけだった。











 ――意識を現在まで飛ばし、ゼクスフォルトは口の中に溜めた自分の血液を舌で堪能する。

「あいつの血は、もっと綺麗な味がしたのにな……」


最終更新:2008年12月07日 14:51
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